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<<   作成日時 : 2010/04/28 16:00   >>

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記紀万葉の松浦と魏志倭人伝の末盧国はちがう。

=古事記の松浦=

@考 岩波文庫の古事記で松浦は「筑紫の末羅県の玉島の里」と書かれてある(P135)。この筑紫は阿久根市をさす。

松浦は黒之瀬戸の八代海側入り口に突き出た「市来ア」「観音」である。市来は斎(いつく)、厳くとみる。「梅豆邏国」(書紀2巻 P142)だから「梅之木山」まで入れてよい。この場所で戦争の勝ちを占う。娘が出兵兵士に手を振る。宗像三女神の 市杵嶋姫→市来崎 か。

筑紫(=阿久根市)の脇本は「ここは韓国に向かい笠沙の御前を真来通りて」だ。


A考 角川文庫の古事記は「竺紫」(阿久根)と「筑紫」(九州)を分けている。

「筑紫の国の伊斗」は「竺紫」の場所ではない→岩波文庫の古事記P135の2行目は「筑紫」、角川文庫の古事記P126は「竺紫」と「筑紫」を分けている。

「筑紫の国の伊斗」は百済土器が出土した遺跡がある福岡県太刀洗町稲数である。北野町稲数の小字に「蚊田」(書紀2巻 P190)がある。


「筑紫の末羅県の玉島の里」は五島列島である。



=万葉集の松浦=

万葉集の松浦は五島列島である。玉之浦の地図を見ると「小川」の地名がある。小河は神功皇后が戦勝占いに鮎を釣った川である(書紀2巻 P140)。


=日本書紀の松浦=

阿久根市の山から見て、財の国がある「西」の方角にある国は五島列島である。偵察に行った磯鹿の海人「草」は草垣群島の人か。2巻 P152の「西蕃と称ひつつ」で内官家屯倉になったのは五島の新羅・百済・高麗入植地だ。万葉集3681題詞で「肥前国松浦郡狛島亭」とある。地名が「狛」だから、ここの人間は犬を食べる韓人である。


松浦の漁師の娘が仙媛とされる理由は、

@考 玉島は豊玉姫、玉依姫の里。つまり松浦の娘は海神豊玉彦の娘豊玉姫・玉依姫の末裔だから。

A考 宗像三女神は「海の北の道」(書紀1巻 P74)におり、「海の北の道」が黒之瀬戸または五島列島なら松浦の娘は宗像三女神の末裔だから。


福江市の八幡神社では宗像三女神を祭祀している(平凡社の地名辞典 長崎県巻 P770中)。

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