道伯山 八幡西区


大伯海の「伯」 について、黒崎駅の東に道山がある。

古事記 出雲の多芸志の小浜 は中間市役所前の川曲がりである。
諏訪の海 は長野県の諏訪湖ではなくて、洞海湾の諏訪だ。
枝光八幡宮 (八幡東区諏訪2丁目1-5) の祭神に武御名方命がいる。

光照寺遺跡  弥生時代の環濠集落  
八幡西区 香月西

洞海湾で「諏訪」 の地名は、
・ スペースワールドの東側、諏訪
・ 穴生(あのお) 2丁目 鷹見神社は「諏訪山」 にある。

景行紀  神夏磯媛の「周芳の娑麼」 ・・・・ 神夏磯媛は洞海湾の人か
仲哀紀  熊鰐の「周芳の沙麼」
の「周芳」 はスペースワールド東の諏訪である。



斉明天皇 7年正月6日
岩波文庫 日本書紀(四)  P366・368
御船西に征きて、始めて海路に就く。
8日に、御船、大伯海に到る。
時に、大田姫皇女、女を産む。
仍りて是の女を名けて、大伯皇女と曰ふ。
14日に、御船、伊予の熟田津の石湯行宮に泊つ。
3月25日に、御船、還りて娜大津に至る。
磐瀬行宮に居ます。
天皇、此を改めて、名をば長津と曰ふ。
5月9日に、天皇、朝倉橘広庭宮に遷りて居ます。



中間市では、中間市の岩瀬に磐瀬行宮があったという言い伝えがある。
長津は中間市の長津である。
朝倉橘広庭宮は中間市にあった。

遠賀郡宗像郷は中間市の中心街という説がある。
中間市史  P273
遠賀町誌  P221


温泉 の場所は、則松と浅川に温泉(冷泉)がある。
遠賀郡誌 総論  P77

則松鉱泉
折尾村大字則松字穴田にあり、方6尺許の間より湧出で旱歳にも涸るる事なし、此泉元来鉱泉なり、近年之れを温湯となし浴場となせしが、頗る効験あるを以て浴客常に絶ゆることなし、昔より是を正願給の清水と称せり、其由は同区の正願給清水の条下の詳なり。

浅川鉱泉
島郷村大字浅川にあり。


黒崎駅の東に道山(どうはくさん) がある。
ネットで調べると、
ここに福岡藩の黒崎城があり、築城した者の名前が井上周防之房(道伯)だったので、道伯山というらしい。
※ 名前にある「周防」 も気になる。

この道伯山の東北麓に住吉神社がある。  Google 地図 参照せよ。



八幡西区
岡田町  岡田神社  熊鰐の地で、岡県の言い伝えがある。
皇后﨑公園  一宮神社  神社内に古代の「磐境 祭祀跡」 がある。

陣原(じんのはる)  旗頭神社
祭神  武内大臣 住吉明神 志賀明神  麻生近江守興春
かつて当地に「旗指」 という者の墓があり、小祠があった。


穴生2丁目の 鷹見神社 は下宮で、上宮は一瀬の鷹見神社である。
鷹見は「高見」 とも書かれた。


大畑町 黒ヶ畑遺跡  「福岡県の地名」  平凡社 P189上
弥生時代中期中頃~後期初頭の高地性集落
遺物は一般の弥生集落と同じで、一定の農業や狩猟・漁労活動をするが、武器はほとんどない。
見張り、通信・連絡のネットワークに組み込まれていた遺跡である。



引野の北側に欽明天皇の伝説がある。
遠賀郡誌に、
安在野 引野区の北4町許にあり。
欽明天皇この所に駐駅し玉ふ時、道路に布設けし故に此の里を引布の庄と云。

金丹王宅址 金丹王如何なる人なりや伝はらず。


撥川(ばちかわ)の川の名前も気になる。
「撥」の字は、
「ハツ」 ・・・・ 漢音
「バチ」 ・・・・



日本書紀 景行天皇の遠征
京 ・・・・ 岡田・穴生から永犬丸のあたり 
熊襲 ・・・・ 松本遺跡 ?
石瀬河 ・・・・ 中間市の岩瀬
筑紫国 ・・・・ もと出雲国であった中間市役所のあたり
夷守 ・・・・ 中間市役所のあたり

八幡西区の香月は葛城とも書かれた。
垂仁紀 新羅王の子 天日槍の弟 知古 ・・・・ 「知古」 は直方市の大字地名

丸ヶ谷遺跡  永犬丸
7世紀後半の窯業遺跡

万葉集の相海の「相」 の字
相生町
本城の相坂


万葉集の高市連人の「黒」 は黒崎か。
穴門、高天原は北九州市 八幡西区 黒崎 ~ 穴生のあたり ?

穴門は洞海湾の八幡(東区・西区) であり、穴門浦宮は
山八幡神社  八幡東区 春の町4丁目
宿八幡宮  八幡東区 祇園
のあたり。