城野石棺の謎を解く.

小倉南区 城野遺跡
レイライン
下関市有冨 ハンドウ山ー有冨下 松尾さん家ー伊倉 火ノ見山ー大学町 権現山
ー城野遺跡 玉作り工房跡ー重留銅矛公園

有冨の松尾さん家 八女市 岩戸山古墳の松尾祠、秦氏の松尾神社

重留銅矛 大己貴神の広矛 文庫書紀➀120‐5 地鎮祭
天地の理 天は有冨ハンドウ山、地は城野遺跡

先代旧事本紀の冒頭 渾沌
日天狭霧国日国狭霧尊
禅譲
天 陽神 日神 有冨
国 陰神 月神 福江大塚、船越、吉見の夜月


城野石棺の朱は下関市 塚の原遺跡から出土したL字形石杵を使用か。
城野石棺と下関市 若宮墳丘墓は石棺の向き、白粘土など共通。
綾羅木式土器と高槻式土器は似ている。 

万葉集3831 詠白鷺啄木飛歌 池神の力士儛
雄略9年2月1日 凡河内香賜と采女 曽根の荒神森古墳 人物埴輪
荒神森古墳は下関市吉母浜をモデルにしている。浮島神社、毘沙門社
宗像三女神は下関市吉母 字 西条 にいたが、死後に城野石棺に埋葬された。

記紀万葉、風土記など上代古典は関西ヤマト王権でなく下関倭国の書である。
北九州市と下関市の遺跡は記紀万葉・風土記の記述で解明できる。

吉備は下関市 吉母下。
出雲は島根県ではなく下関市福江。
根の堅州国は小倉南区 高津尾 意吉神社。根とは川根で川の上流、水源。
大己貴神は下関市福江にいて根の堅州国に行った。

下関市
船越 吉見下 吉備国
大塚 福江 出雲国 福江大塚 字 巴() 安岡八幡宮 祭神 大貴命
草薙剣 尾張国にあり 吉備の神部にあり
尾張国 古事記 尾張の相津 吉見下 字 二俣迫
吾湯市村、熱田の祝部 吉見温泉 または向津具 有柄銅剣 鮮卑系

出雲の多芸志の小浜、五十田狭の小汀 古宿の断崖海岸 豊関建設資材置場
玉墻の内つ国 天然の要害
日本は浦安の国
日本の難波 難破、鯨・イルカの打ち上げ
日の本 大樹の扶桑樹があった所
大綿津見神社 浜宮跡

万葉集354、355 縄の浦 浜宮付近の岩場
礼記 雑記 逸民 大連・少連 ・・・ 大汝命、少彦名命
論語 微子 逸民の少連

大日本国
大綿津見神社(龍王神社) 吉見下

倭(やまと) 倭京、飛鳥 有冨 字 中村畔、ハンドウ山 劉安のブレーン 小山
大倭 有冨墓地 隠国の泊瀬 雄略天皇

 有冨 中村畔
香 吉見下 河伯 東国


双方中円型墳丘墓
倉敷市 楯築墳丘墓
うきは市 西ノ城古墳 布留式の最古、定型化してないので弥生的

騎馬民族
中央アジアの「クルガン」墳丘墓・石人 ・・・ 研究者が多い
八女市 岩戸山古墳の石人は中央アジア キルギスの石人がルーツか

熊本県、筑後川 騎馬民族、水運業、装飾古墳
関東、茨城県 騎馬民族、水運業、装飾古墳

ヤマト王権 シルクロード文化圏
いき一郎の説 大陸からの亡命者の集まり、隠者の国


下関の倭と倭種ヤマト王権との関係
栗本慎一郎がいう「騎馬民族の双分制」
倭 道家思想 懐風藻の詩人 中国・朝鮮の国々と正式な国交あり
狗奴国 倭種で景教か

倭と倭種との国境 考古学資料
下関市 綾羅木川
北岸 在地系豪族 有冨の竹生山、吉見の竜王山
南岸 畿内系、北九州市系 環濠の綾羅木郷遺跡は北九州市系

北九州市小倉
紫川の流域 在地系 大きな古墳なし
瀬戸内 周防灘沿岸 畿内系、開発され生産力高い

宗像市 渡来系

下関市 御崎 本州最西端 神がいる所なので岬でなく御崎

七夕の場所 住吉大社神代記の「陀那波多乃男神女神」

倭の場所は、下関市 有冨-吉見ー吉母
有冨の竹生寺の山(東ヶ嶽・砕石場の竹生山) 吉見の竜王山

下関市 吉見下 龍王神社(大綿津見神社) 祭神 住吉荒御魂 大日本国
浜宮が古宿海岸 どさんこラーメン店 付近にあり、難波の日本国

倭 有冨 字 中村畔、ハンドウ山 尾根
大倭 有冨 大迫池-有冨墓地-薬師池ー竹生寺
日本 扶桑樹があった所 古宿の大久保山
大日本 吉見下 中町・字 中村 津森さん家 龍王神社 紀氏は姫氏か
  吉見下の地名「中」 は書経 周書 東周 洛陽の「土中」「時中」か

万葉集2029など 天あまのがは

文庫書紀②158 龍王神社 付近

『古代氏文集』 山川出版社 2012
住吉大社神代記
P44-4行目 陀那波多乃男神女神 吉見上八幡宮 付近か

詩経
四牡 周道 遅たり
大田 穴門の大田か
出車 明治書院 新釈漢文大系 詩経 中 P203 語釈 設此旐矣 は亀蛇で玄武
桑柔 語釈 良人、旟 大風・大谷 有冨 竹生寺の山麓か 字 谷町
 良人 万葉集27、大風は淮南子 本経訓
雲漢 天の川

倭国=邪馬台国 は詩経・書経の場所であり、馬王堆漢墓の服絵に描かれた神仙境であり、漢の高祖 劉邦の出身地である。委奴国王の謎

禹の治水遺跡
下関市秋根南町 勝山公民館 駐車場 縄文の大溝跡

100万円で邪馬台国を発見

私が邪馬台国・古代史に興味を持ったのは2001年末だったと思う。
関心興味を失っていた時期が5,6年、時々休むので実質12年か。

2018年12月に急性心不全で救急車で運ばれて1か月も入院。BNP1000 超
BNP210 で入院生活の継続と手術を拒否して帰宅し、今日まで肉体の回復をはかって運動と休憩の生活で、本は買っても読んでない。
昨年から筑摩書房「 詩経国風・書経」を疲れない程度にちびちび読んでいる。
根を詰めて本を読むことよりも睡眠が大事になった。

影響を受けた本
「邪馬台国」徹底論争 第2巻 東方史学会/古田武彦 編 新泉社 1992

「自分でものを考える」には軽トラ分の本が必要で、そのほとんどは古本で購入するので計80万円くらい。
作家、プロの物書きは最低限 軽トラ3台分くらい本を手元に置かないと成り立たない。
「ネットだけで十分」とか、書店で「ムック本の立ち読み30年」では議論できる知識は持てない。1985年頃「テレビは虚業、新聞は実業」といわれた。
テレビ番組の邪馬台国はスタジオと画像は豪華でも内容ない虚業である。

自由研究なのでやり方は人それぞれだけど、日本書紀・古事記の訓読文を精読して自分なりの分析ができることが創見につながる。
道具としての辞典、事典、索引書を多く持っておく。
中古のボロい軽を買う金額である100万円くらい本の量を買って持っておかなければ邪馬台国はできんよ。邪馬台国関係が段ボール1箱分では無理、バカ。

記紀万葉など日本の上代古典はヤマト王権ではなく倭国の書である。。静岡県の駿河で船を造って大阪湾の難波まで航海する。新品の船が廃船になるほどボロになる。ありえない。下関市 竹生山の南麓ー安岡ー吉見が倭の場所である。ヤマト王権は倭でなく倭種。近鉄の「まほろば」電車、大和三山に囲まれた藤原京などは魏志倭人伝の倭種であり虚妄である。ヤマト王権は倭国の別種なり。
下関市豊田町 安徳天皇陵参考地は天智天皇の山科陵であろう。

栗本慎一郎の世界史 騎馬民族の双子首都 穴門の倭国と畿内ヤマト王権

古代日本の要衝 関門海峡の地政学
北九州市 小倉南区 城野台地 長尾・徳吉・山本の記紀伝承
新下関駅 秋根 宇陀の高城は竹生山の尾根

邪馬台国=倭国=記紀万葉の場所 は下関市 有冨ー吉見ー吉母
食国 古宿の七曲 断崖海岸 磯なので海産物が採れる
ここの小字「角地」 または「津のぢ」で角鹿 気比大神
または
永田神社 祭神 応神天皇、天照皇大神、月読命

石見はJR大久保山トンネルの上
応神天皇の難波大隅宮は大塚の字「王仁」
日下は扶桑樹の下で大久保山 山越え

孝霊記 五百原の君
=天智2年 廬原君臣 駿河国 吉見下 中町 大日本国の場所
ゼンリン地図 津森さん家 住吉水軍か

針間を道の口として、吉備の国を言向け和したまひき。
吉見の農免道路 県道244 下関川棚線
吉備 吉見下

木国 千石岩 万葉集307 久米若子、2362 来背若子
山部、伊余、久米、岩城、氷河
顕宗天皇は吉見 農免道路脇の千石岩に逃れていた。
山部赤人、伊預部馬養連の家が近い。

大来目 畝傍山の西の川辺の地 来目邑
伊予の天山 竜王山
河内の哮峰 竜王山 船越の河内社
鈴鹿関 千石岩

針間 船越
開化記 針間の阿宗の君
 宣化紀 阿蘇仍君 河内神社 船越
万葉集3434 上野安蘇山
万葉集3425 下野安蘇の河伯らよ 仁徳紀 河伯 文庫書紀②242‐1

中皇命 吉見下 中町

文庫書紀④54‐6
是歳、水碓を造りて冶鉄す。 ・・・ 吉見下 字 鍛冶、鍛冶屋堤
伊福部、五百木部

天武2年 藤原鎌足の娘 姉 氷上娘 五百重娘 重冨さん家など
新田部皇女

吉見下
字「赤石」 播磨国赤石
字「片山田」 片岡
字「井ノ上」 井上
字「入野」 入日子、入彦
字「正広」 伊福部広友

吉見上
字「年永」 伊福部永氏

因幡国(稲羽国) 伊福部臣志 古宿
稲羽の素兎は吉見の古宿か。鰐は字「丸山」「丸尾」 日女島

万葉集
4350 古志
3959,4220、4113 古之
4071 故之
4154 故志

吉見上 字「相苅」 滝本神社 風土記 伊勢国 逸文 滝原神宮
龍王神社 祭神 住吉荒御魂

仁徳紀
新羅 吉永、黒井、涌田 鬼ヶ城の山城跡は新羅系か
蝦夷 内日

河曲 福江大塚 船越川 文庫書紀②272‐末から3行目
または 吉見下 字「二俣迫」 古事記 本牟智和気の御子
二俣榲は登山の荷を担ぐ時の背中の棒

仁徳記
茨田堤 秦氏なので福江 字「畑代」「山王」 八貫堤
小椅 日向の阿多の小椅=難波の近くの小椅の江 か。


漢の高祖は天御中主尊の末裔
講談社学術文庫 日本後紀 (中) P123 倭漢惣歴帝譜図

漢委奴国王 極南界を日向とみれば 日向=扶桑樹

万葉集では、が鳴く東国 鳳ではない。
万葉集904 古日 夭折は漢皇子 大海人皇子説 壬申の乱 旗印は漢高祖の赤
万葉集475 大日本 久迩の京 隋書倭国伝 軍尼 健児、健人
船史 吉見の竜王山
  ↓
下関市 吉見下
字 中村
字 宮林 龍王神社
字 井ノ上
字 尾袋
字 千石岩、惣田、平石

強兵の東国とは下関市吉見下の東側である。 
吉見下 字 中村・龍王神社は大日本国の首都、劉邦の出身地

日本 難波 古宿浜の七曲 断崖海岸の磯場
大日本 龍王神社 付近

漢委奴国王
極南界
委奴 万葉集976 難波の委曲
船越の人が大久保山を越えて磯に溜まったワカメを拾って畑の肥料にしていた。
大己貴命 玉墻の内つ国 多芸志の小浜 縄の浦 姥ヶ懐 船釘 金の岬
龍王神社 下宮 浜宮

邪馬台国は漢墓 馬王堆の服絵に描かれた神仙境であり、
先代旧事本紀
河内国の河上の哮峰 吉見の竜王山 龍王神社-千石岩-船越 河内社
大倭国の鳥見の白庭山 有冨のハンドウ山-有冨墓地
に場所特定できる。


倭の所在地を特定 中国正史から一読了然である。
魏志倭人伝、後漢書倭伝 「倭種」の地域から「倭」の場所は北九州市小倉南区
隋書倭国伝 下関市 有冨-吉見ー吉母 綾羅木川の北側

高樹

仁徳記 枯野という船
兎寸河の西 船越川
淡道島 蓋井島の井戸 吉見漁港から船便
高安山 竜王山

高き樹 扶桑樹、母木邑

角川ソフィア文庫 新訂 古事記 昭和52
p157 歌謡番号72,73 日本

文庫書紀 神武紀の末
伊奘諾尊 日本は浦安の国
大己貴大神 玉墻の内つ国
饒速日命 虚空見つ日本の国 天磐船
  ↓
日本の海岸 吉見の古宿浜 どさんこラーメン店 付近 船釘の場所か。

河内社 船越 哮峰
龍王神社 花祭り神事 難波=浪花 大綿津見神社 浜宮


日本=扶桑樹があった場所 を特定 古宿の大久保山、福江の大塚
大倭には建木があり、有冨の大迫池上の尾根 穴穂の楼もここ。
日夲 「大+十」 日臣 道臣 道教 ハンドウ山 登山口 有冨の大年池 

建木 Wikipedia
『淮南子』墬形訓では、都広(とこう)山
持統天皇 高天原広野姫天皇

クシフルの朝鮮山

皇国史観 尊王思想
幕末、坂本竜馬が 霧島 高千穂 韓国岳 に登山し、倒幕を誓う。

角川日本地名大辞典 福岡県 【 菅生の滝 】 小倉南区 道原
百済の王子 熊彦
 百済 全羅南道の前方後円墳
 秦氏は百済から渡来
 熊襲、稗田地蔵堂遺跡の蓋弓帽に熊印
 白村江の戦 百済救援
菅王寺 薬師如来 少彦名神

天孫降臨 「クシフル」は古代朝鮮語の地名
高千穂宮 私見では小倉南インターの鏡池神社付近 合馬の障子谷遺跡か

膂宍の空国 天孫降臨と仲哀紀 熊襲の国

天津水影 仲哀紀 文庫書紀②132‐6
下関市有冨 秘境の池 薬師池 または小倉南インター 鏡池神社

笠狭 長屋の嶋に登ります。文庫書紀➀154‐末行
竹林 竹屋 文庫書紀➀146‐末行
(私見) 小倉南区 合馬の竹林 障子谷遺跡


隋書倭国伝によれば、巨大古墳が築造されていた古墳時代中期にあって、倭国では王は冠をしていず服装に階級差がない。王家も質素な生活だった。

クシフル峰 もうひとつの候補地
下関市吉母上 字「印内
古事記では筑紫、竺紫の2つ。
竺紫の君 石井は吉母下 字「石井迫」か。
塩土老翁 吉母浜の製塩 住吉説 若宮神社


漢和辞典によれば、蒼天の蒼は草。
有冨 ハンドウ山の尾根の地名「草野」
吉母 字「草場」、草場川、草場山


オオヤマト古墳群 山尾幸久、白石太一郎
(反論)
畿内ヤマト王権は倭でなく倭種である。
日本国は倭奴 (倭の奴隷の地)、もと小国で倭国を併合

倭の場所
魏志倭人伝、後漢書倭伝 北九州市小倉 私見 菅生中学校 付近
隋書倭国伝 下関市 綾羅木川の北側 有冨-吉見ー吉母

河内飛鳥 下関市安岡 玄空寺
飛鳥 倭 有冨 中村畔 天理市龍王山=有冨龍王山 ハンドウ山
大倭 有冨墓地、大迫池、竹生山
竹生寺の山号 高山 万葉集13
日本 福江大塚、船越 大久保山に扶桑樹があった
福江の大塚の旧道は集落西側の山際にあり風水である。

小字地名で考察すれば、
船越川の河口 字「矢びつ」 長髄彦が上陸する神武皇軍を待ち伏せ
福江の大塚 字「矢瀬」 母樹邑


日本書紀
倭 有冨中村 儀万
大倭 有冨墓地、竹生山
日本 難波 吉見、福江
大日本 駿河 吉見 中

筑紫の大野城 小倉南区 高津尾の山
長門の城 下関市永田 海上自衛隊基地の山 えびら山


万葉集
万葉集52 日本の青香具山
日の本 扶桑樹があった場所 福江 JR大久保山トンネル
福江 字「清水」、または船越 中川さん家横の湧水池「清水川」

万葉集53 巨勢山 椿
巨勢山は大久保山 椿は中国古典の若木
巨勢の「巨」は墨家の「鉅」 龍王神社 浜宮 住吉

万葉集59 与謝女王 古宿の串山半島 赤石の蓬莱 丹後の「丹」は赤

万葉集60 長皇子 「長」を長命とみて吉見上 字「年永」
=天智2年8月13日 原君臣 駿河国 大日本

天智紀 大日本国の場所は吉見下 中町、字「中村」「年永」

万葉集50 神
天智9年2月 高安城は吉見 竜王山 鬼ヶ城山でなく船越付近 千石岩か
天智9年3月 山御井 吉見上 お伊勢さま 滝本神社 風土記逸文 瀧原神宮
天智9年6月 邑中に 山海経 海外東経 雨師妾 申=神、電 字「河内神」か

文庫書紀④54‐6
是歳、水碓を造りて冶鉄す。吉見上 鍛冶屋堤

天智天皇 近江宮 吉見 龍王神社 不弥国
藤原 字「下大藤」「上大藤」
字「龍王」 尾袋配水場

日本書紀 天智9年 下関市吉見 竜王山 龍王神社あたり

楽浪の大津宮 万葉集31 大和太 古宿の国道191 七 どさんこラーメン店
わだ=曲、湾曲



オオヤマト古墳群と古代王権 青木書店 2004
「おおやまと」の古墳集団 伊達宗泰 学生社 1999
古代「おおやまと」を探る 伊達宗泰 編 学生社 2000
(反論)
ヤマト王権は倭でなく倭種
畿内説は学者失格

倭の所在地
魏志倭人伝、後漢書倭伝 北九州市小倉 企救郡
隋書倭国伝 下関市 有冨-吉見-吉母
に特定される。

記紀万葉・風土記等は倭国の書であり、
記述の場所は小倉 紫川 菅生と下関 綾羅木川の北側

(アプローチ)
地誌、郷土史を調べる。
企救郡誌、山口県風土誌

障子谷遺跡 小倉南区 合馬網代 1986 佐藤他
P38 乳幼児埋葬説、胎盤収納説

菅生校区の歴史を訪ねて 菅生中学校2年生 '87年文化祭 論文集


レイライン 規矩郡 方位 丑-未
下関市 竹生寺 東ヶ嶽の山頂 325.2 鳳凰の山容 地元の人 ゴリラ山
万葉集では葛城二上山 安岡・梶栗から眺めて双峰 葛城は仙人の山
 ↓
竹生寺 境内 妙見
 ↓
稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽 漢書 王莽伝 東夷の王
 ↓
小倉の鷲峰山 大興善寺に聖徳太子信仰
 ↓
小倉南区 合馬網代
障子谷遺跡の妙見神社 (御祖神社) 祭神 天御中主神

角川ソフィア文庫 古事記 小倉南区 山本
笠紗の御前 笠紗=天蓋 蓋弓帽
根の堅州国 小倉南インター 意吉神社 母原
鳴鏑を大野の中に射入れ 東大野、西大野
宇迦の山の山本、伯岐国の手間の山本

日本書紀 訓詁注釈 我流

漢籍学者 赤塚忠、福永光司
上代国文 吉村武彦 岩波書店会議室 古代史座談会 座長
万葉集 中西進 元号 令和 を生む
考古学畿内説 論客 広瀬和雄、石野博信
在野の古代史家 大和岩雄
を越える我流 新解釈


浄土真宗 鸞
聖人 正信偈 曇大師 他力

画文帯仏獣鏡 南朝 六朝
梁の武帝 仏教盛ん 北魏の曇鸞大師を拝む


梁書 倭
末盧国ではなく未盧国。
私見は未盧国は元寇の使者が来た下関市 室津 御崎
伊都国は吉母 印内。奴国は永田郷
不弥国は吉見 龍王神社 住吉荒御魂

梁書によれば、
倭の五王は倭国であり扶桑国ではない。

扶桑国では 458年、西域のガンダーラ僧が来て仏教を広めた。
扶桑国は高句麗・シルクロード文化である。

梁書の扶桑は太陽の扶桑樹ではなく低木で食用。野菜のゴボウか。
女国 揚子江河口から物が海流で流れ着く場所は伊勢湾ではなく下関市 角島
  ↓
海流では、「会稽東冶の東」は下関市 豊北町 角島
土井ヶ浜遺跡 会稽の品が出土
倭の水人、呉人 入れ墨 綾羅木郷遺跡 明神地区 人面土製品
弥生時代の潜り漁 下関市吉母
山海経 海外東経 天呉 小倉 紫川 北九州大学 付近 鐸土製品

邪馬台国は2、3世紀に限定される国ではなく梁書、隋書、唐書にも記述されている。魏志倭人伝だけで論じる人はバカ。
魏志倭人伝、後漢書倭伝によれば、「倭種」の地域から倭は北九州市小倉=企救郡 に特定される。
隋書倭国伝によれば、邪靡堆=邪馬台であり、「東が高く西に下る」地勢から下関市 綾羅木川の北側 有冨-吉見ー吉母 に特定される。

聖徳太子は下関市 安岡の玄空寺 小字「法華寺」にいた。参考『やすおか史誌』

中国正史によれば畿内説はない。畿内は倭でなく倭種である。
中国正史によれば、倭の位置は関門海峡の北九州市小倉、下関市である。
南の狗奴国を倭種とみれば、畿内は狗奴国の分国で同じ種族 倭種。

倭種は秦氏、高句麗系、半島渡来系。
出雲の大国主神 巷経済の市を管理する倭大国魂 
スーパーマーケット大倭  前方後円店

小倉南区 高津尾遺跡の出土鏡は奈良県天神山古墳の鏡と同じ。

騎馬民族説 下関市 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽 漢書王莽伝 東夷の王
東海女国 下関市有冨 竹生山の南麓 青丘国


前方後円墳の祖形
鳳凰の形をした山
『定本 地理風水大全』 御堂龍児 国書刊行会 1997
P40 鳳凰の山 飛鳳冲天形

鳥が鳴く東国 ( あづまのくに )
「鳴鳥」とは書経 周書 君奭 語釈「鳴鳥」
「東国」とは殷

『ひょうたん漫遊録』 中野美代子 朝日選書
P121‐10行目
方丈の別名が崑崙であった
  ↓
崑崙は下関市有冨 竹生寺がある山 東ヶ嶽 鳳凰の山容
大鳥 荘子 逍遥游

平凡社 中国古典文学大系 6
淮南子 本経訓
P94上‐末から4行目 大風 鳥 青丘の沢
「鷙」 シ 猛禽類 鷹など 天日鷲 か

『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999
【大風】 大鳳のこと

常世国
常陸国風土記 総記

垂仁紀
田道間守 非時の香菓 神仙の秘区 弱水=崑崙
秘境の池 有冨の薬師池 有冨薬師寺は尼寺だったという
注七 迦玖能木 天迦久神 有冨墓地の上「かく石垰」
  ↓
神仙秘区の常世国は下関市有冨の薬師池付近 青丘国である。


詩経 魏風
神武東征
東南の橿原の地は、蓋し国の区か 文庫書紀➀238‐10
帝宅を経り始む。注一八 文選 西都賦、都賦
  ↓
橿原宮は詩経国風 魏風


勾玉 
天津
垂仁紀 丹波国の桑田村 襲 犬 八坂瓊の勾玉 文庫書紀②52‐1
小倉南区 岡遺跡 谷

羽明玉 文庫書紀➀68‐末行
羽 倭文神 建槌命 文庫書紀➀120‐10 注八 葉=羽


保食神、月夜見尊 文庫書紀➀60
保食神 徐福、秦氏
葦原中国 小倉南区 高津尾遺跡
根国 小倉南区 山本、道原 菅生の滝

山海経 海外東経 天呉 北九州大学付近 呉人か


大己貴命と、少彦名命と、力をせ心を一にして、天下を経営る
戮=人を殺す 戦闘 瀬戸内海の高地性集落
  ↓
ヤマト王権

倭種=狗奴国=倭奴 ヤマト王権は倭種
極南界の「漢委奴国」は出雲
場所は小倉南区 高津尾遺跡か 小倉南インター


下関市 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽
南側に小字「畑」 秦氏か
馬2頭の馬車を所有してたから蓋弓帽をもらった。漢書 王莽伝 東夷の王
北九州市 双龍鏡、小倉南区 長尾 八旗神社古墳 双龍の柄頭


邪馬台国とは何か
位置、場所
下関市有冨 竹生寺の南麓 天子南面
北九州市小倉南区 菅生中学校の校区 筑紫、豊国、出雲 臣下北面
関西のヤマト王権 倭奴、倭種 食国

有冨の家の名前
儀万さん 論語、荘子の語釈のような名前
重岡さん 所有する山林は 万葉集990 跡見茂岡の松樹
林さん 万葉集19

本質と影響力
倭漢惣歴帝譜図 講談社学術文庫 日本後紀 (中) P123
天御中主神社 有冨の山田 大迫池付近か

神仙境、桃源郷
邪馬台国には東海の三神山がある。
陶淵明がいう桃源郷がある。
その場所は有冨の下関市有冨の
 薬師池~竹生寺
 ハンドウ山の尾根、大迫池の上
砕石場は雲がわく仙人の岩山だった。

邪馬台国は道教の神仙思想の宗教である。雪舟の山水画である。
蓬莱山、扶桑樹、昇仙、馬王堆など漢墓に描かれた理想郷が邪馬台国であり、
西王母・東王父と仏教の須弥山世界図は同一の構図である。

関西ヤマト王権にも神仙世界はあるが素樸と無為の道家思想はない。
記紀万葉の藤原宮は公園の屋根付きベンチ程度の小屋であって、奈良県の藤原京ではない。


仏教の聖地
釈迦が住んでいた所は竹生寺だった。
竹生山は須弥山である。
鑑真は竹生寺の僧になりたかった。日本に来た時は倭国は滅んでいた。

中野美代子が作図する洞天福地と仏教の須弥山世界図は同じである。
ヒマラヤには海がない。お釈迦さまはヒマラヤ南麓ではない。


孔子は倭人だった。
有冨墓地あたりで孔子は生まれ育った。
出自が不明の荘子、老子、墨子など諸子百家の多くも邪馬台国の人である。

楚辞 離騒の屈原も邪馬台国である。扶桑、若木がでてくる。
仙人の彭祖、役行者、聖徳太子は同郷であり安岡ポンプ場にいた。

道教、仏教、儒教、みな下関市有冨の竹生山で生まれた思想・宗教である。
始皇帝の焚書坑儒によって倭人たちが大陸の偉人となり「中国の古典」になった。

中国の古典
東海は下関市吉見の海である。
北海は下関市吉母~室津の海である。
扶桑、若木は下関市有冨ハンドウ山と福江 大久保山である。

常陸国風土記は都の大和国風土記であり、大和は有冨の山である。
太和は淮南子の語であり、懐風藻から倭国では淮南子が愛読されていた。
参照 明治書院 淮南子 下 巻末索引 太和

劉安の諸儒大山小山は有冨の竹生山南麓の人なので、地形訓の九州、中国は有冨である。

記紀万葉の倭国は下関市 有冨ー吉見ー吉母
と小倉南区 徳力-長尾 ー高津尾ー山本
の在地勢力である。
畿内勢力は旧唐書、新唐書の記述から政治的に無力なので無視してよい。

鳳凰が高岡に鳴く東国、ホトトギス、玄牝

東国は関東ではなく下関市 竹生山の南麓である。
常陸国風土記=大和国風土記
常陸国風土記を読むと内容が倭、大倭の都のはずれである。

筑波山=竹生山の双峰 竹生山+東ヶ嶽 梶栗方面から眺める
不尽山=竹生山 砕石場で頂が崩された

皇極紀 東国の不尽河 大生部多 常世の虫 巫覡
高橋麻呂 ホトトギス 万葉集1755 母親は巫女で男の名前は不明
常世の国 常陸国風土記 総記 桃源郷 遊仙窟 玉虫厨子 霊鷲山
 ↓
場所
有冨の薬師池~林さん家の山 孟宗竹の伐採 深坂幹線用水路の道沿い
竹生寺 万葉集3822 橘寺
小字 谷町 老子 第六章 谷神、玄牝

常陸国風土記 那賀郡 貝塚
有冨 中村本家さんが65年前に家を建てた時、便所の辺りに貝塚が出たという。

万葉集1745
有冨 迫本さん家近く 善波の湧水池 現在 埋められて消滅

竹生寺がある東ヶ嶽 風水 の形 飛鳳冲天形
参考文献 『定本 地理風水大全』御堂龍児 国書刊行会 1997 P40
  ↓
書経 周書 君奭 の語「鳴鳥」
万葉集 鳥が鳴く東国 とは 鳳 (おおとり) が鳴く国、東国は殷

詩経 大雅 巻阿 鳳凰が高岡に鳴く


「儀万」とは何か、考察
 儀は徳、善
 万は万世、永い年月
あるいは
詩経 文王
刑文王 邦作孚


邪馬台国 下関市有冨上 説
詩経、書経は下関市有冨上の古代郷土史である。
竹生寺はお釈迦さまが居た家である。竹生山は仏教の須弥山である。

岩波書店 新日本古典文学大系 続日本紀 を読むと、場所が
下関市有冨 大年池~林さん家 である。

林さん家~竹生寺 小字「谷町」 老子 谷神、蘇我満智
万葉集19 林
万葉集20 平山 平井さん家 山口県風土誌 有冨 境界 平岡

前方後円墳とは何か、その祖形
有冨 中村畔のハンドウ山
石原交差点、農協100円市場駐車場から見たら頂が前方後円墳の形
万葉集2 八間跡 蜻蛉の臀呫 神武東征の

竹生寺の山 東ヶ嶽、竹生山 (峰が砕石でなくなる) 大山
詩経国風 風は竹生山の南麓 薬師池~林さん家の裏
薬師池に流れ込む雨水の川 安河、不尽河 巫覡がいた所
孔子 出自が不明 母親は巫女説あり 薬師池の上「いなり山」生まれか

神功皇后 佐紀古墳群 山桜が開く有冨墓地に葬られる 佐紀=花が開く
風水 漢の王墓は都の北にある山にある。有冨墓地も集落の北にある。
仁馬山古墳 4世紀前半か 竹生寺の山 (三段築) と形が似る

漢字「倭」「魏」は字が似ている。
倭 小さい ハンドウ山の前方後円墳形 卑弥呼の冢

魏 大きい、高い 竹生寺の山 東ヶ嶽 前方後円墳形 神功皇后の陵
渡来 高句麗系、百済系、唐人に似た背の高い人 常陸国
前方後円墳は帰化人の墓である。
土人の倭人は本来的に薄葬で古墳をつくらない。

劉安 諸儒大山小山は下関市有冨の邪馬台国の人たち
蒼天 岩山を覆う雲 仙人の山 神仙、白い石、白い獣
鳳凰の形をした山容


金星
Wikipedia 日本でも古くから知られており、日本書紀に出てくる天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)と言う星神は、金星を神格化した神とされている

秦氏 星を神とする。
金星は日没後、西の低い空に輝く。
金 陰陽五行の方位は西

有冨 大迫池の真西 冨任 字「正町」 潮待貝塚 漢和辞典 正=政
有冨 字「中村畔」の真西 梶栗浜遺跡 金属器

下関市
福江 流水庵 字「畑代」「山王」
稗田地蔵堂遺跡の隣 字「畑」
 蓋弓帽 被葬者 漢書 王莽伝 東夷の王 素戔嗚尊は朝鮮系の秦氏か

北九州市 小倉南区 山本
西大野八幡神社 社伝 企救郡誌

福岡市
比恵遺跡 日吉神社 山王


蒼天
詩経国風 王風 黍離
黄巾の乱「蒼天已死、黄天当立」
 『三国志の政治と思想』 渡邊義浩 講談社選書メチエ 2012 P15

斉明紀 文庫書紀④366‐9 科野国 蠅 巨坂
風土記 丹後国逸文 筒川の嶼子

漢和辞典 蒼は草の色 有冨 ハンドウ山の尾根の地名「草野境」
蒼天已死 とは 天照大神 死す。墓の場所 有冨 ハンドウ山の頂
黄天とは竹生寺

科野国 深坂峠 みさかとうげ 内日上
(根拠)
文庫書紀④354‐1 深山 みやま
文庫書紀④366‐9 蒼天は竹生山の上

筒川の嶼子 神の女は巫女 東国の不尽河の巫覡 有冨の薬師池の上

私見
蒼天は有冨のハンドウ山~竹生山
黄天は竹生山~竹生寺

黍は綾羅木浜 西周は綾羅木か。
周の遺称地が周芳。関西ヤマト王権の周芳は山口県吉敷郡 周防鋳銭所
倭国の周芳 達理山は吉母 字「平山」 吉母ポンプ場-池-吉母配水場

殷、周は中国大陸の原始期 巨大王朝とされる。
詩経国風、楚辞天問、書経を読むと、主と使用人、総勢10人という印象だ。

阿波のくに

風土記 逸文
伊予の国 天山
阿波の国 アマノモト山

古語拾遺
阿波国 天富命
下関市 冨任 (とみとう) 梶栗は綾羅木ではなく冨任に属す。
冨任の真東 有冨の大迫池

綾羅木郷遺跡 土器に付着した麻布

大迫の迫 泊瀬の泊
天常立尊 常陸国 常の字

下関工高 神田遺跡 古墳時代 三種の神器をかたどった滑石製模造品
忌部か

淡路島 オノゴロ島=豊葦原千五百秋瑞穂の地 先代旧事本紀 巻第一
綾羅木郷遺跡 水田 小字「明神」 人面土製品の出土地

沫那芸神(あわなぎのかみ) 梶栗浜か

私見は、
阿波 冨任
安房 JR 綾羅木駅、川中支所があるあたり

古事記 意富斗能地の神 冨任 小字「古能地」

国生み神話は海岸部であり、高天原から海が近い。
奈良県のような内陸の山奥地ではない。

万葉集2 天香具山から海に飛ぶカモメが見える。有冨 ハンドウ山
万葉集990 跡見茂岡 ハンドウ山の頂下 有冨の重岡さん家の所有地

高天原 下関市有冨の山上
阿波のくに 冨任
筑紫、出雲 北九州市小倉南区 高津尾遺跡 小倉南インター周辺

東ヶ嶽 竹生寺がある山 鳳凰形
須弥山の世界 画文帯仏獣鏡、玉虫厨子
西側 奥の院 月の都か
竹生山 砕石場で峰がなくなった。風水 主山 木星
梁 有冨墓地の上 標高159 日、太陽

須弥山
一般的には日輪は東、月輪は西。
玉虫厨子は逆で日輪は西、月輪は東である。

キトラ古墳 天文図も左端は日、右端は月。黄道が南北中心線で反転してる。
参考文献 ムック本『キトラ古墳と日本の古墳』 宝島社 2016 P37‐末行

門司の和布刈神社では天照大神は月の女神

仏教の須弥山世界図は中野美代子の道教 桃源郷 洞天福地の図に似る。
チベットには海はないので須弥山はチベットで作られたものではない。

日本書紀では仙人がいる所は葛城山と吉野である。下関市 竹生山だ。
お釈迦さまは邪馬台国の聖人( 仏教語 しょうにん) である。

隋の煬帝は臣下が作成した倭国に関する報告書を破り捨てたという。
 ・下関市 竹生山の南麓に三皇五帝や釈迦が住んでいた …
 ・「中国」「九州」「神州」とは竹生山の南麓だった …

キリストは韓国で生まれた説
『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮 紀子 日本経済新聞出版社 2007
P69 図35  筑豊あたりに「景」 景教 ネストリオス派キリスト教

レイライン 南北
竹生寺 奥の院 経筒ー蒲生野山田 倉光さん家ー有冨 専徳寺

八幡神 仏教 鍛冶工 長府 覚苑寺・金屋町


関西ヤマト 八幡
応神天皇 下関市 福江大塚・船越 大久保山
企救郡誌 小倉南区 西大野八幡神社 沼田の宮


豊国 香春町ではない。小倉南区 菅生中学あたり
小倉南区 徳力嵐山 神理教 豊国巫女
豊国の鏡山 高津尾の鏡池神社 天照大神の神鏡

食国
仁徳天皇の難波
播磨国風土記 景行天皇 御食 下関市吉見、永田

気比の大神 伊奢沙和気の大神 秦氏
関西のヤマト王権は下関倭国の食国である。

竹生寺 馬祭り

竹生寺 馬の祭事 初午
薬師池の上-竹生寺の下 に「いなり山」という場所がある。

万葉集1  雄略天皇
娘は引田部赤猪子か。
ドングリの実が落ちてイノシシがいる所
顔に赤を塗る巫女

あるいは
美籠母 から
蘇我倉山田石川麻呂の娘 娘 孝徳紀 文庫書紀④242‐2
石川 竹生寺から流れ落ちる渓流 深坂用水路 蒲生野山田の堰
蒲生野山田 倉光さん家か。

詩経 魏風
汾沮洳
十畝之間

天武紀 壬申の乱 吉野宮を出発
逢臣志摩
万葉集1919
司馬 し おうふう 萬葉集
数 し 岩波現代文庫「口訳万葉集 (中)」 折口信夫

土師連
大伴連馬来

万葉集
3311 泊瀬 有冨 大迫池に入るちょろちょろ川
3312 長谷は友田川 中流
3313 黒

3812 石原の砕石場-有冨墓地上の尾根
3813 葛城王 陸奥国は内日か。竹生寺から小野-井田 に行く山岳路か。

仙人 神仙境
葛城の一言主神
斉明紀 唐人に似た者が竜に乗り葛城嶺より飛ぶ
久米仙人 吉野の竜門寺 懐風藻に吉野は方丈とある。

邪馬台国は竹生山の岡である。
野馬台詩の謎

邪馬台国の楼観
記紀万葉には楼観はない。類似のものは、
垂仁紀 物部十千根が石上神宝を天神庫に蔵む。
場所 大迫池上 尾根 岩場か

文庫書紀②26‐末から3行目 久目の高宮
文庫書紀②42‐8 垂仁27年是歳、屯倉を久目邑に興つ
仁徳紀 皇后 磐之媛命 葛城高宮 我家のあたり
場所 石原の砕石場によって山頂が削られた竹生山だろう。

楼 たかどの 
安康天皇 石上の穴穂宮 文庫書紀②336‐8
崇峻天皇 穴穂部皇子の宮 文庫書紀④64‐8

皇極天皇 両槻宮 天宮 観 たかどの 文庫書紀④334‐9

続日本紀 天平15 正月12日
聖武天皇 恭仁京 石原宮の楼

楼観の場所 石上の穴穂


岩波新書 「ヤマト王権」 吉村武彦 2010
  ↓
(反論)
隋書倭国伝によれば、
倭国の位置は韓国の東南、水陸3千里の場所
下関市 綾羅木川の北側に特定される。関西のヤマト王権は倭種である。

記紀万葉、風土記など上代古典は倭国 下関市 有冨-永田ー室津の郷土史である。
下関市室津に元寇の使者が来たことは御崎の室津上が末盧国である。

筑紫、出雲は小倉南区 徳力~菅生中学校の周辺 紫川の中上流
根国は小倉南区 高津尾、道原

レイライン
有冨ハンドウ山ー火ノ見山ー権現山ー城野遺跡 玉作工房ー重留銅矛公園

小倉南区 徳吉 日光神社 大野城の碑
大野城は太宰府の近くなのに小倉南区徳吉にも大野城の伝説地がある。

竹生寺がある山 東ヶ嶽 は前方後円墳形=風水 鳳凰の形
有冨は ”鳳凰の邑” 
ハンドウ山の頂も石原側から見たら前方後円墳形 卑弥呼の冢

風水 墓
漢の王族の墓は北の山にある。有冨墓地は中村畔の北の山にある。
河内さん家の横の墓地は中村本家さん家 旧屋敷跡の真西にある。
万葉集「刺竹の大宮所」 刺竹は風水の語だから風水の場所を見ればよい。

漢墓の神仙図 下関市有冨の山
  ↓
玉虫厨子
仏教絵画のようでいて神仙図でもある。
三本足烏、老子 六 谷神・玄牝
仙人が住む葛城山が須弥山か。
砕石場で崩された竹生山の頂、竹生寺、西側 奥の院 経筒

三神山
瀛州 吉母の黒島 前方後円墳の形 黒嶋観音は行基が開く
蓬莱 吉見古宿の串山半島~水産大学校 海岸の赤石
方丈 竹生寺の住所は有冨。東ヶ嶽 大鳥の風神 中国では東岳は泰山

『 ひょうたん漫遊録 』 中野美代子 朝日選書 1991
P121‐10行目
方丈の別名が崑崙であった
  ↓
私見
玉虫厨子の絵
日輪 西王母 竹生寺の奥の院
宮殿 黄帝 竹生寺
月輪 東王父 有冨墓地の上 等高線 159

下関市有冨 中村畔
神武東征の「六郷の中心」 くにのもなか 文庫書紀➀200‐7行目
=書経 周書 召誥篇の語「土中」、洛誥篇の 語「時中」

黄書連本実 竹生寺の参道下

詩経国風 魏風 十畝之間 山奥の小さな桑畑の人たち 桃源郷の漢詩
場所は下関市 蒲生野山田 竹生寺の参道下 有冨側 小字「谷町」

有冨の最上地 平井さん家、林さん家
山口県風土誌 有冨村の境界 地名 岡 場所 平井さん家
万葉集19 林さん家
万葉集20 平山 平井さん家

常陸国風土記
総記
左は山にして右は海なり
風水 玄武の地勢 茨城県ではない。

桑を植ゑ麻を種かむには後はにして前はなり。
野は水が湧く所、原は水不足の広地

謂はゆる水陸の府蔵、物産の膏腴くになり。
膏腴は隋書倭国伝の語
府蔵 (くら) 蘇我山田 竹生寺の参道入口 倉光さん家 蘇我氏は葛城の系譜
農業用水路 深坂幹線 竹生寺の参道下 有冨側 林さん家の裏側 孟宗竹の伐採跡

角川日本地名大辞典 35 山口県 巻末小字一覧
下関市 竹生寺 参道下 付近
有冨側 谷
蒲生野側 原 山田 大山田 

蘇我満智 参考 Wikipedia 蘇我満智 そがの まち
有冨の小字「谷」または蒲生野山田の小字「田」にちなむか。

新治の郡
大の岡
  ↓
山海経 大荒東経 集英社 全釈漢文大系
谷山
 雄略記 葛城の一主の大神 長谷の山口 蒲生野 妙蓮寺 山号 長谷山
大人の国 天智10年3月17日 常陸国 中臣部若子 長尺六寸

明治書院 中国古典小説選1 山海経他 2007
P53 清の学者によれば、大荒経は海外経の注釈という。


大発見!
詩経 魏風 十畝之間 の場所
下関市有冨 林さん家・平井さん家の家裏の空地であることが判明。
秦は福江の流水庵 字「畑代」~安岡町6丁目 玄空寺 字「法華寺」
記紀万葉の山城国 福江 流水庵~安岡ポンプ場のあたり
山背部小田 福江の小田か

詩経の人間性は古事記・日本書紀の歌謡と同質である。
書経も人間性が下関市有冨の年寄りである。
詩経、書経は下関市 有冨-安岡ー福江 の縄文期 郷土史料である。
秋根南町 勝山公民館 駐車場 縄文時代の大溝 禹の治水遺跡

近つ飛鳥=安岡の玄空寺、遠つ飛鳥=有冨の大年池
山辺の道=有冨の大年池ー大迫池 用水路
天理市の竜王山は有冨 ハンドウ山 (有冨竜王山) に対応している。

奈良県 おおやまと古墳群は有冨大迫池の堤防下の田んぼに対応する。
有冨ハンドウ山の西側の田である。

岩波書店 新日本古典文学大系 続日本紀 を読めば
場所が下関市有冨 大年池~竹生寺の参道登り口 である。

壬申の乱 吉野で大海人皇子が挙兵 吉野は竹生寺
大分君恵尺 吉野の水分
逢臣志摩 蒲生野山田の島田さん家か

竹生寺の開山 奈良県東大寺 実中和尚
は高句麗系帰化人 書本実と名が似る。五行では中央=黄

黄書連本実
黄書・黄文氏 画業と仏教経巻の製作
持統8年 (694 )3月 鋳銭司 下関市長府 鋳銭所跡
キトラ古墳、高松塚古墳の壁画を描いた画工説がある。


関連する研究者
吉村武彦 岩波書店会議室 古代史座長

濱崎さん 下関市立考古博物館 館長 和同開珎の研究
松永さん 下関市立考古博物館 長年にわたり桜井市で発掘調査
小林さん 下関市立考古博物館 天理大学 考古学
下関市 文化財保護課 奈良県桜井市、天理市に詳しい人たち。 

宇野さん 行橋市館長 朝日カルチャー北九州 高松塚古墳の発掘に従事
辻田さん 九州大学考古学 キトラ古墳 壁画研究

儀万 殷王朝 洛陽 世界の中心

江戸時代 有冨村 庄屋 儀さん家 小字「中村畔」 畔の読み グロ

漢和辞典 【万】
長く長く続く 万世
卍 仏教 仏の胸の吉祥 ・・・ 仏様はインドではなく下関市 有冨の聖人だった
殷の万舞 詩経国風 邶風 簡兮 赭=顔に赤土を塗る

万には大の意味もある。
西 梶栗浜遺跡 金属器 白
青山の山頂 青は東
北 妙見 玄武 竹生寺の山は前方後円墳の形 風水 鳳凰の山 有冨は鳳凰の邑
十字の交叉 有冨中村畔 本でなく夲 (大+十) 天心十道 日夲 、富夲銭
十 大地の真中 書経 周書 召誥 の語 土中 有冨中村は東周の洛陽だった。
殷の天邑商は有冨墓地、東周の洛は中村畔。周公旦は姫姓。魯はハンドウ山

専徳寺 山号 光栄山 専徳寺の東北東にハンドウ山の頂。夏至・冬至
曇鸞大師 有冨墓地の雲 岩山の麓で洞天福地の神仙境 仙人にちなむ名
須弥山 玉虫厨子 世界の中心にある高山 竹生寺の山号 高山 砕石場の山


邪馬台国の台
書経 商書 湯誓 台小子

楚辞 離騒 新釈漢文大系 P44-6行目
扶桑 邪馬台の高木
若木 日本の椿

巫咸 
楚辞 離騒 P56-3行目
書経 周書 君奭 巫咸は殷の人 咸池

 ↓
赤塚忠レベルで考察すれば、殷は下関市有冨の山麓にあった。
楚辞 離騒 は有冨の山中の詩である。

下関市 有冨中村の地勢景観 綾羅木川の流路
天子南面、四神相応 鳳凰の邑
有冨墓地・薬師池は神仙の洞天福地
大地の真中 須弥山の里 法隆寺の玉虫厨子の絵
高松塚古墳の絵 ハンドウ山 尾根に居た人たち 竹取物語 月の都

古事記 迦、陀 仏教の漢字
天の迦久の神 有冨墓地の谷 かく石垰
宇迦の御魂 有冨 薬師池の上 いなり山、大年池の北 桜井田部
宇陀 ハンドウ山~竹生山 有冨墓地、奥の院 経筒
品陀の天皇 有冨上八幡宮 祭神 応神天皇

隋書倭国伝
倭国の位置 韓国の東南 水陸3千里 関門海峡付近
関西のヤマト王権 前方後円墳国家は倭種の国

旧唐書、新唐書
古墳時代中期 日本列島の政治権力の中枢は下関市 有冨-福江ー吉見 の倭国

小字「応神」 下関市福江 大塚

下関市 隋書倭国伝 倭国の場所は韓国から東南方向の対岸 水陸3千里
卑弥呼の夕焼け 有冨中村畔から見える日没
忍照 難波の夕焼け 福江ー吉見・永田の海岸
万葉集326 明石は海岸の赤石
奈良県・大阪府 倭でなく倭種 倭奴=倭の奴隷の地

下関市福江 大塚 山口県風土誌 難波宮の場所を考察
小字「王仁」 「応神」と記される。場所 船越川の船越との境
皇子宮 参拝する時は斎戒沐浴 沖ノ島レベルの厳格さ
大塚の神明川 新訂 字統 によれば漢字「明」=神明 万葉集254 明大門
船越川の河口 小字「矢びつ」 は邪靡堆 と音が似る。

大塚 「王塚」とも書く
大久保 「王久保」とも書く 神功皇后が穴に武器を隠した 武庫

福江大塚・船越 JR大久保山トンネルの上に扶桑樹があった。日本の難波
有冨 大迫池上の尾根に高木があった。建木 大倭 雄略天皇の宮

有冨中村畔の八幡宮 祭神 応神天皇のみ 軽島明宮 岩谷さん家の前
軽=銅 小字「金鋳ヶ谷」 かんがたに と読む。遠山運送の裏~ハンドウ山
銅山があり銅を長府の鋳銭所に運んでいた伝説がある。
鏡の設計図 奈良県 行燈山に対応する場所か。
応神天皇は日御子


(根拠)
魏志倭人伝、後漢書倭伝
「倭種」の記述から邪馬台国の場所は北九州市ー行橋市ー京都郡

隋書倭国伝
首都 邪靡堆=邪馬台 は韓国の東南水陸3千里の場所にある。
地勢は東が高く西に下る。水ばかりで陸少し。
  ↓
邪馬台国の場所は 下関市 有冨ー安岡ー福江
倭種 長門市、山口市、四国 ~ 関西近畿

前方後円墳 倭種
ヤマト王権は倭種

記紀万葉、風土記などは倭国の書である。
下関市 綾羅木川の北側と小倉南区 紫川の中流の在地勢力を記述
畿内勢力は倭国の奴隷だった。

倭、大倭 有冨の山麓  ハンドウ山の尾根に建木
河内、日本 海側=安岡、福江、吉見、永田  船越の大久保山に扶桑
筑紫、竺紫 吉母、小倉南区 徳力、長尾、山本

聖徳太子は下関市 安岡ポンプ場~安岡 玄空寺 に住んでいた。
下関市福江 長仙古墳は「長仙」という字面より聖徳太子の墓。

倭国の統治思想は道家 無為なので巨大建造物がない。
王族の住居、墓は質素。服装も庶民と変わらず。

稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽 漢書 王莽伝 東夷の王に授けられたもの
狗奴国 連弧文清白鏡の出土地

「モンゴル帝国が生んだ世界図」 宮紀子 P69の図
景=景教
徐福=下関市 豊北町二見 夫婦岩の注連縄
同じものが
三重県 伊勢 伊勢市に豊北漁港がある。豊浜町・有滝町
糸島 桜井 二見ヶ浦
にある。

下関市豊北町 二見海岸 夫婦岩の注連縄は嘉永年間 (1848〜1854) からという。

浜出祭 田耕神社 中国戦国時代のトンボ玉が出土
古くは荒津 (宇賀本郷) から出発していた。
津波敷温泉付近 海から龍が上がってくる伝説がある。
鯖釣山には椿の原生林がある。東方の若木

西安の緯度 北緯33.42度 - 34.45度


邪馬台国
 千年に一度の大発見
 天動説と地動説
 パラダイム転換