山鹿貝塚 淡海


芦屋町の夏井ヶ浜に群生するハマユウは、山口県西部の山陰側 下関市綾羅木~吉母、角島、長門市二位ノ浜 にも自生している。開発のために数は少数となっている。 (ハマユウは山口県西部山陰が自生の北限)

万葉集3238
相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡
白木綿花 とは、
考 若松区 頓田の小字 「綿田」 ― まさに歌そのもの
考 浜木綿花 ― 怒涛の白浪が押し寄せる響灘沿岸に群生している

下関市長府にも逢坂がある。
万葉集336 白縫 筑紫乃綿 もある。
吉野にも白木綿花がある。 万葉集911、912
吉野の三船山は若松区小竹の白山。
万葉集916  茜刺  ― 若松区向洋町の茜橋 (ひびき茜ライン)


地政学的に関門海峡を抑えなければ日本列島を支配することができないし、畝火山 ・ 耳成山は新下関の火ノ見山 ・ 青山と思えるので、楽浪郡の蓋弓帽が出土した下関市川中が淡海国や高天原かもしれない。
淡海の佐々紀山君 韓帒 ― 下関市 延行(のぶゆき)の小字 「佐々木」

若松の対岸が下関の綾羅木で、台地上から海越しに大きな建物が見える。
神武東征は 若松の安屋から対岸の下関の綾羅木へ
と考えるのは実際的な推理である。

蓋弓帽が出土した下関市 稗田地蔵堂遺跡 は洞海湾の若松がよく見える丘陵上にあり、伊倉の火ノ見山の西南に位置する。
垢田の辻 交差点北 の小字が 「天野」 である。
日本書紀によれば、神武天皇は畝傍山東北陵に葬られた。
芦屋の柏原は「かしばら」とよみ、奈良県の橿原と同じである。
垢田にも 「柏原」 の小字地があり、そこは新垢田北町の北の山上である。
垢田の小字 「沓」 (くつ)は靴を履いた偉い人が上陸した地だという。
垢田の海は船が難破する場所だった。難破は難波に通じる。
垢田八幡宮は天御中主尊などが祀られている。



万葉集266
淡海乃海 夕浪千鳥 鳴者 情毛思努古所

夕浪なので、夕日が海に沈むのが見える場所だ。
千鳥は福間(現 福津市)の地名であり、千鳥ヶ池がある。
汝は大汝こと大国主神を示している。

この歌の着眼点は 古所 だろう。
古所の淡海 の場所は芦屋町の山鹿貝塚で、古代では遠賀川河口右岸 正津(しょうづ)ヶ浜は潟湖で海だった
戸という場所がある (山鹿唐戸) ⇒ 韓﨑、韓帒か
遠賀川河口の山鹿側には神社が多いので、万葉集の神楽浪・神楽聲浪の場所かも。

この歌の場所は芦屋町の正津ヶ浜 山鹿貝塚 である。


万葉集265  長忌寸奥麻呂
苦毛 零来雨可 神之埼 狭野乃渡尓 家裳不有国

狭野は山鹿の小字 「佐野屋」 で、狩尾の近く。

狩尾岬の突端を 長磯 という。
忌寸奥麻呂の 「長」 は長磯にちなむ。
忌寸なので、ここが出雲の五十田狭の小汀だろう。