芦屋町 山鹿


岩波文庫 日本書紀(二)  P128
仲哀天皇 8年正月4日
山鹿岬より廻りて岡浦に入ります。

男神 大倉主 ・・・・ 大国主神という説あり
女神 菟夫羅媛 ・・・・古事記  猿田彦が阿耶訶で沈んだ時の都夫多都御魂

比良夫貝 ・・・・ 遠賀川の川舟を「ヒラタ」 という。


楽浪の淡海は山鹿のあたりか。
東海君子国は大己貴神の国

物部氏は遠賀川流域の人たち説あり。
万葉集の物部 八十氏川 は遠賀川・犬鳴川

穴門の引嶋 ・・・・ 芦屋町柏原の海食大洞窟の洞山(どうやま)
「引」 は日置

記紀の「穴門」 は複数ある。
穴門豊浦宮、穴門の引嶋、穴門直践立、穴門館の「穴門」 は場所がちがう。

天成の石橋 ・・・・ 槵日の二上の天浮橋
福岡県の地名  平凡社 P127下 
同じく洞山には長32間半、横12間半の板敷と呼ばれる平らな岩盤(現在は千畳敷とよぶ) が海に突き出ていて、板敷北東部の入江には、幅1尺5寸、長さ1丈、高さ3尺3寸の「天成の石橋」 が架かり、「洞山・板敷・石橋、3つの物造化の巧妙にして、異なる境地也」 と賞される景勝の地であった。
しかし石橋は寛保年中(1741-44) に中央が崩れ落ち、両端部がわずかに残るだけとなった。


浅川の日峰山に、瓊瓊杵尊がいなくなった山幸彦を探しに来た、山幸彦がなくした釣針を探しに来た、という言い伝えがある。