「美しい国」 の竃跡 岡ノ鼻遺跡


「美しい国」 の場所は山口県油谷町・日置町である。 平成の市町村合併によって現在は長門市に属している。
油谷 蔵小田に安倍家墓所、油谷総合運動公園の東側に三島由紀夫の割腹自殺に影響を与えた2・26事件の青年将校 磯部浅一の記念館がある。

日本の原点
向津具の谷河内堤の西に扶桑の地名「十日神」 (とびがみ)
日置上に小字「日ノ本」 (黄波戸口の4317・4306番地)
がある。

山口県風土誌 11巻 P308-末行、山口県地名明細書 P206下
十日神は向津具下の小字「元」 (どうぐわん 呉音読み) 辺りにある。
私見では、元の「道」 は教を表す。

日置上の小字「日ノ本」 は万葉集の日本島根である。

黄波戸峠は只越ともいう。 小字「只越」 がある。
黄波戸峠が只越なので、万葉集977 から難波は黄波戸である。
  ↓
『失われた九州王朝』 古田武彦 著 昭和48年
P266
北野本に「貴倭女王」
私見では、貴倭は長門市の黄波戸(きはど、きわど)。

『日置町史』 1983年
P93 長行古墳 (古墳時代中期頃)
鉄槍が出土してる点から天日槍の墓である。

雨乞岳 (347.0m) の南麓、蔵小田、油谷島から縄文時代の遺物が出土しており、「美しい国」 には旧石器時代、縄文早期より人が住んでいた。
中国のの時代(B.C.1000) から倭人の記録があるので、縄文遺跡がある場所に倭があった。


『油谷町史』 P120-10行目
岡ノ鼻遺跡 久富 小字「岡」 など
古墳時代初頭の住居跡から炉または(かまど) と思われる跡。
1号住居跡の場所は弥生時代 最終末期の方形周溝墓に近い。
竃跡なら福岡市の西新町遺跡と並んで最古級だろう。

久富の小字「稲石」は、古くは稲目石と言っていた。
蘇我稲目である。


伊上地区
P820
木造阿弥陀如来立像
藤原時代末期の製作と見られる。 聖徳太子の作と伝えられる。


河原地区
P894-後ろから4行目
田上(たじょう) は以前は田尾と書いてタジョウと言っていた。 どのような由来で田尾と書いていたのか、伝承はない。
大坊川の東は岡田ヶ浴。 「勝負」 の小字名がある。
大坊川をさかのぼると、一ノ瀬・二ノ瀬があり、大掛・小掛がある。 この川筋は、豊富な森林資源の下流への搬出俵山への入湯の道・一の俣やお嶽様への信仰の道であったが、所々両岸に崖(掛・懸) が迫り、人の通行を妨げたので川を歩いて対岸へ渡らなければならなかった名残の地名の「悪渡瀬(わるわたせ)」 もある。


   ↓
万葉集50 淡海国の田上か
文庫書紀②166-末 神功紀の歌謡
淡海の海 瀬田の済に 潜く鳥 田上過ぎて 菟道に捕へつ
  ↓
菟道河は掛淵川で、物部の八十氏河か。

長門国で材木流しが行われていた川
  阿武川・大井川 ・・・ 東大寺再建の木材を伐り出した話が伝わる
  木屋川
  大坊川

小字「連歌」 
持統天皇 称制前紀 大津皇子の謀叛  ⑤236-5
尤も文筆を愛みたまふ。 詩賦の興、大津より始れり。
  ↓
大津の場所は油谷町河原の字「連歌」、または柿本人麻呂の歌が伝わる八幡人丸神社の地である。 海に近い点から河原の字「連歌」 であろう。

皇子の「友」 は、下関市安岡を流れる田川、油谷島の字「国」。
字「友国」 の近くには銅製壺鐙(あぶみ) が出土した本油谷古墳がある。


P895-後ろから4行目
室川を2キロメートルさかのぼると「八木原」 という所があり、江戸期には1町ばかりの水田があったが、現在は森林となっている。 ここはその昔、平家の落人が住んでいたという伝承がある。 八木の2字をくっつけると米になる。

私見
「八木」 は楊で、向津具の貴妃伝説の地の人か。
天武天皇は 天文・遁甲に能し であるから方士、陰陽道使いであり「楊」 氏だったと推理できる。 八木原に飛鳥浄御原宮、あるいは吉野宮があったか?

赤滝という地名は滝か。
卒塔婆山(357.7 m) という仏教系の山がある。
登山者のブログ
http://gomen.blog.so-net.ne.jp/2012-11-13

長門国で平家落人伝説がある場所
  向津具の本郷 字「宗信」
  油谷 大坊川上流 室ヶ浴の「八木原」
  日置下の「長行」  『大津郡志』 P9-9行目
  彦島の海士郷・迫町
  豊田湖の安徳天皇陵 参考地 字「王居止」


守屋神社
『ゼンリン住宅地図 長門市 西 日置・油谷』 2013年6月
P56 右
JR 長門古市駅の西側、日置農業倉庫の隣、神原さんの家に守屋神社がある。

古市は河内国の地名


妙見菩薩 Wikipedia
古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う) は天帝(天皇大帝) と見なされた。 これに仏教思想が流入して「菩薩」 の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。 「妙見」 とは「優れた視力」 の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。 七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。 今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」 とある。

妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教密教陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神) に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある


油谷町の後畑と角山の境に妙見山 (257.3 m ) がある。
妙見山を北極星と見て、向津具へ行く道は北斗七星の形に似る。

万葉集3153
越の大山 は向津具の中央部の道元山、惣萩、畑峠のあたり。


安倍家墓所
万葉集359
阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
  ↓
蔵小田の安倍家墓所あたり。
山口県風土誌 11巻 P266-8行目 に 鵜ノ石
「鵜ノ石」 は小字であり、掛淵川沿いに バス停 鵜ノ石 がある。

日本は日置上の小字「日ノ本」