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zoom RSS 吉母の 漁業

<<   作成日時 : 2012/09/27 19:51   >>

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吉母 黒嶋観音 奥之院 に書かれた吉母

 吉母漁業の起源は北浦で最も古く、且つ進取の気運が漲(みなぎ)っていた嘉永年間頃より4トンから5トンの4・5人乗りの帆船で朝鮮の釜山沿岸で鯛の流し一本釣り漁を行っていたが、食糧や水の補給は言葉が通じない為困難を極め、暫々紛争を起こし決死の覚悟で上陸を敢行していた。
この勇猛巧みな開拓魂を以て操業した吉母の漁師は朝鮮流れ五人乗りと称し「北浦倭寇」 と呼ばれて内外にその勇名を轟かせていた。

吉母の漁師は朝鮮南部まで月2回操業に行き、船足7ノット以上だったという。
※ 「船足7ノット以上」 は西風に乗る帰りか。

吉母では鯛の一本釣りが盛んだった。


私見
江戸時代の後期になるが、吉母の漁師は朝鮮南部まで船を出していた。


万葉集1740
水江浦島子は墨吉の沖で堅魚・鯛の釣りをしていた。
墨吉は吉母の若宮神社である。
常世は豊北町神田の土井ヶ浜遺跡とみた。



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