御堂遺跡 永田郷


下関市で景色が素晴らしい場所は
  秋根の砂子多川 ・・・・ 江戸後期に毛利藩が曲水の宴を行う
  吉見・永田沖の加茂島 ・・・・ 下関の画家か必ず絵にする
  角島大橋 ・・・・ エメラルドグリーン
万葉集は景色が凡百でないから成立した。
家の近くの景色を見て感動感激が湧き起こらないなら歌の文化は生じない。
眺めて月並みな田舎風景なら、そこは万葉集の歌場所ではない。

記紀・万葉の場所は下関市と鐘﨑である。
岡垣町波津から蓋井島・吉見が直に見える。

前方後円墳に似た山
  勝山
  内日の六万坊山
  福江から眺めて、永田本町の岬にある海上自衛隊下関基地の山

福江の海岸から眺めて、海上自衛隊基地の山は前方後円墳 あるいはの形をしているので倭国の人好みである。

海上自衛隊基地がある場所の小字は「ゑびや」 である。
山口県風土誌によれば永田郷で国有林がある山に 箙山 という山がある。
場所は「魚附」 であるから「ゑびや」 の山か。
(えびら) 矢を入れて背負う具


永田郷の御堂遺跡から縄文時代の木棺墓が出土した。
縄文時代のガラスも出たという。
これは前代未聞であり一番古いので、伊奘諾尊の墓だと決められる。

小字「御堂」の東隣の小字「宗教」。 字地名が宗教である。
「御堂」 の北100メートルに小字「若宮」 ⇒ 少宮か

岩波文庫 日本書紀(一)  P60
乃ち天に昇り詣づ。
是の後に、伊奘諾尊、神功既に畢へたまひて、霊運当遷れたまふ。
是を以て、幽宮(かくれみや) を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。
亦曰はく、伊奘諾尊、功既に至りぬ。
徳亦大きなり。
是に天に登りまして報命したまふ。
仍りて日の少宮(わかみや) に留り宅みましきといふ。


万葉集3244

岩波書店 新日本古典文学大系 萬葉集 は細井本により「小浪」 とするが、
これは「日の少宮」 の場所なので、「少」 の字が正しい。


Google 地図 航空写真 を参照してくだい
ラブホテル セピアを通り、
救護施設下関市梅花園の裏が小字「国賀
養護盲人老人ホーム春光苑の裏が「日ノ殿」で、廟墓と解説看板がある。

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【 本書は日野資朝後裔を称する某家に伝わる家伝を鵜呑み 】

万葉集3241 左注
この短歌は、或る書に云く、「穂積朝臣老の佐渡に配せられし時に作りし歌なり」 といふ。
これは春光苑の裏にある「日野殿」立て看板の解説文と似ている。


私見では小字「日ノ殿」 は伊奘諾尊の幽宮である日の少宮である。
または「日ノ殿」 は倭国の首都である。
「日ノ殿」の東隣の小字「国賀」 は淡海の多賀または国衙である。
「日ノ殿」 の北東隣の小字「大居」 は王居またはである。
この場所は鬼ヶ城の真西に位置する。
鬼ヶ城 山頂の緯度  北緯34度5分47秒
永田郷
  小字「日ノ殿」 の緯度  北緯34度5分45.4秒
  小字「大居」 の緯度  北緯34度5分47秒
※ 小字「日ノ殿」 の北東(斜め北隣)に小字「大居」 がある。
ここが漢委奴国王の地か。 


古事記では淡海に近つ淡海と遠つ淡海がある。
近つ淡海の場所が永田だ。

石王田-石田-御堂-宗教
という小字が西から東へ並ぶ。
「御堂」 の南隣の小字は「馬渡」
万葉集の石田(いはた) の須神だ。
1730
1731
2856
3236


長門の浦が転じて永田になったのか。
永田川の干満は日本最古の入り浜式塩田跡を造った。

伊奘諾尊が「日本は浦安」 と述べたが、この場所は海上自衛隊下関基地がある永田本町だ。
安河は相海に流れているので、永田川が安河か。

楽浪の志賀の韓﨑は永田本町だ。
天智天皇の志賀の大津宮は永田本町だ。
白村江の日本軍船団は永田本町から出征した。


日の少宮を発見
石田の杜を発見