女王国 の東


魏志倭人伝
女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。

女王国は福岡県岡垣町の波津 (「初」 とも書かれた) である。
波津から下関の蓋井島方面を見ている。
伊都国の場所もほぼ同じ。


南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。
7万余戸ばかり。


①考  この邪馬台国は穴門豊浦宮で、場所は佐世保市広田の住吉神社のあたり。
穴門は佐世保市である。

②考  神功皇后が都した所は磐余若桜宮である。
下関市の秋根・石原のあたり ?
(理由)
勝山の形が象に似ているので、万葉集の「吉野の象の中山」 である。
石原橋の下に砂防ダムがあり、もと急流があった場所だろう。また、サンデンバスの石原車庫前は綾羅木川の急流である。吉野の迹驚淵(とどろきふち)に該当する場所がある。
吉野に入る手前に磐余があるので、磐余は秋根・石原だ。

岩波文庫 日本書紀(五)  P154
天武天皇下 8年8月11日
泊瀬に幸して、迹驚淵の上に宴したまふ。
泊瀬の音より岡垣町の波津に近い手野の滝も考えられる。
迹見駅家 ・・・・ 小倉北区の富野、下関市の冨任・有冨

山口県西部(旧豊浦郡) は神功皇后の伝承が多いので、倭国の都は豊浦郡と思える。

 
日本書紀 允恭天皇 42年11月
ここに新羅人、恒(つね)に京城(みやこ)の傍の耳成山・畝傍山を愛づ。
美しい形の山が2つある場所は新下関だけである。
耳成山 = 新幹線 新下関駅から見える青山
畝傍山 = 伊倉の火ノ見山
※ 畝傍山は古事記では畝山。火の見山はの見山とも書かれた。

奈良県の大和三山は新羅人が愛でる姿をしていない。
来訪の外国人が褒める山が1つでなく2つあることが都の条件である。

長府に和同開珎の鋳銭所があった。
日本初の鋳銭所が都から遠いはずがない。
和同開珎の鋳造遺跡が見つかっている場所は下関だけである。