テーマ:長門

向津具本郷  東の天神社 西の向津具八幡宮

近江の比良浦 「ヒラ」 という地名は向津具の平坊しかない。 近江国の大津宮は向津具下の大浦だ。 向津奥  「奥」 = 「瀛」 か 向津奥は向津具下村 であろう。 大津郡志 大正12年 油谷新別名の人丸神社に伝わる柿本人麻呂の歌 人丸神社の解釈では「向津奥」 は人丸神社の場所という。 万葉集 3887 …
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向津具から渡海

川尻港  個人のブログ様 http://situurakai.seesaa.net/article/284223162.html http://blogs.yahoo.co.jp/rakuba_saikijou/folder/1511495.html?m=lc 言い伝えによれば、向津具の川尻から朝鮮へ渡海していたという…
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油谷町・日置町こそが 本当の記紀・万葉の里

奈良県から出土した木簡に「伊勢国川尻」 と書かれた物がある。 Google で検索してください 【  伊勢国三重郡川尻/里人囗囗囗囗囗囗囗」個   】  PDF 伊勢に川尻がある。 これは向津具の川尻岬である。 小字の場所は『油谷町史』 に地図が載る。   油谷町 川尻の小字「恩﨑」 ⇒ 思泥埼(しでのさき)、思…
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宗像市史 長門市史

宗像市史 通史編 第二巻  平成11年  P8 より 「瀛」と道教 書紀による宗像神出生神話 (A) 『記』・『書紀』 本文 (B) 『書紀』 第一・第三の一書 (C) 『書紀』 第二の一書  ・ ・ ・ ・ ・ 遠瀛(おきつみや) と中瀛(なかつみや) の表記をもつ (C) (B) は女神の降臨を…
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向津具本郷 倭

向津具の本郷が倭(やまと) の蜻島(あきづしま) だ。 万葉集1、2 は向津具の本郷の亀山神社、安佐だ。 天の香山(=尾張)  ①亀山神社 24メートル ②本郷川の支流 ・・・・ 天神・上ヶ田・王屋敷・大庭・安佐・吉祥寺 吉祥寺古墳 ・・・・ 地名は吉祥天女によるか http://www.isekiwalker.co…
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大津郡 神戸郷

和名抄 大津郡 神戸郷 比定地不詳 ・・・・ 私見では油谷島 向津具から出土した韓式有柄銅剣を草薙剣とみる。 つまり、向津具は尾張の熱田で、油谷島は伊勢である。 「伊勢の度会県」 が向津具の楊貴妃伝説になった、と私はみる。
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淡海国は油谷町だ 1

万葉集では、淡海国の大津宮は楽浪の志賀の韓﨑 国つ神の浦  とある。 朝鮮半島に関係する物として、山口県内では 下関市稗田地蔵堂遺跡から出土した蓋弓帽 向津具「安佐」 の韓式有柄銅剣 ・・・・ 佐賀県吉野ヶ里で出土した物と似る がある。 淡海国 油谷町説 下照姫の歌 石川片淵 とは掛淵川 油谷町久富に小字「片渕…
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淡海国は油谷町だ 2

ネットで「石川夫人」 を検索して 個人のブログ様 http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage49.htm 太蕤娘の年齢 おおぬのいらつめ それにしても太蕤娘の「蕤」 ぬ、とはひどい字で「奴」 と訓じます。 蕤は中国語で…
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淡海国は油谷町だ 3

万葉集154 石川夫人歌一首 神楽浪乃 大山守者 為誰可 山尓標結 君毛不有国 大山守が標結をした山 を探す ①考 向津具の油谷島 ②考 淡海国は須佐町説 新羅王脱解は倭国の東北1000里から来た。 多婆那国は須佐町の玉島、田万川町 大山守が標結した山は 須佐町 黄帝社がある高山 近つ淡海  下関…
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対馬 ⇒ 沖ノ島 ⇒ 向津具 の潮流 

長門市史 歴史編  昭和56年12月 P48 さらに中国関係の伝承では、唐の玄宗皇帝の楊貴妃の墓が、大避神社近くの向津具半島久津の二尊院境内にあると伝える。 恐らく、楊貴=ヤギ姓の有力者に付会した所伝であろうが、こうした伝えを生みだした思想的背景に、向津具半島、油谷湾一帯と海外渡来者との歴史的な動向が、やはり考慮されなくてはな…
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油谷島の 箸神  伊勢国

岩波文庫 古事記  P39 故、避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りたまひき。 この時箸その河より流れ下りき。 ここに須佐之男命、人その河上にありと以為ほして、尋ね覓めて上り往きたまへば、老夫と老女と2人ありて、童女を中に置きて泣けり。 岩波書店 新日本古典文学大系 続日本紀(一)  P165 1行目…
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鳥髪山 伊勢国

長門地域または周防含めた山口県、さらに福岡県北部に「鳥髪山」 を探したが、これはという山が見つからない。 馬の背に近いたて髪を取髪という。 門司の山が禿げ山なので、あそこかな~ とも思う。 候補地の1つとして挙げておく。 「清」(すが) という場所は島戸か向津具である。 向津具本郷には条理制があり、ここを伊勢国に比定して立派…
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伊勢 向津具 2

当ブログ 2012年3月2日作成の「大嶋 大津郡」から転載 長門市史 歴史編  昭和56年   P918  より 八箇国御時代分限帳 八 毛利氏支配下の防長両国の寺社領を調べたもの。 貞永2年(1685) に作成。 一、 三石四斗九升        日置八幡      右は同国(長門国) 大津郡 一、 弐石…
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伊勢 向津具 1

岩波文庫 日本書紀(二)  P38 垂仁天皇 25年3月10日 菟田 筱幡(ささはた) 近江国 ・・・・ 豊北町の神田、神玉 東の美濃 ・・・・ 油谷町 雨乞山の西にある「みのが峠」 伊勢国 ・・・・ 向津具 八幡人丸神社に伝わる柿本人麻呂の歌 向津具の奥の入江のさざ波に、海苔かく海士の袖は濡れつつ 海女…
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対馬の金田城が 任那日本府だ

魏志倭人伝で、邪馬台国に行く途中の国々には「官」「副」 がいる。 対馬だけが「大官」 であり、特別に官に「大」 の字がつく。 これは何を意味するのか。 対馬の「大官」 は特殊である。 対馬は都努我阿羅斯等の任那国で、都努我阿羅斯等は朝鮮南端の狗邪韓国にも領地を持っていた? 対馬の金田城が任那の日本府だろう。 理由…
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瀛 と 向津具

『 宗像市史 通史編 第二巻 』   平成11年  P8 より 「瀛」と道教 書紀による宗像神出生神話 (A) 『記』・『書紀』 本文 (B) 『書紀』 第一・第三の一書 (C) 『書紀』 第二の一書  ・ ・ ・ ・ ・ 遠瀛(おきつみや)と中瀛(なかつみや)の表記をもつ(C) (B)は女神の降臨を…
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向津具の楊貴妃伝説 と 陽侯(楊胡) 氏

岩波書店 新日本古典文学大系 続日本紀 ①292上 補注1-140  陽侯史 について解説がある。 陽侯 ・ 陽胡 ・ 楊胡 ・ 楊侯 は同じとされる。 楊(やなぎ) 推古天皇 10年10月 岩波文庫 日本書紀(四)  P92  P93下 注11 冬10月に、百済の僧 観勒来けり。 仍りて暦の本及び天文地理の…
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日本後紀  森田悌 他 

嵯峨天皇 大同4年6月10日 集英社  日本後紀  P489 摂津国をして頓宮を造らしむ。 伊勢の斎内親王の京に帰るを以てなり。 巻末の補注 P1242  によれば、 「  本来ならば伊勢斎王の帰京の経路に摂津国は含まれないが、三代実録元慶5年正月条に退下する識子内親王が大和道より山城国河陽宮を経て摂津国難…
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油谷島 の 小字「越ノ浜」 「則国」

油谷町史に油谷町の小字地図が掲載されている。 向津具 大浦の西隣、油谷島に入る所の小字が「越ノ浜」 である。 岩波書店 新日本古典文学大系 続日本紀(一)  P165 1行目 伊勢国の人 磯部祖父・高志の二人に、姓を渡相神主と賜ふ。 ※ 祖父 ・・・・ 訓みは「おほぢ」 油谷町史  P910 大正初年の頃は、油谷…
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長門国 の 丹

長門市史 歴史編   P74 『延喜式』 には、長門国が交易によって貢納する品目として、鹿革20張、胡粉20斤、緑青20斤、丹60斤、海藻150斤、苫25枚、櫑子4合、別貢雑物に牧牛皮8張がある。 同  P1055  年表 延喜7年 (907) 12月25日 長門国の丹、胡粉を東大寺仏像の修理料にあてる。 …
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向津具大浦 の 海女

新油谷町史  平成18年  P51 ~ 52 大浦に残る伝説によると、神功皇后が三韓へ出兵のみぎりに油谷湾を根拠地とし、今の大浦後方の丘にあたる王羽根を仮御所にしたという。 そのとき、麓に住む海女が鮑を献上したところ、それを賞味された皇后は大変喜ばれて、「以後この浦を王浦とせよ」 と言われた。 それを聞いた浦人は大変かしこ…
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大嶋  大津郡

長門市史 歴史編  昭和56年   P918  より 八箇国御時代分限帳 八 毛利氏支配下の防長両国の寺社領を調べたもの。 貞永2年(1685) に作成。 一、 三石四斗九升        日置八幡      右は同国(長門国) 大津郡 一、 弐石五斗壱升六合     深川八幡      右は同国同郡 一、 七拾…
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処女(おとめ)  隅田

万葉集250  処女(おとめ) 門司区大積に小字「乙女」 あり。 万葉集298  角太河原 小倉北区上富野と赤坂に字「スミタ」 油谷町 新別名(しんべつみょう) に隅田川が流れる。 三隅町 三隅中に字「隅田」 長門市 西深川に字「隅田」
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邪馬台国 は 向津具 か

長門市油谷の向津具(むかつく) に唐の 楊 貴 妃 伝 説 がある。 Google で検索   【  二尊院 楊貴妃  】 楊貴妃の姓「楊」 に注目した。 続日本紀 陽侯・陽胡・楊侯・楊胡 は同じとされる。 ③79 ⇒ 岩波書店 新 日本古典文学大系 続日本紀 三巻の P79 聖武天皇 天平勝宝5月5日 …
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伊勢国 向津具 説

続日本紀 元明天皇 和銅4年3月6日  ①165 伊勢国の人礒部祖父・高志の二人に、姓を渡相神主と賜ふ。 伊勢国の人に高志の名前がつけられている。 私見では「高志」 の場所は先年長門市と合併した油谷町である。 油谷島は地元では親島と呼ばれている。親=祖 とみて、礒部祖父は油谷島の人である。 高志の角鹿出身で…
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越の角鹿は 油谷町 説

越の遠の朝廷 万葉集4011 万葉集4113 久富の小字 「太宰ヶ浴」 ・・・・ 越国の遠の朝廷の場所 !!!! 場所は荒人の近く。荒人には遺跡がある。 サイト 「遺跡ウォーカー」 参照せよ 荒人は都努我阿羅斯等の転訛か。 垂仁天皇 2年是年 岩波文庫 日本書紀(二)  P20、22 一に云はく、 初め…
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桓武天皇は 下関の人

山口県は長門と周防に分かれる。 邪馬台国(倭国) は長門国だった。 奈良時代の日本の首都は ‘本州の西端’ に位置する下関市と長門市にあり、道鏡や桓武天皇は下関に住んでいた !!!!! 続日本紀は長門の歴史書である。 和同開珎の製造遺跡が確認されているのは下関市長府だけである。 昨年(2010年8月10日) 、和同開珎…
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難波宮は 長門市にあった

長門市の赤﨑神社は倭国の都のコロシアムだ !!!!! 難波の姫島は長門市湊漁港の西の妙見山である。 深川川の河口の港は往古、竹取湊浦 と呼ばれた。 山口県の地名  平凡社 日本歴史地名大系  P563中 ⇒ 万葉集3791 の竹取翁 竹取物語 ? 大坂は県道268号で、豊田湖から大峠を越えて長門市清掃工場を通って渋…
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京の人 大神大網造百足  豊田湖の北端

講談社学術文庫 続日本紀(上)  P15 文武天皇 元年9月3日 京人の大神大網造百足 この「網」の字は豊田町の安徳天皇西市陵墓参考地にある「網懸森」 である。 豊田湖の北端のバス停 天皇様 にある安徳天皇西市陵墓参考地は前方後円墳形で、意外と大きく長さ100メートル、高さ20メートルぐらいある。 神功紀の中臣烏賊津使主は…
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土井ヶ浜人類学ミュージアム   響灘の 邪馬台国

土井ヶ浜人類学ミュージアムから邪馬台国が見える。 Wikipedia  響灘  より 現代の日本における一般的な定義では山口県長門市の川尻岬から関門海峡西口を経て福岡県宗像市の鐘ノ岬、地島、大島に至る海域を指すとされている 土井ヶ浜遺跡の小字  山口県地名明細書 より 岡林  土井ガ浜 宮ガ迫 国重 大谷合(おおたにやい…
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