野上行宮 仙境

倭国の位置
帯方、韓、百済新羅の東南 東南は東西線から正確に45°南
下関市 土井ヶ浜あたり。広い幅で見て、遠賀川の河口以東~長門市油谷
倭国=記紀万葉の都 隋書倭国伝の地勢記述より下関市有冨~吉見~吉母

宋書倭国伝 倭国は高驪の東南
古事記・万葉集 南朝風
日本書紀 北朝風

日本書紀 壬申の乱 美濃国の野上行宮 雨雷電の中、仙術を使う。
野上は仙境 下関市福江 八貫堤の東 野上さん家
役行者像 スローライフの里
(難点) 磐座がない。

『やすおか史誌』
P605 山王社 字「畑代」 牛馬祭り神
  ↓
大山咋神 おおやまくいかみ Wikipedia に合致する。

角川ソフィア文庫 新版古事記 平成21
巻末索引 大山咋神

植田さん家が管理する天神 大歳社か 古事記 大年神の系譜

有冨ハンドウ山の頂 地権者 松尾さん家
山背国の松尾社に対応する場所が福江 八貫堤付近にあるはず。

近江軍の合言葉「金」 漢委奴国王の金印 極南界=詩経 秦風 終南
近江国 八貫堤


鬼道 天文・遁甲、方術
天武上 小学館書紀③301‐5
天文・遁甲 注10、11
 隠 (なばり) の横河 占ひ
 占星台を興つ
 私見 野上の行宮 祈ひ

小学館書紀②539‐7 百済の僧 観勒
山背臣日立 方術を学ぶ


聖徳太子
隋書倭国伝 利歌弥多弗利は若緑?

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館
【 秦造河勝 】 P492上‐18行目
厩戸皇子が山代楓野 (葛野) にいた

『日本古代史大辞典』 大和書房
【 葛野 】 秦氏の本拠地 6世紀には太秦蛇塚などの巨石を用いた横穴式石室をもつ前方後円墳が築かれ
  ↓
八俣大蛇

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館
【 聖徳太子 】 P352上‐11行目
厩戸豊聡耳 (八耳) 稲田宮主簀狭之八箇耳
菟道貝鮹皇女 菟道は海岸部にある。

投馬国 官を弥弥という
邪靡堆は投馬国である。

小学館風土記121‐6
播磨国風土記 美嚢郡 於奚・袁奚 歌謡 山

下関市
福江 八貫堤の東側 投馬国 葦原中国
有冨の山 邪馬台国 大迫池付近に天御中主神社


下関市 有冨、冨任
「冨」「ウ」かんむりでなく「ワ」かんむり で古事記の漢字表記である。

山口市 阿東 十種ヶ峰 とくさヶ峰
「種」 クサ 古事記の訓み 
古事記 蚕と穀物の種 「種々の」
阿東 徳佐 の狐塚古墳 内陸山間地の前方後円墳
  ↓
書経の幽都、後漢書の拘奴国、古事記の科野 科は罪科

狗奴国
綾羅木川の南岸 連弧文清白鏡
双龍鏡は高句麗系だから宮若市 竹原古墳=君子国

下関市 垢田の鼻ヅラ 黒崎妙見~稗田地蔵堂遺跡~筑豊~吉野ヶ里

旁国
北九州市若松区 島郷 ~ 福間 ~ 福岡市東区 立花山・志賀島


『古墳発生前後の古代日本』 石野博信 大和書房 1987
P90 近藤喬一

『季刊考古学 第6号』 雄山閣出版 1984年2月
座談会「邪馬台国の背景」 岡崎敬・永井昌文・山尾幸久・金関恕
で語られる畿内中枢地域の部族連合、九州北部の奴国連合

私見 弥生時代の考察
 福岡県 連弧文清白鏡。双龍鏡は高句麗系だから宮若市 竹原古墳で君子国
 山口県 長門国の北端 阿東 徳佐
が重要である。

隋書倭国伝の邪靡堆 下関市福江 流水庵~役行者像 の場所である。

農免道路 不破の道

葛城山 西側 大阪府 河内国 と東側 奈良県 大和国 との境

美濃 持統天皇の母 美濃津子娘

下関市 福江 農免道路 細川ふとん店の近くに役行者像

『下関市年表』 平成23
704年 役小角が穴門国 大神山に入り徳仙上人と開山した。
787年 実中和尚が竹生寺を創建

農免道路
福江 内田自動車-細川ふとん店-安岡ライスセンター-下関済生会病院

万葉集287 近江国 福江 八貫堤 でも万葉集29 石走がない。
野上さん家の近くに石走があるのか?

『やすおか史誌』平成2
P793
猿喉石 字「宮の原」 福本さん家の南下 高さ3尺余りの丸い石
昭和16年頃、道を広げるために取り除かれた。
六地蔵堤 (はちかん堤) は1653年に造られた。

P794‐1行目 古文書
山ノ奥 万葉集299 奥山
猿江

八貫堤は古い時代は海だった。
六地蔵 万葉集283 墨吉 六児の泊
万葉集1027 橘の八衢 福江 林 高橋さん家
石走 古事記 伯岐の国の手間の山本 赤猪 大石を焼きて、転ばし落とす

猿喉 河童、阿曇連、鰐

P788‐1行目 金色砂 字「林口」の砂丘 珪砂


文庫書紀⑤60‐9
次田生磐 菟道=田自動車

吉野の寺 竹生寺? 流水庵? 吉母上・室津上は仏教興隆地

野上さん家 壬申の乱 野上行宮に比定 仙人の方術を使う天武天皇
場所は西の福江から東国の蒲生野 有冨へ抜ける山道 不破の道

聖徳太子は野馬台の野王 野上さん家

植田さん家が管理する天神
倭の音「ウェ」→ 植田

蘇我山田石川
次田

万葉集355 生石村主真人
岩波書店 新日本古典文学大系 別冊 萬葉集索引
人名索引 大石にもつくる。美濃少目
顕宗天皇 大石尊

万葉集3242 三野の国の高北の八十一隣の宮
万葉集3327

住吉 北樹社

農免道路 福江 流水庵-細川ふとん店

八貫堤の東が神功紀 神託の場所である。
尾田の吾田節の淡郡 文庫書紀②138‐7
山背根子が女葉山媛 文庫書紀②160‐5


倭国の政治思想
懐風藻によれば淮南子の無為 主術訓、脩務訓
 魏志魏志倭人伝の卑弥呼
 仁徳4年3月 無為  小学館書紀②33‐8 注9

淮南子の無為 治水工事はやるが巨大墳墓の築造は無為ではない。
関西ヤマトの前方後円墳体制は魏志倭人伝や記紀万葉の国ではない。

倭国 本当の記紀万葉の地 下関市 有冨-吉見-吉母
関西ヤマトは記紀万葉の地ではない。
記紀万葉の中心地は下関市福江 八貫堤東側 農免道路 流水庵

下関市 福江 八貫堤の東岸 相見し歌謡曲 顕宗元年3月 曲水の宴
【 山口百恵 夢崎案内人 】
ゴンドラ 伊 ベネチア名物の平底小船


仁徳紀の横野堤 下関市横野


YouTube
【六韜 兵法書】悪用厳禁な2つの策略解説 古典 武経七書 くぼ店長の仕事術

大東文化大学「WEB体験授業」【文学部 中国文学科】 大東文化大学


ムック本
『陰謀が動かした日本の歴史』 メディアソフト
P20 山口謠司

誓約ひ・祈ひ の地 野上

文庫書紀➀64‐5 角川ソフィア文庫 新版古事記 平成21 P39
天照大神 (日神)、素戔嗚尊 誓約

高天原
続日本紀 韓国氏は後に高原氏に改めた。

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 平成2
【韓国氏】 からくにうじ 韓国 (朝鮮) より渡来 説


文庫書紀②46‐12
垂仁紀 山背の苅幡戸辺 大亀を矛で刺して祈ひ 祖別命

神功紀
麛坂王・忍熊王 莵餓野 祈狩 文庫書紀②158‐9
務古水門 卜ふ 文庫書紀②160‐3


文庫書紀⑤86‐8
天武天皇 壬申の乱 野上で祈ひ
野上 美濃国 不破郡 野上

文庫書紀⑤232‐2
持統天皇の母 遠智娘=美濃津子娘

文庫書紀⑤150‐5 天武下8年3月 越智 奈良県高市郡
であるが、私見は越智は堕国と同じ所とみる。

文庫書紀②34‐8
垂仁紀 葛野 国 (おちくに) 弟国

壬申の乱の野上行宮
下関市福江 八貫堤の東側山地 野上さん家。農免道路 内田自動車の隣

『角川日本地名大辞典 別巻Ⅰ 資料集成』
P22 日本の国号いろいろ
野馬台 福江 字「野地」、野村さん家、野上さん家
玉墻内国 福江 内田さん家
波母山

福江の野上さん家 付近 誓約ひの地
日神の天照大神 日=扶桑樹
天孫降臨 神武紀 文庫書紀➀198‐末行 天関=不破関
古事記 美濃国の藍見河の河上に在る喪山

持統天皇=高天原広野姫天皇
文庫書紀⑤232‐4 母儀徳 母木邑

持統天皇は新羅系在日である。
文庫書紀③332‐末行 注16 更荒郡
羅羅皇女 羅は新羅
参照『三国史記倭人伝』 岩波文庫 青447‐1 P73

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 平成2
【韓国氏】 からくにうじ 韓国を改め高原とする。
先代旧事本紀 天孫本紀 葛野韓国連
【韓国連広足】 役君小角と関係

雄略紀 近江の狭狭城山君 韓帒  この近江は八貫堤


YouTube 動画
【日本史①】縄文?飛鳥時代!日本は元々どうやって始まったのか!? 中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY
  6:07 亀卜

文庫書紀⑤54‐4 天智9年6月
六月に、邑中に亀を獲たり。背に申の字を書せり。上黄に下玄し。長さ六寸許。

抱朴子 論仙 鶴亀の記述がある。

平凡社の漢和辞典 白川静『新訂 字統』【亀】

近江国の大津宮 新説

天智天皇は下関市 蒲生野で狩りをした。
近江の大津宮は蒲生野付近の海岸で安岡にあった。

福江・横野は海の波が激しい。 難波
安岡の海は湖のように波が穏やか。 さざ波の淡海

万葉集29~33
石走る淡海国の楽浪の大津宮
 石走る 安岡駅付近の海岸 「石津」と呼ばれていた。
 楽浪 昔人 神田遺跡 (下関工高)・潮待貝塚 (冨任幼稚園)

天智天皇 近江の大津宮 神田遺跡・潮待貝塚

東北の蝦夷

斉明紀 文庫書紀④352‐10
蝦夷の国は東北に有り。

邪馬台国の位置 下関市 有冨-吉見-吉母
その東北 長門市油谷

雄略紀の末尾 丹波の浦掛の蝦夷 長門市油谷 掛淵

斉明紀
文庫書紀④338‐10 渡嶋の蝦夷 向津具
文庫書紀④338‐7 齶田の蝦夷 恩賀 向津具 川尻地区 字「恩崎」

文庫書紀④354‐5 倭種の韓智興 倭種は混血児ではなく関西ヤマトの人

後漢書倭伝
女王国より東、海を度ること千余里、拘奴国に至る。
倭種なりといえども、女王に属せず。


奴国 拘束 書経の幽都
科野国 古事記 建御名方神
小学館書紀 3巻 巻末索引
 2⃣ 科野次酒 421、科野新羅 423
 3⃣ 科野国 239

科 安閑元年4月 重きに当れり。 科=罪科
「科」の読み 岩波書紀 とが、小学館書紀 しな

科野国 根の堅州国
山口市阿東 徳佐 宮ヶ久保遺跡、狐塚古墳

魏志倭人伝では「その南に狗奴国あり」
倭種 韓智興は科野国、あるいは女王国旁国の南の狗奴国の人 


YouTube 動画
【 安本 美典氏 「古事記」「日本書紀」「先代旧事本紀」の特色 ひとしずく梶川財団 】

【【日本書紀1300年記念】今年こそ読んでみよう!日本書紀 #324 宮崎神社の神主はるちゃんねる 】

任那 壱岐 郷ノ浦

継体紀 文庫書紀③208‐7
任那の郷家 壱岐の渡 地名より任那は壱岐の郷ノ浦である。

任那は壱岐の郷ノ浦。磯釣りの大物狙いの観光地だ。
風土記 逸文摂津国 御魚家 壱岐の魚だ。

郷ノ浦が任那なら原の辻遺跡は新羅か。

古事記 新羅王の門前 墨吉神
候補地 壱岐の住吉、糸島市 井原の住吉、博多の住吉、春日市の住吉

垂仁紀 都努我阿羅斯等
意富加羅国 壱岐 勝本町 カラカミ遺跡
壱岐の古墳は巨石を使っており宗像 津屋崎の宮地嶽古墳と似る。

日本書紀の表記は壱岐・壱伎 2とおり 場所が別か

 応神紀、顕宗紀

敏達12年是歳
 岩波 文庫書紀④38‐5 壱伎
 小学館書紀②485‐4 壱岐


文庫書紀⑤192‐6 壱伎史
文庫書紀④174‐10 伊岐史乙等

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 平成2
【壱岐氏】
山城の松尾神社 松尾社家系図 壱岐氏

印支弥 いきみ 任那日本府の臣

【韓国氏】 からくにうじ 韓国を改め高原とする。
先代旧事本紀 天孫本紀 葛野韓国連

【韓国連広足】 役君小角


壱伎 邪馬壱国 下関市福江 八貫堤の東側山地 野上さん家あたり
壱与 壱とは老荘・道家の「一」

崇神紀 文庫書紀➀298‐10
矢田部造の遠祖 武諸隅 大隅 矢田=八田=八咫烏 母木邑=扶桑樹=日本

崇神紀 文庫書紀290‐末行
樟葉 注に河内国交野郡楠葉とあるが、山背の葛野だろう。

読み
交野 かたの
葛野 岩波書紀 かどの、小学館書紀 かづの、古事記 かづの
文庫書紀②34‐7 注10 奈良時代 カヅノ 平安時代 カドノ

『日本書紀索引』 吉川弘文館 六国史索引 一
地名 【倭国】【日本国】 やまと
倭国、日本、委 、大倭、大日本

大和 淮南子 覧冥訓に太和 (たいわ) 道家思想の語


壱岐の卜占
勝本町 カラカミ遺跡 弥生中期後半・後期 猪鹿の肩甲骨の卜骨
芦辺町 原の辻遺跡 弥生前期末~終末 猪鹿の肩甲骨の卜骨

勝本港の北 串山ミルメ浦遺跡 7世紀前半 亀卜甲 17点が出土

万葉集3694

邪馬壱国=詩経 秦風 終南  僕・臣の訓み「やつかれ」 井戸 佞 

下関市福江 八貫堤近くの長仙山古墳
=雄略4年2月 葛城山に射猟したまふ 文庫書紀③34‐4
 き人 一事主神
 丹谷  学研 新漢和大字典 【丹】
 に逢ふ若き
=詩経国風 秦風 終南 顔は渥丹の如し
=魏志倭人伝 朱丹を以てその身体に塗る

西周の豊鎬

崇神10年9月 丹波道主命 道=道家 老子の「一」 邪馬壱国
老子の小国寡民 結縄 文字なし

印綬 文庫書紀➀286‐9 金印「漢委奴国王」 極南界 委奴=井戸 か

新説
後漢書倭伝の「極南界」とは詩経国風 秦風 「終南」の地

垂仁紀 門の伊都都比古

平凡社 大型漢和辞典 白川静 字統・字通で穴と丹を調べる。
 八=穴
 丹=朱砂の井戸


書経 禹貢
 荊州 丹、大亀ー垂仁紀 文庫書紀②46‐末行 山背 綺戸辺
 雍州 終南

下関市福江の八貫堤・長仙山古墳は記紀万葉だけでなく詩経書経の中心地である。「中国4000年の歴史」発祥地だ。


僕、臣 やつかれ
角川ソフィア文庫 新版古事記 平成21
P38‐4行目 僕 やつかれ
P39‐11行目 僕 やつかれ
P50‐8行目 僕 やつかれ

垂仁紀 伊都都比古 臣 やつかれ 文庫書紀②20‐1
安閑元年10月 臣 やつかれ 文庫書紀③216‐末行

仁徳紀
文庫書紀②224‐3
は不くして、称ふに足らず。
文庫書紀②226‐2 臣 やつかれ

広辞苑 2008 第六版
【やつがれ】 仁徳紀 前田本 僕不して称に足らず。

万葉集3836 奈良山 佞人
岩波文庫 原文万葉集 (下) 2016 3836 下注 佞(尼広宮)ー俀


平凡社 白川静 字訓 【やつこ】
奴 女子を捕えている形
卑に使の意がある
白川静 字訓 で国、弥呼の漢字 「奴」「卑」を考察してみた。

漢字「倭」「佞」「俀」の関係について文献史学で考察してみた。


万葉集17 井戸王 新説 天の真名井は丹・丹である。
万葉集3843 真朱穿岳

淡海の多賀=近つ淡海の志賀の穴穂の宮

穴師、穴磯
小学館書紀➀‐321 注23 通説 桜井市穴師
小学館書紀➀‐329 注23 鉱山師の意


隋書倭国伝より倭国の位置は下関市 有冨-吉見-吉母 である。
邪馬台国の時代は2~3世紀に限定されるものではなく、隋書倭国伝の頃 610年 でも存続していた。記紀万葉など上代古典は下関倭国の書であり、都の邪靡堆 は福江の八貫堤である。


連想した
朝日カルチャー北九州 8月18日 「古事記」をヨム 講師 高山倫明
古事記 僕 (やつかれ) は妣の国根之堅州国に罷らむと欲す。
僕 (やつかれ) の解説を聴いて、垂仁紀 伊都都比古 臣 (やつかれ) に謂りて曰はく を連想した。

八貫堤 金

創価学会の合言葉スローガン 金、金、カネ、カネ、カネだよね!

下関市福江の八貫堤 八貫文の船賃=カネ

問題 『やすおか史誌』 平成2 P788 八貫物語
解答 『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 平成2
P490中‐末から5行目 【秦酒公】秦氏の遠隔地交易活動

波太須伎 万葉集3506
芒 (はたすすき) 出の渡 八貫堤の西側 小出さん家か

秦=コメント欄 荒らし shin 大秦 欧州滞在歴あり 英語と独語に堪能 

壬申の乱 近江軍の合言葉「金」 カネ 文庫書紀⑤94‐1

文庫書紀⑤92‐1 近江の将軍 羽田公矢国 北越は吉見の船越か
秦氏、羽田氏 福江 字「畑代」 馬・狛は福江
近江は福江の八貫堤

田辺小隅 万葉集 田辺麻呂 福江
羽田真人国 八貫堤 文庫書紀218‐末から2行目

文庫書紀⑤90‐10
赤色を以て衣の上に着く。
補注28‐二八 万葉集199 邪

万葉集45~52 野馬台詩
福江 八貫堤の東側の山地 野上さん家付近か
耳為 鋤先山の双峰 鋤先山と雌鋤先山
吉野の山 懐風藻 丈 竹生寺の山
山田史御 蒲生野山田、有冨 山田 大迫池、竹生寺

楽浪の志賀の韓崎 八貫堤
天、隠口の泊瀬 農免道路 かくれんぼ
相坂 万葉集 岡辺道 岡本・岡田さん家
道家の真人、老子荘子、漢・高句麗 発祥の地

神風の伊勢 市営 福江団地にあった伊勢社
長門の浦 大内川の河口
立田 立田さん家

福江与三左衛門 物部守屋

万葉集3253 真福 福江
雄略2年 真鋒田高天

仙人革命
神仙伝の彭祖―在家主義の聖徳太子ー優婆塞の仙人 役小角 と繋がる。
聖徳太子・秦河勝・高麗の僧 恵慈 野上さん家あたり


(すが) 【清】道家思想・道教の漢字
清御原天皇 持統7年9月 文庫書紀⑤294‐8

清白 連弧文清白鏡 清白き心
文庫書紀⑤252‐10
文庫書紀④338‐9

文庫書紀④32‐3 清明心 忠誠心
文庫書紀④264‐2 民直心 ・・・ 淮南子索引 【万葉】は淮南子の語


高天原
『やすおか史誌』 P605 人丸神社
長仙山古墳は字「迫」85番地 の持ち山
農免道路 山側 かくれんぼ その付近が高天原 磯城
大内川の上流 中川、岡本、岡田さん家


葛城、高天 2か所の候補地
有冨の大年池・大迫池の山
福江 農免道路 役行者像・流水庵・字「迫」

長仙山 雄略4年2月 文庫書紀③34‐4 谷 一事主神
崇神紀の冒頭 文庫書紀➀274‐3
識性敏し。くして雄略を好みたまふ。
  ↓
厩戸豊耳皇子、雄略天皇に通じる。

波道主命 崇神10年9月 文庫書紀➀286‐7

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館
P491中 【秦比登浄足】 麻呂に通じる。浄=清
伊予の秦氏が朱砂の採取に従事していた 伊予は長仙山古墳かも。
風土記 逸文 伊予国 天山、魏志倭人伝 壱与 邪馬壱国
人麻呂 顕宗紀 荒樔田 隋書倭国伝 利弥多弗利 鳥髪

顕宗紀の殊儛 文庫書紀③110‐末から4行目
天武下 末に歌儛 文庫書紀⑤230‐末
  ↓
天武天皇の飛鳥浄御原宮は下関市福江 長仙山古墳にあった。
  ↓
文庫書紀⑤340 下 補注28‐二八 大海人皇子と赤色 丹砂

詩経国風 秦風


九州王朝はなかった。
邪馬壱国の位置 下関市福江 長仙山古墳

八貫堤の謎を解く

福江八幡宮 伊勢神社 ( 中宮 ) 元、字「岡崎」の市営住宅にあった。
福江の市営住宅 森進一が子供の時住んでいたと聞いた。

福江八幡宮の祭神 天照大神 須佐男尊 (ママ) 稲田姫命

奇稲田姫
八箇
文庫書紀➀90‐末行 注七 貫堤
小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀 第1巻 P94 注3 稲田宮主簀狭八箇

清 (すが) 【清】道家思想・道教の漢字

小学館書紀 第2巻
P431‐6 筑紫物部莫奇委沙奇 竹斯ではない。
P445‐5 新羅は西羌の小醜なり 注九 日本から西方の異族。岩波書紀も同じ解釈。私見は漢字そのまま 中央アジア 白人系 ガラスの道
小学館書紀の表記・注釈は私見と根本的にちがうので、私は岩波文庫 日本書紀 を愛読してる。

そもそも歴史認識が異なる。「中央」の位置
正しい歴史認識 正統派・正説 考古学とマスコミ 近畿ヤマト政権
古田武彦 盗まれた神話 記紀万葉は九州王朝の書 702年まで存続
私見 隋書倭国伝より倭国の位置は 下関市 有冨ー吉見ー吉母 綾羅木川の北側
 魏志の邪馬台 有冨
 隋書の邪靡堆 福江の林・横野・安岡 とくに福江 八貫堤 長仙山古墳 付近
  難波大隅宮 福江大塚 字「王仁」、難波祝津宮 富任町 神田遺跡 (下関工高)


「中国神話・伝説大事典」 大修館書店 1999
【顓頊】は龍に乗って四海まで行った
【契】せつ 少昊 鳥師となって鳥の名を百官につけた

鳥髪 漢和辞典 【髪】 発 詩経 商頌 玄鳥・長発
玄王 長仙山古墳

「やすおか史誌」 P847 玄海王はウソ 私見は史実!

居 垂仁4年9月23日 文庫書紀②24‐末行
燕=妟=安 近つ淡海の安

祟り
崇神紀 疫病
履中紀 神の祟り 文庫書紀②296‐3 卜 長仙山古墳
 あるいは、
履中天皇の宮 有冨 大迫池の上 長渚崎 神田遺跡


多利思孤 孤ではなく孤である。
垂仁紀 山背大国の不遅が女 を執りて祈ひて 文庫書紀②46‐11
頭八咫烏 苗裔 葛野主殿県主部 神武紀 文庫書紀➀242‐3

弥多弗利 長仙山古墳 人丸社
新解釈「鳥髪通り」 玄空寺に鞍作鳥の仏像
  ↓
下関市福江 役行者像~長仙山古墳~八貫堤

風土記 逸文 山城国
三井社
木幡社 天忍穂根命 仙山古墳

歌荒樔田 =下関市 福江 長仙山古墳の人丸社

298 角田河原=1017 賀茂神社
紀伊国 隅田八幡神社 人物画像鏡 紀伊国=木の国
木=扶桑樹=高木神=母木邑=師木=敷島=日本

八咫烏、役君小角、賀茂建角身命
「角」 角樴命 (角杙神)

八貫堤は万葉集 甘南備伊香真人の池 咸池

歌荒樔田 文庫書紀③130‐2 注1 =長仙山古墳の人丸社

福江八幡宮 伊勢神社 ( 中宮 ) 元、字「岡崎」の市営住宅にあった。
祭神 天照大神 須佐男尊 (ママ) 稲田姫命

「豊浦藩浦明細書」では福江に大歳社がある。

風土記逸文 伊勢国、山城国 など下関市福江だ。

山背の苅戸辺 文庫書紀②48‐3=万葉集1016 蓬莱仙媛
漢和辞典 【中】 旗竿で吹き流し=木幡=天御中主尊・中臣=難升米

祖別別命 注5 記には落別王 文庫書紀②34‐9 葛野 堕国
 弟 古事記 宇遅の和紀郎子、顕宗天皇、万葉集1804 弟の命
 食国 月読命 =宇迦の山の山本=万葉集 飫海 371、536

五十日足彦命 石田君 万葉集3236 山科の石田の社の須
高木=扶桑樹=五十日=日十大王 鏡 歌舞する人物は殊儛で顕宗天皇

三島=オノゴロ島=長仙山古墳=戸辺=幡荻穂にし吾 尾田の吾田節の淡郡=大虚 神明倭迹迹日百襲姫
稚日女尊 梭=倭迹迹日百襲姫 箸
稚日女尊 福江の小出さん家??

垂仁天皇 綺戸辺 大亀=崇神天皇 御肇国天皇 神亀
荘子 外物 白亀
新唐書 日本 白亀元年 

壱伎 伊都 いつ 厳・斎、壱師の花

野見宿禰も福江の人。字「野地」、弓 ・弩


蓬莱山は福江の長仙山古墳である。蓬莱は八貫堤の周辺。

扶桑樹の烏=安閑紀の鳥樹=八咫烏=鳥髪

「鳥髪」の考察
三省堂 大辞林、岩波 広辞苑 【取髪】 馬のたてがみ 須弥の髪
 須弥山 世界の中央=扶桑の太陽
履中紀 往来ふう羽田の汝は、羽狭に葬り立往ちぬ 文庫書紀②294‐12
漢和辞典 【髪】 発
角川ソフィア文庫 新版古事記 平成21
 P91‐末行 大き熊、より出で入る
伊奘冉尊 紀伊国の熊野の有村 花 鼓笛幡旗 歌い舞ひ
 → 馬、幡旗は、流鏑馬、葛野の木幡。歌い舞う は顕宗紀の殊儛
允恭24年6月 幡舎の山 山鳩 忍び泣き 別離の歌
島、淡路島は長仙山古墳

の峯 文庫書紀②100‐3
この箇所は五十猛命の話と一続きであり段落が切れてない。「一書第四」の内
 出雲国の簸の川上=紀伊国
補注1‐102 五十猛命=古事記 木国の大屋比古

貫堤 文庫書紀②93上 注七


仁徳紀 倭の屯田は山守の地 宇宿禰=能碁呂島

万葉集 石見国 此山=邪

  ↓
地名はちがっても全部同じ場所!!
下関市福江 長仙山古墳 人丸社 この場所が邪靡堆である。

福江から進学校 下関西高→東大→NHKアナウンサー の人がいるらしい。
祭りの準備の方々に福江八幡宮のことを聞いても関心がない。

下関市立考古博物館 職員談 福江は発掘調査がされてない。
内田自動車の東側の山地 福江積石塚
横野遺跡 仁徳紀 横野堤 文庫書紀②244‐10 仁徳記 秦人の池作り
上げ安岡遺跡 土錘 阿の鵜養か 陀は仏教の字


烏形の幢は八咫烏か - なぶんけんブログ - 奈良文化財研究所
www.nabunken.go.jp › nabunkenblog › 2019/04
2019/04/15 — これをみると、天皇が着用する冕冠(べんかん)や宝冠(女性天皇用)の上部には日形が置かれ、その中心に赤烏や三足烏らしき鳥が描かれているのが分かり ...


要点 近つ淡海は下関市福江 八貫堤である。
歌荒樔田
アル 産む 国生み、歌の始まり 詩賦の興、大津より始れり、懐風藻

隅田八幡神社 人物画像鏡
日十大王=扶桑 騎馬像と歌舞の人物 顕宗紀 殊儛
三島=淤ノゴロ島=出雲の淤宇
安閑紀の鳥樹=鳥髪、カラス 八咫烏

風土記 逸文 伊勢国、逸文 山城国 など。


参考文献
日本古代氏族人名辞典 吉川弘文館 平成2
日本古代史大辞典 大和書房 2006 【隅田八幡神社人物画像鏡】
やすおか史誌 平成2 P847 玄海王=隋書倭国伝は福江 八貫堤の東側 山地

朝日カルチャーセンター 北九州教室 講師 高山倫明
 顕宗紀の殊儛→ 隅田八幡神社人物画像鏡の歌舞する人物像
 古事記 禊 生 (ア) れませる→ 顕宗紀の歌荒樔田
と連想し、下関市福江の長仙山古墳 人丸社、役行者像が隋書倭国伝の邪靡堆と結びつくことを発見しました。

水野正好 (考古学) 「隋書倭国伝によれば女王国は下関」

講談社学術文庫 日本書紀 (上)(下) 宇治谷孟 訳
この本は通俗の極みであり、使用しない方がよい。原文の漢字表記を重視してない。近畿説の方々が10日で読む本だ。

万葉集の訓読も原文漢字を換えており、訳者によって歌の漢字表記がちがう。
漢字は本質的な教養である。

記紀万葉の漢字は四書五経、諸子百家、漢書などの漢籍と一体なので、漢籍漢学の素養がない者は年代、家系図、文法の3つしかわからない。
研究の方法論は訓詁注釈学しかない。

記紀万葉は下関倭国の書であり近畿のヤマト王権の書ではない。
平安時代の六国史も場所は下関 有冨ー吉見ー吉母 であり、それに奈良時代・平安時代の史実を所々挿入して編集されたものである。

記紀万葉の場所は「中央は近畿で全国」ではなく「下関市 有冨ー吉見ー吉母」 である。綾羅木川の北側が記紀万葉の地域である。
根拠は隋書倭国伝の地勢記述に依る。

奈良大学長の水野正好 (考古学) は「隋書倭国伝によれば女王国は下関。でも下関に女王国があったとは思えない ...」と言っていた。

邪馬台国は2~3世紀の国ではなく隋書倭国伝の7世紀も存続していた。
隋や百済・新羅・高句麗と正式な国交があったのは下関 有冨ー吉見ー吉母 の倭国である。

魏志倭人伝 末盧国・伊都国・奴国・不弥国 … の比定 九州説と近畿説
隋書倭国伝 地勢記述から邪靡堆は下関市 安岡・横野・福江 である。

邪靡堆 下関市 安岡説

神田遺跡  下関工業高校の校内
第2次発掘調査 古墳時代の滑石製模造品 三種の神器
  ↓
履中紀 文庫書紀②296‐9
則ち悪解除・善解除を負せて、長渚崎に出して、祓へ禊がしむ。

『新版 考古学講座 第4巻 原始文化〈上〉』 雄山閣 昭和44 再版 昭和46
大場磐雄・内藤政恒・八幡一郎 ※ 松本清張の邪馬台国論で参考にされた本
P186‐8行目 下関市 潮待貝塚 第2次調査 1955
弥生時代と同じ形態の溝状遺構 縄文時代の後期初頭 起源論に問題提起

安岡方言 口は荒いが雅風がある。


垂仁紀 穴門 伊都都比古 吾は是の国の王なり 安岡の庄屋 伊田さん家
孝徳紀 白雉 今我が親神祖の知らす、穴戸国の ... 文庫書紀④314‐7

穴門・穴戸、白雉の麻山は安岡八幡宮 (字「迫山」) あたりか。
越の道君 欽明紀 油谷湾
土井ヶ浜遺跡の貝輪 易経の太極 をデザイン 鯨骨が出土
向津具もありえる。

小学館 新編 日本古典文学全集 日本書紀③ 孝徳紀
P181 注 一九 白雉は泰山の精 泰山は有冨の竹生山 砕石場
麻山 竹生山ーハンドウ山 尾根

安岡八幡宮 境内 住吉社
もと、安岡上げ 字「田渕」にあった。「浪寄せ住吉」と呼ばれていた。
「やすおか史誌」 P586 末行
万葉集では「波が寄せる住吉」である。

万葉集3197
住吉 安岡小学校近くの友田川土手
淡路島 下関工業高校内の神田遺跡 土坑墓の被葬者は伊奘諾尊

住吉の崖 古宿の七曲 断崖海岸か。


神田遺跡 縄文大土坑 9基
綾羅木郷遺跡 弥生土坑の群集 苧麻が付着した土器

穴戸 字面から天岩戸
穴門 地名から吉見 古宿 字「大久保」 どさんこラーメン

穴師 穴住まいか
穴穂 意味不明