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zoom RSS 豊浦町の王氏

<<   作成日時 : 2017/03/11 14:33   >>

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『豊浦町史 二』 P220‐6行目
杜屋神社の鐘銘に見える矢田部氏、本姓を王氏、橘氏とする人々
 ↓
王氏

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81

百済王氏
百済王 禅広(善光) 文庫書記D270‐2、D30‐12

明軍が歌一首
ttp://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoutorai/yomyougun/sijin.html

厚母 梅光学院大跡北側の小字「王地」

百済系王氏がいた場所は黒井・厚母か。


新羅 涌田後地

任那 文庫書記A20‐7
是を以て、汝が本国の名を改めて、追ひて御城天皇の御名を負りて、便ち汝が国の名にせよ
  ↓
室津の字「」(はざま)

新羅は涌田後地、任那は室津 字「間」 である。


角川日本地名大辞典 35 山口県
吉永 <豊浦町> P887左

吉永別府 南限 大池 隼人之流也
吉永の南に大池があった。 これが淡海か。

隼人の 「流」 は支流、あるいは血筋。
吉永と黒井の境、または黒井に隼人がいた。

『豊浦町史 二』 P307 吉永村地下上申絵図では吉永川は野川とある。

継体紀 近江毛野臣 文庫書記B208‐6
枚方ゆ 笛き上る 近江のや 毛野の若子い 笛き上る

室津・黒井の海岸の松林を「木ノ村」というので朝鮮半島に出兵していた氏は室津・黒井の人たちだろう


文庫書記D32‐11 天智3年
是の月に、海国言さく、「坂田郡の人 小竹田史身が猪槽の水の中に、忽然に稲生れり。 身、取りて収む。 日日に富を致す。 栗太郡の人 磐城村主が新婦の床敷の頭端に、一宿の間に、稲生ひて穂いでたり。 其の旦に垂頴して熟なり。 明日の夜、更に一つ穂を生せり。 新婦庭に出づ。両箇の鑰匙、天より前に落ちたり。 婦取りてに与ふ。 始めて富むことを得たり」 とまうす。

近江でなく海の表記である。
名前の「殷」 が中国王朝の殷と関係しているようで興味深い。
話は 稲穂=富む である。

村主(すぐり) 中国系朝鮮人、渡来人
万葉集30 楽浪の思賀の辛碕

室津下 松原遺跡(縄文) 潟湖


岩波 新日本古典文学大系 今昔物語集 五 P514
太郡の巨樹 柞はクヌギ

小学館 新編日本古典文学全集 今昔物語集 4 P37

長門国豊浦郡 原郷






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