下関市 火ノ見山  嘉麻市 馬見山

直線上にある
嘉麻市の馬見山-下関市 権現山ー火ノ見山ー有冨 大迫池の東側 20 m

馬=午、方位は南。火も方位は南。
熊野権現

漢和辞典【熊】火の光がさかんに輝く 
火の国 熊野 (ユウヤ) で油谷・向津具

筑豊
遠賀川 南から北へ流れる。天子南面でなく臣下北面

隋書俀国伝
地勢は東高くして西下り 川は東から西へ流れる。
行橋市は俀国ではない。

スバル星 幽宮

直線上
蓋井島八幡宮ー有冨ハンドウ山の登り口ー長府 覚苑寺の裏山-長門鋳銭所跡
東南東で、冬至の日の出の方向

蓋井島八幡宮ー眼ノ崎ー永田神社ー千石岩ー鋤先山
二十八宿 昴( ボウ) の方位
360°÷28宿=12° 東西より12°北


蓋井島八幡宮の山ノ神神事
書経 虞書 堯典の幽都 蓋井島八幡宮 山ノ神神事の山
楚辞 招魂の幽都

昴 (ボウ、スバル)
逸文 丹後国  筒川の嶼子  七豎子
水江の浦嶼子の家 古宿 赤石のフィッシングパーク

伊奘諾尊の墓 文庫書紀①60‐12
是を以て、幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。


浦島太郎の龍宮城は蓋井島

山幸彦が行った海神の宮は蓋井島
蓋井島の地下上申絵図にアシカが描かれていた。



YouTube の動画
懐かしのCM - ニッカウヰスキー - スーパーニッカ桂林 - 1980

1980 スーパーニッカ

昴 - リリウム

昴 テレサテン

【懐かしの昭和歌謡】『昴/谷村新司』バイオリンで弾いてみました。SUBARU violin cover 石川寛子

海道を行く.wmv

国道191号線 西長門ブルーラインを走行

山口県下関市 安岡地区公園 MavicPro撮影

トワイライトエクスプレス瑞風 1番列車 安岡にて

山口県下関市 長州出島

クルーズ船「COSTA FORTUNA」下関市長州出島来航

泉郎  白水郎でなく泉郎 万葉集252

万葉集は下関の響灘 綾羅木~豊北町の海岸 の歌集である。
下関市立考古博物館には皇古学はない。

明石 永田本町 赤石が多い海岸

万葉集
252 郎 蓋井島の井戸 岩波文庫 原文万葉集  白水 (類広宮)-泉
938 蓋井島の筏石遺跡 六連式土器

153 土井ヶ浜 江尻  船( 金紀類)-舡


万葉集 冒頭の歌
1 兒は若い時の引田部赤猪子か。万葉集3821 兒部女王

下関市 有冨のハンドウ山=香山 農協100円市場から見て頂が前方後円墳形
「香」は薬草のウコン。奈良県の行燈山に対応。銅伝説の金鋳ヶ谷
播磨国風土記 揖保郡 鹿来墓 倭では道臣、揖保郡では道守
虚見津 山跡 「虚」は墳丘墓 卑弥呼の墓
方位 二十八宿の虚


岡本 漢和辞典【岡】赤土の山
村山 有冨ハンドウ山の頂は村全体の所有。頂のすぐ下は村田さん家が所有
煙立龍 龍王社がある。

八間跡 間 (けん) は6尺で 1.818m。8間は 14.544m 細長い尾根の幅

あるいは、漢和辞典【間】で
柱と柱の間隔から家・部屋の広さ。部屋の数、家の軒数。
巻末 度量衡表 各時代の「尺」長から「間」長をだす。


日本書紀 皇極紀 林臣=蘇我入鹿 文庫書紀④214‐1
福江の林さん家か有冨の林さん家であろう。
林臣は有冨の林で、島は蒲生野山田の島田さん。有冨 薬師池の下に島田さん家の田畑がある。

文庫書紀④210‐5
東国に詣りて、乳部を以て本として、…
東国は竹生山 (東ヶ嶽) の麓。乳部は壬生部で「壬」(みずのえ) を示す。

万葉集3822 童女 有冨中村から「壬」の方位で竹生寺。

文庫書紀④222‐3 歌謡
遥遥に 言そ聞ゆる 嶋の藪原
この場所は有冨 林さん家の裏~家の東側の藪原~有冨墓地 である。
蘇我入鹿と皇極天皇は夜に密会してデキていた?



私の皇古学
妄想! 妄想! 妄想! と言われても、
万葉集252 の「泉郎」が蓋井島の漁師、
万葉集153 が土井ヶ浜の江尻下だから、
倭国の都で事が起きた場所は下関市有冨の山麓だ。

皇国
角川 新字源【皇】「皇国」三皇時代の国。天子が無為をもって治めた理想的な国。〔文中子〕帝国戦徳、皇国戦無為 

(参照)
「帝国」言説と幕末日本:蘭学 - Academia.edu

皇国史観といわれる天皇制
漢和辞典で【皇】は燭。行燈山。
古典の漢語本来の皇国は無為で治める理想国家。淮南子 主術訓

九州の王朝

漢書地理志
楽浪海中に倭人有り。分れて百余国となる。

後漢書倭伝
倭国 下関市の響灘 地政学 神仙の蓬莱山 前方後円墳の祖型
奴国 関西のヤマト政権 九州王朝 奴国の東遷 武人のクニ
東鯷国 関東

倭国では淮南子が愛読されて、無為の政治、質樸な生活。
無為の政治 奴国の「拘」の字=中央集権 とは正反対で、地方政権30許国の自主性を尊重している。無為により地方政権30許国は豊かに繁栄。


松菊里遺跡 環濠は韓国西南部系
 環濠 卵形の板付遺跡、下関市 綾羅木郷遺跡、下関市豊田町 七社遺跡
 石棺 日本の箱式石棺

熊襲は環濠集落
角川 大辞源【狗】 狗国 春秋時代の斉の晏子がをさげすんで言ったことば。
【環濠】 Wikipedia 発祥地 揚子江中流。 松菊里遺跡のルーツは楚だろう。

学研 新漢和大字典【熊】
楚の国の王室の姓
近年の金文解釈によれば、熊は秦による呼称 → 熊野

熊襲とは南九州の住人ではなく環濠集落の人たち。韓国西南部系で、ルーツは揚子江中流。 また徐福集団の裔も熊襲であろう。

全羅道
 支石墓
 甕棺墓
 前方後円墳体制

北部九州
 神農 牛の顔 小倉南区 徳力遺跡 弥生期の牛骨 複数頭
 熊野神社 春日市岡本 など
 下関市 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽 熊の彫り物
 熊襲 (熊曾)  韓国の西南部系

下関市 梶栗浜遺跡 朝鮮系
 多鈕細文鏡 (特長 3つの鈕)、細形銅剣
 高槻式土器 北九州市 板櫃川


韓と陸地で国境を接する倭
 好太王碑の倭
 韓国の南岸、全羅南道 弥生土器、前方後円墳

新説 狗邪韓国の位置
金海加羅や任那ではなく全羅南道・全羅北道である。

考古学のおやつ/勒島貿易と原の辻貿易www.ops.dti.ne.jp › ~shr › wrk
山口県下関市・秋根遺跡で須玖II式土器とともに出土した粘土帯土器は勒島II式に多い扁平粘土帯甕である〔伊藤照雄・山内紀嗣(編)1977〕。

国境 綾羅木川
 右岸 邪馬台国 有冨中村、吉見船越など
 左岸 九州王朝 狗奴国 倭種 田倉、形山、秋根、伊倉、稗田
綾羅木郷、梶栗は狗奴国


邪馬台国
淮南子 時則訓 五方位 東方の極 万二千里

書経 大禹謨の国
 筑摩書房 世界古典古典文学全集2 詩経国風 書経 P256下
 三事 正徳、利用、厚生
 九つの頌歌

楚辞 九歌 山鬼 有冨墓地の東側の谷

徐福集団 方士
妖術使い  卑弥呼の鬼道、天日槍、火明命、天武天皇
檜槍、神功皇后は天日槍の裔、大人皇子
海 海部氏
向津具の二尊院 占いが本業
徐福祠は向津具の久津か油谷島だろう。

道守 播磨国風土記 揖保郡、讃容郡
下関市 船越ー古宿 の暗い峠道

吉見下 古宿  日本は浦安、日下、日隅宮 
日の本=扶桑 は古宿の大久保山 どさんこラーメン店



書経や諸子百家では、聖人君子の徳とは何よりも支出を抑えた倹約にある。
大陸人は大宮殿の豪奢な生活で生きているので、徳ある暮らしはできない。
質素な生活では「規模」「豪華」でランクづけする考古学にならない。


邪馬台国、倭国は記紀・万葉の国なので、古事記、日本書紀、万葉集などを原文表記が正確な本を用いて精読してみて、場所が奈良県・大阪府ではないという感想を得る。邪馬台国が下関市の日本海側なら、記紀・万葉・風土記によって、間接的でなく直接的に場所を特定できる。



YouTUbe の動画
三国志(倭人伝)と後漢書(倭伝)Ⅰ 永井正範・・古代史/九州王朝

魏志倭人伝原文の解釈Ⅱ永井正範 ・・古代史/九州王朝

神籠石は九州王朝の城だった(後編)(永井正範)古代史/九州王朝

▲裏・歴史▼ 関東謎の日本王国!王の館の全貌が明らかに![ミステリー#33]

鉄鏡か? 秋根遺跡 1977

直線上にある 弥生時代の埋葬墓
土井ヶ浜 岡林の三角点ー土井ヶ浜遺跡ー二見岩ー中ノ浜遺跡ー竜王山ー有冨中村ー秋根遺跡 1977

秋根遺跡 1977 ダイハツ 新下関店の西隣
 鋳上がりのわるい内行花文鏡 天岩戸の鏡
 錆びた鉄蓋のようなもの 鉄鏡か? 天岩戸の鏡
 巫女の土坑墓 散乱する玉類と女の人骨



私流 ブログ論者の学力を判定
岩波の日本書紀 訓読文 を精読している人は良し。
出版物の図版 (図、写真、表) はとても苦労して作成しているので、パクッている者は横着する人
郷土史料を読んでいる。
県立図書館の古い絵図を見て、昔の地形を知っている。

私が見た考古学の人たち 2003~2005年頃
学芸員・館長 40歳~70歳 50人以上の大勢に質問して判明したこと
 宗像の市杵嶋姫、熊鰐を知らない。古事記の現代語訳すら読んでない。
 安本美典、古田武彦、大和岩雄の名前を知らない。
 古代史の本は読んでない。考古学の学術書は読んでいる。
 季刊 邪馬台国、季刊 東アジアの古代文化 の雑誌名を知らない。
 図書館の郷土史料を読んでない。
 質問には、考古学の定説と季刊 考古学 の編集動向 を答えるだけ。

15年前、私は考古学やってる方々に質問してみた。
全員がものを知らないdqnだった。


古代官道
下関市の山陰側~長門市油谷・日置
山口県西部の響灘沿岸には古代官道が通ってない。
日本列島の地政学で最高に重要な場所であり、条里制が下関市延行、豊田町殿敷、向津具本郷などにあって開けているのに官道がない。
この官道がない地域が倭国である。

倭種 周防

魏志倭人伝
邪韓国 奴国 ・・・ 関西ヤマト王権 九州全域を含む
連弧文清白鏡が出土した各地 佐賀県 二塚山~下関市 稗田地蔵堂遺跡
九州王朝の東征 柳田康雄

下関市 綾羅木川が倭国と狗奴国の国境 


後漢書倭伝
倭は韓の東南大海の中にあり、山島に依りて居をなす。
女王国より東、海を度ること千余里、奴国に至る。皆倭種なりといえども、女王に属せず。

魏志倭人伝 から後漢書倭伝 への変化
拘 ・・・ 拘束された奴隷たち
前方後円墳体制

大海=響灘 「大海」とは日本列島の回りの海ではなく下関市吉見の海
文庫書紀①62‐2
素戔嗚尊、天に昇ります時に、溟渤 (おほきうみ) 以って鼓き盪ひ、山岳為に鳴り呴えき。

倭の奴国 倭国の極南界 下関市有冨中村 国境は綾羅木川

倭種 周防
防府天満宮 祭神 野見宿禰など 土師氏
山口市 浮囚郷 俘囚 椹野川 山口市の平川・大歳説、仁保説

東鯷国 茨城県 土浦市、利根川、霞ヶ浦、鹿島 関東平野

夷洲 角島の沖田遺跡
澶洲 富士山・山梨県
【 遺跡トピックスNo.0419_鳥居原狐塚古墳の赤烏元年銘鏡〔市川三郷町〕】

倭面国 下関市豊北町の海岸 井ヶ浜・和久・特牛・肥中
帥升等
土井ヶ浜遺跡 英雄人骨 大己貴神 、九州西北型弥生人骨 少彦名命
出雲の三穂の碕 特牛の三浦山古墳
凡海 逸文 丹後国

土井ヶ浜 片瀬遺跡 山口県内で最古の水田跡 葦原中国

倭面国 古事記 日子穂穂出見命 上つ国


君子国
薫華草、菫華草 槿(ムクゲ) なら岡垣町の汐入川 高倉神社など
八幡東区 板櫃川か。

君子国には2匹の虎がいる。
宮若市 竹原古墳の壁画 馬に見えるが爪を立てているので虎か。

首都論

原典の原文、原書に基づく解釈

邪馬台国の位置・場所は魏志倭人伝の冒頭でズバッと書かれている。
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。

東南 ズバリ東南で、東西より45°南の方向
ピンポイントで、下関市の日本海側
幅を見て、鐘ノ岬~長門市仙崎 響灘の沿岸
朝鮮半島と一衣帯水
下関市域全体が細い半島地形
道家の政治 淮南子 主述訓

東南
巽 (たつみ) 易の八卦、風水の方位が意味するもの 長女など
逆方向、倭から見て帯方郡への方位は
西北 (乾、いぬい) で八卦、風水が意味するもの など


後漢書倭伝
新説 西北邪韓国  全羅道 韓国の前方後円墳地域  七千余里

宋書倭国伝
句驪は無道にして…天路を閉じ塞いでいる
新説 句驪は全羅道、天路は西北路


宗像市 山海経 海外東経 大人国
田熊石畑遺跡 多数の武器型青銅器が出土 私見では王ではなく武人将軍の墓
武人 素戔嗚尊、八千矛神、神武天皇

飯塚市 立岩遺跡
北部九州の連弧文清白鏡の各地が狗奴国範囲

東方の君子国 狗奴国か。

狗奴国の王墓
下関市 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽 貝輪なし 中国系 劉安か
立岩遺跡 甕棺 貝輪
吉野ヶ里 高句麗 遼寧式銅剣 武人・将軍 甕棺 

邪馬台国と狗奴国は綾羅木川が国境。土器が異なる。

首都は天子南面 風水、川の流れ

農業暦 書経 虞書 堯典 乃ち義和に命じて、・・・
山の稜線、目立つ古墳があれば、日の出・日没が分かりやすい。
政治の要 祭事 暦を作成する王は天意を民衆に授ける

考古学ではモノの出土である稲作農具は扱うが、日出・日没のレイラインによる農業暦は考察しない。

(参照) YouTube の動画
「 九州の顔 平原王墓は国家の起原 井手將雪 」
3:10

原文、訓読、校訂

魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の位置・場所 岩波文庫 魏志倭人伝等
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。
冒頭のこの文言は位置・場所を断定していて、特に重要である。

山島に依りて国邑をなす
書経 商書 盤庚下 適于山。用降我凶徳
山に依って都を定め 、民衆を城を築く労役から解放して …

郡より女王国に至る万二千余里。
倭国=記紀・万葉の国。

〇〇余里と「余」の字がある。距離数値の精密、厳密さ。
短理説。

その道里を計るに、当に会稽の東冶の東にあるべし。

女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり
倭種は倭人ではない。倭種≠倭人。日本列島は倭人と倭種。
倭人は魏志倭人伝の国であり、政治思想は道家思想+墨子

倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周旋五千余里ばかりなり。
五千余里は山口県下関市~島根県松江市。周旋だから、この半分~4分の1

書経 禹貢 天下方五千里 禹貢五服図
倭の地=禹貢の九州
岡田英弘の魏志倭人伝論(魏の外交政策によって破格の金印を与えた説)は間違いである。倭国は徳の本国で書経の地。

隋書俀国伝 暘谷の天子
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」
俀王は書経 商書 太甲 にある湯王の生活態度をとっている。
太甲の甲骨文の王名「夲」。 富夲銭

顕宗紀 文庫書紀③128‐末から4行目
民、徭役はるること無し。・・・ 無為の政治
百姓 殷に富めり。 稲斛に銀銭一文をかふ。馬、野に被れり。


倭人=末盧国+伊都国+奴国+・・・+投馬国+邪馬台国・女王国

神功皇后の熊襲征伐により、女王国は岡県、香椎宮へ移動。
他に「女王国の移動」として、天照大神の伊勢移動、飯豊青皇女の忍海角刺宮


文庫書紀③100‐5
「飯豊皇女、角刺宮にして、与夫初交したまふ」
=住吉大社神代記 神功皇后と住吉神との密会

忍海は奈良県 南葛城郡忍海ではない。
忍海は伊都国の海岸で、下関市豊北町 肥中・特牛・和久・土井ヶ浜。

飯豊皇女 字「青浦」 土井ヶ浜と附野付近に2か所ある。
阿閉臣磯特牛が特牛の人なら阿閉臣事代も特牛であろう。

万葉集1780 特牛港の三浦山古墳 字「三浦」
=出雲の石クマの曾の宮
=出雲の御大の大前=出雲の三穂の碕=三津之碕=大伴御津

熊鰐の岡県は土井ヶ浜の岡林。
この時の熊襲は有冨中村の真北方向で油谷島の者。
油谷 (ユヤ) は 熊野 (ユウヤ) と音が似る。油谷町は徐福の地。

山門県の田油津媛 油谷向津具 字「山戸」

長門市仙崎は素戔嗚尊ゆかりの地。
熊襲、熊野の「熊」は稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽の熊

根拠
懐風藻の序文「神后坎を征し、品帝乾に乗ずる …」
倭 有冨中村・ハンドウ山 村の庄屋の名「儀万」
乾 福江の大塚 王子八幡宮跡 「王仁」「応神」ともいう。
坎 油谷島 本油谷の西側

御所原大神宮  長門市 西深川 五十鈴川沿い
大津郡志 P123 によれば、
「仲哀天皇熊襲御親征のみぎり、この地に御駐輦遊ばされたるが故に御所原といひ、板持は御用材を運搬したるがためにこの名あり」
  ↓
香椎宮は長門市 西深川?


末盧国には官、副官がいない。
伊都国の「世々王」は名無し。伊都都比古で場所は土井ヶ浜か。
根拠
帯方の東南45°方向は長門市仙崎~ 下関市豊北町 土井ヶ浜

方角、距離はコンパスで厳密正確なものである。

伊都都比古は「都都」(ツツ) より住吉神か。
一大率の「大率」は墨子の語。住吉=墨吉=墨子


対馬 大官
壱岐
倭人がいる所 ・・・ 県の半分くらいの範囲だろう。
旁国
倭種がいる所
侏儒国、裸国、黒歯国。船行1年。

陸行、水行、船行

投馬国 候補地
下関市 冨任
下関市 宇津井 木屋川下流
遠賀郡 水巻町

狗奴国
奴国の西北界に邪韓国があるとみれば、狗奴国は飯塚市

 下関市 有冨中村
ネットの国土地理院地図を使って
下関市有冨ハンドウ山の登山口 と 立岩堀田遺跡 を直線で結べば
  仁馬山古墳
  垢田交差点東側(稗田地蔵堂遺跡)
  武久浜(半両銭)
  彦島八幡宮北側
  小倉北区 日明小学校(日明一本松塚古墳)
  槻田小学校付近(高槻遺跡)
が直線で並ぶ。 方位は未(南南西) だ。
未は 卦では天山遯をあてる。


邪馬台国の首都 判定材料
方位の学や陰陽五行があり、中国的な教養の跡がある。
天子南面、臣下北面
日の出・日没の場所より夏至、冬至、春分、秋分の日が分かり、暦がある。
万葉集 歌になる景観の良さ 山の形、川の流れ・曲がり形がよい。
道教の洞天福地 岩山と渓流 水墨画・山水画 神仙境
中国漢詩の景観あり。

道家思想(無為・素樸の尊重。淫巧を排する。渦巻き・渾沌)
懐風藻では淮南子、論語、詩経、楚辞、曹植 が読まれている。

邪馬台国の場所は山海経 海外東経 と重なる。


天御中主尊を祭る神社
有冨の山田 大迫池の山側を山地番で「山田」。あった場所不明。
黒崎妙見 垢田の鼻ヅラ
室津の若宮神社内
向津具の迫田 妙見社 


前方後円墳の祖型
有冨 ハンドウ山 前期型
下関農協 100円市場 駐車場 から見たら山頂が前方後円墳の形
天照大神の「照」は奈良県「行燈」山か。

東が嶽 竹生寺の山 中期型
風水 鳳凰形の山
秋根日産の交差点から見たら三段築
梶栗・安岡から見たら双峰


小字「四方山」
東亜大学の北側に字「四方山」 シホウヤマ があり、東西南北を測る基準点なのだろう。
(参照)
筑摩書房 世界古典文学大系 2 『詩経国風 書経』 P76下 語釈 定之方中 


「北九州市の埋蔵文化財」 北九州市教育委員会 1976 
日明一本松塚古墳 小倉北区日明3丁目14
6世紀末 装飾古墳 玄室の奥壁面に朱線による放射状文様

中心は有冨中村で、有冨の竹生山とその尾根が描かれている?
倭 八紘一宇の地図だろう。

角川大字源 1992
【禅】
天を祭る 泰山の頂上 「封」という。
地を祭る 梁父 (梁圃) 「禅」という

先代旧事本紀の冒頭 天譲日天狭霧国日国狭霧尊 禅譲の神
国=地、坤 封禅
雨で雲霧が出る谷は2か所あり、竹生寺の谷=封、有冨墓地の谷=禅

山口県風土誌によれば、竹生寺の山は「東が嶽」といい泰山の別名だ。
梁父は有冨墓地の上の長い尾根。



校訂について
講談社学術文庫 日本書紀 上下 (宇治谷孟) は学術書ではない。この本は表記の漢字を入れ換えて偽物・別物となっており古典本来の文ではない。
漢字表記は「本質」であり、岩波文庫 原文万葉集 上下 の凡例を手本として校訂に厳正であろうとする「考察の態度」「研究センス」を持ちたい。

蓋井島八幡宮=幽都 説

延行条里遺跡 福江の鋤先山を北方の基準にして地割り
若宮古墳 鋤先山を向く 東偏10°

鋤先山の真西 古宿のダイビングショップ、小津見第一踏切
東西より10°北 汐入橋

なぜ鋤先山を基準にしているのか。
古宿が難波だから。忍照、日の本

鋤先山の真東 瀬戸内側 清末大門

水江浦嶼子はフィッシングパークで釣りをしていた。


蓋井島八幡宮ー有冨ハンドウ山の登り口ー長府 覚苑寺の裏山-長門鋳銭所跡
東南東で、冬至の日の出の方向

堯帝は有冨ハンドウ山にいた。
堯は「克く譲り」だから天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊と同一だろう。
堯の墓は山海経 海外東経 長差丘より福岡市東区 唐原 (九産大付近) にある。


蓋井島八幡宮ー眼ノ崎ー永田神社ー千石岩ー鋤先山
二十八宿 昴( ボウ) の方位
360°÷28宿=12° 東西より12°北


蓋井島八幡宮の山ノ神神事
書経 虞書 堯典の幽都 蓋井島八幡宮 山ノ神神事の山
楚辞 招魂の幽都

昴 (ボウ、スバル)
逸文 丹後国  筒川の嶼子  七豎子
水江の浦嶼子の家 古宿 赤石のフィッシングパーク

淮南子 地形訓
西北方を不周の山といい、幽都の門である
有冨のハンドウ山 尾根の西北45° 福江の大塚 JR 大久保山トンネル
不周山 豊関建設資材置場の海岸崖山
山口県風土誌 神功皇后はこの場所から上陸

伊奘諾尊の墓 文庫書紀①60‐12
是を以て、幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。 

「研究」には「詳しい注釈書」を読むべき。

70歳前後の大半は高卒なので「卑弥呼」と書ける人は100人に1人もいない。
60歳前後は農家の長男でも山口大、福岡の私大を出ている人が多い。

1976年前後に新書、文庫、ムック本のブームがあったので、これらは大卒の70歳前後がよく買う。新書やムック本を何十冊買って読んでも「研究」にならない。

岩波講座 日本歴史 原始古代、山川世界歴史大系 中国古代 などは解説書であり「研究」にならない。
講談社学術文庫 日本書紀 現代語訳 は地名・人名の漢字を換えており「研究」には使えない。

「研究」となると、古典そのものを読むしかない。
原書・原文の漢文は読めない人でも「訓み下し文」「書き下し文」「漢字のルビ」は読める。漢字の表記は「本質」であり、原文の漢字を換えるのは「改竄」である。「研究」は原典を読む、一次資料を観察する、あるのみだ。

厚さ10センチび大型漢和辞典 5冊以上
各種の 中国〇〇事典 10冊前後
をネットで古本を購入して、字句を逐一引いて調べながら、明治書院 新釈漢文大系などの「詳しい注釈書」を読む。
1冊読むのに、毎日12時間、2か月 かかる。
上・中・下巻 あれば、朝から晩まで取り組んで半年かかる。

『楚辞』は必読
福岡県の弥生遺跡  連弧文清白鏡の出土


あんちょこ ( 安直の略)、虎の巻,、学習参考書を読んでも「研究」にならない。本の一部をコピーして読んでも断片的で身につかない。原典の原文を読む、一次資料・新資料を探究してこそ「発見」はある。

講談社学術文庫 日本書紀 は10日程度で読める。この本を愛読している人は何事も「あんちょこ本の虎の巻」ですませて、時間かかることはやらない。
岩波文庫 日本書紀 を愛読している人は、読むのに3か月かかる古典を読む。

邪馬台国ブームが起きた1970年代は文献史料や地域の郷土史料は一部の専門家しか読めなかった。80年代前半まで郷土史料は古文書の毛筆書きばかりで活字化されてなかった。1980年以降、日本・中国の古典は注釈書が数多く出版され読めるようになった。

古典の原文を読むのは2、3か月かかる。岩波日本書紀なら半年、1年かかる。小学館 新編日本古典文学全集は畿内説を不動とし、執筆者が奈良県各地を寺院の裏の細い道まで、折りたたみ自転車でくまなく回って編集した、という感じだ。しかし、原文尊重で記紀・万葉を読めば奈良県ではないという感想を私は持った。

魏志倭人伝 冒頭文で倭人の位置を「帯方の東南 大海の中 山島に依りて国邑をなす」ときっぱりと断言している。魏志倭人伝の冒頭文は、山口県西部山陰沿岸である。
倭と朝鮮半島は一衣帯水である。
帯方の東南  山口県長門市・土井ヶ浜
大海の中  外海の響灘。 内海の瀬戸内海や有明海の沿岸ではない。
山島に依りて国邑  平野ではない リアス式海岸に立地 半島地形 風水首都

倭国は記紀・万葉の国なので、記紀・万葉の都は奈良県・大阪府ではなく山口県西部の山陰沿岸である。菊川・豊田・滝部・俵山のような内陸部ではなく、綾羅木・吉見下のような山陰海岸に国邑がある。天子南面より倭は綾羅木川の北側、有冨の山の麓。記紀・万葉・風土記と郷土史料を精読することで倭の場所・位置を特定できる。

隋書俀国伝「阿蘇山あり」
倭国は下関市綾羅木川北側であり、瀬戸内側の長府・前田は含まれない。
阿蘇は風土記 逸文丹後国「天の椅立・久志浜」の阿蘇の海。その場所は「丹」より赤石の下関市吉見下 古宿・吉見フィッシングパーク。阿蘇山は吉見の竜王山。

魏志倭人伝の冒頭文による倭人の位置
響灘の沿岸 北九州市・下関市・長門市


懐風藻から読み取れる倭国の政治思想 淮南子の「無為」を絶賛
  ↓
下関市には大きな遺跡がない。小国寡民

東夷の倭人 中国神仙思想、天上界、道家思想の模倣ではなく、その本当の本場であった。
  ↓
魏が邪馬台国に金印を与えた意味
中国大陸で道教が大暴れ。黄老思想、道教の大元は倭人


原文、原資料を読まず、あんちょこ 虎の巻 学習参考書だけを読んで一泡吹かせるのが「大衆娯楽」に堕ちた邪馬台国論だ。大学国文科の先生は四書五経・諸子百家・漢書などの漢籍を毎日6時間以上10年かけて精読している。

炯眼 (けいがん、慧眼) の歴史認識で創見新説を出す。 凡人俗人、ノータリン (脳足りん)、無能、能無し は懐風藻を読み、道家思想を勉強すれば頭よくなる。


末盧国の位置
混一疆理歴代国都之図
龍谷図 壱岐の真南 対岸は下関市御崎・室津上
本光寺図 壱岐の真東 対岸は長崎県平戸・佐世保 北松浦郡

本妙寺図 長門〇〇州 賓任 (賓重) 豊北町 肥中か。 大伴御津?
万葉集1780 牡牛 牡 (元藍紀)-牝 牝牛は肥中 苅野橋 肥中の苅束。 牡牛より特牛か。

会稽=会計

筑摩書房 世界古典文学全集2 『 詩経国風 書経』
書経 虞書 益稷
P265下
天下に奨励して、余った物資を足らない所に運び、貯蔵物を互いに交易させました。
  ↓
綾羅木郷遺跡の弥生貯蔵穴群

人面土製品 魏志倭人伝の黥面文身 夏后少康の子

会稽=会計
 角川大字源 【会】 会稽
 史記 夏本紀の末

会稽の場所 下関市 JR 梶栗郷台地駅 付近

伊東照雄 談 綾羅木式土器は河姆渡遺跡の土器文様と関係するか。


会稽山
山海経 集英社 巻末索引
中国神話・伝説大事典 大修館書店 【会稽山】


淮南子 地形訓
明治書院 新釈漢文大系 淮南子 上 P205
禹は、かつて太章に命じて東極から西極まで歩かせたところ、二億三万三千五百七十五歩あった。また、豎亥に命じて北極から南極まで歩かせたところ、二億三万三千五百七十五歩あった。

東西、南北、ともに二億三万三千五百七十五歩で同じである。
東西 梶栗浜遺跡の海岸ー青山の山頂ー長府の競艇場 
五行配当 死滅=西、金=西、青=東
古代の長府の海岸線 国道3号線あたり

南北 竹生寺の妙見宮ー椋野の妙見山ー壇之浦の海岸
妙見=北極星

ヒモで測ってみると、東西=南北 距離が同じ!

会稽 梶栗川の下流
青丘国=邪馬台国 の位置 有冨中村


日数で距離を測る
魏志倭人伝の投馬国・邪馬台国、万葉集の都→大伴御津 7日

歩数で距離を測る
豎亥・太章 (山海経 、淮南子)、出雲国風土記 

冀州 鳥夷、皮服す

書経 禹貢  山海経、淮南子 地形訓との照合が研究課題
冀州
鳥夷、皮服す 私見 鳥見山 下関市有冨 大迫池の上・有冨墓地の東

明治書院 新釈漢文大系 書経 上
P69 語釈 鳥夷皮服
冀州に東方の夷民が見えているは怪しむべきである。


漢和辞典 【 蒙 】
蒙戎=狐裘 キツネの皮で作った皮衣 詩経 邶風 旄丘
学研 新漢和大字典 2013

万葉集1682 山住人 忍壁皇子 仙人形

角川 新字源 2015 蒙 六十四卦の蒙 まだ最初で明らかでないさま
楚辞 天問 宿 明治書院 新釈漢文大系 楚辞 P112
古事記の天迦久神
地下上申絵図 有冨村地下図 かく石垰 有冨墓地の東


徐州 蒙羽
梁州 蔡蒙


兗州 えんしゅう
平凡社 中国古典文学大系 書経・易経 (抄) 赤塚忠 1972
の書経 虞夏書 禹貢 は1970年頃の中国大陸地図 (例えば、平凡社 世界大百科事典 世界地図 1968) に基づいて、学者らしく緻密正確に河川の場所を比定しているが与太話だ。禹は治水工事を各地で行ないながら広大な中国大陸を検分して回ったは現実味がない。空想の神話か。土地の検分から小さい範囲だ。

山海経 海外東経 青丘国の豎亥、淮南子 天文訓に精密な測量が記述されている。

原始時代の開削工事として、下関市勝山支所 (秋根南町2‐4) より発掘された縄文時代沫の大溝がある。この考古資料を禹貢 兗州「十有三載」(13年間、治水に努めて)の証拠と見る。禹貢の成立は戦国時代末期、BC3世紀といわれる。

私見 禹貢の兗州は下関市勝山支所 付近である。