永田郷「大居」 の 日の殿


吉母の漁師は北浦(山口県山陰の海岸) では一番古く、朝鮮の釜山まで漁に出かけていた。
吉母の黒島は昔は陸から離れた島で、黒島と付近の浜は松林だった。
往時、黒島周辺は松が茂っていたので難波の姫島である。

吉母は倭国の難波である。

「楽浪の志賀の韓﨑」 である淡海国は永田本町である。
塩田が埋まるまでは地形が淡海だし、
万葉集218
楽浪の志我津の子らが罷道(まかりぢ) の川瀬道 ・・・・ 永田郷の御堂遺跡
である。

永田川上流に小字「ひのどのヶ原」 と「大居」(だいい) がある。
小字「大居」 に居た地場勢力の日野殿が攻められて全員討ち死にする時、家臣たちが大声で「日野殿 !!」 と叫んだという。
「大居」 にあった日野殿の無縫塔が後に妙音寺に移されたらしい。
「日ノ殿」 「大居」 の真東に鬼ヶ城があり、「大居」 から永田の海がよく見える。

鬼ヶ城 山頂の緯度 北緯34度5分47秒
= 永田郷 小字 「日ノ殿」 「大居」 の緯度 北緯34度5分47秒


倭国の
難波は吉母
難波の姫島は吉母の黒島

日本書紀で伊奘諾尊の幽宮とされる「日の少宮」 は御堂遺跡
淡海朝廷の王都は永田郷の「日ノ殿」「大居」

もしかしたら、小字「日ノ殿」「大居」 が魏志倭人伝の邪馬台国かも。
場所は老人ホーム春光苑・梅花園の裏側である。


梅ヶ峠
梅光学院大学の廃校になった梅ヶ峠校舎を入って、生徒用駐車場横のテニスコートの下が小字「王地」
厚母川と国道191号が交わる場所の東側が小字「里」

梅光学院大学 梅ヶ峠校舎は倭国(本当の記紀・万葉の国) の中心部に位置していた。
万葉集4506
高円の の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば
 しずかうどん 梅ヶ峠店 付近の小字地名が「神ノ前」 「野中」 なので、高円は日の殿の小字「大居」 ~ 廃校 梅ヶ峠校舎 のあたり。
またその東隣の小字「大原」 は大原真人の地であろう。

万葉集205
王者 神西座者 
おほきみは かみにしませば
妙音寺と小字「大居」 の間に小字「西」 がある。

妙音寺-字「山ノ内」 -字「西」-字「大居」-字「日ノ殿」-春光苑
と繋がる。

小字「大居」などに小さな溜池が複数ある。
小字「田」 を牟智和気の御子の地とすれば、溜池は倭の市師の池・軽の池だ。 誉田天皇 ⇒ 小字「本田」 に転訛か。

梅花園の小字は「国賀」 である。
小字「榎原」 は
岩波 続日本紀(一)  P13 最後の行
井朝臣倭麻呂、大楯を竪て


厚母大仏
戦前は国宝。 戦後は重要文化財
説明看板によれば、厚母大仏は坂上田村麻呂に関係しているので、大伴坂上郎女の「坂上」 は厚母の小字「里」 かな。

厚母から鬼ヶ城がよく見える。 香具山または高山は鬼ヶ城だろう。