邪馬台国 下関

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zoom RSS 吉母 自費出版の郷土本から

<<   作成日時 : 2017/03/21 14:37   >>

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『よしみ史誌』 P714 出合薬師
室津村の田中殿という御仁と吉母村の真鍋殿と申される御仁

『豊浦町史 二』 にある中世の豪族
真鍋氏は室津上 字「山中」  後に吉母に進出
吉母 若宮神社の記録に真鍋氏
万葉集1669 三名部(みなへ)の浦 「なへ」 は真鍋の「なべ」
万葉集1 語呂で「ナベ」

若宮神社の宮司 須子さん宅 江良にある。
「須子」 は広辞苑などに「素子」(すこ) として意味が載る。

田中殿 田中朝臣法麻呂
『汀の里』 吉母の婦人会 1996年 自費出版
P93
御崎の淵ヶ谷付近の小字「田中殿」

古事記 田中臣
舒明紀 田中宮 文庫書記C176‐10

来原氏 和名抄の豊浦郡栗原郷か
古代の地名領域は広い面でなくポツンとした点だった説あり。


『吉母(汀の里)の歴史』 神功皇后は吉母を隠した
蔵田正彦 著 平成21年 自費出版
P54 三本松
石王田の栗原曲がり

P51 黒嶋神社
長門国一の宮住吉神社史料(文明13年 1431年) の「一の宮御神事年中記録注進案」 に、九月廿九日吉母大将軍並びに黒嶋神、御供へ御神楽神祭とあり、三韓退治の守護神也とし、若宮神社の左側下に祭られ、後に合祀されて居ります。


ふるさと史話(その一)
『天平の島と杜と神の水』
ふるさと史話(その二)
史料がかたる 吉母「胞塚(よなづか) 伝説』
福本 上(のぼる) 著 平成10年

私見
P6〜
住吉神社
高良大明神は吉母海岸の甲良折または大河原(こうら、こら) であろう。

穴門の速都鳥=隼 隼人
穴戸の大田、白雉=三島の雌雉田、大河内直
大河原・ゴミ埋立地あたりか。

P29‐4
「時の浦」 俗に西ノ浜という本宮より一里半ばかりにある。 「中古より神事場となれり」 向かいに小戸という浜あり。 このわたりの東の下に巌穴あり(中略)
私見
「小戸」 という浜が綾羅木か蓋井島か他どっかにある。
私見では綾羅木郷 字「宝前」 が小戸だ。

P36‐2
さざなみの里 私見では吉母漁協がある所

P47-3、P48 図
全国郷社以上の神社の約30%は「三つ巴」
長門住吉神社の神紋は「水巴」 で全国唯一

「巴」 といえば考古学の巴形銅器である。
巴形銅器と長門住吉神社の「水巴」 は関係する。

万葉集
76 巴形銅器の歌を発見!
77 御名部皇女


蔵田正彦 著 平成21年
『吉母(汀の里)の歴史』 神功皇后は吉母を隠した
P69‐9
吉母若宮神社の開基大略には『上棟南謄部州大日本国山陽道長門国豊浦郡吉母邑若宮大明神と云うは、住吉御本宮也。 古昔、神功皇后異国三韓退治の砌、新羅百済国を従え御さる。 蓋井嶋岩戸と申す所へ着かれ夫れより当所の御崎尻之御着船、玉井浜辺浦に揚がられ、近江浦堂にて御誕生御座せらる。

『住吉大社神代記』 の場所は下関市吉母、永田、吉見。 とくに吉母である。

一の宮住吉神社の神紋「水巴」 の「巴」(ともえ)
  ↓
吉母の若宮神社は住吉神社の本宮 説
  ↓
本当の水巴の場所は吉母の若宮神社がある所


角川 大字源 1992年発行 1993年3版
 象を食べる大蛇

篆文 の絵が草場川下流の流路である。
上部の日形の場所は吉母の下方
吉母若宮神社付近の字「石井迫」「宮ノ前」「大迫」



ttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B4
小篆の絵が吉母の草場川下流の流路と合致する。


朝倉社
江良の山本さん宅の裏山 疫神社

熊襲
『下関市年表』 2011年 P6
3世紀末〜4世紀初
吉母海岸の砂丘では、弥生時代終末から古墳時代初めのころ、畿内で生産された庄内式土器や、布留式土器を使った人達が、台の付いた小型の粗製の鉢を使って、塩を作っていた。

  ↓
字「川ノ上」 にいた川上梟帥
万葉集496 三熊野の浦のハマユウ

熊襲は志賀の製塩者だったのか?
吉備の穴海 綾羅木浜 「黍」 か?


豊国
腠碕(みさき) 御崎

藤原広嗣の乱
大宰府 吉母の若宮神社
長門 毘沙ノ鼻
隼人 大河原〜御崎
豊後 御崎の奥地

藤原広嗣の乱は舞台が北九州市なのに九州南部の隼人が登場する謎がある。 北九州市在の郷土史家は和布刈神社の速門と見てきた。 風速で潮・波が荒い場所は下関市御崎だ。

大家島・値嘉島
蓋井島

関西勢力
関西系武人は東人で漢部。 山口市の関西系は俘囚(えみし) 郷。





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