美和山  鬼ヶ城


山口県風土誌
P461  墳墓

牛鬼森 (厚母村の王子木布禰) 
由来書に、牛鬼神と申は往古上部甚左衛門尉久延と申仁、何方へか他出仕候処に十八九成化生の若児来り、甚左衛門妻に心を懸け夜毎に来候。
甚左衛門帰り候に付、妻女右之物語仕候へば甚左衛門不信に存、弓箭志度仕、同夜戸少し明け待、夜半時分又児(ちご) 来り、家内を伺居候処を射申とて弓引しぼり候節、座鳴り仕候得ば其儘逃失申候に付、翌夜は囲炉りをなるめ、其内に居候而戸少し明け待候へば、又来り内を伺候処を射候へば射付候に付、見合候へ共血を引逃失、翌朝引血をしたひ尋見候へば黒井之鬼ヶ城山え参り死申し付、則其所に埋置候。
其後地下え禍ひ仕に付、牛鬼神と名付祭候へば夫より禍ひ不仕之由、右之故牛鬼神森と申伝候と見ゆ。


古墓 (同上の鬼城山の頂、磯石にて築く)
同上に牛鬼と申者、鬼ヶ城山に住候哉、又はいつれに住候哉、隣村え出、美童に化し女にたわむれしを主待受、夜半許に弓にて射候得ば鬼ヶ城山え曳申候。
血の流をしたひ見付、此所へ埋申の由地下人申伝候。
尤只今其墓の本へ参り候へば、名も知れぬ蠅の形の虫、墓の中より四季ともに大分出、人に取付申候と見ゆ。



この話は美和山だ。

尉久 ・・・・ 古事記の玉依比売
よく分からないが、「尉」 は官で、「久延」 が名かもしれない。