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zoom RSS 有冨の人斬り庄屋、儀万の話   天保年代か

<<   作成日時 : 2015/10/12 21:37   >>

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『やすおか史誌』 平成2年刊  P779 農民哀話
「安岡郷土史」

昔、豊西下村ノ有冨ニ庄屋儀万ナルモノアリケリ
元此ノ有冨及ビ本村山田等ハ何レモ皆迫山八幡宮ノ氏子ナリシガ庄屋儀万ハ勢力アリテ迫山八幡宮ノ御祭礼モ儀万ガ参拝セザレバ行ハレザル例ナリキ。
或年儀万ノ参拝遅カリシカバ 屢々(しばしば) 八幡宮ヨリ使者ヲ立テタレドモ来ラズ 餘リ遅キ故遂ニ祭礼ヲ済マシタリ、

サテコノ旨ヲ儀万ニ告ゲンタメ使者ヲヤリシガ途中蒲生野三百窪(今ノ中村孫九郎氏ノ畑) ニテ儀万ノ祭礼ニ赴クニ出会ヒ之ノ由聞キテ大ニ怒リ 直チニ其ノ使者ヲ切リ 最早 迫山ノ氏子ニハナラズトテ迫山八幡宮ノ勤請ヲナシ 有冨ニ八幡宮ヲ建テタリトイフ

故ニ此ノ八幡宮ヲ 有冨上八幡宮トモイヒ儀万ノ鎮守トモイヒ山田八幡トモイヒ 有冨山田ガ氏子ナリキ
然ルニ明治43年神社合祀ノ際綾羅木八幡宮ニ合祀セラレタリ、
而シテ其ノ儀万ガ迫山ニ通ヒタリシ道ヲ御使ヒ番道ト称シ別ニアリトイフ、
使者ノ斬ラレシ所御森様ト称シ今ハ其ノ所ニ 1本ノ柿ノ木アリ、



三郎山の白石保氏(中村家の出) に案内されて現地を尋ねた。 蒲生野の山裾を通って、山田・有冨に通じる御使番道に、三郎山の部落よりの道の出会った三叉路の角で、現在開作されて田になっている。 案内の白石氏は子供の頃の思い出として、ここに渋柿の大木があった。渋を採るために、母から柿を捥(も)ぐように言い付けられて、柿の木に登ったと追憶話をされた。

昭和4、5年頃安岡耕地整理組合の開墾奨励のため、ここも開作され柿の樹も取り除かれて、往時を偲ぶことはできない。 この事件で感ずることは、庄屋でも農民を無礼討ちすることができたのかと思うと膚の寒さを感じる。

時は天保年代と思えるが、使者に立った人こそ無残であり、名前も知れないなどあまりに哀れである。 2つの事件(福江大塚の弐本松物語、有冨の儀万の話) は農民が虫けらの扱いを受けた封建社会の罪であろう。




有冨の儀万さんの話によれば、
江戸時代まで百姓には姓がなかったので、儀万という珍しい姓は明治になった時に長府の侍から買ったものだと言う。 しかし 『やすおか史誌』 の掲載から、有冨の儀万という家は、江戸時代、有冨の庄屋で、安岡八幡宮からの使者をぶった斬っても罪にならないほど大きな権勢を持つ殿様だった。

明治の頃は長安線(県道247号) の上の有冨上を「山田」 といっていた。
有冨の中心地は儀万の家がある小字「中村畔」 だった。 儀万が建てた八幡宮(儀万の鎮守) は有冨中村本家の横にある「儀万の池」 の東側にあったと推理できる。 池の上に青山くずれの墓と称される五輪塔がいくつもあった。 また中村本家が数十年前に家を建てた時、今の便所の場所からもの凄い量の貝殻が出土し貝塚があった証言を複数人数から聞いた。
この貝塚は 常陸国風土記 那賀郡 大櫛の岡 である。

常陸国は茨城県ではなく本州の西端にある下関市有冨である。 常陸国風土記の助川は綾羅木郷の考古博物館への坂上り口の小字「助三」 であるし、筑波山の記述は竹生観音である。


は有冨の他に、
 吉見 船越 儀さん ・・・ 高天原、または倭か
 吉見 古宿 儀さん ・・・ この家の場所が難波宮
を含めて3軒ある。


儀万葉集
158
山振之 立足 山清水 酌尓雖行 道之
  ↓
儀万の山 シイタケ栽培。 「白」 は白井の山の井。
三諸山は竹生山〜ハンドウ山。 神山はハンドウ山。
万葉集22  河上の湯都盤村の伊勢神宮は有冨古墳から少し上がった所で、卑弥呼の冢か。 「常」 は常世国で常陸国。

229
難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光乎 見巻苦流思母
  ↓
古宿の儀満さん

他に「儀」 の字がある歌は
2684  容儀
3137  光儀

万葉集の漢字
「万」 は有冨の儀、「満」 は船越・古宿の儀だろうか。


続日本紀B439-9
山村王  有冨の山村さん

常陸国風土記 筑波の岳  有冨の竹生山・竹生観音
播磨国風土記 餝磨郡 少川の里  御崎の小川さん

如意宝珠  古宿 畑建設の前 磯の岩場にある「船釘」

邪馬台国 邪靡堆  吉見の古宿、千石岩、船越、大塚
狗奴国 永田石原
伊都国 船越
投馬国 有冨上 ・・・ 山海経 海外東経の青丘国で、王寿・九尾の狐

秦王国  宗像市久原・光岡

日出ずる処の天子
推古天皇・聖徳太子の皇居  吉見温泉センター、龍王神社、尾袋

吉見上八幡宮は大歳神を祀り、小字「年永」が近い。
神社の祭神、地名は不老長寿を表している。
万葉集
3260  西田川は鮎の名産地。 小字「年永」 のキシイ温泉か
2646  住吉=古宿の澄川さん、津守=吉見の津森さん
龍王神社の祭神の中に住吉荒御魂がある。

2644  板田の橋
橋といえば、播磨国風土記 印南郡 益気(やけ) の里
石橋があって、八十橋という。 文庫風土記上361-2



万葉集の研究者にとってオドロキの新見解!
158
山振之 立足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
   ↓
この歌の「儀」 の字は有冨上の儀万という家を示している。






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