「東夷」とは何か

『東アジアの古代文化』 1974 春-創刊号 特集 倭と倭人の世界 大和書房
P109 蓬莱島と東海の君子国 伊藤清司


ブログ
真実の満韓史を求めて:『東夷族が中国を創った』
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2017/02/16
中國の歷史は(三皇五帝)から始作することになっている。

2017年02月17日
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『中原文化の建設者』
儒敎は孔子が集大成した事に、なっているが、「中庸」を見ると、孔子は堯、舜の教えを祖述し、文王と武王の法を明らかにしたもので示されている

前方後円墳の向き 新説

前方後円墳は下関市有冨のハンドウ山を模したものである。

前方後円墳の向き・方角
その前・後ろは円部、方部のどちらかという議論がさかんである。下関市綾羅木川の北側にある仁馬山古墳、若宮古墳に上がって観察すると、くびれ部、陪塚の方向が重要であるという発見があった。有冨のハンドウ山の方向を向いている。

入口=くびれ部。登仙、昇仙、昇天ゆえ墳丘に登る方角を正しく向く設計
造り出しは有冨ハンドウ山(有冨竜王社)の尾根の岩場のよう。

前方後円墳の側面拝礼説は松本清張を先駆者とし、藤田友治が広めた。
私の「新説」は墳丘へ登る方向を前後とする。


Wikipedia 【造出】
 出島状遺構
 井戸形土製品

井戸は道教で龍と関係する。乗龍昇天の思想に通じる。

『中国古代葬制の伝統と変革』 黄 暁芬 勉誠出版 平成12年
P247‐10行目
井戸は『淮南子』地形訓に記された逸話によると、雲につながる神龍浮揚の場と見なされている。さらに『山海経』「海内西経」に記載されたように、天門と対置されて天と地の仲介という役割をも果たすものと見られた。

P305‐9行目
漢墓では、前漢後期までの槨墓では槨の内外に塗布される顔料はだったが、前漢後期末~後漢の半球形 穿窿頂の玄室の壁面は漆喰が塗られるようになった。

前方後円墳は くびれ部、造り出し、くびれ部から陪塚の位置・向きが重要である。有富のハンドウ山の方向を向いて、被葬者の昇仙祭祀(雷、龍、井戸など)を表している。

有富のハンドウ山に有冨竜王社がある。天理市の龍王山の相当する。
有富 大年池の山斜面は山地番で「龍王田」という。
奈良県の山辺の道に相似る。

竹生寺がある山は名が東が嶽で封禅の泰山
ハンドウ山が小山で天香山の土
種子島 広田遺跡 貝札 山=仙 の場所は有冨ハンドウ山尾根=前方後円墳の祖型

山辺の道 有冨の大年池ー大迫池の用水路沿い通路
周濠 その用水路 斉明紀 香山の西より石上山の西まで溝を掘る。
渡土手 用水路を渡る丸木 天浮橋、石上振之高橋

万葉集17の井戸王の歌 大迫池 堤防下から蒲生野山田方面へ

清白鏡の銘文 日有喜、月有冨


『死の機能 前方後円墳とは何か』 小路田泰直 岩田書院 2009
P88‐11行目 龍王山は「高天原」である。
古事記上巻の基本構図は龍王山と裾との間の視線で完結する ...

古墳の方位に関する論考は
『東アジアの古代文化』 27号 1981 春 大和書房
P77 前方後円墳の方位性 岡 嘉吉

『中期古墳とその時代』 5世紀の倭王権を考える
季刊考古学 別冊22 広瀬和雄 編 雄山閣
(私見) 魏志倭人伝の思想は、道家+墨子。懐風藻は「無為」の政治
関西のヤマト政権にも神仙思想はあるが、道家思想はない。
P18上  大和川水系の「一人勝ち」 は道家の倭国ではない。

記紀では青銅器・鉄は頻出してない。鉄を入手する目的で朝鮮半島に進出した記述もない。青銅器・鉄を最重視し、規模で階層を見ることは考古学関係者の勝手な想定である。

日本列島には2つの政権があった。道家の下関倭国と関西の巨大建造物志向のヤマト政権である。関西のヤマト政権は日本書紀で呉国、東国の強兵、蝦夷と書かれ、呉の孫権の将軍が東方遠征して急に建てた纏向国である。
下関倭国(豊浦郡)は親魏、関西のヤマト政権は呉系。
関西ヤマトは呉系であるが亡命者が建てた国なので、本国呉との交渉はない。民間(呉の工人など)レベルでの交流はある。

下関の邪馬台国(倭国)は徐福渡来よりずっと前から存在して、徐福が渡来して建てた国ではない。倭の都があった場所は中国古代思想の風水、易経、北に山・南に川の地勢 などから発見できる。中国的な方位は最も重要であり、学・教養を持つ人たちである。

『「神武」は呉からやって来た』 ―刀と鏡が明かす日本建国の真実
竹田昌暉(東大医学部出の町医)著 徳間書店 1997


漢字「倭」と「魏」は似ており、親戚の兄弟国である。
「委」が共通。ヘン「人」、ツクリ「鬼」
曹操の「曹」の原字は「東東」+「曰」 倭の五王の司馬曹達の家系


講談社学術文庫 日本後紀(中) 森田 悌 2006年
P123 平城天皇 大同4年 2月5日
『倭漢惣歴帝譜図』は天御中主尊を最初の始祖神とし、
  魯王
  呉王
  高麗王
  漢の高祖命(漢の初代皇帝劉邦)
などがその子孫とされており、...

  ↓
北朝鮮の高句麗、中国の漢王朝などみな天御中主尊の末裔である。
  ↓
契丹古伝の源流は日本の記紀神話である。

『古代史原論』契丹古伝と太陽女神 田中勝也 批評社 2012
P48 渤海  振国 振= 
P155‐末から2行目 歴史的ににかかわりあった何らかの史実

万葉集 石上「振」 振の山、振里、振の神杉

天智天皇 Wikipedia
和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)。漢風諡号である天智天皇は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船が「最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けたと言われる[5]。 森鴎外「帝諡考」による説。

下関市有冨上 山田 に明治末まで天御中主神社があった。
その場所は今不明であるが、大迫池(工事中)の場所を「山田」という。
雨の時は天八重棚雲がかかる場所である。


集英社 日本後紀 2003年
P468 頭注 天御中主尊
姓氏録では、大和国神別に見える服部連と御手代首が天御中主尊の後を称している。天御中主尊は妙見信仰と関連を有するとされる。


三国志 魏志 明帝章
曹操の子明帝は「曹氏の系世 有虞氏(舜)より出ず」


ブログ 2017/02/16
真実の満韓史を求めて:『東夷族が中国を創った』
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日本古代の美豆良か

筑摩書房 世界古典文学全集 『詩経国風 書経』
鄘風 柏舟
P70上 両髦 通釈「髪を頭の両旁に垂れ髪とした」
  ↓
日本古代の美豆良か。


(ネット 参考サイト)
美豆良(みずら)の謎から解く日本人のルーツ - たっちゃんの古代史 ...
tacchan.hatenablog.com › entry › 2013/05/13
2013/05/13 - 美豆良(角髪)と書いてみずらと読む。これは古代の倭人の髪型でした。埴輪でよく見られる髪型です。...
(コメント欄)
tokumei123
  ↓
匿名党 tokumei10.blogspot.com
匿名党は裏社会や裏人脈関連の情報ブログです。...
 ↓
埴輪の美豆良と野見宿禰 | 日本の歴史と日本人のルーツ
ameblo.jp › entry-11966466156
2014/12/18 - 角髪(美豆良、みずら)とは日本の古墳時代における貴族男性の髪型で、中国の影響 ...

2012年06月07日
『極右翼勢力』 最新エントリー「『ネット右翼』進化論」
blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51841160.html
☆荒らし常習犯「SHIN」を徹底解剖!
☆同志間で感応、愚かな敵(敵性民族)が現われてまた感応!

私はSHINではない。私は当ブログ以外のカキコ、投稿を全くしてない。
SHINは英語とドイツ語に堪能だからヨーロッパ・ドイツ語圏に滞在歴あり。

吉母 長門

継体紀 文庫書紀③192‐9
長門より東をば朕制らむ。筑紫より西をば汝制れ。
  ↓
筑摩書房 世界古典文学全集『詩経国風 書経』 召南 甘棠
P29上 語釈 陜より以西は召公之を主り、陜より以東は周公之を主る。

陜は下関市永田郷のバス停「永田石原」か字「石王田」。
この筑紫は吉母下だ。草舎は吉母の草場川、万葉集の草枕
樹下で休息だから字「安成」あたり。

長門の場所 下関市永田~吉母


混一張理歴代国都之図 - 邪馬台国の会
yamatai.cside.com › tousennsetu › konitu
混一彊理歴代国都之図』は、明の建文四年(1402)に、朝鮮で作成された日本についての地図(京都・龍谷大学蔵、以下、龍谷図)である。この地図には、日本列島が南北に長く描かれている。 これが、古代から15世紀に至るまでの、中国人の日本についての ...

私見
混一彊理歴代国都之図によれば、壱岐から最短は下関市吉母の御崎である。
御崎 神がいる岬という意味
本州最西端 毘沙ノ鼻  毘沙門天は北方を守る神

元寇時、元の使者が下関市室津に来航した史実がある。考古学の人に聞いたら、弥生時代末の邪馬台国と鎌倉時代の元寇は時代が離れすぎていて、下関市室津に元使が来た事は魏志倭人伝の行程に結びつかないと言われた。


混一彊理歴代国都之図では、日本列島は会稽東冶~香港の東に描かれている。
吉母の黒嶋に普陀山の言い伝えあり。

豊北町角島に百済王子が漂着した言い伝えがある。各羅島は角島だろう。



渡来人研究会 - asahi net
www.asahi-net.or.jp › ~rg1h-smed
ホームページを更新しました(2/25). 第9回合同例会を開催し ...

古代史掲示板 - TeaCup
8220.teacup.com › toraijin › bbs
渡来人研究会の古代史掲示板です。 縄文・超古代史掲示板.



第18回 土井ヶ浜シンポジウム
真鍋義孝教授
(長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 顎顔面解剖学分野)
の研究発表

北部九州弥生人の歯 ―黄河流域集団・朝鮮 と類似
土井ヶ浜弥生人の歯 ―モンゴル、バイカル と類似
現代の本州人の歯 ― 南中国 と類似か。 また北部九州に近い歯の人もいる
  ↓
(私見)
土井ヶ浜弥生人は海人だがルーツは中央アジアの騎馬民族、狩猟民 ツングース、鮮卑、モンゴル等
 ↓
土井ヶ浜弥生人は中国北方の異民族「狄」である。

長崎大学の真鍋義孝教授の研究は従来の定説をくつがえす。
福岡平野の北部九州弥生人は黄河流域~黄河上流の青海省の青銅器時代と結びつくかもしれないが、山口県の土井ヶ浜弥生人は特殊であり、そのルーツはモンゴル~バイカル方面


松下孝幸 談
「私は土井ヶ浜弥生人は中国 山東省の人骨と似ていると言ったが、土井ヶ浜弥生人のルーツがピンポイントで山東省にあると言った覚えはない。」

小倉城野の重留遺跡 と 下関市有冨中村

北九州市 重留遺跡 銅矛埋納の大型建物は下関市有冨中村の方位だ。

県道 長安線 生協配送センター入口 横
有富の吉本さん家横に小川が流れる。 そこの急坂は八坂 で、ここから有冨中村へ行っていたと推理する。大型建物の入り口方位、建物の向きに相当する。
  ↓
文庫書紀➀138‐末行
乃ち八十万の神を天高市に合めて、帥ゐて天に昇りて、其の誠款の至を陳す。

有富ハンドウ山の山頂-伊倉の火ノ見山-大学町の権現山-重留遺跡
が直線上にくる。

火ノ山は火ノ山である。
権現は熊野


未(み) 沖縄風水では正方位「真南」でなく民俗方位「未」を使用

矛の祭り 淮南子 時則訓 春

矛 未
貯蔵穴 申 坤は地
2本の柱 戌―火穴ー辰
建物中央の火穴は有冨の字「金鋳ヶ谷」

入口が例えば北西にある時は崑崙山に昇る説あり。


参照せよ。 詩経国風 召南 采蘋(さいひん)
『詩経国風 書経』 筑摩書房 世界古典文学全集 P28下
語釈 牖下(ようか)

『詩経(上)』 集英社 漢詩選 P72 宮室図


土井ヶ浜遺跡の「英雄」埋葬地-重留遺跡 東経が同じ。

西谷正 弥生時代に企救のクニがあった。
宇野愼敏 企救国はない。

平成28年 9月17日(土) 北九州市立いのちのたび博物館
シンポジウム 重留銅矛は何を語るか~邪馬台国の時代 in 北九州~

私見 北九州市は葦原中国の出雲国だった。 天は下関市有冨中村。

易の【震】

易の【震】 帝、天皇、木徳、東(卯) 雷鳴

角川ソフィア文庫『風土記』上・下 に「蒼天」 蒼天はをともなう。
常陸国 信太郡 白に乗りて蒼天に還り昇りましつ → 城野遺跡の方相氏
逸文 丹後国 浦嶼子 下巻 P301‐1行 風に率ひて蒼天に翩飛けりき。
  ↓
文 渦巻文 龍神 吉野裕子の蛇 縄文 土偶 男女の淫奔交接 羿 建木 蔓 葛城 老子の谷神 玄牝 詩経 斉風 高天原 山東 陰陽のはじめ 豊隆 雷文 鳴神 桃源郷 洞天福地 燕の洞宮 鳥見 青鳥 神仙 仙人 山水画 乳白色の石英 伊勢の火打ち石 東の野に炎の立つ 野馬台 詩経の南山 懐風藻の南山 淮南子の小山 万葉集1の讃歌 隠国の泊瀬の 吉野は方丈
  ↓
多紐細文鏡、装飾古墳壁画の三角は稲光である。

場所 下関市 有冨 の山なみ
東嶽 竹生寺 有冨墓地 大迫池の上 白雲が湧き落雷あり 有冨竜王社 雨乞
  ↓
蒼天の「蒼」は玄のよう。黒い、灰色

東嶽は漢の武帝 有冨上は太和


綾羅木川の風水地名
青山 東
火の山、火の見山 火は南、とんがり山

天子南面、龍脈 有冨中村
梶栗浜遺跡 西は死滅、金

坐艮向坤 天は有冨の山なみ。地は立岩遺跡、高槻遺跡

昭和 有冨 百姓昭明 協和万邦
令和 湯玉

渾沌 Wikipedia
荘子には、目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという(『荘子』内篇應帝王篇、第七)。転じて、物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口(目鼻)を空ける』と言う。


沖ノ島祭祀は龍神を鎮めて航海安全を願うものであり、太陽祭祀ではない。
『東アジアの古代文化』45号 1985年 秋 大和書房 P122 では沖ノ島祭祀は中国の天妃信仰と見ている。羽床正明 


【電】 いなずま、いなびかり。電戟、電母(雷公と対)

【申】 稲光が走るさま。電、神の原字。伸・陳の意。さる、西南西

【豊」 豊隆(雲神、雷神)

古事記 序 「杖矛威を挙げて、猛士烟 ... 」 雷・電

タケミカヅチ Wikipedia 

雄略紀 御諸山 大蛇(雷の目)

石上神宮の七支刀 不老長寿をデザインした説 私見 避雷針に似る。

淮南子 堕形訓 青雲 陰陽が乱れだし雷が起こる



『漢帝国―400年の興亡』 渡邊義浩 中公新書 2019年5月
漢王朝を研究するなら淮南子は必読である。渡邊義浩は淮南子を読んでない。
曹操 宦官だった父親のルーツは倭人であろう。

『中国古代の祭祀と文学』 牧角悦子 創文社 2006年
詩経、書経は下関市の郷土史である。

『中国古代葬制の伝統と変革』 黄 暁芬 勉誠出版 平成12年
漢墓の神仙図は下関市有冨の山にあった。

『論衡 下』「薄葬篇」 明治書院 新釈漢文大系 1984

『東アジアの古代文化』45号 1985年 秋 大和書房
P81 中 須玖永田遺跡 仿製鏡鋳型の文様 秋根遺跡 出土の鏡
P87上 左側 福永光司
P91上
P94下 七支刀
P114 黒岩重吾


土井ヶ浜遺跡の謎
土井ヶ浜遺跡の腕輪には渦巻文、易経の太極がデザインされている。
香椎は「宮」でなく中国風の「廟」なので、香椎廟は土井ヶ浜か。

中国の西安市の真東は下関市 宇賀
土井ヶ浜、宇賀は「北」
魏志倭人伝の「南へ」、詩経の「南」は綾羅木川
「東」は有冨、「西」は吉母 有冨は泰和

吉田広 愛媛大学ミュージアム 講演

銅戈 つけ根の穴と飾り紐
 ↓
文献
筑摩書房 世界古典文学全集 『詩経国風 書経』 P122 清人
集英社 漢詩選 『詩経(上)』 P314 矛の図

詩経国風 鄭風 清人 によれば、銅戈はその場所を守る武人のシンボルだった。
武器形青銅器は王・諸侯の臣下である武人の持ち物だったので王墓には副葬されない。九州大学考古学は青銅器の出土を階層性のモノサシにしているが誤りだ。

吉武高木遺跡
『最古の王墓・吉武高木遺跡』 常松幹雄 新泉社
詩経国風 鄭風 清人 古注旧説 による解釈の事例によれば銅戈は臣下の武将の持ち物であり、武器形青銅器が副葬された墓は王墓ではない。
四国南部の矛も地域を守備する武将の墓と考えられる。

甕棺墓の穴の方位
四維の 東北-西南
室見川が南から北へ流れている地勢から「坐艮向坤」ではない。

参考
『図説 風水学』 目崎茂和 東京書籍 P140

『東アジアの古代文化』 1985年秋 45号 大和書房
P59 飯森遺跡・遺物の意味するもの 西谷正
P113下 大将軍 下関市吉母 西光寺の裏に「大将軍」がある。
P84 須玖永田遺跡 最古の小型仿製鏡の鋳型 公表同席 西谷正
復元図の文様はは下関市 秋根遺跡から出土した鏡と同じ。径はちがう。
 ↓
『秋根遺跡 1977』 P257
『弥生時代の青銅器生産体制』 田尻義了 P118 85 P234 分類 2a


銅戈
下関市 中ノ浜遺跡 川棚川の河口北 山口県で唯一銅戈が出土
北九州市小倉南区 長野896 護念寺
宗像市、古賀市

燕 起源説
『倭人の祭祀考古学』小林青樹 新泉社 P212、P257 方相氏
『燕国の考古学』 石川岳彦 雄山閣 P220 図11
『邪馬台国は、銅鐸王国へ東遷した』 安本美典 勉誠出版 P171

角川 大字源 【洞】
洞宮 戦国時代の燕の昭王の宮殿
洞天福地の「洞」は道教、神仙思想。

記紀・万葉は道教の影響が強く、関西ヤマト王権には道教はない。
「天皇」という言葉は道教の神学用語

『東アジアの古代文化』 別冊 古代史必携➀ 邪馬台国の時代 大和書房 1987
邪馬台国と道教 P115上 重松明久
これら青銅製利器は中国の道教界において、とくに霊威力を認められていた祭器であった

『古代国家と道教』 重松明久 吉川弘文館 昭和60年
P88 広形青銅製利器と道教
P92 11行目 古事記 序 「杖矛威を挙げて、猛士烟 ... 」 雷・電
P103 地神、土公神
P105 鬼
P109 2行目 雄剣、雌剣  梶栗浜遺跡 1基の石棺から細形銅剣 長・短
P114 巴形銅器 雷・電

青銅器は漢字 雷、電(いなずま)、震、申 などに通じる。
神功皇后の迹驚岡・裂田溝

詩経国風 召南 殷其靁

詩経の漢詩解釈には旧釈(1960年代)と新釈(1980年代)がある。

古注・旧釈の本 ・・・ 私は古注・旧釈派で新釈には賛同できない。
 筑摩書房 世界古典文学全集2『詩経国風 書経』
 集英社 漢詩選 『詩経上』 (1966年 漢詩大系 の復刻本)

詩経国風 召南 殷其靁
殷=雷 楚辞 遠遊の豊隆
南山 楚辞 天問 呉の太伯 南岳衡山のふもと 国を譲る

南山の陽 有冨中村 有冨竜王社(ハンドウ山)の登り口
「南」とは何か 詩経国風 周南で論点
私見では、南山とは懐風藻 采女比良夫 の南山である。
場所は下関市有冨のハンドウ山

荘子 逍遥遊
 南 有冨の大歳池、大迫池  綾羅木川、竹生山
 北 宇賀の大河内 大歳神社、字「大迫」 豊浦町北部、豊北町

下関市立考古博物館 常設展示 有冨2号墳出土の須恵器提瓶
提瓶は豊北町 和久古墳、向津具の古墳からも出土している。
豊北町の海岸に倭国の渡海湊があった。

湯玉の川島神社 権現様 神社の参道は対馬産の石を敷きつめている点から、対馬と交流があった。
宇賀の大歳神社 祭神 大歳神、熊野速玉大神

熊野速玉大社 Wikipedia
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。

速玉男命 をネット検索すれば、泉津事解之男と同類である。

文庫書紀③54‐10 雄略紀 9年2月1日
凡河内直 香賜(舸拕夫)、采女 胸方神(海道中)
凡河内の場所は下関市宇賀の大河内
「舸拕」より大船を引く

邪馬台国(倭国、本当の記紀万葉の地)の場所は懐風藻でわかる。
講談社学術文庫 懐風藻 江口孝夫 全訳注
P110
天川多奈命 下関市豊浦町 川棚
曲浦 御崎または室津
P333 
竹渓山寺 有冨の竹生寺か

懐風藻では「無為」という言葉が頻出する。関西のヤマト王権は無為の政治ではない。下関市の有冨中村、吉見船越・古宿に無為の倭王朝があった。
P372 葛井広成
曹王の苑 織女の河

『倭の五王の謎』 天理大学の古代史教室 学生社 1993年
P183 「養蚕と雷」
場所 有富の大迫池(工事中)


渡邊義浩
『魏志倭人伝の謎を解く』 中公新書
『王莽』大修館書店
渡邊義浩は淮南子、楚辞を読んでない。

早稲田大の漢学は道家研究者の楠山春樹だ。
淮南子 時則訓
 孟春 獺祭
 仲春 鐸 雷 不具の子

雷=殷、鐸 下関市有冨 大迫溜池上 建木が倒れた穴跡
山口県風土誌 有冨村 境界 第9巻 P358 2行目 長尾山

銅鐸 Wikipedia  
「 続日本紀 和銅六年(713年)  大倭国宇太郡波坂郷の人、大初位上村君東人、銅鐸を長岡野の地に得て献る。高さ三尺、口径一尺、その制、常に異にして、音、律呂に協う。所司に勅して蔵めしめたまふ 」

銅鐸は耳に渦巻文がある。渦巻文=竜 楚辞 九歌 雲中君、東君など 高松塚古墳の壁画の天女
1955年頃まで、有冨ハンドウ山の頂には高松が何本も生えていた。

万葉集85~90 竹生寺の山号 高山
高山の磐根は砕石場になった。


詩経国風 召南 小星
楚辞 九歌 山鬼 に通じるか。



詩経の本 学者によって漢詩の読み方、解釈が異なる
詩経国風 白川静 東洋文庫
詩経・楚辞 中国古典文学大系 平凡社
書物誕生 詩経 小南一郎 岩波書店 2012年
詩経 中島みどり 筑摩書房
歌垣の歌 川上忠雄 開智社

私のお薦め 2冊
詩経国風 書経 世界古典文学全集 筑摩書房 本にヤケあるが良書
詩経字典 高橋公麿 手書き 自費出版のよう 在野の研究者

詩経の人間性は中国人ではない。読んで浮かぶのは下関市の山奥の農村である。詩経は古事記、万葉集と同じ人間性であり、中国人の文学ではない。

下関がルーツ

梶栗浜遺跡は伏羲の墓である。

土井ヶ浜遺跡の腕輪は易の太極がデザインされている。
天地開闢、太一冥々、混沌、陰陽交合、渦巻文(雲文)などの学・教養を持つ。

詩経国風の斉風は男女陰陽の交接なので、老子の谷神、玄牝、記紀の高天原である。場所は有冨の竹生寺の南麓。薬師溜池ー有冨墓地-大迫池の上の尾根。雲が湧き雲文蒼天である。薬師溜池近くに「いなり山」と呼ぶ場所があり九尾狐の青丘。

詩経国風 邶風 二子乗舟 の解釈 新説・旧説

中国の春秋戦国時代の国々は中国大陸ではなく、関門海峡の両側の響灘沿岸にあった。詩経、書経は下関市の郷土史である。

書経や諸子百家は豪奢な生活をやめて質素節倹せよと説いている。
豪奢な暮らしをしてこそ中国王朝人である。
関西の古墳、華やかな宮廷人も巨大・豪華=善 の価値観である。

質素節倹は特に墨家、道家で主張される。

中国4000年の古典とされる詩経、書経、諸子百家は下関市豊北町の民俗資料館「太翔館」の農民民俗に通じる。

詩経、書経、国語、春秋左氏伝、戦国策 など
私 今年いっぱいは書経、詩経を勉強し、来年は国語などを読む予定。

魏志倭人伝の伊都国は下関市 湯玉にあった。
高天原は斉国で下関市 有冨墓地の東側にあった。
湯玉→有冨は舟で往来して「水行」である。

詩経国風
旧い読み方 旧説 1960年代後半の解釈 詩序・集伝に基づく
筑摩書房 世界古典文学全集2「詩経国風 書経」 古本に紙のヤケあり
集英社 漢詩選 詩経上 必読書、定番の本
新しい読み方 新説 1980年代前半の解釈
明治書院 新釈漢文大系 詩経上 祭祀論が先行する

学習研究社 中国の古典 詩経上 
モダンなカタカナ語を多用する説明文
1980年代前半の論壇 「ニューアカ」と呼ばれた論客、構造主義
古注古俗を離れて、ニューミュージック風で恋愛結婚を解釈

参考
角川書店 鑑賞 中国の古典 『詩経・楚辞』 詩経 総説
1989年

古本
1984年前後を境に印刷技術がアナログ式からデジタル式に変わったようで、1981年版の活字は かすれ、ぼやけている。 1987年版の活字はくっきりしている。このためか1986年以降に印刷された古本は値段が高くなる。零細出版社は1990年代の本でも活字印刷がわるい。1998年以降は不況リストラのため紙質が落ちた版の本がある。


詩経国風 邶風 二子乗舟
景=憬(遠くへ行く)は魏志倭人伝の「水行」である。
私は旧説派である。

学者によって読み方が異なる。
漢文の漢字そのまま書き下しは厳めしいが暗記しやすい。
下々の民謡ゆえ口語の訳詩は覚えにくい。

高槻式土器 八王子古墳 板櫃川

北九州市
八幡東区 板櫃川

今から40年前、
小田富士雄が八王子古墳(7世紀の中・後半)は風水による築造 発表

八王子古墳群 風水
真東 和歌山県 御坊市
真西
真南
真北 北朝鮮 豆満江河口

高槻遺跡は出雲の五十田狭の小汀である。
土井ヶ浜人類学ミュージアムの裏門の川 沼川 古事記 高志の沼河比売
八千矛神が土井ヶ浜の沼河比売を訪れた物証として高槻式土器の出土である。

高志は八俣大蛇で少女を食人。土井ヶ浜遺跡では嬰児の人骨が少ない。

沼川は鳥栖市の川か。
高志神社  佐賀県神埼市 千代田町 下板
有柄銅剣 吉野ヶ里、向津具

建御名方命は石斧を作っていた。
高槻産の石斧は吉野ヶ里遺跡からも出土している。

青銅器生産 最古の鋳型 北九州市の松本遺跡 前期末から中期初期
松本遺跡 八幡西区 永犬丸(えいのまる)


五銖銭 Wikipedia
前118年(元狩5年)に前漢の武帝により初鋳された。
通貨としてより中国からもたらされた貴重な文物として受け入れられたと考えられ、最も早い例は、弥生時代中期(紀元前1世紀)の遺跡である北九州市守恒遺跡から出土した前漢時代の五銖銭(紀元前118年初鋳)である。
(出典:『漢書』巻6武帝紀、長崎県埋蔵文化財センター『研究紀要』第1号, p27-行18/p38-行15, 2011)


下関市
梶栗浜遺跡(真西)-有冨中村(御中主)-青山(真東)
竹生寺の妙見宮(真北)-有冨中村(御中主)-椋野の妙見山

明治末に地域の神社が統廃合されるまで有冨上に天御中主神社があった。
奈良県明日香村 平田岩谷古墳 有冨中村の住人に平田さん家、岩谷さん家

有冨の「冨」
古語拾遺 天冨命
日本書紀、先代旧事本紀の冒頭 大冨道、大冨辺
大苫彦の「苫」はミトノマグワイ(男女の交合)の性器 説あり

詩経国風の斉風=老子の谷神、玄牝
竹生寺の参道登り口の有冨側 は字「谷町」。林さん家、平井さん家
玄牝の場所は有冨墓地・大迫池(工事中)付近と思う。ここが山東で蒼天。

綾羅木郷台地 綾羅木 若宮古墳の横に弥生方形墓
梶栗浜遺跡 冨任
綾羅木と冨任で属する大字の地名区域がちがう。 

西は五行配当で金。死滅。梶栗浜遺跡の青銅器、墓地。
青山、火の山、火の見山 は方位を表す。 東、南。


梶栗浜遺跡 高槻式土器の土器棺が出土
板櫃川 高槻の古代人 方位のこだわり

伏羲(ふっき) 八卦
管輅(かんろ) 平原の出身。平原は徐福の「平原広沢の王」か。
郭璞(かくはく) 東晋の方士

多紐細文鏡 シャーマンの鏡 梶栗浜遺跡は伏羲の墓か
剣鏡 神功皇后の裂田溝 落雷を呼ぶ

武久浜墳墓群 中国銭の出土
前漢 四銖半両銭 鋳造 紀元前175年~120年


春日市
須玖岡本 小銅鐸の鋳型

吉野ヶ里付近
1980年1月 鳥栖市柚比町の安永田遺跡 銅鐸をつくる鋳型が出土

吉野ヶ里の北東の方向に夕ヶ里遺跡(弥生終末から) 庄内式の大集落

私見
吉野ヶ里遺跡は呉である。

衛の須邑

詩経国風 邶風 泉水
明治書院 新釈漢文大系 詩経 上 P116
思須与漕
「須」と「漕」は衛の邑の名(毛伝)
須は佐之男、勢理毘売

緑衣 は古事記 八千矛神の歌物語 の歌謡に通じる。

角川ソフィア文庫 新版古事記 P59 歌謡番号 四
鴗鳥(そにどり)の青き御衣
山県に 蒔きし あたたで舂き
下注38 異蓼(あたたで) 中国などからの種による染めの蓼を舂く。

岩波文庫 古事記 P50 須勢理毘売の嫉妬 歌謡番号(五)
あた舂き
下注九 草の根をついて、その染め草の汁で染めた衣
  ↓
茜の根の汁 黄色が混じる色か。ならば詩経の緑衣に通じる。
鴗鳥(そにどり)の青き御衣、あたね舂き

万葉集では紅葉を黄葉と書き表しているので、詩経の緑衣の黄は紅ではないか。

古事記
神大市比売、大年神 福徳稲荷神社の祭神に大市比売
建速須佐之男 大河内の大歳神社の祭神 大年神、熊野速玉神
美濃の国の見河の河上なる喪山 蓑ヶ岳

アイ (植物) Wikipedia
「日本における藍染めは奈良時代から続く歴史があり、」
「日本には6世紀頃中国から伝わり、」
天若日子は弥生時代とすれば、この時の日本には藍はない。

詩経国風 邶風 泉水 ・・・ 日本書紀の泉津
肥泉、須の邑 は出雲で湯玉の犬鳴川 流域。
「今みの」集落 今倉+蓑ヶ岳
源水、風力発電の山上か。

大河内 大歳神社 バス停「大迫」
下関市有冨上にも「大歳」「大迫」がある。

バス停「豊原」 葦原豊原水穂の国

衛国 犬鳴川 ・・・ 伊都国
斉国 有冨上 大迫池、有冨墓地 ・・・ 邪馬台国
詩経の時代、犬鳴川流域と有冨は嫁婿の交流があった。

魏志倭人伝 伊都国
官を爾支 ・・・ 禰宜、稲置、主(ぬし)説
 詩経国風 邶風 泉水 禰(でい)
 福徳稲荷神社 安須波原の稲城山 参照 「山口県神社誌」
 大国主命

天孫降臨 新説
高天原 下関市有冨のハンドウ山上 → 筑紫の高千穂宮 湯玉の「井ノ尾」
筑紫の天満宮は宇賀の天満宮である。