邪馬台国 下関

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zoom RSS 奈良文化財研究所 有冨銭

<<   作成日時 : 2017/02/03 21:01   >>

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有冨上の家
岩谷 大伴坂上郎女の家があった場所
儀万 天武天皇(飛鳥浄御原宮) の末裔
中村本家 天御中主尊、高木神、長髄彦、天智天皇の末裔

藤原宮の位置
字「善波」、迫本さん宅付近

(根拠) 
『日本の美術 No.512 出土銭貨』 松村恵司 著 至文堂 2009年
P34上
藤原宮の富本銭は「一」 が省略されるとともに、「口」 の第一画が下に突き抜け、「田」 の第一画と一体化した縦画となっている。
  ↓
「富」 が象形文字になっており、左部分の縦線は迫本さん〜西本さん宅。
=迫さん宅〜西さん宅
「田」 の字の中央の縦線は専徳寺北の道祖神から山方向に行く道を表す。
迫本さん宅前に儀万さんの田畑がある。 この儀万の田に藤原宮があったか。

万葉集52 藤原宮御井歌
天香具山はハンドウ山。 東西南北の方位を見て迫本さん宅前あたり。
藤原宮御井は善波湧水池。 (今は埋められて消滅)

私見 「富」 の字を有冨上の地図と見るユニークな解釈

「夲」 は「大」 と「十」 に分解できる。
「大」 は歳池、迫池。 安万侶は迫池ほとりの人で、墓が奈良市にあるのは双分制である。
下関市有冨上にあった倭国(邪馬台国で、本当の記紀・万葉の都) は老子の思想なので考古学が役に立たない。

「十」 は天心十道

長門
長門の「長」 は長身・長寿で長髄彦・長日子
「長」 門の場所はハンドウ山へ上がる道

続日本紀A231-11
丁酉、周防国熊毛郡牛嶋の西の汀、吉敷郡の達理山より出せる銅、冶ち練すことを試み加ふるに、並に用と為すに堪へたり。 便ち、当国をして採り冶たしめ、長門の鋳銭に充つ。

周防国熊毛郡牛嶋の西の汀 ・・・ 下関市吉母
吉母の黒嶋は「久留島」 と呼ばれた。 「牽」、引島か。
吉母は「汀の里」 と呼ばれた。
吉母の字「平山」「金畠」「印内」 に産銅の言い伝えがある。

吉敷郡の達理山 ・・・ 万葉集3011 宜寸川
有冨古墳の横を流れる川。 富さん(今は無い)、本さん宅を流れる川

万葉集1024 長門有 奥津借嶋 はハンドウ山の奥の院(大迫池の上)
毘沙ノ鼻の万葉歌碑は間違い。

長門の城 ・・・ ハンドウ山登り口付近の山城跡



たとえば島采女は六十四卦の「雷火」。
雷はハンドウ山(有冨竜王社)。 天香具山、高円山もハンドウ山の頂。
豊島采女はハンドウ山上に居た采女。

古代史を陰陽五行、風水、易経、老子、道教で解明する。


奈良文化財研究所の根本的弱点
上記の松村恵司氏の著書 P40下
新都建設の平城の地は、和同元年2月の遷都の詔で、「四禽図に叶い、三山鎮を作し、亀筮ならびに従う」(四神相応で三山が鎮護し、亀卜や筮竹による占いでも神意にかなう) 理想の地と謳われている。

2016.9.28
701年 律令国家の完成祝賀か
藤原宮跡で旗の柱穴7つ出土 続日本紀と一致
ttp://www.sankei.com/west/news/160928/wst1609280095-n1.html
日本初の本格的な都、藤原宮跡(奈良県橿原市)から、元日朝賀の儀式で飾る幢幡(どうばん、旗)を立てた柱穴が7カ所見つかり、奈良文化財研究所が28日、発表した。 続日本紀にある「大宝元年(701年) の律令国家完成を祝う儀式で7本の幢幡が立てられた」との記述と一致し、新体制をスタートさせた儀式の様子を知る大きな手掛かりとして注目される。

  ↓
ところが実際実情は藤原京・平城京の風水について疑問が持たれている。
参照
学研のムック本「エソテリカ」 シリーズ
『風水の本』 1998年  P85〜87 
『風水がわかる本』 2012年  P74〜76
を読む。
amazon 中古本 1000円〜2000円。


参照サイト
奈良文化財研究所
https://www.nabunken.go.jp/
稗田地蔵堂遺跡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/zizodo.html





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