邪馬台国 下関

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zoom RSS 日明一本松塚古墳の壁画は「八紘一宇」 を描いたものである。

<<   作成日時 : 2017/03/30 01:03   >>

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邪馬台国の位置は下関市有冨のハンドウ山登山口付近である。
この場所が記紀・万葉、続日本紀の都である。
考古学の業界はまったく的はずれだ。

青銅器、鉄器その他副葬品から階層性を分析する考古学業界の在り様は馬鹿であり、重要なのはモノよりも文化思想である。 倭国の文化思想は神仙思想であり、神仙思想は中国伝来のものであるから風水、陰陽五行、易経、道家思想を観察のモノサシにすべきである。 神仙思想は不老不死の仙薬などモノもあるが、まずは方位である。 方位は神威である。


十二支 
十干
八卦 連弧文鏡のデザインは八卦鏡に似る。
五行 上の山古墳(6世紀前半) の鈴付き釧


連弧文鏡 前漢
稗田地蔵堂遺跡
立岩堀田遺跡

ネットの国土地理院地図を使って
下関市有冨ハンドウ山登山口 と 立岩堀田遺跡 を線で結べば
  仁馬山古墳
  垢田交差点東側(稗田地蔵堂遺跡)
  武久浜(半両銭)
  彦島八幡宮北側
  小倉北区 日明小学校(日明一本松塚古墳)
  槻田小学校付近(高槻遺跡)
が直線で並ぶ。 方位は未(南南西) だ。 夜の食国の方位か。

『安倍晴明占術大全』 藤巻一保 著 学研 2000年
P86‐1行目
(未は) 卦では天山遯をあてる。


日明一本松塚古墳の壁画
下関市有冨字「中村畦」から各方面の方位が描かれている。
竹生寺−有冨墓地東側 の尾根筋も描かれている。
  ↓
この壁画は「八紘一宇」 の絵である!!

前漢の連弧文鏡と6世紀後半の日明一本松塚古墳とは600年以上の隔たりがある。 しかし「神威の方位」 は消せない。

弥生前期
前漢時代の風水、陰陽五行、易経、道家思想は「最先端の文化」 として北部九州・下関に入っていた。



『金属器登場』 歴史発掘 7  講談社 1997年
岩永省三 著
P44 倭人は、中国鏡の図像の意味と、その細部表現が理解できなかった。

私見は岩永先生とは逆で
倭人は中国鏡のデザインの意味を理解して欲しがったので威信財ではない。
「倭人」 は下関の人たちで俗物たる関西の連中ではない。

『岩波講座 日本歴史 第1巻 原始・古代1』 2013年
P103〜P134
「東アジアにおける弥生文化」 執筆 岩永省三 
私見・反論
日本書紀では神宝は倉の奥にしまって人前で見せるものではない。
日本書紀には考古学者がいうような威信財は登場しない。

邪馬台国九州説の文献的根拠は旧唐書である。
古田武彦に影響を受けた人たちは、西暦700年前後まで関西政権の「日本国」 とは別に九州王朝の「倭国」 が存在しており、東遷はなかったと見る。

私は邪馬台国=旧長門国豊浦郡 説である。 その根拠は和名抄の豊浦郡には古代官道が造られなかったことである。
下関市域と長門市油谷・日置には古代官道が通っていない。

前方後円墳=蓬莱山 説
前方後円墳のデザインは神仙思想の蓬莱山である。





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