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zoom RSS いせどの森 吉母の字「西条」

<<   作成日時 : 2017/03/17 02:11   >>

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『よしみ誌史』 P711 威瀬
いせどの森 地下上申 ※威瀬の死体は「難波の姫島松原 美人死」 の話に似ている。

風土記333‐5  肥前国風土記 松浦の郡
各、弟姫子の骨と謂ひて、すなわちこの峰の南に就きて、を造りて治め置きき。 その墓見に在り。
  ↓
場所は吉母の字「西条」 小西さん宅の家裏 崖下のお堂

肥前国風土記 松浦の郡 では山の頂に沼がある。 峰の南に墓がある。
この記述に合致する所は吉母 字「明見」 の妙見。 西光寺の西にある溜池の上。

万葉集853〜865  松浦は神仙で巫峡、

大水口宿禰 Wikipedia
『先代旧事本紀』 「国造本紀」 には、次の国造が後裔として記載されている。
末羅国造 - 志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に穂積臣同祖の大水口足尼の孫の矢田稲吉を国造に定める。 のちの肥前国松浦郡周辺にあたる。


古事記 筑紫の末羅県の玉嶋里
口、沼、城、門、江浦島子

倭の人 魏志倭人伝
吉母浜遺跡からアワビオコシが出土し潜水漁が行われていた。

伊勢続麻

文庫書記A132‐2
便ち高き岳に登りて、遥に大海を望るに、曠遠くして国も見えず。
水沼県主大海  猿田彦、大伴狭手彦
吉備上道采女大海

「大海」 は地名だ。
仲哀紀 文庫書記A132‐2
便ち高き岳に登りて、遥に大海を望るに、曠遠くして国も見えず。

大海人皇子(天武天皇)

今昔物語集
震旦付国史 「秦始皇、在感楊宮政世語 第一」 に「大海」 の文言が出てくる。
岩波書店 新日本古典文学大系 今昔物語集A285-8、10、12
大海ニ高大魚ト云フ大魚有リ。


黒嶋 普陀山
http://44051510.at.webry.info/201504/article_13.html
黒嶋の細い海峡「切れ戸」 が洞海
いせどの森 神功紀の神託 向津媛
向津野大済=伊勢の度会県=いせどの森

穴門豊浦津の如意珠=潮満瓊・潮涸瓊

穴門から筑紫に向かう時、熊鰐・五十迹手が天の磐戸の儀式で仲哀天皇一行を迎えた。


神功皇后は吉母の黒嶋から渡海したと言い伝えられる。
『下関の伝説』 下関市教育委員会 昭和57年 改訂版
P133 蓋井島 見付の瀬
皇后さまが宗像の三女神に戦勝を祈られたあと、黒アの浜から船出されたとき、波間にこの島をみつけられたところからつけられました。
吉母の西条に宗像さん(433番地) という家がある。


『 卑弥呼の墓 』 原田美涼 著  平成12年 下関図書館 蔵書
P141
「この黒嶋は "墓域" で、フタオイ島とは "棺の蓋をおおう" の意味がこめられての名前ではないでしょうか?」
私の問いかけに、小野泰應氏は大層驚かれた。 心当たりがあると、ご自分で纏められた、冊子『 黒嶋観音と吉母海岸 』 を下さった。
次にその一文を紹介する。

「黒嶋は、黒嶋観音縁起によりますと、往昔は諸神集会の霊地であったと記されており、吉母のシンボルであり、信仰の霊地であります。
又、吉母の里を港を風雪から守る天然の要害として、或は、風景の要として往古より今日に至るまで、大事に守ってきているところで、鎌や鋸などを持って山に立ち入らぬという、大昔からの不文律が、厳重に伝え守られているのです。 ・・・」



伊勢は2か所ある。
伊勢  御崎
伊勢の度会県に坐す神  吉母の字「西条」 いせどの森


いや違う。 いせどの森は伊勢神宮ではない。
神功紀の神託は「向津媛」 なので陸の対岸のだ。 黒嶋が伊勢の度会県だ。
黒嶋観音 黒嶋山普門院が伊勢神宮で吉備島皇祖母だ。
黒嶋は「久留島」 ともいう。 久留=牽=引。 穴門の引島は吉母の黒島だ。


万葉集1668〜1673 吉母の黒嶋か

山口県風土誌 9巻 P437‐末行
辨天社(吉母村) 黒島神社(同上)
若宮由緒書に、辨天・黒島神と申二社は神功皇后異国への御つれ被遊候神と申伝候と見ゆ

  ↓
太平記 巻第40 神功皇后高麗を攻め給ふ事
小学館 新編日本古典文学全集 57 太平記C
P430‐7 竜宮に宝とする旱珠・満珠
頭注13
「安曇磯良ト申スハ、筑前国ニテハ鹿嶋(シカノ)大明神、常陸国ニテハ鹿嶋大明神、大和国ニテハ春日大明神ト申ケリ。 一体分身、同躰異名ノ御事也」(八幡愚童訓)。
大和国 万葉集667左注 安曇外命婦
春日大明神の場所は有冨上八幡宮(岩谷さん宅前の坂上にあった)

高良明神 大河原(おおこうら)、吉母海岸の甲原折






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