久富 油谷町


久富 は江戸期には久とも書いていた。
久富は日置庄との関係が深かった。


亀田 には、亀の甲に似た大きな岩がある。
『地下上申』 によると、大亀石・中亀石・下亀石を三亀大明神という小社に祀ってあるので亀田というようになったと伝えている。

長久 (ながひさ) は、長久の中の土居(地籍名土井) に、昔湯浅対馬守長久が居住した大屋敷の跡があるので長久と呼ぶようになったと『地下上申』・『風土注進案』 は伝えている。
この土井の近所に門田(もんだ) ・西門田があり、『地下上申』 に大屋敷の跡の東西を東門・西門と言っていたとあるのがこれにあたると思われる。
この辺は掛淵川沿岸で川幅も広く水深も深くて、舟も自由に運行されていた時代があったらしく、梶取の地名がある。 カジトリは海岸に多い地名で、海上交通に関係ある地名である。
この附近で、鰯をとって志道(しじ) の殿様に献上したという伝承があり、少し下流の梁場附近で鰤(ぶり)・鱸(すずき) をとって蔵小田八幡宮の神前に供えたという記録が『風土注進案』 にあるので、昔は海水がこの辺まで上っていたことであろう。

稲石 は、古くは稲目石と言っていたということであるが、もしそれが事実なら『和名抄』 の稲女はこの辺かもしれないと『風土注進案』 に記されているが、どこであるかはっきりしていない。

稲石の中に、市場酒屋 の地名があり、中近世期に稲石から人丸峠にかけて集落が形成され、交通・経済の一中心を形成した名残であろう。

油谷町史 P887



「志道」 とはどこか知らないが、「志都石室」 を思わせる。
土井に居住していた湯浅長久は対馬守であった。
文庫書紀⑤118-9  対馬国司守 忍海造大国

出雲国の場所は油谷町・日置町の掛淵川流域である。

有宗の南に字「片渕」 がある。 下照姫の歌に「石川片淵」
俵山の七重と油谷町の有宗の峠は 平治峠  出雲の比良坂か
熊野岳 359.2 m

日置町の国常は、日本書紀の冒頭に書かれた国常立尊の地である。