邪馬台国 宗像説


柿本朝臣人麻呂の、筑紫国に下りし時に、海路にして作りし歌二首
万葉集303
名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

万葉集304
大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所


嶋門 の場所は北九州市若松区の響灘沿岸に位置する 安屋 (あんや)です。
神代の所 なので、古事記 上つ巻、岩波文庫 日本書紀(一)の 神代上 ・ 神代下 は若松の安屋付近の話です。
たとえば海幸彦の阿多隼人は有毛の小字 「小橋」、または安屋の小字 「犬啼」。

万葉集の歌のルートすなわち 邪馬台国への道 は、
津屋崎の宮地嶽―宗像市(神湊、東郷)―宗像市名残―靡山―若宮町役場―宮田町役場―遠賀川の木屋瀬―中間市役所―折尾駅―本城の相坂池―県道277号で山越え―響灘の頓田―安屋の八幡神社―芦屋町の山鹿


魏志倭人伝では、
末盧国 ― 福津市 津屋崎の渡
伊都国 ― 北九州市 若松区の 安屋 
※ 芦屋町の山鹿、柏原、山鹿唐戸 も伊都国の候補地。 伊都国は若松の島郷。
奴国 ― 小倉南区の曽根 (竹馬川下流の沼、長野)
不弥国 ― 文字 (門司)
投馬国 ― 「水行」 は遠賀川をヒラタ舟で上る意味で、田川市または飯塚市
邪馬台国 ― 木屋瀬 (こやのせ)まで水行して、靡山を通って宗像市に入る


宗像市は甕棺の埋葬文化ではない。
福岡市の甕棺勢力の中心は飯塚市の立岩にあったとみて、
狗奴国(熊襲)は飯塚市。根の堅州国は片島の堅磐(かたしま)郷。
熊襲の首領の名は取石鹿文またの名は川上梟帥。

女王国 は穴門豊浦宮の下関