柄杓 (ひしゃく)

▲裏・歴史▼ 聖徳太子はペルシャ人!?北斗七星と太子道の驚くべき関係!![ミステリー#75]

[パワーを感じて下さい!!]星田妙見宮 北斗七星の神社です!

かはくの天文だより(北斗七星から北極星を見つけよう) 愛媛県総合科学博物館

珍しい星空「北斗の水汲み」 yousonoda

王朝から邪馬壹国そして現代へ~『魏志倭人伝』の官名「泄謨觚」「柄渠觚」「?馬觚」の謎を解く@正木裕@和泉史談会@20210413@29:01@DSCN0849
 5:23


正月 三正
夏正 建寅
殷正 建丑
周正 建子


北斗七星 Wikipedia
福岡県北部の一部海岸などでは、北斗七星が響灘の水平線ぎりぎりをかすめて動くように見える。これは北緯33~34度ぐらいの、北に海を臨む地域で、9~11月に限り見られる現象で、天文学者の平井正則(福岡教育大学名誉教授)が「北斗の水くみ」と1990年に命名した。市民の娯楽や観光に生かすため、宗像市が「北斗の水くみ海浜公園」を、岡垣町が観光ステーション「北斗七星」を開設している。


下関市
要須遺跡 旧 川中中学の場所 銅製の柄杓が出土


邪馬台国 下関市有冨
隋書倭国伝の秦王国 福岡県新宮町、古賀市青柳
徐福の地 山口県長門市 向津具・油谷・日置

高千穂宮 新宮町 千年家
笠沙 海の中道、または新宮町 磯崎鼻

志賀島の金印出土地の真東 香椎の御島
志賀島 勝馬から細形銅剣の鋳型が出土
五行 西=金。下関市の遺跡では梶栗浜遺跡

一大率 武人 武器・武具の出土は新宮町・古賀市南部
伊都国は新宮町、古賀市青柳

旁国 北九州市若松区 → 古賀市北部

女王の政治力の西端 福岡市東区 志賀島 (末盧国)、三苫・和白
西蕃 糸島市、福岡市西区・早良区,、太宰府

食国と邪馬台国

マルクス考古学 ・・・ マルクス史観
1970年代前半 年齢70代の考古学思考
昔の大学1年生 20歳 が読む薄いテキストのまま

縄文時代 階級はなかった。
弥生時代 水田稲作と経済力、争い

記紀・万葉 農業生産力が高かった地域 食国、豊葦原水穂の国
葦原中国、出雲、筑紫 この場所は古賀市南部、新宮町、三苫永浦、比恵那珂
天孫降臨の高千穂宮=遠朝廷=大宰府があった場所 新宮町 上府の千年家

記紀・万葉では農業生産力が高く都会化して繁栄していた場所は食国で、筑紫・出雲.。この場所は福岡市とその周辺。都の倭 (やまと) は葦原中国ではない。


神功皇后の三韓出兵
神功皇后は天日矛の系図 新羅系で金銀財宝が大好き
倭は無為の政治で貧乏ゆえ金銀財宝がない。

壱岐 原の辻遺跡 船着き場は朝鮮式山城の工法
新羅人の入植地 古賀市 船原古墳
環濠 朝鮮系の人たち

倭人は金銀財宝より不老長生が優先すると考えている。
新唐書 日本 使者は賜り物を売って本を購入し帰国した。

魏志倭人伝 卑弥呼 宮室
書経 周書 泰誓 商王受 宮室

書経は王の豪奢な暮らし、きらめく細工品を批判する。


隋書倭国伝
倭の場所はリアス式海岸で湖沼が広がり陸地平地はわずかである。
温暖で、草木は冬も青々として枯れてない。肥えた黒土である。

庶民の多くは裸足。金銀を用いて飾りにするは禁止されている。
王は冠がなかった。王は隋の時代になって初めて錦・綾絹で冠を作った。

倭人は易の占いを知ってるが、巫覡の神うかがいをより信じる。
碁、双六を知ってる。行事は中国と同じ。無欲でがつがつしてない。

漢字の意味【巽】 の方位

邪馬台国論はその場所・位置こそが重要である。
魏志倭人伝の行程は間違っているので隋書倭国伝で修正されている。

邪馬台国の地勢・地形・風景は隋書倭国伝に記述されている。

魏志倭人伝 「倭の地は温暖、冬夏生菜を食す」食生活である。
冬、雪が深い地域ではない。帯方郡の人にとって邪馬台国は温暖である。

帯方の東南
古代中国思想の方位には意味がある。東南=巽 ソン

天路 宋書倭国伝
天=乾=北西

帯方から見て邪馬台国は東南 意味するものは巽
邪馬台国から行く中国大陸への航路は天路 響灘・玄海灘の西北

レーザービームの正確さ、ピンポイントで「帯方の東南」は下関市である。
邪馬台国は綾羅木川の北岸 天子南面の有冨。河内王朝は吉見下の古宿・船越

狗奴国
綾羅木川の南岸 田倉・秋根・伊倉・稗田・武久
古墳が関西系の阿武郡。とくに山口市阿東の徳佐。内陸山間地の前方後円墳。
北九州市 小倉南区長行
連弧文清白鏡の出土地  飯塚市立岩、糸島、須玖岡本 など
環濠集落 福岡市、綾羅木郷遺跡
弥生末‐古墳期初期 環濠と甕棺墓の消滅


関西ヤマトの前方後円墳は海浜部にある。
福岡大学 考古学 武末純一の「海村」概念 交易

素戔嗚尊は滄海を制す。
海幸彦=隼人

新説
白石太一郎、広瀬和雄の前方後円墳体制
私見は真逆であり、海浜型 前方後円墳は隼人の高塚である。

山口大学 田中晋作 古市古墳群の研究
私見は真逆であり、下関は周縁部でなく中央だった。


倭人 倭奴国、邪馬台国・狗奴国の人たちは淮南子を愛読していた。
四葉座=四維 天柱の思想

倭奴
古事記 八千矛神の歌物語 須勢理比売
日子遅神わびて、出雲より倭の国にり坐さむとして …
帥升 升=昇=上る

毛人 「中国の古典」を読めない人たち
考古学関係者 漢籍に無知だから毛人である。毛人=文盲
千葉県 国立歴史民俗博物館 研究者は東洋学を知らない盲人ばかり。


不老不死
仙人 大阪府立大学 大形徹
漢方 東洋医学
道教と「胎」 殷の甲骨文字 


西都
山口市 西京
福岡市西区 女原 西都小学校 今宿に鯰川-東鯷人の原国か 日向川
宮崎県 日向 西都原

大宰府の梅 令和 王羲之 曲水の宴 
称徳天皇 宝亀元年 歌垣

島 亀 殷


糸島市 旧 志摩町
北九州市 若松区 二島 島郷 魏志倭人伝の旁国 斯馬国
国の官 兕馬觝 古賀市 永浦 か 鹿部大池があった

万葉集304 島門 遠の朝廷は千年家

筑前国 嶋郡 川辺里戸籍 肥君猪手、占部 ・・・ 新宮町 湊、下府か

島つ鳥 鵜飼が徒 神武東征



水江の浦嶋子 万葉集1740 墨吉で釣り
筒川の嶼子 風土記 逸文丹後国 五色の亀 ・・・ ツツは住吉神
下府 小字「日ノ下」「水町」

豊玉姫 大亀 文庫書紀➀184‐6

新撰亀相記 占部 亀卜 万葉集3811
新撰亀相記の序 凡そ、亀術の元は、高天より興れり。
  ↓
高天原は殷である。
崇神 7年2月15日 神亀 文庫書紀➀278‐末から3行目

垂仁 34年3月2日
山背 矛で祈ひ 大亀

顕宗紀 百姓 に富めり 文庫書紀③128‐10

書経 周書 呂刑 三后 功を成して惟れ民をにす。
書経の本によって、この箇所の「殷」は訓み・訳がちがう。
 豊か 平凡社 中国古典文学大系 書経・易経 (抄)
 盛ん、豊か 筑摩書房 世界古典文学全集 詩経国風・書経
 假、福 さいわい 明治書院 新釈漢文大系 書経 上
 正す 集英社 全釈漢文大系 尚書


華夷
顕宗2年 文庫書紀③126‐7
華夷、欣び仰ぎしは、天皇の身なり。

中華意識
『史淵』143号 2006年
川本芳昭「倭国における対外交渉の変遷について」
P61‐15行目
「東夷」であった日本が「中華」としての認識を持った


九州 王維 阿倍仲麻呂の送別
『九州王朝の論理』 古田武彦・福永晋三・古賀達也 明石書店 2000

王維 輞川荘 もうせんそう
 神仙境・桃源郷、山水画の世界
 楚辞の影響
 禅 仏教

私見
「禹貢の九州」は下関市~宗像市~福岡市 海岸部
三苗 福岡市内の環濠集落 東限は古賀市 馬渡・束ヶ浦遺跡
三危 関西ヤマト、山口市阿東 宮ヶ久保遺跡・狐塚古墳

続日本紀 聖武天皇 天平3年12月21日 続日本紀➁253‐12
詔して曰はく、「朕、九州に君として臨みて万姓を字養ひ …


YouTube
やまぐちようじの遠隔授業中国哲学講読3『尚書』

山口謠司の遠隔授業 中国哲学講読3 尚書


中国古典備忘録「書経」昭和・平成の語源 など - 疋田文明・元気塾 (2018年5月例会より)

五行と臓象 尚書・洪範から

易経は日本にしかない 開元先生の「神様の設計図」その2


BS歴史館「古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫る」


『倭国の出現』 西嶋定生 東京大学出版会 1999
『史淵』143号 P62 川本芳昭
注(9) 所謂倭面土国、倭面上国の理解については西嶋氏の所説に従う。

私見は渡邊義浩、岡田英弘、川本芳昭はバカ。

重松明久、福永光司は魏志倭人伝に墨子を発見した。
卑弥呼の「鬼道」、一大率の「大率」は墨子の語である。

私見
倭面国 大貴命、天 あめつち
倭面国 新宮町 府 千年家、古賀市 青柳川の上流 青柳、新宮町 原、的野

如委面 墨子。墨吉。あるいは川上梟帥で熊襲。熊も黒い。
鍋炭を顔に塗る習俗だろう。
(参照)
復刻版『忘れられた島』 岩波写真文庫 148 2008
P24 海賊連

塩土老翁 事勝国勝長狭

住吉神を祀る 新宮神社 (下府・上府)、古賀市 青柳の五所八幡宮

倭面上国 帥升等 新宮町、あるいは古賀市南部、青柳川流域 の政権である。

古賀市の馬渡・束ヶ浦遺跡

古賀市 青柳 を最重視する

魏志倭人伝の国々は無視する。

魏志倭人伝の行程=隋書倭国伝の行程
魏志倭人伝の行程記述は間違っているので、隋書倭国伝で修正されている。

隋書倭国伝は608年、裴世清が小野妹子を伴って来朝し倭国王と会見してるから、行程記述の信頼性が高い。邪靡堆=邪馬台だから、7世紀初頭に倭国は存在して隋に遣使した。この倭国は関西ヤマトではない。場所は「その地勢は東高くして西下り」と実見されている。「堆」「台」の字が使われているので、平地・平野ではなく台地、丘上に都がある。丘上の平たい所に山城を造る場所だ。

倭の地は暖かく冬でも生野菜が食べられる。雪は少ないようだ。
大きな平野や山間盆地の内陸地でなくリアス式海岸に都がある。
大きな宮殿はない。道もない。橋もない。何もない。妾が多い。
牛馬がいない。湖が広がる。鵜飼がいる。土は黒い。

報道関係、歴史雑誌ムック本の編集者たちは魏志倭人伝・隋書倭国伝等に記述されてないことを邪馬台国に直結させている。


古賀市 青柳 を最重視してみる。
日本書紀 那の川は福岡市の那珂川ではなく古賀市の青柳川である。

竹斯国=末盧国 志賀島・海の中道・新宮町
秦王国=伊都国=大宰府 (遠の朝廷) 古賀市 青柳

青柳から陸路で北九州市へ

若松区岩屋から船で下関市吉見へ
吉見の古宿が難波。有冨中村が倭・飛鳥

(根拠) 綾羅木川の北岸は天子南面の景観である。


橘の小戸 青柳
橘の小戸は日向にあるので、日向は青柳

出雲=筑紫=葦原中国=淡海国 古賀市 青柳


『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999
【蚩尤】 しゆう
蚩尤の兄弟は81人、72人
  ↓
古事記  大国主命に八十兄
万葉集 物部の八十氏川

土井ヶ浜遺跡の「英雄」人骨
古賀市 青柳の人で蚩尤の巨人族。山海経 海外東経 大人国

魏志倭人伝の壱岐 一国 原の辻遺跡
  ↓
山海経 海外東経 人国  古賀市 青柳 馬渡・束ヶ浦遺跡、五所八幡宮の住吉神


古墳時代 沖ノ島祭祀は宗像大社や関西ヤマトと関係する。

弥生時代 魏志倭人伝
狗邪韓国 (金海) →一国→伊都国 (人国、馬渡・束ヶ浦遺跡の金海式甕棺)
一大国 一大

各地にある住吉神社の中で壱岐の住吉神社が最古だとされる。
壱岐の住吉神社は相殿に八千戈神を祀る。八千戈神も兵戦の神として蚩尤に通じる。神功紀で新羅を攻める前に大三輪社を立てたら軍衆が集まった。
文庫書紀➁144‐末から2行目

福岡市西区 今津本町に小字「璞」 あらたま がある。
神功皇后が攻めた「西蕃の新羅」は糸島か。


西南夷の銅頭大師
『鏡の古代史』 辻田淳一郎 角川選書 2019.12
P266 表7 田中史生 2013
413年 是歳、高句麗・倭国・西南夷の銅頭大師、並びに宝物を献ず。 晋書

漢籍で「銅の頭」は蚩尤 しゆう 頭に角がある
他に「頭に牛の角がある」 神農、牛頭天王、高句麗 集安五灰墳5号墓 壁画

(参照)
『好太王碑と集安の壁画古墳』 読売テレビ放送編 木耳社 1988
執筆 岡村秀典 他 
P138‐末から2行目 牛首人と飛天

『世界歴史の旅 中国古代文明』 鶴間和幸 黄暁芬 山川出版社 2006
集安五灰墳5号墓

垂仁紀 額に角有ひたる人 都怒我阿羅斯等

清寧紀 飯豊皇女 角刺宮 初交 文庫書紀③100‐5

万葉集
角麻呂 295 清江 すみのえ
角朝臣広弁 1641

1640 大宰帥 大伴卿
「吾岳」 岳越山
「開」は新宮町 千年家あたりの小字地名

西南夷の銅頭大師は古賀市 青柳の人である。
425年、宋に使いされた司馬曹達と同一人物か。

弥生時代の新考察 福岡市

古賀市 青柳 グリーンパークはスケートボード施設がある。
YouTube  【 古賀市 スケートパーク 】
この場所に馬渡・束ヶ浦遺跡 弥生前期末‐中期初頭 がある。
環濠、金海式甕棺、銅釧

朝日カルチャー北九州 最新研究 邪馬台国とその時代
2021 1/23 講師 田尻義了 巴形銅器の祖形は銅釧の鉤か
2021 2/13 講師 久住猛雄 奴国 須玖岡本、比恵那珂

万葉集3811 亀卜 占部
占部は筑前国 嶋郡 川辺里 の住民たち 古賀市 青柳か

下関市 形山町 青山の山麓 鉄釧 下関市史 P113
形山町の弥生土器は遠賀川以東の須玖式

古賀市青柳の馬渡・束ヶ浦遺跡は環濠・甕棺墓福岡市内の遺跡と同族である。
いわゆる「奴国」の王墓は春日市でなく古賀市の馬渡・束ヶ浦遺跡だろう、
委奴国、狗奴国か。高志か。
住吉荒 不弥国の官の多模か。

蚊田 万葉集3791 原文に頻出する「蚊」字
的臣蚊嶋 仁賢紀 文庫書紀③136‐末から3行目

『書経・易経(抄)』 赤塚忠 中国古典文学大系1 平凡社 1972
P337上 注五 黄帝は和魂の神、蚩尤は荒魂の神
私見 日本では荒魂は住吉神

五所八幡宮 古くは鷹野神社。
万葉集の越中国は実は古賀市。万葉集4011 大黒

『〈新〉弥生時代』 藤尾慎一郎 吉川弘文館 2011
古賀市 馬渡・束ヶ浦遺跡の論及なし。水田稲作がないためか。

私見 書経 周書 呂刑 語釈「鴟義」 川上
馬渡・束ヶ浦遺跡 蚩尤 しゆう の都
三苗 福岡市内の環壕集落

万葉集 青柳
3443
3603
3546
4192
4289
1821
1851
817
1433
825
1432
821

射水川 新宮町 的野の青柳川
泉川 泉津で出雲 万葉集50 藤原宮

青柳 小字 (一部)
鹿場 熊本 篠林 踊ケウラ アマノ 川 立花木 子 石 嶽越
子ヶ浦 焼 大浦 藤津 糸ヶ浦

漢字「払」 明け方、夜明けの意味もある。 古事記 旦浜、明日香
万葉集4254 掃平 


万葉集 楽浪 ささなみ
3240
29
32
33
305
30
218
1715

楽浪の志我の韓埼、楽浪の思賀の辛碕
漢委奴国は古賀市 青柳である。遠の朝廷も青柳にあった。

三神山、三苗の君主

邪馬台国の場所は考古学では判明しない。

東海の三神山はどこか。
『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮紀子 日本経済新聞出版社 2007
P50‐5行目
「対馬、壱岐と志賀島、大宰府の間に三神山があって …」


書経は中国大陸ではなく邪馬台国の書であある。

筑摩書房 世界古典文学全集2 『詩経国風 書経』 1969
書経 周書 
 康誥「古えの政治に近づきたい」P374上‐7行目
 呂刑「苗の君主を根だやしにして …」 P451‐末から4行目

北部九州の三苗は山口県 阿武郡や関西に追放された。

文献史学の方法論は訓詁注釈あるのみ。国文は漢籍と一体である。
 岩波書店の日本書紀 訓み下し文を自分なりに読み込む。
 四書五経、諸子百家など漢籍に通じて「赤塚忠レベル」をめざす。

古田武彦、安本美典、大和岩雄、いき一郎 の邪馬台国本を読んできた者たちは「赤塚忠レベル」は当然のことだ。

原文の漢文は読めない。訓読文を読み語釈を覚える。漢字の表記に本質がある。

考古学は視野狭窄の省エネ思考で「倭とは日本列島のこと」で終わり。考古学では、生産力と青銅器・鉄器の分布、遺跡・古墳の規模によって日本の古代を考察する。後漢書倭伝の、東鯷人、夷洲・澶洲、蓬莱の神仙、徐福、それに扶桑や山海経 海外東経の君子国 の位置などは考古学では問題にされない。

報道関係者は締め切りに追われているので概説は読みやすい。高校日本史・世界史の延長のようなものだから概説書は速読できる。

邪馬台国愛好家は70代半ばの年齢層が主で、この世代はマスゴミと一体になることで「自分」があるという「マスゴミにドブ漬け」洗脳だ。近頃の鶏の唐揚げはタレ汁にドブ漬けして揚げている。メディアの総体革命に口うらを合わせて「自分」を光らせる。

「自分」で探すとなると、ネットの古本購入サイトで大型漢和辞典を4、5冊、各種の中国〇〇事典を何冊も買って、陰陽五行も勉強して、明治書院 新釈漢文大系も主なものは揃えて毎日8時間読むを何年もやって、カルチャーセンターにも通って、学教養をつける。これで学者先生方にまあ対応できる。JRに乗って県立図書館の郷土史料室にも何度も通い、ローカルで田舎くさい史料を半日かけ約1万円分コピーして帰る。どいつもこいつもバカばっかなら「自分」でやるしかなかろう。「私がやりましょう」「そうこなくっちゃ」 言うことがユニーク。新説 誰も書かなかった邪馬台国。

メディアの報道、学者、学芸員、研究者、講師がバカに見えるなら「自分の出番があるチャンス!」だけど、代案を示すには石の上にも3年かかる。

70年代、80年代の九州大学 考古学 岡崎敬は漢籍の教養があったという。
お弟子さんの考古学研究者たちは漢籍と無縁だ。

中国古代思想の手引き書として
『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999 をパラパラと引いてみる。

福岡県では前漢鏡 連弧文清白鏡が出土している。楚辞は必読。
北九州市 若松区岩屋 後漢鏡 双頭龍文鏡片
  ↓
楚辞 九歌 雲中君


疫神
中国神話では【疫神帝】顓頊 せんぎょく 3人の子
日本神話では 素戔嗚尊

『鏡の古代史』辻田順淳一郎 角川選書 令和元年12月
P266 表7 413年、西南夷の銅頭大師
【蚩尤】 しゆう 頭は銅、額は鉄、巨人族=山海経 海外東経 大人

新宮町 上府 小字「神木」
景行紀 筑紫後国 御木 高田行宮 文庫書紀➁80‐末行 神しき木

文庫書紀➁82‐6 邑 膳夫等、を遺る 浮羽
新宮町 的野 青柳川の上流 熊野神社がある。

古賀市 青柳 グリーンパーク 馬渡・ヶ浦遺跡
五所八幡宮 祭神 墨江三前神

漢字「束」→拘束→拘奴国

熊襲は素戔嗚尊の後釜で、青柳川の上流地に居た。
住吉神も素戔嗚尊の出雲海軍の人。

西南夷の銅頭大師は筑紫の君 磐井か。

岡崎敬 考古学と東洋学 の視点から、
私見
弥生時代の武器埋納
青銅器 吉武高木、古賀市 青柳、宗像市 田熊石畑
鉄器 宗像市 冨士原 鉄戈

蚩尤が居た所 青柳川の上流地
書経 周書 呂刑 に蚩尤。三苗は福岡市内の環濠集落で関西に追放された。

古墳時代、武器武具の出土 一大率の候補地につながる
伊都国 定説の糸島市でなく新宮町周辺に一大率があったとみれる。
重松明久、福永光司 大率は墨子の語
隋書倭国伝 秦王国は新宮町。


地名が対応 旧唐書 倭国と日本国
福岡県古賀市 青柳

滋賀県
高島市 安曇川 青柳
大津市 大物 青柳

肥前

肥前国は佐賀県ではなく海の中道・志賀島である。

『筑前国続風土記』 貝原益軒
江戸時代に海女がいた4か所 鐘崎、大島、岡垣町の波津、志賀島の

『福岡県の地名』 日本歴史地名大系41 平凡社 2004
P591下 打昇の浜 奈多~志賀島 の砂浜
神功皇后が志賀島でを求めた。
筑前国風土記に大伴狭手彦が「うちあげ浜」から出航した。
万葉集 大宰大監 大伴百代の歌 鹿之浜辺 は打昇の浜か。

志賀島の地名起源説話 

万葉集894 智可能
三苫 詫乗寺の裏に小さい洞窟 私見 禹穴か
志賀島 字「穴方」
岫 景行紀 文庫書紀➁82‐2 峯

新日本古典文学大系 別巻 萬葉集索引 岩波書店 2004
P444 左
大伴連佐提比古 狭手彦 手比古→笠

狭手彦は一説に猿田彦 景行紀 水沼県主大海 文庫書紀➁82‐3
新宮町 湊の綿津見神社の裏に、三宝大荒神と庚申天
新宮町下府6丁目6−16 に庚申天尊

景行天皇は日向から倭に帰った。

漢の委奴国 蛇鈕

邪馬台国の場所は下関市有冨の山。河内王朝は下関市吉見の古宿浜・船越川。
隋の使節団は吉見→安岡→蒲生野→有冨中村 と来たので、前方後円墳の若宮古墳、仁馬山古墳は見ていない。
隋書倭国伝には巨大古墳の記述がない。

隋書倭国伝では 死者を斂むるに棺槨を以ってし とあるので、秋根古墳の横穴式石室 6世紀中 は見ている。

魏志倭人伝には特徴ある成人用甕棺の記述がない。
銅鐸も報告記述されてない。
福岡市・糸島市の甕棺地域や関西は魏志倭人伝とは関係ない。


伊都国≒委奴国 同じ場所か、1キロ以内でごく近い。
竹斯物部莫奇沙奇 欽明15年12月

楽浪の平山風 万葉集1715
福岡市東区 美和台の地勢は平山 三苫永浦遺跡 釣針

浮渚在之平地 天孫降臨 文庫書紀➀142‐11 三苫水道があった頃の美和台
国主 事勝国勝長狭 塩土老翁

国譲り
大国主命
饒速日命
事勝国勝長狭

伊都国王 候補
穴門の伊都都比古 穴門は新宮町 湊-西鉄三苫駅
磯崎鼻 黒神 住吉神か。大黒さまで大国主命か。
新宮神社 住吉神
土蜘蛛
熊襲

大国主命は逸民、素王で、倭国の官位なし。
倭国王 帥升は大国主命か。

私の推理では、
帥升等が後漢に献上した生口たちが黄巾の乱を引き起こす。
曹操の父親は出自が不明なので倭人だった。
倭国は人材の国である。生口=超人材

日本国 粟田真人 「真人」で道家思想の賢人



出雲の鬼 文庫書紀➀110
日本武尊の鬼退治 文庫書紀➁92‐9
朝倉山の鬼 斉明紀 文庫書紀④370‐8

新宮町 下ノ府 字「鬼川原」

古事記 祝詞 岩波 日本古典文学大系1 P459

儺の津、儺の河
儺は「おにやらい」で、禊ぎ・疫祓い。 福岡市の那津、那珂川ではない。


南界
四方の北極、東極、南極、西極
太極 道家思想の天地開闢、易経

新宮町 磯崎神社 2つの子持ち石 陰と陽
 神功皇后の鎮懐石、日御子 応神天皇の誕生
 陽は伊奘諾尊、陰は伊奘冉尊でオノゴロ島

万葉集 地名場所の景色情報が豊富

1718
1719

極太=太極  巴 渦巻文 隼人の楯 陽侯・飛廉。 続日本紀に陽侯氏。
2400
2494

委奴国王 候補
オノゴロ島の伊奘諾尊
事勝国勝長狭 (塩土老翁)



漢皇子
漢の高祖 劉邦 ― 豊国の出身


必読書
『邪馬台国の研究』 重松明久 白陵社 昭和44
P109 豊国と大率
如墨面、豊国=墨国 説、周の文王 豊鐈、漢の高祖 豊沛

私見 「豊」には楚辞の豊隆、易 六十四卦の豊、和の豊秋津島もある。

P336 漢委奴国王印について


邪馬台国へ至る「点と線」の糸口
JR香椎駅で降りる。西鉄香椎駅から西鉄貝塚線に乗り、三苫駅-新宮駅へ。
新宮町 湊 を散策する。

糸島市、春日市は「邪馬台国への道」ではない。
伊都国歴史博物館、奴国の丘歴史資料館は邪馬台国論とは関係ない。


結論
伊都国は新宮町 湊 磯崎鼻
委奴国は福岡市東区 三苫・美和台 永浦・相浦


蛇鈕 志賀島の金印
伏羲と女媧 蛇身

御諸山の大物主神 崇神紀 箸墓、雄略紀 少子部連 

斉明紀 文庫書紀④332‐1
空中にしてに乗れる者有り。貌、唐人に似たり。青き油の笠を着て、葛城嶺より、馳せて胆駒山に隠れぬ。
  ↓
葛城山の仙人


『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999
 【伏羲】


親魏倭王 金印
邪馬台国は東方の極 伏羲の国で日の出の天子の地 淮南子 時則訓

少連は東夷の人

『皇帝たちの中国史』 宮脇淳子 徳間書店 2019.12
P17‐1行目
東夷は山東省の漁撈民で野蛮人。海中に潜って漁をしていた。
私見 魏志倭人伝 末盧国の潜水漁

魏志倭人伝の思想=道家+墨子
関西ヤマトには神仙思想はあっても道家思想はない。

日本の古代史、魏志倭人伝
福永光司と重松明久は墨子を重要視する。


墨子
平凡社 中国古典文学大系 5 韓非子 墨子
P450下 少連 人名で古代の逸民
 ↓
私見
連は彦名命である。
文庫書紀➀104‐4
淡嶋に至りて、茎に縁りしかば、弾かれ渡りまして常世郷に至りましきといふ。
  ↓
常世郷は土井ヶ浜=油谷湾 瀛洲

文庫書紀➁170‐10 歌謡
神酒の司 常世に坐す いはたたす 御神の豊寿き
いはたたす 墓地の標石

山幸彦の海神の宮 土井ヶ浜、あるいは向津具
水江浦嶼子の蓬山 向津具


明治書院 新釈漢文大系 墨子 下
P518 少連

論語 微子 逸民 少連

明治書院 新釈漢文大系 礼記 中
雑記下 P633 少連大連は東夷の人
  ↓
少連は少彦名命、大連は大国主命である。
葦原醜男は逸民だった。
古事記 出雲の御大の御前 新宮町 湊 磯崎鼻

明治書院 新釈漢文大系 孔子家語
曲礼子夏問 P575
東方の斉の晏子から聞いた話では、少連・大連の2人は、喪の服し方が正しかった。東夷の子ながら礼を心得ていた。


逸民
抱朴子 外篇、後漢書 逸民伝、荘子


私見
諸子百家、史記など「中国の古典」の多くは場所が福岡市三苫~下関市の海岸
墨子は山海経 海外東経 大人国 で、新宮町 湊、または古賀市 鹿部・青柳川

漢の伊都国

新宮町
山海経 海外東経 長差丘 立花山
古事記 夜の食国 新宮町 夜臼
古事記 宇迦の山の山本 福岡市東区 高美台の大神神社
万葉集1715 楽浪の平山風 新宮町 原上 3号線の平山

地形で平山は東区 美和台の住宅地。相浦は主要な湊だったという。
万葉集3237 緑丹吉 平山 相海 -美和台の相浦か。
万葉集3157 相海の安河


帥升等
『三国志よりみた邪馬台国』 渡邊義浩 汲古書院 2016
P297‐10行目 川本芳昭 説 帥升は伊都国の王
  『史淵』 九州大学 143号
   P27 川本芳昭「倭国における対外交渉の変遷について」

倭面国王 帥升
貴命 己は「つちのと」。五行では、方位では中央はじめの意もある。
面土は末盧国 説あり。


大率
P294‐末 渡邊義浩 説

福永光司、重松明久は墨子を重視する。

『邪馬台国の研究』 重松明久 白陵社 1969
P115‐11行目 墨子 迎敵祠に「大率」
P110‐末から2行目 漢の高祖は豊国の出身
  ↓
「大率」は墨子の語、劉邦の豊国

私見
墨子=墨吉
漢の豊国=漢委奴国王 劉邦は福岡県 新宮町の出身

太極 渦巻文 新宮町 湊


伊都国の王
魏志倭人伝で本土に最初に着く場所は末盧国

渡来人が来て最初に出会った倭人
 穴門の伊都都比古「吾は是の国の王なり
 越の道君
日本武尊の熊襲征伐 西洲 川上梟帥「吾は是、国中の強力者なり
  ↓
新宮町 原上 川上宮


下関市『豊北町史』 昭和47年
P129
吉田東伍は大日本地名辞書の中で、長門国では伊都都比古に擬すべき有力豪族の証がないとして、この穴門を筑紫の那津(博多)にあて、伊都都比古を古事記の伊斗村、つまり伊都県・怡土郡に住む古代有力豪族の伊都県主(仲哀紀)や、魏志倭人伝中の伊都国の国王に比定している。


筑前国 嶋郡 川辺里
肥君猪手 三苫小学校-相浦あたり

WIikipedia 占部氏
奈良時代の筑前国の戸籍には卜部の氏人が多数見られ、古代宗像神社に仕えた家の後裔とする。

亀卜は殷周

『古代氏文集』 山川出版社 2012
新撰亀相記
P206
オノゴロ島の場所 三苫水道 新宮町 湊-磯崎鼻-美和台

ネット画像検索【三苫水道 相ノ浦】

古事記 出雲 御大の御前 新宮町 湊 磯崎鼻 かと思える。
磯崎鼻 薬師 少彦名命
伊勢は夫婦石か。

三苫の綿津見神社 墨吉か。

万葉集3871 角島の迫門の ワカメ 三苫水道・綿津見神社あたり

仲哀紀 文庫書紀➁128‐2
山鹿岬より廻りて岡浦に入ります。 … 祷祈みたまひて
岡浦は美和台の相浦
万葉集3220 豊国の聞の高浜 美和台

五十迹手 中枝に白銅鏡
文庫書紀➀36‐6 オノゴロ島 伊奘諾尊 白銅鏡

道家思想の天地開闢
文庫書紀➀22‐11 滄溟 ≒ 太極 渦巻文、出雲とは雲文である。

応神天皇が生まれた宇彌、蚊田も磯崎鼻ー三苫小-美和台 相浦・永浦 あたり

嶋郡の占部氏は宗像市 (旧玄海町) ではなくて新宮町 湊-三苫 である。

伊都国、嶋郡は糸島市ではなく新宮町である。
一大率 古墳時代の武器武具は新宮町から大量に出土する。

魏とは何か

ネットの邪馬台国論者は無学丸出し。考古学の人たちも無学。
学・教養とは中国の古代思想であり、陰陽五行、易経、風水などだ。
大阪市立大学の三浦國雄、明治学院大学の武光誠に著書がある。
小田富士雄は1983年ごろ、北九州市八幡東区 板櫃川沿いの八王寺古墳が風水によることを派遣した。小田富士雄は1995年に開館した下関市立考古博物館の初代館長だったけど、綾羅木川の北岸に風水の景観が見られるは発見できなかった。九州大学の考古学の先生 岡崎敬は「東洋学」である漢籍に強かったといわれている。稗田地蔵堂遺跡の蓋弓帽は岡崎敬による同定。

書経 禹貢は中国大陸ではなく倭国の主領域 福岡市~下関市で、山海経 海外東経 と場所が同じ。邪馬台国=女王国は青丘国である。


魏とは何か。
集英社 漢詩選1 詩経(上) 1996
P394 魏風
魏は舜・禹が都した所で禹貢では冀州に属す。

漢字で「倭」は小さい、「魏」は大きい・高いの意味合いがある。
倭京は下関市有冨中村で風水の龍穴、明堂。龍脈の末端。
風水の太祖山は豊田町。安徳天皇陵参考地、一位ヶ岳、俵山の能満寺山

豊田町 浮石に青寺という寺がある。ネットのブログによれば、江戸時代はじめ真言宗 神上寺の末寺として創建され、寛永年間に浄土宗に改宗された。

有冨中村 倭=明堂=小
豊田町・長門市俵山 風水の太祖山=大、高
舜、禹の都、冀州は下関市豊田町で、ここが祖洲。
鳥夷皮服す 豊田町矢田 弥生前期 鞣 (なめ) し革工具の石器が出土

豊田町史 昭和54年
P54 七社 (ななやしろ) 遺跡 稲光 七社の台地 弥生中期
石包丁が出土 水稲耕作
環濠の溝の幅 3.14m 長方形に広く溝で囲むは福岡市 比恵遺跡と同じ。

P55 矢田 A遺跡 西市小学校運動場
獣類の臼歯や牙歯を数珠つなぎにした装身具が出土した。これは曲玉や管玉や丸玉をつないだ装身具の起源とみられる装身具 紛失

倭が魏に献上した絹織物は詩経 魏風「十畝之間」産で、粗末な物でも洛陽の王朝人には神仙の絹だった。邪馬台国は曹魏の祖国だから金印を授けられた。魏の外交政策で金印を与えられたとみる岡田英弘、渡邊義浩などは勉強不足。中国では秦始皇帝と徐福以来、東海の神仙ブームに沸き、後漢では道教の宗教団体が大反乱を起こしていた。邪馬台国の力は本家本元の神仙思想の生産力だった。

下関市豊田町は「魏」で舜・禹が都した所。冀州、祖洲。
向津具かもね。向津具 迫山 妙見社 祭神 天御中主尊
油谷島は「オヤジマ」と呼ばれていた。
鳥の地名 油谷島 字「天鳥」、字「本郷鳥子」

下関市有冨 天御中主神社

兗州の 是降丘宅土 は菊川の上原遺跡と思えるので、
冀州 豊田町 風水の太祖山
兗州 菊川町
青州 有冨 風水の龍穴・明堂

兗州の 十有三載 は秋根 勝山支所 駐車場で発掘された縄文期の大溝とも考えられるが、有冨と間隔距離が近いので、兗州は菊川になろう。

有冨の薬師池の上に「いなり山」と称される場所があり、青丘国の九尾狐だ。


薄葬
呂氏春秋 上 楠山春樹 明治書院 新編漢文選1 平成8
P260 巻十 孟冬紀 安死

続日本後紀 (下) 森田悌 講談社学術文庫 2010
P39‐末