岡垣町 和珥臣 仁賢紀 文庫書紀③134-末行 和珥臣日爪が女 糠君娘 春日山田皇女 和珥臣日触が女 大糠娘 ― 岡垣町 糠塚 山田大娘皇女 ― 岡垣町 山田 赤見皇女 ― 山田の小字「赤井手」 和珥氏は岡垣町の鰐(海人族) である。 吉野の泊瀬は波津である。 一般的通説 和珥氏 Wikipedia http:/… トラックバック:0 コメント:0 2015年03月02日 続きを読むread more
鞍橋君 文庫書紀③318-9 鞍手町再発見(歴史) 鞍橋君 http://www.town.kurate.lg.jp/kankou/rekishi.html 鞍手町 長谷(ハセ) に小字「鞍橋谷」 がある。 遠賀川流域の市町村史、郷土史本を読むと、 夏羽は田川市の夏吉、鞍橋君は鞍手町かと載っている。 また、遠賀川は物部… トラックバック:0 コメント:0 2015年03月02日 続きを読むread more
紀伊国の 徳勒津宮 仲哀紀 文庫書紀②124-6 角鹿の笥飯宮 光岡八幡宮 南国 南郷村 ( 朝町 曲 光岡 大穂町 大穂 王丸 野坂 宮田町 ) 紀伊国の徳勒津宮 宮田町本城の小字「徳城」 か 紀伊国は宗像郡 荒木郷 (宮田町 有木説、宗像市 河東説) 熊襲 建日別 ①考 大穂の小字「建浦」 460~487 番地 … トラックバック:0 コメント:0 2015年02月21日 続きを読むread more
狗奴国 鞍手町 説 ― 海北道中の「道中」 「宗像郡誌 上編」 P238 福津市 四角 亀山神社の境内神社に荒五郎社 祭神 素盞嗚命 鞍手郡鞍手町 古門 に荒五郎山 がある。 鞍手町には 縄文貝塚 ― 古月貝塚、新延貝塚 ・・・ 縄文時代の古遠賀湾 古月横穴 ― 装飾古墳 国指定史跡 古門窯跡 ― 6世紀代の須恵器の窯跡 などがある。 … トラックバック:0 コメント:0 2015年02月09日 続きを読むread more
荒五郎 福間の下西郷 鞍手町の古門 荒五郎 亀山神社 下西郷字四角 祭神 伊弉那岐神 国常立神 境内神社に荒五郎社 祭神 素盞嗚命 鞍手町 古門 に荒五郎山(73.0 m)がある。 トラックバック:0 コメント:0 2015年01月29日 続きを読むread more
岡垣町、玄海町(宗像市) 先代旧事本紀の冒頭 天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊 ↓ 「譲」「禅」→禅譲 山海経 海外東経 の君子国 私見では君子国の場所は岡垣町の汐入川流域 汐入川は石川ともいう。 薫華草 は ハマボウ http://44051510.at.webry.info/201201/article_48.html 「磯輪の秀… トラックバック:0 コメント:0 2014年06月24日 続きを読むread more
蘇民将来 風土記496 備後の国 疫隅の国つ社 蘇民将来 北の海 ― 下関市豊浦町 武塔の神 ― 宇賀本郷の天満宮か 南の海 ― 福岡県岡垣町 神の女 ― 岡垣町波津の大年神社 http://44051510.at.webry.info/201201/article_50.html 昭和29年ころまでは、女性… トラックバック:0 コメント:0 2014年04月28日 続きを読むread more
岡垣町 敏馬浦 三里松原 神代の場所 豊国は元松原の安楽院で宇佐の八幡神 翰苑 邪めに伊都に届き、傍ら斯馬に連なる 倭国の都 ・・・・ 下関市安岡・吉母 伊都 ・・・・ 岡垣町 とくに波津 斯馬 ・・・・ 蓋井島 馬ならば日向の駒 ・・・・ 岡垣町波津の湯川にあった牧。 小字「馬駈原」 ただし万葉集の敏馬浦は砂浜なので波津ではない。 敏馬浦は岡垣町の三里松原である。 三里松原の松は… トラックバック:0 コメント:0 2014年04月25日 続きを読むread more
徐福 遠賀川 上八 討論室2 - 東アジアの古代文化を考える会 http://e-asia2.board.coocan.jp/ http://e-asia2.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=120 http://e-asia2.board.coocan.jp/bbs/images/user/120_73.jp… トラックバック:0 コメント:0 2014年02月27日 続きを読むread more
東菰田式土器 http://tikuhouisann.doorblog.jp/archives/16043554.html 遠賀川式土器は、 1931年(昭和6年) アマチュアの考古学研究者、名和洋一郎氏により、遠賀川下流の遠賀郡水巻町立屋敷遺跡の川床から発見されました。 壺の肩のところに貝殻やヘラを使って描いた羽状文などの美しい幾何学文… トラックバック:0 コメント:0 2013年04月19日 続きを読むread more
岡垣町 伊都国 遠賀川式土器が東日本まで普及 オノゴロ島は水巻町の頃末 岡垣町は金属器の出土が豊富 → 八千戈神 細戈の千足る国 岡垣 → 玉牆の内つ国 根の堅州国は岡垣町 「漢委奴国王」 は岡垣町 野間は沼の転訛 → 水沼 あるいは水巻町が水沼 野間 → 野馬台 「野間」 は鹿児島県笠沙町の野間半島ではなく、岡垣… トラックバック:0 コメント:0 2013年04月04日 続きを読むread more
古墳時代の対外交流 オンドル 朝鮮新報 ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0211-00001.htm ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0218-00001.htm ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/… トラックバック:0 コメント:0 2013年04月03日 続きを読むread more
天日矛 伊都国 伊都国(世々王有り) 天日矛の新羅国で香春町 または田川市の伊田、位登、糸田町、方城町の伊方 高天原の「高」 は古くは「高羽」 と書かれた田川 万葉集418 豊国の鏡山 古事記の天若日子 美濃の国の藍見河の河上なる喪山 香春町にミノ遺跡がある。 『香春町史 上巻』 P113 に 「ミノ台地遺跡… トラックバック:0 コメント:0 2013年03月04日 続きを読むread more
天日矛 新羅国の阿具沼 香春岳 検索 【 古代採鉱民族の構成 】 千葉大学 井上孝夫 PDF 「 『豊前国風土記』逸文には、「田河の郡。鹿春の郷。 《郡の東北にある。》 この郷の中に河がある。年魚がいる。 ……この河の瀬は清い。それで清河原の村と名づけた。 いま鹿春の郷といっているのは訛ったのである。 昔、新羅の国の神が自分で海を渡って来着… トラックバック:0 コメント:0 2013年03月03日 続きを読むread more
鞆の浦 天木香樹 本当の大宰府は宗像市の鐘﨑・上八の海岸にあった。 万葉集446 ~ 448 天木香樹はハイビスカスに似た花であるハマボウ 群落は岡垣町の汐入川にあり、ここが鞆の浦である。 鞆の浦は広島県福山市ではない。 ハマボウは昔は八幡や小倉にも生えていたが工場ができて姿を消したという。 ハマボウは角島の夢ヶ﨑灯台の場… トラックバック:0 コメント:0 2012年09月19日 続きを読むread more
太宰府市 戸籍の木簡 「竺志前国嶋評」 私は倭国(=長門国) の大宰府は山奥内陸部の太宰府市でなく、船が着ける海岸部の洞海湾沿岸、黒崎駅 ~ 八幡駅付近にあったと推理する。 その根拠は 大宰府の役人だった藤原広嗣は遠賀川下流で挙兵している 水巻町境の日峰山に山幸彦伝説があり、竺紫日向や隼人はこの辺り 洞海湾沿岸は神功皇后伝説が多く、香椎は洞海湾沿いか岡… トラックバック:0 コメント:0 2012年09月01日 続きを読むread more
大音滝 特牛岳 人名は地名に因む。 日本書紀の阿閉臣磯特牛(国見)、紀臣大音は下関市豊北町の人だと思われる。 しかし福岡県田川郡赤村にも同じ地名がある。 大音滝 赤村 田川郡赤村字河内山にある滝。 落差15 m、幅約2 m。 特牛岳の北麓、今川の支流十津川にかかる。 豊富な水量が流下し、周囲にはハゼ・クヌギ・スギなどが茂る。 滝壺… トラックバック:0 コメント:0 2012年03月24日 続きを読むread more
遠賀川の記紀伝承 48 遠賀郡誌 上津役村 P92 より 帆柱山 昔神功皇后征韓の時船材を採らせ玉ひ、檣(ほばしら) もこの山より出せし故此名ありといふ。 8分許の所に蠟燭杉とてありしが、近年払下あり多く伐採したれども未だ昔の面影を偲ぶ形身は残れり、其形蠟燭に似たればなり。 ※ 帆柱山の杉は江戸時代に植林された… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月09日 続きを読むread more
遠賀川の記紀伝承 47 熊野神社 上上津役 馬場 祭神 伊弉諾尊 速玉男命 事解男命 福岡県地理全誌には、相殿に大倉主菟夫羅媛神を祭る故に初めは女体権現と称せりと。 臼井浅夫云、熊野は伊弉冉の尊なれば此称あるにや。 又宮永保親が考を載たれども信じ難ければ省きたり。 本社昔は下上津役字迎ひと云所にあり。 仰迎へと名付し由縁は、神功皇后… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月09日 続きを読むread more
遠賀川の記紀伝承 46 十二所神社 引野2丁目 12-16 祭神 伊弉諾尊・速玉男命・事解男命・天照大神・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・葺不合尊・軻遇槌命・埴山姫命・罔象目命・稚彦霊命 (一説に国常立尊とあって埴安姫命なし) 由緒 「県神社誌」 斉明天皇6年の冬、百済及び新羅を征するため行幸して、筑紫の磐瀬行宮に居玉うた。 天皇軍を救うため、天神… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月08日 続きを読むread more
小字 遠賀郡 (一部) 島津 道官 別府 高家(たかや) 虫生津 由良 白水 中底井野 柏 大田 水門 朳 (えぶり) 伊勢面 猪熊 深江 頃末 櫛笥(くしげ) 二 (ふた) 迎(むかへ) 岩瀬 御館 行幸ノ尾 吉田 紙袋 月夜待 柳土手 イハゼ 中間 瑞穂(ずいほ) 犬王 八王寺 名前 片峰 御館 … トラックバック:0 コメント:0 2012年02月08日 続きを読むread more
遠賀川の記紀伝承 45 木屋瀬町誌 P3 香月家譜によれば、 熊襲の大将である火国の川上梟師の弟の江上梟師が金剛の丘に居た。 日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠る。 寿福寺縁起書に、 仲哀天皇亦與 皇后、将 討 熊襲 之時至 自 岡湊 而鎮魂焉 とあり、この地に来られたことを物語る。 P24 … トラックバック:0 コメント:0 2012年02月08日 続きを読むread more
道伯山 八幡西区 大伯海の「伯」 について、黒崎駅の東に道伯山がある。 古事記 出雲の多芸志の小浜 は中間市役所前の川曲がりである。 諏訪の海 は長野県の諏訪湖ではなくて、洞海湾の諏訪だ。 枝光八幡宮 (八幡東区諏訪2丁目1-5) の祭神に武御名方命がいる。 光照寺遺跡 弥生時代の環濠集落 八幡西区 香月西 洞海湾で「… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月07日 続きを読むread more
中間市 垣生 底井野 角川ソフィア文庫 新訂 古事記 P62 出雲の国の多芸志の小浜に、天の御舎を造りて、水戸の神の孫櫛矢玉の神膳夫となりて、天つ御饗献る時に、禱き白して、櫛矢玉の神鵜に化りて、海の底に入りて、底の埴を咋ひ出でて、天の八十平瓮を作りて、海布の柄を鎌りて燧臼に作り、海蒪の柄を燧杵に作りて、火をđ… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月02日 続きを読むread more
女王国 の東 魏志倭人伝 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。 女王国は福岡県岡垣町の波津 (「初」 とも書かれた) である。 波津から下関の蓋井島方面を見ている。 伊都国の場所もほぼ同じ。 南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。 7万余戸ばかり。 ①考 この邪馬台国は穴門豊浦宮で… トラックバック:0 コメント:0 2012年01月29日 続きを読むread more
角鹿 から 穴門豊浦宮 へ 岡垣町 高倉神社の境内社に志々岐神社があり、これは長崎県平戸市西端の志々伎神社である。 神功皇后は、 三韓征伐の前 ・・・・ 肥前松浦に出向いた。 三韓征伐の後 ・・・・ 産まれた応神天皇の禊をするために、越(高志) の角鹿の笥飯(気比)大神に出向いた。 一説に、応神天皇は住吉神との不倫の子という。 ならば禊が必要だろう。… トラックバック:0 コメント:0 2012年01月28日 続きを読むread more
岡垣町 地誌 2 岡垣町史 P865 より 雨乞山古城 手野と三吉の境にある山で、現在は百合山といい、手野では城ヶ原山ともいっている。 『筑前国続風土記』 の古城古戦場の項に、「雨乞古城、天野村にあり。城主詳ならす」 と書かれている。 干ばつの年にこの山を焼くと雲が出て雨が降ったといわれるところから、この山を雨乞山という。 頂上に平地… トラックバック:0 コメント:0 2012年01月28日 続きを読むread more
鶉浜 鶉村 万葉集の鶉 239 2799 1558 775 3920 199 3887 岡垣町の内浦(うつら) は鶉浜、鶉村ともいった。 内浦 (うつら) 遠賀郡誌 P541 此里昔より辺鄙には有名の地なり、 名義は古へ吉木村の下より西の方手野及び此村の辺まで総て入海なりし故に内浦と云へり、 今も… トラックバック:0 コメント:0 2012年01月28日 続きを読むread more
岡垣町 若宮神社 若宮神社 所在地 大字内浦字高入 1125 祭神 仁徳天皇 仲哀天皇 神功皇后 氏森大神 愛宕大神 由緒 『福岡県地理全誌』 に「宗像75社の一なり」 とあり 宗像宮正平年間(1346年ころ) の祭祀記に「内浦若宮明神1月1日、3月3日、5月5日、9月9日神事」 と記している。 また、「高倉神事定書」 には手野… トラックバック:0 コメント:0 2012年01月28日 続きを読むread more
芳野離宮 の滝 万葉集960 帥大伴卿遥思 芳野離宮 作歌一首 隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧尓 尚不及家里 『遠賀郡誌』 総論 P76~77 瀑布 鮎返りノ滝 岡垣町大字手野の南16町荕原と云所にあり、高2丈余、幅2尺余、細流岩上を伝ひ灑き落るさま頗る美観なり、水源葛城山より出て流末を篠間川と云ふ … トラックバック:0 コメント:0 2012年01月28日 続きを読むread more