衛の須邑

詩経国風 邶風 泉水
明治書院 新釈漢文大系 詩経 上 P116
思須与漕
「須」と「漕」は衛の邑の名(毛伝)
須は佐之男、勢理毘売

緑衣 は古事記 八千矛神の歌物語 の歌謡に通じる。

角川ソフィア文庫 新版古事記 P59 歌謡番号 四
鴗鳥(そにどり)の青き御衣
山県に 蒔きし あたたで舂き
下注38 異蓼(あたたで) 中国などからの種による染めの蓼を舂く。

岩波文庫 古事記 P50 須勢理毘売の嫉妬 歌謡番号(五)
あた舂き
下注九 草の根をついて、その染め草の汁で染めた衣
  ↓
茜の根の汁 黄色が混じる色か。ならば詩経の緑衣に通じる。
鴗鳥(そにどり)の青き御衣、あたね舂き

万葉集では紅葉を黄葉と書き表しているので、詩経の緑衣の黄は紅ではないか。

古事記
神大市比売、大年神 福徳稲荷神社の祭神に大市比売
建速須佐之男 大河内の大歳神社の祭神 大年神、熊野速玉神
美濃の国の見河の河上なる喪山 蓑ヶ岳

アイ (植物) Wikipedia
「日本における藍染めは奈良時代から続く歴史があり、」
「日本には6世紀頃中国から伝わり、」
天若日子は弥生時代とすれば、この時の日本には藍はない。

詩経国風 邶風 泉水 ・・・ 日本書紀の泉津
肥泉、須の邑 は出雲で湯玉の犬鳴川 流域。
「今みの」集落 今倉+蓑ヶ岳
源水、風力発電の山上か。

大河内 大歳神社 バス停「大迫」
下関市有冨上にも「大歳」「大迫」がある。

バス停「豊原」 葦原豊原水穂の国

衛国 犬鳴川 ・・・ 伊都国
斉国 有冨上 大迫池、有冨墓地 ・・・ 邪馬台国
詩経の時代、犬鳴川流域と有冨は嫁婿の交流があった。

魏志倭人伝 伊都国
官を爾支 ・・・ 禰宜、稲置、主(ぬし)説
 詩経国風 邶風 泉水 禰(でい)
 福徳稲荷神社 安須波原の稲城山 参照 「山口県神社誌」
 大国主命

天孫降臨 新説
高天原 下関市有冨のハンドウ山上 → 筑紫の高千穂宮 湯玉の「井ノ尾」
筑紫の天満宮は宇賀の天満宮である。

詩経国風 邶風の地名「言」

明治書院 新釈漢文大系 詩経 上
P114 邶風
泉水 日本書紀の泉津
肥泉 肥の河


1, 長門市日置中 字「炭床」の近くに字「言代」
2. 山海経 大荒東経

『山海経・列仙伝』 前野直彬 著 全釈漢文大系33 集英社 昭和50年
大荒東経 P508
東海の外、大荒の中に、山がある。大と名づけられる。日月の出る所である。波谷(はこく)山という山があって、そこに巨人の国がある。 
大人の市がある。大人の堂と名付けられる。

日月の出る所 扶桑

波谷山
矢玉あたりに「波」地名 波原、津波敷
波谷を「はや」と読んで大河内の大歳神社の祭神 熊野玉大神

蓑ヶ岳
河内(こうち)神社の近くに谷川という川が流れる。
福徳稲荷神社の配神 谷嶽稲荷・谷森稲荷、谷川稲荷
参照 山口県神社誌 平成10年版

字「狐岩」

大人の市 福徳稲荷神社の祭神 大市比売大神
「堂」は土井ヶ浜遺跡の南の堂山ではなく、蓑ヶ岳集落だろう。

詩経国風 邶風 の地名「言」は下関市豊浦町 湯玉 犬鳴川 上流の蓑ヶ岳付近である。山海経、書経、詩経は下関市の郷土史である。宇賀は西安、咸陽、沖ノ島の真東に位置する。中国の「東方」とは緯度から下関市宇賀である。

土井ヶ浜遺跡の謎を解く 5

土井ヶ浜遺跡の貝輪は他の地域から出土しているものとは形が異なる。
特長 先の細くなっている部分に陰陽の太一がデザインされている。
土井ヶ浜の貝輪は渦巻文、蕨手文を装着することだった。

下関市立考古博物館が建つ所 字「岡」 詩経

『万葉集枕詞辞典』 高橋公麿 著 昭和62年
P257 原始古代の日本に孔子に削詩されてない詩経の原典があった
詩経が原始古代の日本に存在した根拠 陳風の宛丘 翳。 本来は淫歌ではなく、日本の伊勢別宮 伊雑の宮の御田植祭に通じる大地豊穣の祭り 

P242 坎
「鼓を打つ音」と解されているが、白川静 『新訂 字統』など大型の漢和辞典で【坎】を調べれば墓穴、地面に掘った穴

私見 下関の農民歌謡である詩経
書経、詩経には当時の日本になかった馬、牛、羊、馬車、戦車、武器、宝物、道具が登場する。
しかし、
書経、詩経の人間性、ものの考え方・感じ方、記述内容、作風は古事記、万葉集と相似している。詩経は中国人の漢詩ではない。書経、詩経は下関市有冨、吉見、豊北町太翔館の農民民俗であろう。

詩経の衛風は下関市豊浦町の犬鳴川沿いである。
いぬな淇川
泉水 源水
阿丘 古事記の阿須波の神、福徳稲荷神社の景行天皇伝説 安須波の原

「安須波」は2か所 蓑ヶ岳と黒井浜
黒井の谷津(ヤツ)ヶ浜に安須波宮がある。「豊浦藩村浦明細書」 P163下
日本武尊による農耕指導伝説

今倉の字「神屋」 古事記の神屋楯比売は事代主神の母
湯玉 字「金綱」 天武紀の金綱井 許梅は衛の許国か

犬鳴川中流 字「扶桑」=日本国
万葉集の三野は蓑ヶ岳 万葉集3242、3327

これは詩経国風を読んだ人の感想・感覚になる。
詩経は中国人の生活感、人生観か、という問題である。

詩経は古事記、万葉集の卑猥さと似ている。

定評のある本は集英社 漢詩大系 詩経
復刻版として集英社 漢詩選 1、2巻


下関市立考古博物館が建つ所 小字地名「岡」
詩経国風 陳風 宛丘 の場所は下関市の綾羅木郷遺跡である。
字「寺屋敷」 寺=役所、小役人
土器製作時の焼き場、酒を造る甑土器が出た了元寺の横は大きな発見である。
伏羲が居た場所だ。酒より書経の「胤征」の羲和、「酒誥」の妹国もここか。

考古博物館 常設展示 紵(麻の布)が付着した土器

株林 了元寺の裏「林」か

東門の池 万葉集3499
新築の家が建つ前は池の木に鷺の群れが巣を作っていた。

綾羅木郷遺跡から出土した人面土製品は魏志倭人伝の黥面文身であり、
夏后の邑は綾羅木郷~冨任にあった。

綾羅木の「あや」は文(あや)か。

考古博物館 駐車場の東隣
石松さん家の坂下 字「中屋敷」「宝前」 中世の祭祀遺跡
方位 夏至の日の出は有冨のハンドウ山から太陽が昇る

古事記
春日の袁杼比売と三重の采女
金鉏の岡

中国古典 読むのにかかった時間

読むのにかかった時間  蛍光ペン、色鉛筆を使って毎日8時間読む
平凡社 中国古典文学大系 『淮南子・説苑(抄)』の淮南子 5か月
明治書院 新釈漢文大系 淮南子 上・中・下 の3冊 5か月
※淮南子全訳は平凡社と明治書院2つ合わせて計10か月かかった。

明治書院 新釈漢文大系 楚辞 1か月半

平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』の書経 3か月
漢字原文、書き下し文はついてないが、注釈は気合が入ってる本だ。
読むのがたいへん。


邪馬台国論、古代史の入り方。取り組み方
書き手の「日本書紀の読み方」で判定できる。
講談社学術文庫 日本書紀 現代語訳 2週間以内で読める
岩波文庫 日本書紀 訓読文 読むのに半年かかる
日本書紀を講談社学術文庫で読んだ人はその後も数日で読めて結論が出せるものしか読まない。里程論を好む。偉そうに書いてるが教養はない。人の説のパクリ、いいとこ取りばかりで、内容にオリジナリティはない。
日本書紀を岩波文庫 訓読文 で読んだ人は読了まで半年かかるものでも、ちびちびとじっくり読む取り組みがある。
大学の国文を出た人は漢字原文で読む。

書物の3分類 和書、洋書、漢籍
考古学をやってる人たちは漢学とは無縁である。
考古学の学者で漢籍に強いといわれた九州大学 岡崎敬。
著書
『魏志倭人伝の考古学 九州篇』 2003
私見 書経 禹頁、王維の「九州」は下関市有冨だった。

書経、詩経国風 南山 の解釈

平凡社 中国古典文学大系『書経・易経(抄)』の書経を巻末解説まで今読み終えた。毎日8時間 3か月かかった。

この本では中国で発見された考古資料など物的な甲骨文、金文、殷墟の発掘による知見を最重視した緻密な考証がされている。しかし中国神話伝説をそのまま直に読めば、扶桑の場所は日本列島にあるので、四書五経、諸子百家、史記の場所の半分は日本列島である。強弓の羿(げい)は日本列島の居た者である。

山海経の若木=椿 説 つらつら椿つらつらに

中国地図では泰山の南方向に曲阜がある。曲阜 は記紀・万葉では勾(まがり)。「勾」は古文単語「におう」(視覚で赤土が鮮やかの意か)
下関市有冨 竹生寺がある山を東ヶ嶽といい、その真南方向に位置するハンドウ山 登り口付近は道がカーブしている。

斉(せい)≒斎(さい)
漢字「斉」は「整」(斉一)よりも「斎」(いつ、ゆ)に近い意味である。
斎は有冨墓地の東側尾根。 伊勢、泊瀬の斎宮。

詩経国風 斉 は卑猥なポルノ漢詩である。南山は近親相姦で兄が嫁いだ妹のもとへ淫行しに行く。この漢詩をそのまんま直に読めば、合理的に実現可能性を考えて斉と魯とは距離で300メートルぐらいしか離れていない。狐より山海経 海外東経 青丘国の九尾狐を思いつく。また故事成語「一狐裘三十年」いっこきゅうさんじゅうねん 斉の晏子春秋 

万葉集 野鳥のホトトギス 女陰(ほと)と戯す 説あり。女は正妻でない妾。
アヘアヘ声のホトトギス鳴く丘は有冨ハンドウ山である。

北の山(玄山)は竹生寺の東ヶ嶽(中国では東嶽=泰山) 山東はハンドウ山の長い尾根。
詩経国風 斉 南山は下関市有冨のハンドウ山である。有冨中村は倭国の極南界か。

詩経国風 斉 南山 の解釈
兄妹の近親相姦の歌である説 通説
 平凡社 中国古典文学大系『詩経・楚辞』の詩経
 筑摩書房 世界古典文学全集『詩経国風・書経』の詩経国風
 集英社 漢詩選 詩経(上)

近親相姦の歌とは見ない説 大学の文学部は女子学生が多いゆえの配慮か
 明治書院 新釈漢文大系 詩経 上
 学習研究社 中国の古典 詩経 上 ・・・ 東京女子大学での講義録

兄妹の近親相姦といえば、
古事記 允恭記の木梨の軽の太子と同母妹の軽の大郎女(衣通の王)である。
その歌謡より、
木梨の軽太子の家は泊瀬にあって、泊瀬の上つ瀬に杙を打つ。
詩経のは隠国の泊瀬の場所である有冨墓地東側の谷の上、大迫池の上の尾根である。
魯は有冨中村である。

天子が居る場所は天子南面。北は高い山、南は低い川、陽(みなみ)に傾斜して日当り良好。
南山とは円錐形の単峰ではなく風水パワーの山地「龍」の南端である。
孔子の 孔=穴。女の穴。陰は月。かぐや姫の月の都。
男は陽。日臣(道臣)

白川静によれば、孔子は父親がわからない巫女の子であるという。

文庫書紀①142‐8 神武紀
皇祖天神を祭りたまふ。 鳥見(とみ)山の位置
皇室に秘蔵されている三種の神器の玉を見た人がおり、それは「親魏倭王」金印という。私見では 万葉集990 題詞 跡見茂岡 より、有冨の重岡さん家の持ち山に「親魏倭王」金印が埋まる。朝カラスが飛ぶ方向の山。

泰山 竹生寺がある山 山口県風土誌に東ヶ嶽とある。
斉 有冨墓地、大迫池上の尾根

魯 有冨 中村 山際の高座に位置する3軒(中村、岩谷、儀万)。
魯は魚なので海・川・沼のほとり、秋根、安岡、冨任も候補地。

孔子は有冨中村の人だった。

泰=太=大
女 俀国
倭人は泰伯、太伯の裔、周の姫氏
鬯(ちょう)は天子が献上する物


有富 大迫池 堤工事
池底、山際から青粘土が露出 ― 青州
山東は中国の山東半島ではなく下関市有冨の有冨墓地・大迫池上である。
斉国 =斎宮

詩経の漢詩は古事記、万葉集につながる。
詩経の多くは民謡とされる。詩経の人間性、感情表現、食べ物・料理は中国人ではなく、下関市の有冨、吉見、豊北町の人たちと思えれば、書経・詩経は下関市の郷土史になる。

倭人と関東文化

鎌倉文化 Wikipedia 
鎌倉文化(かまくらぶんか)は、鎌倉幕府の成立した12世紀末から幕府が滅亡した14世紀前半にかけての日本の文化。王朝国家からの自立を指向する本格的な武家政権が東国に開かれた時代であり、各方面で新しい文化的所産が生まれた。

私見
倭国の文化は関西王朝の「国風文化」とは全然ちがう。
鎌倉幕府にはユダヤ的な豪奢さはない。倭国の文化は関東で再開した。

Wikipedia
治承・寿永の乱を経て相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に本格的な武家政権が成立した鎌倉時代は、政治的にも経済的にもしだいに武家が公家(貴族)を圧倒していく時代であった。このような変動する社会の様相は、文化の面に対しても大きな影響をあたえた。

この時代にあっても、伝統文化の担い手は依然として主として平安京とその近傍に在住する公家の人びとや南都北嶺をはじめとする仏教寺院であり、彼らは同時に封建領主でもあった。しかし、地方の武士たちも、京都大番役などで上京した際には伝統文化にふれ、それを、それぞれ自らの地元にもたらすようになった。いっぽう、有力武士の援助を期待して、都から地方に下る貴族や僧侶などもあらわれた。

こうして、鎌倉をはじめ、守護の館のある国衙の周辺、有力武士の居住地、あるいは交通の要所などには、伝統文化をもとにしながらも武士や庶民の気風をも反映した、素朴で質実、かつ力強さをともなった新しい文化が育まれていった。

前代からはじまった民間相互の日宋貿易を通じ、禅宗をはじめ大陸から新しい文化も伝わった。金・元の南下にともなう宋朝の衰亡に際しては、征服王朝の冷遇をきらって日本に亡命した南宋の遺民や僧侶も、新しい文化の形成に大きな役割をはたした。ことに宋風文化の導入にあたっては、「東国国家」をめざした鎌倉幕府はきわめて積極的であった。元寇後も元と民間の往来はとだえることなく、建長寺の再建費を調達するため、幕府の命をうけて1325年(正中2年)に商人が元に派遣した建長寺船をはじめ、民間の商船には多くの留学僧が便乗し、新しい中国文化の移入につとめた。

私見
鎌倉武士と元寇の高麗軍は精神文化がちがう。
関東人は朝鮮・高句麗系ではなく下関倭人と人間性が似る。

平安貴族の「国風文化」は大陸系(中国・朝鮮)宮廷文化の亜種亜流である。

畢竟(とどのつまり)、倭の女王卑弥呼は尼将軍と呼ばれた北条政子だった。


北条政子  Wikipedia  
後世の評価
『吾妻鏡』は「前漢の呂后と同じように天下を治めた。または神功皇后が再生して我が国の皇基を擁護させ給わった」と政子を称賛している。慈円は『愚管抄』で政子の権勢をして「女人入眼の日本国」と評した。『承久記』では「女房(女性)の目出度い例である」と評しているが、この評に対して政子に「尼ほど深い悲しみを持った者はこの世にいません」と述懐させている。

室町時代の一条兼良は「この日本国は姫氏国という。女が治めるべき国と言えよう」と政子をはじめ奈良時代の女帝(元正天皇や孝謙天皇)の故事をひいている。北畠親房の『神皇正統記』や今川了俊の『難太平記』でも鎌倉幕府を主導した政子の評価は高い。

魏奴 (漢の魏奴国の王)

衛国
書経 酒誥 妹国(まいこく) 氵未 (河南省 淇県) 牧野と同一地
史記 世家 康叔世家

日本書紀 神武東征 河内国
孔舎の戦

万葉集
4262 門督 大伴古慈悲 矢玉の根崎川 バス停 一の宮の前 字「古殿」か

4263 高麗朝臣福信 矢玉の斎八幡宮 字「高麗」
高麗=駒=宇賀の馬牧=牧野

4264 飲酒 豊御酒
4265 酒楽宴
4266 八峯 豊浦町 南宇賀 字「八ツ峯駅」


犬鳴川 衛河
湯玉 商の湯王

有冨 周の文王
儀万という珍しい名前の家がある。

義=儀 儀万=義和、羲和

平凡社 中国古典文学大系『書経・易経(抄)』
P259下 注42、P277下 注12
詩経 大雅 文王篇 文王に刑れば、邦が孚となろう

P311上 8行目
戦国時代の魏国の始祖となる畢は、...

下関市豊浦町 宇賀 湯玉 犬鳴川の中流に小字地名「扶桑」がある。
扶桑がアメリカ、メキシコにあれば強弓の羿はアメリカインデアンである。

扶桑が日本列島にあれば中国神話伝説の者たちの多くは日本人である。
書経 呂刑 蚩尤(しゆう)は素戔嗚尊だ。

四書五経、諸子百家、史記の記述の半分は場所が日本である。
書経を読むと下関市湯玉は伊都国で「世々王あり」は商の湯王などだ。

YouTube 動画
令和元年度 海の道むなかた館 西谷正館長講座 第5回/ふくおか学入門-海人族と奴国王・金印の謎

委奴国 下関市湯玉 字「猪尾」(井ノ尾)、あるいは有冨 字「中村畔」
「委」 魏はツクリ「鬼」、倭はヘン「人」 読み新説 漢の奴国の王
「年」漢和辞典 みのる 禾+人

筑摩書房 世界古典文学全集『詩経国風 書経』
P155上
魏風は周の平王、桓王の時代のもの。は虞舜・夏禹が都した地
周王朝では同姓の者を此地に封じたので姫性
その地は南は河曲にのぞみ、北は汾水をわたる。

河曲
綾羅木川の河曲に位置する下関市有冨
北九州市小倉南区の蒲生寺中古墳は紫川の河曲が下関市有冨と同じ形

萩市大井 明の図書編に「倭委」とある。大→倭(小さい、チビ)に変換
有冨の大年池(大歳神社)、大迫池
豊浦町湯玉 大河内 大歳神社、バス停「大迫」
有冨の山奥と湯玉の山奥に同一の神社、地名がある。


伏羲 文化英雄 Wikipedia  
『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)をつくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、また魚釣りを教えたとされる[2]。書契や八卦を定めたことは、黄帝の史官蒼頡によって漢字の母体が開発されたとされる伝説以前の文字に関する重要な発明とされる。

委奴国金印の蛇紐 伏羲氏と女媧氏 蛇身人首の姿


書経 Wikipedia 
「昭和や平成さらには明和を始め35個の日本の元号は、この書が由来になっている。なお、平成の決定の際には、専門家から出典箇所が偽書の偽古文尚書であり、相応しくないとする意見もあった。」

書経 漢字の字体が古風で独特
王としてあるべきは華美奢侈をやめ質素倹約を説く。
中国王朝、関西ヤマト王権には多欲を慎む質素倹約の精神文化はない。
質素倹約の励行では王侯貴族や大名の絢爛豪華な生活はできない。


古事記
湯玉の今倉 字「神屋」 神屋楯比売
福徳稲荷神社 景行天皇伝説 安須波の原 大年神の系譜に阿須波の神


下有冨石棺
昭和はじめ地元民によって開けられ、曲玉など多くの出土品があったという。
石材に塗朱あり。 『川中風土記 増補版』 昭和45年 P23 
考古博物館の資料 昭和39年 吉村次郎 石棺の石に塗朱あとを確認

塚の原遺跡 ホームワイド裏の台地(石原156番地)
朱の精製地 L字状石杵が出土  すり減りから、かなり使い込まれていた。

竹生寺の西隣 妙見宮 方位磁石 西偏7° の真南方向
竹生寺の妙見宮-ハンドウ山の登り口-石原156番地-ダイハツ 新下関店
が一直線に並ぶ。
石原156番地 朱の精製に使うL字状石杵の出土地 五行配当で赤=南
ダイハツ 新下関店 秋根遺跡 墓地 巫女の人骨、内行花文鏡

方位を調べ、天子南面の景観から
邪馬台国(倭国)の龍穴・明堂は有冨中村 ハンドウ山 登り口付近と推定できる。

天御中主神社 有冨の山田(大迫池の山側に「山田」地名あり)
現在は社があった場所は不明 明治42年、綾羅木の川北神社に合祀された。

有富中村の儀万さん家 江戸時代の有冨村の庄屋の家 「やすおか史誌」
儀=義=魏 音が同じ  儀万=義和=魏奴

犬鳴川の今倉 字「弘法」

平凡社 書経・易経(抄) 中国古典文学大系
書経 酒誥 P230下 7行目
父の下のを正す者たち
  ↓
下関市湯玉 犬鳴川の今倉 字「弘法」

P231下 注四 妹国
妹国=牧野=衛 は同一地

下関市小野 小野妹子の親類が立ち寄った言い伝えがある。
妹子より湯玉 犬鳴川沿いの人であろう。


角川 新字源 【弘】
弘法 仏法を世に広めること。 空海(弘法大師)
弘道 道を広める 論語 衛霊公

赤塚忠の説 弘父とは司寇で、綱紀を正す長官

私見
伊都国の一大率は宇賀・湯玉付近にあった。
犬鳴川沿いの道は新しく、昔は湯玉在から今倉に上る道しかなかった。

今倉に「安徳天皇弟宮霊」 があり、その隣に よくわかないが殉死した者たちか「五十七人の墓」 がある。 倭国の残党の墓か。 蓑ヶ岳には景行天皇伝説もあり、今倉には隠れた歴史がある。

小字「弘法」の隣は小字「兵法」である。
弾正原(豊北町 北宇賀)という山は小字「檀上原」 で真弓岡だ。
  ↓
湯玉の小字「弘法」は司寇。または論語の衛霊公の地。

万葉集
3160 貞浦 【貞】 行いが正しい、節義を守る。小字「国正」
3161 在千潟 湯玉在
3162 沿岸防備の衝石=筑紫。咫は周王朝を示す字
3163 妹子

新説 貞浦は湯玉の字「国正」である。

讃 隠国の泊瀬

『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮紀子著 日本経済新聞出版社
発行日2007年6月20日 12年前

P69 図35
団長 修後 修前
修 狗留孫山 禅師
団長 豊浦団 宇賀本郷の山「弾正原」331.2 m 一大率は豊浦団になった。
豊浦団は古代。飛鳥時代末~奈良~平安時代

団の字は旧字「團長」か。周の旧字か。 周長なら周王朝の裔か

赤関 讃
私は赤関を福江大塚の皇子八幡宮付近の赤坂(地下上申絵図)に比定

讃の意味に該当する場所は下関市の南部地域にない。長府の和同開珎か。
私は万葉集1、2の讃歌とみた。

江戸時代
綾羅木川の北 有冨支配 庄屋 有冨村 字「中村畔」 儀万さん家
綾羅木川の南 熊野支配

綾羅木川の北側は有冨村の中村が中心。
有富中村の真北に竹生寺西隣の妙見宮がある。
竹生寺は蒲生野山田から登るが住所は有冨である。
有富中村の真西は梶栗浜遺跡(金、墓地)、真東は青山、真南は火の山。
下関は有冨中村が中心点となって地名、遺跡、古墳がある。

有富中村(空地 中村旧宅跡 、中野、儀万)の家から見て有冨墓地は北北東で、
真北から東へ20°
癸(みずのと)、子・丑の境。 二十八宿では虚・女である。女は伊勢。
方位 丑 は大迫池上の尾根で丑=紐=殷王 紂。 天智天皇の葛城

有富では漢和辞典 巻末付録の各方位図、易経が適する。
神仙境たる有冨墓地、大迫池の上。雲が沸く所。
中華思想・中国哲学の発祥地
華夷思想は有冨墓地の上「燕国」、大迫池の上「蓋国」で生まれた。秦の始皇帝が焚書坑儒をやる前は、天子、中国、畿内、夷、戎、狄などは有冨倭人の言葉だった。竹生寺西の奥の院(経筒の埋納地)から東南に傾く台地は九州である。
考古学は有形を対象とする。 有冨には中国の無形がある。
中国学の方位、易経、風水など勉強すれば有冨に無形があることが確認できる。

万葉集1 見津 山跡 の場所は有冨墓地になる。
有富墓地入口の東側、野菜屑が捨てられている所の沢水が泊瀬川である。
その上は土石流でグチャグチャになった。
 隠国の泊瀬
 隠口の泊瀬山
 泊瀬 雲

泊瀬 → 佐保 万葉集79
有富古墳横の沢水 佐保川
佐保川の髑髏(どくろ)有富古墳

続日本紀④241-9
厨真人厨女
きたなき佐保川の髑髏に入れて

は万葉集1 の歌場所で、有冨墓地に比定したい。
昔、有冨墓地の上に火葬場があった。万葉集428 柿本人麻呂

倭の五王 讃 は履中天皇である。



ネットの国土地理院地図を使って
下関市有冨ハンドウ山登山口 と 立岩堀田遺跡 を線で結べば
  仁馬山古墳
  垢田交差点東側(稗田地蔵堂遺跡)
  武久浜(半両銭)
  彦島八幡宮北側
  小倉北区 日明小学校(日明一本松塚古墳)
  槻田小学校付近(高槻遺跡)
が直線で並ぶ。 方位は未(南南西) だ。
未は 卦では天山遯をあてる。

一直線上
長門市俵山の能満寺山―菊川町の植松古墳―仁馬山古墳― 武久川の河口

燕 蓋

書経(儒家の地誌)と山海経は一体のものである。山海経の謎は書経で解ける。 秦の始皇帝が焚書坑儒をやる前は書経、山海経など「中国の古典」 は下関倭国の始原郷土史だった。「中国」「大国」「天子」は下関倭国の自称だった。

漢王朝は儒教を国教にして冊封をしき、周辺国を卑しんだ。実情は秦・漢は上から下まで空前の東方神仙ブームで、倭人系の道教が中国をひっかき回していた。

下関倭国は道家の本元なので、老子のユートピア 小国寡民 の在り方
邪馬台国の人口 7万余戸 実際は7戸、いや7人か。
人まばらで高台に住むことで伝染病(赤痢、コレラ、結核、皮膚病)を防ぐ。
土器は燃えないゴミとなり土地がゴミだらけになるので竹、木、石ですます。
古語拾遺より極端な倹約質素が読める。

集英社 全釈漢文大系 『山海経・列仙伝』
P478 蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す

倭の位置は2か所
下関市有冨 字「中村畔」 畔の読みはグロ 中村グロ 奈良の倭京
福江の大塚 字「王仁」(応神) 河内国の倭

蓋国の蓋は天蓋、車蓋。馬車の傘 三笠山(有冨のハンドウ山)
ハンドウ山の頂・南北方向の尾根が蓋国

高平を原という。高天原は高平の尾根。高平の尾根がハンドウ山の頂から竹生山まで続く。天への階・橋である。

燕国 竹生山ー有冨墓地ー砕石場の上 東西方向の尾根 上帝(天神)が居る
山口県風土誌によれば竹生寺の山は東が嶽とあり、東嶽=泰山だ。
記紀万葉によれば燕国とは伊勢神宮である。 

ゼンリン地図、ネットの国土地理院地図で山の等高線、山の形を見る。
鯨の尻尾に似る。


平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』
P42上 15行目 燕 玄鳥
商は有冨中村、ハンドウ山の王朝

P108下 末から6行目
『詩経』商頌・玄鳥篇 天が玄鳥に命じて商族をうませた

P208下 15行目 商(奄の誤字説あり)
P101上 7行目 殷紂王の首都 大邑商、天邑商
場所は有冨 大迫池上の尾根

P182上 注27 鹿台・鉅橋
鹿台は鹿島 ハンドウ山の尾根 南北方向 大迫池の上
鉅橋は有冨墓地の尾根 東西方向


淮南子 兵略訓
汜(し)水 梶栗川
共頭山 梶栗から見る竹生山 双峰

平凡社 中国古典文学大系『淮南子・説苑(抄)』
P204上 武王が殷の紂を伐ったとき、...

明治書院 新釈漢文大系 『淮南子 下』
P840 10行目


出典
平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』
原は高平の地 P92下 注11

湯王  大乙 P108 → 履中天皇 → 倭の五王 讃
夏の桀王 履 P97下 注2 → 有冨中村の集落から癸の方位で有冨墓地
石上乙麻呂 万葉集、懐風藻 → 乙の場所は大迫池上の尾根

泰山有道 P180下 注16

湯、履、大、乙 の位置が判明 湯原、履中、大倭、乙麻呂 など

下関市有冨上
燕国 有富墓地の尾根~竹生寺西側の奥ノ院 
蓋国・大倭 ハンドウ山~大迫池の尾根 
倭 字「中村畔」の家々 中村、儀万、岩谷さん付近
河内の倭 福江大塚 字「王仁」

福江 山中

下関市福江 山中 文庫書紀④70‐5 山の中に隠る
福江の山中は茅渟県の有真香邑か。

福江の大塚 皇子八幡宮 字「王仁」(「応神」とも書く)
この神社は「八幡神」(やはた)の本社であり、応神だから河内国である。
難波宮は豊関建設 資材置場前の海岸磯場、生駒山はそこの崖山になる。

大塚の北村さん家 地勢景観が窪地であり、風水の龍穴 穴=孔
神武東征 の戦い 母木(おものき)=扶桑

大塚は戦闘の場所である。
崇峻紀 捕鳥部 万 の戦闘
文庫書紀④70‐3 
物部守屋大連 福江与三左衛門か
捕鳥部 万(よろず)古事記 本牟智和気の御子 稲城、鳥取部
士(いくさびと) 大塚の字「矢瀬」

書経の牧野 「衛」
平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経』 牧誓
P172上 注四 野 木に似る

書経 科斗文字(蝌蚪 おたまじゃくし)


文庫書紀④72‐9 爰(ここ)に万が養へる白犬有り。
山海経 海内北経 犬封国 
集英社 全釈漢文大系 『山海経・列仙伝』P468 〔 〕内 白犬二頭を生む 
吉量 吉は吉見 量は阿治志貴高日子根神の大刀の名 大量
文馬 船越の字「田ノ尻」 田辺史か蓬蔂丘 赤駿に騎れる者
誉田陵に竜馬。空飛ぶ仙人 神仙の地 雄略紀 文庫書紀③64-2

狗奴国
卑弥呼 福江大塚 字「矢瀬」

素 素戔嗚尊、素王である大己貴神

赤関
福江の大塚 字「せき」

山口県立図書館 文書館 江戸時代 福江村・吉見船越の絵図閲覧
地下上申絵図に赤坂 履中紀 河内国の埴生坂 文庫書紀②282‐11
履は殷の湯王の名 山口は有冨ハンドウ山登り口 当麻は石原の砕石場 崖
讃 万葉集1、2 有富中村 ハンドウ山讃歌

さらに考証して
万葉集1 雄略天皇歌は福江大塚の崖海岸 大久保山だろう。
永田本町 水産大学校~吉見漁港~釣りパーク 海岸が神々しい赤石
応神の皇子八幡宮がある大久保山 蓬莱山

さらに考証して
万葉集1 見津 山跡
虚は二十八宿で北北東。有冨中村の集落から見て有冨墓地の方角である。
北北東は丑(ちゅう)。丑は紐、殷紂にも通じる。
虚見津 山跡 の場所は有冨の有冨墓地~大迫池上の尾根

東海の三神山
龍谷大学蔵 混一彊理歴代国郡之図 日本列島
最北端で壱岐の真向かい 下関市 吉母・御崎・室津 北の守護神 毘沙門天

吉母の黒島 オノゴロ島 瀛洲
福江大塚 王仁(応神) 蓬莱山
有富 竹生寺 方丈

山海経の朝鮮
海内北経 朝鮮は列陽の東海・北山の南に在り。列陽は燕に属す。
海内経 東海の内、北海の隅に、国有り、名けて朝鮮と曰ふ。

箕子は有冨の遠山運送・レンタカー屋の字「箕越」の人
山海経の朝鮮は吉母の大河原、御崎、室津上。 箕子朝鮮=狗邪韓国
周の武王 吉母小学校

中国の都 咸、洛の地形
洛陽では北の山に墓地。有冨墓地も北(北北東)の山にある。

の陽は天子南面の地形(北が高く山、南が低く川。日当り良し)
有富、船越、永田、吉母。 北が山、南が川・海で、南側に傾斜
列陽は有冨~吉見~吉母、そこが東海。 北海は豊浦町・豊北町
燕は竹生山と東への尾根
北山は毘沙ノ鼻 

考古資料 六連(むつれ)島の朝鮮無文土器

神仙伝 葛洪
老子、劉安、墨子、白石先生(福江大塚の白石か)など収録

思想
魏志倭人伝の思想=道家+墨子

魏志倭人伝には墨子の影響が見られる。鬼道、大率
重松明久 『邪馬台国の研究』 1969年
福永光司

大阪府の古市古墳群 応神天皇陵 無為自然の道家思想ではない。
巨大古墳は道家、墨家の墓制ではない。

兵法
豊浦町 湯玉の犬鳴川沿い 今倉集落 字「扶桑」「兵法」「弘法」「神屋」
孫子 曹操の愛読書 欺く
淮南子 兵略訓 無形 ステルス(見えない)

山海経 大荒東経 司幽の国
思士 常世の国の思金の神、常世の長鳴鳥
四鳥 土井ヶ浜遺跡 鵜を抱く女 鳥骨


加茂島
続日本紀④25-8
神部鴨田連嶋人