楊貴妃墓 長門市 向津具  山口県風土誌


山口県風土誌 11巻 P321
楊貴妃墓 (向津具下村二尊院境内、石壱箇)

もと十三重の塔婆なりしが、二尊院無住の時榎本伊豆 [□□] 萩に移す。
其時石2箇を海中に落したるを、其一を拾へるなりと云ふ (十三重塔婆、萩長寿寺にあり)
楊貴妃が墓、此地に在ん事疑ふべき事なり。

依て思ふに、皇朝に楊貴姓あり、若は此姓の人の墓にて楊貴氏とか、楊貴某とかの墓と書伝へたるを、後聞なれたる楊貴妃の事と思ひ訛りて語り伝へしには非ざるか。

楊貴姓は古き姓にて、享保年間大和国宇知郡大沢村の山崩れし所より出て、今同所連華寺云寺に蔵る古墓誌、長6寸8分、濶9寸、厚弐寸の瓦に彫付たりと、好古小録に出せる墓誌に、従5位上守右衛士兼行中宮亮下道朝臣真備葬亡妣楊貴氏之墓、天平11年8月12日記歳次己卯、此吉備公の母なども楊貴姓の人の女と見ゆ。

歴史には多く管見なけれど、続日本紀に陽疑造と云があるは、若は此楊貴と同じ姓には非ざるかとも見ゆるなり。
何れもヤギなど訓べく思はる。 文字を変て書くは姓名ともに例ある事なり。

然はいへども楊貴姓の人、此地に縁ありと云証も無ければ、強て楊貴妃の墓に非ずとも亦決め難けれど、総て此あたりは辺要の地にて、古より官人来往して警衛しつらんと思はるれば、然る人の古墳には非る歟、猶思ふべしと風土注進案に宍戸直澂云へり


楊貴氏墓誌  Wikipedia
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