香椎アピロス ~ 香椎外科 付近  

葦原中国 場所は福岡市東区 香椎
 葦原醜 (葦原色許)
香住ヶ丘 この付近の字名 ヶ丘と香山にちなむ。出雲の場所。
御幸町 旧名 宿 (しゅく) → 宿那彦、見宿女の浦 類似に 下関市 古宿

古事記 宇迦の山 立花山  山海経 海外東経 長差丘、書経 禹貢 三危山
あるいは
香椎宮そばの御飯ノ山(老の山、おいのやま、標高90m)


香椎 万葉集2487 平山 ~ 2507 占部

万葉集2502 真鏡 まそかがみ
私見 香住ヶ丘古墳の三角縁二神二獣鏡 舶載説。 魏が卑弥呼に与えた鏡

万葉集2503 汝 主 大汝命=大国
葦原醜は香椎川支流の浜川の人
出雲の大国主神の住居 JR 香椎駅 浜男 ~ 香住ヶ丘・唐原

『鏡の古代史』 辻田淳一郎 角川選書
P221 ‐14行目

『邪馬台国』清張通史➀ 松本清張 講談社文庫 1986
P195 魏が倭国を厚遇した理由


竺志前国 嶋評 川部里 場所は香椎の御幸町。糸島の志摩町ではない。
建部身麻呂 建御名方神の裔
建部小麻呂 小=少 少彦名命
占部赤足

御幸町 香椎川の南岸 南方
竺志前 出雲の御大の御前 三穂の碕  御島の前

御野 小倉南区 城野 


(参照)
角川日本地名大辞典 福岡県 オンデマンド版
Wikipedia 香椎
香椎、浜男 ブログ、画像、古地図 1965年 ~ 1975年

筑前国志麻郡の万葉文化

考古学 小田富士雄の本を購入

『古代九州と東アジア』 同成社
 Ⅰ、Ⅱ巻 ネットで古本を購入
 Ⅲ巻 近所の書店から新品を注文

Ⅱ巻 P273
筑前国嶋郡は糸島水道ではなく三苫水道である。

万葉集
304 嶋門 神代=天孫降臨、海幸彦・山幸彦
香椎に字「蟻道」 香椎宮か

557 土師水道 新宮町 湊 畳瀬・夫婦石
558 千磐破 迹驚岡 裂田溝 水を通さしむ 文庫書紀➁142‐10
566 鹿の浜辺 古賀市 鹿部 字「浜」

2487 新宮町 原上 平山 3号線バイパス 平山信号機 平山池 熊野神社
2488 深目 青い目の外人さん、西戎
  欽明紀 23年6月 新羅は西羌の小しき醜しきくになり。

2493 袖不振斬来 上和白 字「松浦」
2496 
2497 
2498 公 周公か

2502 真鏡 香住ヶ丘古墳の三角縁神獣鏡 卑弥呼が魏から下賜された鏡
2503 汝 主 大汝命=大国主命 で住所は香住ヶ丘

3197 宮地嶽神社は住吉か JR福間駅 改札 廊下 観光写真


古事記
夜の食国 新宮町 夜臼 食国=穀倉地帯


君子国 山海経、淮南子 地形訓
百済王子 余昌 鞍手町の人
百合野塞 宮若市 龍徳 バス停「百合野」 

高麗国 宮若市 竹原古墳
豹尾珥せる者 欽明14年10月20日 文庫書紀③308‐11


『季刊 東アジアの古代文化 1974 春-創刊号』 オンデマンド版 大和書房
P109 蓬莱島と東海の君子国 伊藤清司

『三国史記 倭人伝』 岩波文庫 1988
P52 高句麗本紀 遂成、倭山に猟す。

『古代朝鮮と倭族』 鳥越憲三郎 中公新書 1992
P96 百済の後盾・日本


小田富士雄の本を精読して福岡県考古学の定説を知る。
その上で自分なりの異質な新説を披歴する。


小字 一部
  猪ノ子田  ※嶋郡 肥君猪手?

香椎 
ノ木谷 早田 住吉 大日 神戸 柿ヶ本 不動ヶ浦
川添 殺 嵯峨原 宿 蟻道 

浜男  矢ヶ原 浜 長崎 片男佐 三シマ ※遠の朝廷?
唐ノ原 火原 ※筑紫火君?

鳥取県 岸本町 吉長 日野川沿い 日御碕神社がある
小字  嶋 蟻道 天場

小字「蟻道」は福岡市香椎と鳥取県 日野川沿いの岸本町 (現 伯耆町) にある。
万葉集304 蟻通 小字地名により香椎である。
私見 遠の朝廷は香椎にあった。御幸町の地名。

元号「令和」 太宰府での梅宴の場所
香椎 字「梅ノ木谷」
あるいは
御幸町 浜男神社 付近

筑前国 嶋郡 川辺 香椎の字「里城」


高千穂宮
三苫は豊国、豊前。豊国の場所は福岡市東区 三苫である。
万葉集303 稲見の海 三苫・永浦遺跡

筑前国嶋郡は糸島水道ではなく三苫水道でもなく、香椎だ。

筑紫の日向の高千穂宮は香椎だ。浜男神社か香椎宮であろう。
根拠は香椎の小字「蟻道」 万葉集304 蟻通

浜男は筒男で住吉神か。橘の小戸は香椎川の下流・河口にあり。
「男」といえば葦原醜男だ!

広島県 宮島の厳島神社では笠沙とは海中に立つ鳥居。
笠狭は香椎川の河口にある御島の鳥居である。

万葉集 土師水道は香椎の人

和白の香椎神社 福間の下西郷

香椎神社 和白5丁目29-34

神功皇后御繋船の碑 和白6丁目7 ・・・ ここが和珥津か
Google 地図 写真


先代旧事本紀 巻第一 日向の橘の小戸橿原
  ↓
この場所は三苫水道 香椎神社あたり
日向=陽侯 波の神

三苫・永浦遺跡 鉄製釣針
海幸彦・山幸彦、海神・豊玉姫 神話の地

『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 【奢比の尸】
ある本では、肝楡の尸が人国の北にある

肝楡
肝脳塗地 戦争、戦場 塗山か
楡は、くり舟、車輪を作るに適する。「弥生の土笛」航海人、屈原の馬車

奢比 厚葬の宮地嶽古墳、穀物がよく実る三苗国 (耕作地の等級 上の上)
福間の西郷川 八龍神社、大森神社
熊野、熊襲、下関 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽の熊
丹後半島 海部氏系図

比 2人並ぶ、相親しむ
尸 人の下体を屈曲させる、かたしろ、祭祀の司主

西福間の諏訪 禹貢 雍州の終南、詩経の召南
淡海国 詩賦の興は西福間


軍事的な要衝 少人数の兵で大きな地域を支配できる場所
三苫水道は少人数の兵で渡来系や北部九州全体を支配できる海峡である。

筑紫国 宣化紀 文庫書紀③228‐7


和白・奈多地区探訪下見 - さんぽ会 k-yanase.sakura.ne.jp › gaido › annai
下和白・大神神社祭神 大者主神(おおものぬしかみ)(大己貴命(おおなむちのみこと)) 由緒 『産神( ... 此の神社なり。又此の所縁により地名を三苫という。古来香椎宮神輿渡御報賽の儀あ …

投馬国 新説

投馬国は福岡市東区 三である。

参照
『福岡県の地名』 平凡社 日本歴史地名大系 41【 三苫・永浦遺跡群 】

三苫は末盧国、伊都国ではなく投馬国である。
と言いたいけど、万葉集の歌が気になる。

1767
抜気大首 任筑紫 時娶 豊前国娘子 紐兒 作歌三首
豊国乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家

957
冬十一月、大宰の官人等の、香椎のを拝し奉り、訖はりて退き帰りし時に、馬を香椎の浦に駐め、各懐を述べて作りし歌

959
豊前守宇努首人歌一首
徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思

大宰府があった場所は香椎の御幸町か。

和白にも香椎神社がある。
香椎はで中国系であり誰か。堯か。

滷は砂浜でなくヘドロの泥海でアサリが採れる干潟だ。
香椎川の河口も干潟だが和白は大きな干潟で塩浜だ。

豊前守 宇努首人 香椎御幸町の浜神社か。

地名場所に矛盾がある。
上の万葉集の歌から「大宰府」「香椎の廟」「豊前」「豊国」の場所を、あらためて特定する必要がある。

豊国
3876 企玖の池 豊前白水郎
3220 聞の高浜
3219 聞の長浜
1393 聞の浜べ
417 鏡山 河内王 手持女王

豊国は和白の新興住宅地 美和台であろう。
「豊国の」は昔あったであろう三苫水道

三苫の小字「永浦」「天川原」「高浜」

筑紫 物部大斧手 雄略紀 三苫水道の人
讃岐田虫別 産素根神社 和白5丁目14-5 付近の人か。
田があった場所 三苫永浦遺跡

豊国の鏡山 鏡を副葬した美和台・和白の古墳か。

豊は周の文王の都。文王の廟がある所。


神功紀の神託 向匱男襲大歴五御魂速狭騰尊 文庫書紀②154‐5
和白 高美台2-24-1 大神神社 祭神 大物主神
大三輪社 文庫書紀②144‐末から2行目

和珥津 新宮町 湊 綿津見神社か 文庫書紀②148‐2

飛廉 下和白 字「飛山」 
陽侯 波濤の神がいた所
 明治書院 新釈漢文大系 楚辞 P196 語釈【陽侯】


万葉集1767 豊国 伊都我里 三苫永浦遺跡
末盧国 志賀島の弘 潜水漁
末盧国には官・副官がいない。

万葉集960
隼人乃 湍門乃磐母 は昔あったであろう三苫水道である。


旁国の華奴蘇奴国 福津市 花見の里
(根拠) 小字は

下西郷 小字
有馬坂 恵下(えげ)ノ下 原 (はる) 香葉 岩長浦  見 (はなみ)

伊奘冉尊の墓地 紀伊国の熊野の有馬村

恵下
顕宗紀の歌 餌香の市
播磨国風土記 美嚢郡志深里

『福岡県の地名』 日本歴史地名大系 41 平凡社
P413上 久末 村  福間町久末・若木台1-6丁目
宗像大菩薩縁起には久米明神が載る。


博多弁は早良区 西新・飯倉、南区 長住で強い。
東区の香椎・和白は博多弁ではあるが筑豊の言葉ぽい感じもある。
同じ福岡市内でも香椎・和白と西新・飯倉では人の感じが違う。

下関市 綾羅木・安岡は北九州市 若松区の方言に似る。
方言=お国ことば。方言が若干でもちがえば地域、国がちがう。


以上、福岡市の学芸員、九州大学・福岡大学の先生方、朝日カルチャーセンターの講師とは異なる独特なユニークな新説を試みた。

書経 冀州

書経 禹貢
冀州 耕作地の等級は、中の中

私見
中国の冀州は畑作であって水田はない。
訓読文 厥のは、惟れ中の中

冀州の「鳥夷、皮服す」 万葉集1682、3884。晏子 狐の毛皮
揚州の「島夷、卉服す」 卉服=葛服とされる
は書経の論点である。

卉服
麻・苧麻 綾羅木郷遺跡
万葉集 藤衣、藤服
詩経国風 魏風 葛履


常陸国風土記を読むと中身は大和国風土記である。
常陸国風土記 冒頭の総記
この地にある水田は、上田は少なく中田が多い

冀州の白壌
常陸国風土記 久慈郡 薩都里 白土

参照
筑摩書房 世界古典文学全集 2 書経 p272下
小学館 新編日本古典文学全集 5 風土記 P357


書経 夏書 五子之歌 P284下
皇祖 禹王 日本書紀の語「皇祖」は禹か
堯は冀の地に都され


鳥夷
地名の鳥
向津具 字「本郷鳥子」、油谷島 字「天鳥」
土井ヶ浜 字「鳥羽」、一の宮 住吉神社の東側 字「鳥通」
記紀万葉 鳥見の白庭 

岳陽
長門市 日置蔵小田 雨乞縄文遺跡
御岳=狗留孫山

島夷
継体紀の嶋曲 文庫書紀③194‐5 吉母-御崎-室津上
毘沙ノ鼻 神功皇后が上陸した (=揚) の言い伝え

揚州 揚=楊=柳 
綾羅木郷 字「柳」か。 条里制があったので耕作地は良

兗州 えんしゅう
13年に及ぶ治水 下関市秋根 勝山支所の縄文大溝

荊州
山海経 朝陽の谷 小倉南区 城野
荊=楚 いばらを植えて中に入れない神聖な場所 重留遺跡

北九州市 埋蔵文化財センター博物館の展示 発掘調査時の写真
重留遺跡の環濠の斜面に、先を尖らせた杭を打ち込んで防御する「逆茂木」(さかもぎ) の跡を解説している。



常陸国風土記 行方郡 天鳥琴・天鳥 綾羅木郷遺跡の土笛か
益 鳥獣を飼い馴らす 『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 【益】


書経 堯典 欽明文思
欽明紀 廷尉=下関住吉神社の検非違使社、守石=神護石 文庫書紀③332
に特定できるので、冀州は下関住吉神社の場所か。

山海経 海外東経 新

大人国を奴山の宗像海人と見ていたのを訂正する。

長差丘 立花山のクスノキ原始林
福岡県 新宮町夜臼~古賀市の南部 鹿部か
堯葬の地 堯の姓は陶唐氏なので福岡市東区 唐原

上ノ府 字「岩井山」 は筑紫君 磐井か

三苫水道
三苫は香椎宮の神領だった。
三苫の四社神社ー古賀市 鹿部山-下関市 上ノ山古墳ー有冨墓地
が直線上になる。三苫の四社神社の場所は重要である。

吾田の長屋の笠狭碕
三苫・永浦遺跡群 見張り台のある高地性集落、溜井 アサヒグラフの記事
笠狭 海の中道
  ↓
新説 高千穂宮は福岡市東区 和白・奈多


大人国
古賀市 青柳 五所八幡宮 祭神 住吉神 橘の小戸 渡来系


奢比の尸 豪奢な墓、厚葬の意味か
4つの候補地

福間南 香葉 弥生の土笛
今川遺跡
宮地嶽
田熊石畑遺跡 将軍・武人の墓

獣身は文身 (入れ墨) で綿津見神・阿曇連か。乗馬や乗り物か。
陸奥 日高見国の蝦夷は文身 文庫書紀➁84‐2

肝楡の尸
奢龍 八尋熊鰐 文庫書紀➀367-注107 熊=水神
諸比 日向諸県君


君子国 争わず
宗像市 久原・徳重、宮若市 竹原古墳 高麗系 沖ノ島の祭祀を司祭か
禹貢 梁州

『古代九州と東アジアⅢ』小田富士雄 同成社 2020年2月
P333 中ほど
遠賀地方4世紀代に比定される初期前方後円墳と宗像地方の状況に共通傾向

宗像市徳重から山を越えて宮若市 若宮へ行く道


当ブログの過去記事
2012年09月06日
福津市 宮地嶽から 古賀市へ行く

2013年11月28日
海神の場所は 新宮町・古賀市


参考文献
山海経 集英社 全釈漢文大系
書経 筑摩書房 世界古典文学全集

三毛国

中国神話・伝説大事典 大修館書店
【三苗国】 三毛国ともいい

三毛は神武天皇の弟 三毛入野命
豊前市に三毛門 (地名由来) 稲・麦・粟の三毛が豊かに実る肥沃の地だから

万葉集973 食国 遠の朝廷
  ↓
古事記 夜の食国 福岡県新宮町 夜臼

書経 禹貢 雍州 耕作地の等級は上の上
山海経 海外東経 長差丘=書経 禹貢 雍州

「山海経の著者は」説あり。
山海経 海外東経 福岡県新宮町の立花山 クスノキ原始林 ⇒ 下関市 川棚付近
書経 禹貢 下関市川棚付近 ⇒ 福岡県新宮町・古賀市 か。
並べ方は逆でも地域が同じ。

書経 禹貢 雍州の西河 福間の西郷川か


三苗国は福間・古賀だ。
高千穂宮と蝦夷の場所は福津市 福間、古賀市

今川遺跡(福岡県福津市)・福岡地域別探検 - よかとこBY九州
www.yado.co.jp › tiiki › Imagawaiseki › Imagawaiseki

球磨 球を磨く 今川遺跡 禹貢 雍州の球・琳・琅玕
万葉集3336 所聞海

万葉集1804
葦原の水穂の国 遠津国 黄泉の界

福津市 土笛
香葉遺跡 香葉=月桂樹、ローリエ
場所 龗神社 (八神社) 福津市福間南
  ↓
地名 香葉より万葉集の
香島、香取
長浜 福間・古賀の海岸

万葉集
三坂 福津市―宮若市の山越え 見坂
木国 福津市 本木
香 香葉
勝 宮地嶽

古事記 美濃の喪山 福間の蓑生

福津市 なまずの郷 関西に移住して東鯷人の国を建国

万葉集の越国 「古之」こし・「古江」 → 「古賀」に転化か 千鳥池
鹿部田渕遺跡

上ノ府 字「岩井山」 は筑紫君 磐井か

ネット 国土地理院 地図 計測
海の中道 三苫の四社神社ー古賀市 鹿部山ー宗像市 石丸1丁目
ー下関市 上ノ山古墳ー有冨墓地
が直線上になる。

有冨墓地の谷は雲が湧いて蒼天、泊瀬。


橘少彦名神社
石川県 能美郡 川北町

白山比咩神社 菊理媛など
石川県 白山市 三宮町

土笛 フクロウ

熊襲帥 韓国ではフクロウは吉鳥

弥生の土笛はフクロウの鳴き声か。

宗像市石丸2丁目 七社宮の森にフクロウが住む。

筑紫の磐井 西の戎 文庫書紀③190‐9、192‐1
書経 禹貢 雍州 西戎
書経 舜典 三苗を分北す 三苗=三毛で三毛入野命
丹朱 丹=鉛 宮若市 下(しも) の小字「鉛」

関西ヤマトの誕生
宗像の熊襲梟帥は土笛の出土地 (福津市 西郷川~丹後半島) を往来していた。
熊襲は三苗でもあり舜によって関西他に移住させられた。


下関市立考古博物館マスコット ぶえ吉
会稽 綾羅木郷遺跡
人面土製品 黥面 ・・・ 熊襲の顔
綾羅木式土器の文様は河姆渡遺跡のものに似る。伊東照雄
河姆渡遺跡 陶琄

東冶 梶栗浜遺跡
その東 有冨中村


黥刑 履中紀の阿曇連浜子 阿曇目 浜=砂浜、福間の海岸
阿曇比羅夫 天智紀 百済救援の大将軍として水軍を率いた
少彦名命は阿曇系 石丸2丁目 七社宮 徳満神社の祭神 穀物=粟
阿曇氏は東シナ海

少彦
上毛野君形 福間の人 

新説 福津市 福間の地名由来はフクロウ
「ふくふくちゃん」キャラクター
宮地嶽神社に伝わる「モマ伝承」

でも、宮地嶽は津屋崎であって福間ではない。

上ノ山古墳 継体紀 筑紫の磐井の乱

原始古代では中国方位は学・教養・生き方
大きな目立つ古墳は方位方向の目印

宗像市 石丸2丁目 七社宮ー下関市綾羅木郷 上ノ山古墳 とを結ぶ直線
の延長に皇宮があった。有冨の大迫溜池 (工事中) 付近である。蒼天の場所

下関市 綾羅木郷 上ノ山古墳 築造は継体紀 事件 筑紫の磐井の乱

石丸 七社宮 穀物倉庫は糟屋屯倉か。
境内の徳満神社 祭神 彦名命 天満ではなく徳満
中国神話  玉膏、少昊、少室山、少康

筑後の御木 陵厳寺の高樹
城山 蔦ヶ岳 蔦=艸カンムリ+鳥


中国神話の三皇五帝はみな倭人 江戸期の国学者 平田篤胤の説

日本書紀は漢籍と一体で書かれてある。
例 舒明9年3月2日 振旅ふ 文庫書紀④180‐3

角川大字源【振】 振旅
書経 大禹謨 師を班し旅を振う 蝦夷=有苗
左伝 隠五 入而振旅 軍事演習が終了した後、凱旋する儀式

四書五経・諸子百家では、王家は支出を抑えて倹約することが説かれる。
倭国は道徳の民だから兵は少ない。

倭国=倹約・無為質樸。関西ヤマト政権=倹約はしない特大さ、豪華さ
  ↓
蝦夷=有苗 (苗民) は関西ヤマト政権。デカい、立派豪華

記紀・万葉は倭国の書であり、日本書紀では関西ヤマト政権は「呉国」「蝦夷」「倭種」と書かれる。
倭国は朝鮮半島と一衣帯水の位置にある。
響灘 (遠賀川 岡垣町~長門市 向津具) の海岸部、関門海峡の日本海側。


鳥居の原型 中国の華表、和表

角川大字源、平凡社 新訂字統 で【歴】「和】【禾】【午】を調べる。
白川静によれば軍事地政学の要所である。軍門、本陣、表彰

隅田八幡神社 人物画象鏡の日大王、富銭の「十」 交午柱
瓊瓊 杵の原字 午 午門
十市皇女の「十」
天心十道 風水

和は最高の徳行を示す語 新訂字統【和】
和同開珎の和同、万葉は淮南子の語

富本銭の七星
七の原字 十
六 行燈山古墳 銅板 弧数、綾羅木 上ノ山古墳 六鈴鏡+鈕 廟
書経 大禹謨 六府 水火金木土穀

www.tnm.jp › modules › r_exhibition
古墳時代の儀礼 - 東京国立博物館 - トーハク

E0040411 六鈴鏡 - 東京国立博物館 画像検索

『日本古代貨幣の創出』 今村啓爾 講談社学術文庫 2015
P48 松村恵司の七曜説とは若干異なる私見 六府+鈕 廟 


舜の歴山は有冨の大年溜池-大迫溜池 の山 ハンドウ山の尾根・西側斜面
舜が尭の2人の娘と暮らした家 秋根 字「燈台」

有冨の庄屋 儀万という家 万葉集の「光儀」「容儀」「立儀足」


下関市立考古博物館
講演 北九州市 埋蔵文化財調査室 宇野愼敏
平成25年5月 「4・5世紀のヤマト政権と周防・長門」
上ノ山古墳は継体天皇の時代、熊本県宇土の阿蘇ピンク石

史跡ウォーク 澤下孝信 学芸員
上ノ山古墳の川北神社で参加者たちに、古墳の規模と権力基盤の逆比例関係、継体天皇陵とされる高槻市 今城塚古墳、手白香皇女、春日山田皇女などを解説。
私見
白香は 新訂字統【午】【御】で書かれた「幺」の祭祀
山田は有冨 大迫溜池 (工事中) の山側 山地番の地名
  ↓
綾羅木郷の上ノ山古墳こそが継体天皇とその家族の墓である。
、六鈴鏡などは白香皇女の所持品
六鈴鏡+鈕 =富本銭の七星


鳥取県米子市 淀江
石馬谷古墳 - Wikipedia 

ちょっと寄り道 福岡教育大学前

道路の看板
「ちょっとよりみち 唐津街道むなかた赤間宿」
唐津街道 中筋往還 交通の要所 平成24年作成


伊予の熟田津の石湯行宮 斉明紀 文庫書紀④368‐2

宗像郡誌 上編  昭和19年、昭和61年
P363 宗像市 平等寺 字「湯之浦」に温泉があった。
P445 津屋崎 楯崎の海岸  唐船岩に温泉があった。

磐瀬行宮 宗像市 石丸

P343 赤間
朝町、多久、須恵、三郎丸、土穴、野坂等は赤間院内なるべし。中比は鞍手郡内に属せしよし、物に見えたり。
按ずるに文禄田畠帳には、野坂、武丸、徳重、多久、石丸、三郎丸、薑の諸村は鞍手郡に入る。

佐賀県 (肥前) に多久市がある。釣川は肥の河か。

藤原広嗣の乱
降伏した隼人贈唹君多理志佐の言 「鞍手道」から鎮所を目指した
藤原は宗像市 冨地原


P147 武守神社
崇神天皇の御宇、出雲国より飯入根彦根という者が移住してきて当村に住む。

出雲=底根の国 は谷底池・釜底池がある宮若市 若宮IC 汐井掛遺跡
武丸に小字「甘シ」 崇神紀の出雲神宝 甘美鏡


P65 若宮八幡神社 (若八幡宮)  バス停「田久四ツ角」→ 田久公民館 近く
境内社に船宮神社 直日神 字「亀ノ甲」より移転
ここが橘の小戸だ。

釣川橋で釣川の水の流れを観察する。「流れてない」くらい遅い。


P471 東郷橋より下流2丁余の釣川床遺跡 銅鉾、鉄斧
銅鉾 天浮橋での天沼矛
鉄斧 万葉集3878 新羅斧

P89 指来神社 多礼 字「柚木」
祭神 阿蘇津彦命

陵厳寺の高樹 景行紀 筑後の御木か。
陵厳寺から見る城山は いかつい山容で、下関市吉見古宿から見る竜王山に似る。


織幡神社  鐘崎 字「鐘岬」
P44 1行目 三方は海なり。

続日本紀③307-末から2行目  大宰府は三面に海を帯び

玄海町誌  P83
織幡神社
社頭に立って見ますと、三方は海で囲まれ、東に白砂青松が連なり、左の方は深浜、白波が立ち騒ぎ、芦屋の浜から遠く関門の山々が見渡されます。


筑紫国の位置
JR 教育大前駅 熊越池 付近は風水の天子南面=北に山、南に川

七社宮の祭神に瓊瓊杵尊

七社宮の神紋 桃
注連縄の結い方が逆
弥生時代の穀物倉庫跡

七社宮の森 フクロウがいる。夜になると鳴声がきこえる。
出雲梟帥
黒葛 城山=蔦岳、蘿神社 葛 (カズラ) =蔦、蘿 (ツタ) か

神話 日本書紀の冒頭
可美葦牙彦舅尊・国常立尊の「空の中」 JR 教育大前駅 のあたり

底根の国

宮若市 下 (しも) 字「鉛」 照姫か
鉛は丹の原料
赤色顔料 朱=水銀、丹=鉛、ベンガラ=鉄

根国
黄泉平坂(よもつひらさか)
根は川根 根とは川の最上流の意味。奄美では早く開けた集落
宗像市 釣川の最上流 平山

根の国 文庫書紀➀86‐4 補注1‐40
宮若市 汐井掛遺跡の近く 谷溜池、釜溜池
底根の国は汐井掛遺跡である。地形を利用した要害の地

原始古代の学・教養 陰陽五行・風水・易経・道家思想
遺跡・古墳の位置に風水などが見られれば住民に学があり、漢字が読める。

日程 A地点→B地点 日数かかり過ぎ
通説 歓待 私見 方違え・禹歩

靡山 万葉の大和ことば 風水で靡山の南方に汐井掛遺跡
靡山―若宮IC―竹原古墳 偏角5°
見坂峠 下関市蒲生野 深坂 (みさか) 峠

宮田町 宮若市 市街
磯光 イソは五十迹手の伊蘇国か。

風土記 逸文 筑前国 怡土の郡
高麗の国の意呂山に天ゆ降り来し日桙の苗裔なる五十跡手

儺県の「儺」 おにやらい 八尺瓊・白銅鏡・十握剣

六ヶ岳
天子南面の風水 北に玄武の六ヶ岳、南に犬鳴川の川曲り
「磯光入口」信号機 のやや北に明堂

風水 天子南面 明堂 景観の地政学-道家兵法に基づく軍事要衝地でもある。
下関市 有冨中村  倭京
小倉南区 下南方 蒲生八幡宮
宮若市 「磯光入口」信号機 付近
宗像市 JR 教育大前駅 須賀神社-赤間4丁目  筑紫日向の高千穂宮か

「宗像の考古学」を激変させる私の新説

宗像郡誌 上編
P95
田熊神社
東郷村大字田熊字中尾にあり。
示現大明神と称す。
示現は地下の訛り 字「地下」511~540‐7 番地

祭神  素盞嗚尊 大己貴命
由緒  宗像七十五社ノ一也。 往古は出雲ノ大社ト排ノ社ト云。

私見
排例は排列の誤植だろう。漢和辞典【排】 排列

出雲大社と同じ排列とは田島の宗像大社か。
昔 ... 地下ニアリシヲ延宝年中、田島ノ社地に移シ

田熊石畑遺跡 八千戈神
中国神話の 蚩尤 しゆう 兵主神

P147
武守神社
出雲国の飯入根彦根という者が来て当村に住む。白蛇が山より出て村民を害す。故に櫛稲田姫を合せ祭り蛇鎮す。

祭神 武素盞嗚神 櫛稲田姫神

私見
文庫書紀➀298‐8 崇神60年7月14日
弟 飯入根 出雲神宝 真種の甘美鏡

宗像市 小字の「甘」
吉田 甘浦
曲 上阿満 甘
石丸 甘シ (あまし) 川底の出雲神宝の場所

新説
甘美日狭は宗像市 石丸・冨地原の朝鮮系

神武東征 日向高千穂 西洲の宮 文庫書紀➀194‐10
日本武尊 熊襲 西洲 文庫書紀➁88‐6
高千穂宮と熊襲は同じ「西洲」の場所にある。宗像市 武丸・冨地原あたり。


宗像市史 第一巻 通史編 自然 考古 平成9年
P594 冨地原岩野B遺跡 弥生中期後半の住居が空白
P597 徳重高田遺跡 弥生終末期 弥生時代の生活をもった古墳時代

若宮町の汐井掛遺跡の墳墓群 
階層差が小さく平等
文庫書紀➀110‐4 草木咸に能く言語有り

山海経 君子国「譲りを好む」=出雲の国譲り


若宮町誌 上巻 平成17年
P246 第42図 汐井掛遺跡の遺構配置
(感想)土井ヶ浜遺跡と似るか。

P255‐7行目
山口川は、源を西方の宗像市との境である見坂峠に発しており、流域のせまく長い平野は、古い時期から宗像地方への門戸であり通路でもあった。

見坂峠を越えれば福津市 西郷、古賀市だ。
宗像の考古学は「海の道」中心であり、宮若市方面や釣川上流の「山の道」考察がない。古代、宮田町は宗像大社の神領だった。


宮田町誌 上巻 昭和53年
P125 第3図 上大隈遺跡出土の弥生式土器

絵 1本足の鳥 ∧
内側に曲がる二重口縁壺
丹 (朱) が塗られてある
弥生時代後期

(感想)
三角縁鳥文鏡
鳥上 (鳥髪) 八岐大蛇の場所
高松市天満・宮西遺跡 銅鐸片の絵 2016年

龍徳の字「清命」946~963 番地
の繋名坂軽彦八嶋手 文庫書紀➀94‐10
ネット「龍徳」は易経の語