テーマ:遠賀川

岡垣町  安楽院

遠賀郡誌  P489 浄土宗 安楽院 大字吉木字元松原浜山にあり 松原山極楽寺と号す。 本尊は阿弥陀如来 古へは高浜の辻と云所に在り 開基の僧及び年代詳ならず 寺伝には開山谷阿上人とあれ 其当時の伝記の兵燹に罹りて烏有に帰したれは後年伝谷阿は四条天皇の崩御在しまし、仁治3年5月7日 76歳を以遷化したる…
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岡垣町  砥石神社

岡垣町史  P1005 所在地  大字吉木字砥石面 祭神  不詳 由緒  『筑前国続風土記附録』 に「砥石宮、トイシメン、石躰也。いかなる神を祭るといふこと詳ならず」 と記している。 吉木早﨑(そうざき) の小高い森の中にあるが、大石を御神体にしている。 昔は藁で覆って見えないようにしていたが、今は短い柱をたて板で…
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岡垣町  山

湯川山 小館山ともいう。 谷中に温泉があり、硫黄丸山ともいう。 原では「岩の上」 という。 ⇒ 石上振 ? 万葉集の木綿間山は湯川山である。 万葉集3191 万葉集3475 行重山 内浦の南、手野との境 冑山 手野の南 百合山 手野では城原山という。 この山で火を焼いて雩(あまごい)…
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岡垣町  地誌  

遠賀郡の地誌は 遠賀郡誌 が詳しい。 P411  吉木は昔郡家があった所という。 続紀で藤原広嗣が遠河郡家で烽火をあげたのは吉木である。 三吉はいにしえ江湾で、浦浜沖片貝菰浦海津片沼津瀬磯原御船などの田字がある。 三吉は熊鰐の旧蹟である。 野間は旧記で沼と書いた。野間は沼の意味。 波津はいにしえは初…
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岡垣町  元松原

元松原の浜山には、「頓々の滝」 (どんどんのたき) がある。 『福岡県地理全誌』 によると、「村ノ北 5町ニアリ、沙中ヨリ。流出ツ。末ハ砂中ヲ潜リテ。海ニ入ル。水極テ清冽。旱年ニモ涸レス」 とあり、現在も砂丘地には珍しく、地下水がわきだしている。 岡崎町史  P865 ※ これが天の真名井か、鳴沢女か 5世紀当時…
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岡垣町  春日神社

春日神社 所在地  大字黒山字島井﨑1071 (西黒山) 祭神  天児屋命 その後、合祀した各社の神を祭神とする。 由緒  創建時は不明で西黒山の氏神である。 俗説に、湯川の名馬摺墨(するすみ) は、自分の育った故郷湯川山が恋しくなり、はるばるこの地まで帰ってきて、牧山(湯川山) を見て安堵したのか力尽きて倒れてしまっ…
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岡垣町  熊野神社

所在地  大字吉木字矢口1554 祭神  市杵島姫命 事代主神 速玉之男神 伊弉冉尊 素戔嗚尊 印鑰大神 事解之男神 由緒  矢口岩ヶ鼻にある権現山に、紀伊国熊野権現を勧請したもので、縁起はかなり古い。 現在の社地が整備されたのは、天保7年(1836) のころと考えられる。 境内社  厳島神社 印鑰神社 菅原神社 須賀神…
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天の石屋 の場所

岡垣町の波津には天の石屋(天石窟) に該当する岩窟がない。 岩窟がある場所は、 筑前大島 ・・・・ 三浦洞窟 津屋崎の渡 ・・・・ 楯﨑神社の奥の院 芦屋町の山鹿 ・・・・ 姫田圃の洞窟 である。 遠賀郡誌(P715~716) によれば、芦屋町山鹿に姫ヶ田圃石窟がある。 「田圃」はタンポとよむ。姫がたんぽ で…
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岡垣町  高倉神社

高倉神社 岡垣町史  P994、999 所在地  大字高倉 字御下(おした) 1113 祭神  大倉主命 菟夫羅媛命  相殿に天照大神 由緒  高倉神社の祭神は、『日本書紀』 (仲哀紀) に記されている地主神である。 貝原好古の縁起には、天智天皇のころ、新羅国の沙門(僧のこと) 道堯という者が、尾張国熱田宮に祀られ…
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岡垣町 波津の 大年神社

大年神社 岡垣町史  P1017 より 所在地  大字波津字大旗791 祭神  大年神  相殿に素戔嗚尊 海童神 由緒  神功皇后が三韓から帰られたとき、ここで年を越されたので、素戔嗚尊と神太市姫との子 大年神を祭ったといい、そのため鳥居の額に歳越神社と刻んだこともあるという。 祭礼日   7月15日 祇園祭  …
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岡垣町 磯辺の前方後円墳

海を見下ろす前方後円墳 波津地区の丘陵に西から磯辺1・2号墳、向鼻古墳、塩屋古墳が分布する。 いずれも墳丘に葺石を持っており、その中でも、磯辺1号墳と塩屋古墳は前方後円墳の形式をとった古墳である。 磯辺1号墳は、全長60メートル前後、塩屋古墳は70メートル前後の規模を有している。 両墳はいずれも円筒埴輪を出土し、その編年から…
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薫華草 は ハマボウ

山海経 海外東経 君子国 薫華草 有り。 朝に生れて夕べに死す。 岡垣町の汐入川の下流にはハマボウ群生地がある。 ※ 岡垣町の公式ホームページ → 観光スポット → 金刀毘羅山 → 岡垣 おいしさ まるかじり ガイドブック 裏(PDF) を見る 君子国の薫華草はハマボウである。 ハマボウはかつては八幡や小…
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岡垣町  弥生時代

岡垣町史  昭和63年  P109 より 「 中期から後期において、地域政治勢力として遠賀地域にその中心となり頂点に立ったのが元松原や大坪などの岡垣地区集団であると見てよい。 そこでは中期末・後紀初頭ころの中広形銅剣・中細形銅矛、中細形銅戈などが一括出土しており、墳墓の副葬品としてではなく、銅鐸などの埋納と性格を共通する共同…
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芦屋町 山鹿

岩波文庫 日本書紀(二)  P128 仲哀天皇 8年正月4日 山鹿岬より廻りて岡浦に入ります。 男神 大倉主 ・・・・ 大国主神という説あり 女神 菟夫羅媛 ・・・・古事記  猿田彦が阿耶訶で沈んだ時の都夫多都御魂 比良夫貝 ・・・・ 遠賀川の川舟を「ヒラタ」 という。 楽浪の淡海は山鹿のあたりか。 東…
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出雲  岡垣町 ⇒ 芦屋町柏原 ⇒ 小倉 へ移動

岩波文庫 日本書紀(一)  P104 少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適しぬ。 亦曰はく、淡嶋に至りて、粟茎に縁りしかば、弾かれまして常世郷に至りましきといふ。 自後、国の中に未だ成らざる所をば、大己貴神、独能く巡り造る。 遂に出雲国に到りて、乃ち興言して曰はく、・・・・ 阿曇連の本拠地は北九州市…
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出雲は採銅所の下 勝山町

香春町の採銅所が 天つ神の高天原。 山向こうの勝山町が 国つ神の出雲。 出雲は勝山町の山側である箕田(みだ)、宮原、浦河内、岩熊、長川(ながわ)、池田、矢山、上矢山。 岩熊の小字 「土京」 は土蜘蛛の都か。 行橋市 入覚に 「大郷」 がある。これが大国主神の 「大」 か。 箕田の 「丹五郎谷」 は真朱の鉱山か。 …
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遠賀団印 (重要文化財)

重要文化財 指定名称:銅印 福岡県太宰府市 観世音寺出土 1個 高5.1 印面4×4 奈良時代 ・ 8世紀 東京国立博物館 J-34806 大宰府の遠賀に置かれた軍団の印である。 天平尺で方1寸4分1厘に造られており、公式令で方2寸と定められた国印よりも小型である。 方形の印面に鋳出した 「遠賀団印」 の…
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藤原広嗣 の乱  細戈  磯輪上

天平12年(740)、大和朝廷に反旗を翻した 藤原広嗣 は岡垣町で挙兵した、小倉北区の板櫃川で官軍と戦った、という。 藤原広嗣の乱の場所は 筑豊と豊前 だった。 遠賀川には直方市と添田町に熊襲の伝承がある。 日本武尊は直方市の福智山の山頂から国見して熊襲の国に行った 添田町の岩穴に熊襲が住んでいた という。 直方…
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記紀・万葉の場所は 遠賀川

上津役(かみこうじゃく)村  北九州市 八幡西区  安在野 引野区の北4町許にあり 欽明天皇この所に駐駅し玉ふ時、道路に布設けし故に此の里を引布の庄と云 欽明天皇の伝承地は山口県岩国市の欽明峠 (欽明天皇がこの峠を通ったという) と八幡西区上津役 の2か所。 戦前の津田左右吉の頃から、日本書紀 仲哀天皇の 熊鰐が天石…
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佐保 の場所

万葉集2677 佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸 「粉」 は旧方城町弁城の岩屋の石灰粉 佐保の場所は弁城 旧方城町の弁城に 「上照り」、畑に 「高天」 という小字場所がある。 金田町と頴田町との境の山を 日王(ひのお)山系 という。
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春日山 は 香春岳

万葉集1844  滓鹿能山 この歌から春日山は鉱山なので香春岳である。 ネットで調べると、香春岳に霧がかかった写真がある。 牛斬山(580メートル)は薄霧山ともよばれる。 奈良県の春日山は歌に詠まれるような感動的な姿をしていない。 春日と香春は字が似ている。 久堅の 「堅」 の字は 田川市 ~ 香春町…
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投馬国 は高天原

石上振宮の石上を香春の石灰岩地帯とみて、 石上振宮を香春町 ~ 糸田町に比定できた。 田川は古くは高羽と書かれた。天高市になる。 投馬国 とは 田川市 ~ 添田町 にあった 高天原 である !!!!!! たかまがはら ⇒ とうま (投馬) 末盧国 ― 津屋崎の渡 ・ 宮地嶽神社 伊都国 ― 芦屋町の山鹿 …
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石上振宮  飛鳥宮

当ブログ 2010/08/17 08:33 作成からの転載 糸田町史  平成元年 より P904 郷土に住む者の中で最も古くから多数を占めていたのは農民で、農民生活につながりを持つ神社が多く、人々は神社を常に霊地としてまた生活慰安の場所として崇敬してきた。黄金の波が平原一杯にただようころ、農民は老人も若人も神…
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五十猛命  山鹿

記紀 ・ 万葉で 「五十」 がつく地名 ・ 人名の場所は芦屋町の山鹿である。 「五十」 は巨大な里をイメージさせるが、魏志倭人伝の伊都国なので、人口がわずか1000余戸である。  五十猛命  岩波文庫 日本書紀(一) P100、102 木国 は原生林や雑木林でなく、植林の木か松林の場所である。 香具山の鉾椙 (ほこす…
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芦屋町 山鹿は神代之所

万葉集304 大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念 若松区小竹の白山は土地開発がされてないので、埋蔵文化はわからない。 白山神社  小竹 白山 上宮と下宮がある。菊理姫、伊奘冉尊、事解男命、速玉男命などを祀る。 古く小嶽山には熊野権現が祀られていた。 ⇒ 素戔嗚尊の熊成峯か。 大鳥居村の村名は当社の大鳥居…
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山鹿貝塚 は卑弥呼の冢か

山鹿貝塚は縄文前期から晩期。埋葬人骨は縄文後期とされる。 「 かつては遺跡の南側に古遠賀湾が湾入していた。 遺跡は東西160メートル ・ 南北70メートルに及ぶ 」 福岡県の地名 平凡社の地名辞典  P128下 芦屋町ホームページ 山鹿貝塚 のリンクを貼って、 http://www.town.ashiya.lg.j…
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故郷 ふりにしさと

万葉集 333 故郷(ふりにしさと) 334 香具山乃 故去之里(ふりにしさと) 335 夢乃和太 湍 淵 「湍」の字の意味は速瀬で遠賀川河口右岸の浪掛ノ岸だろう。 山鹿貝塚は小丘陵だったらしい。 香具山、高円とは 山鹿貝塚 かも。 故郷(ふりにしさと)は山鹿貝塚である。神の場所だ。
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山鹿貝塚 淡海

芦屋町の夏井ヶ浜に群生するハマユウは、山口県西部の山陰側 下関市綾羅木~吉母、角島、長門市二位ノ浜 にも自生している。開発のために数は少数となっている。 (ハマユウは山口県西部山陰が自生の北限) 万葉集3238 相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡 白木綿花 とは、 ① 考 若松区 頓田の小字 「綿田」 ― …
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邪馬台国 宗像説

柿本朝臣人麻呂の、筑紫国に下りし時に、海路にして作りし歌二首 万葉集303 名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者 万葉集304 大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念 嶋門 の場所は北九州市若松区の響灘沿岸に位置する 安屋 (あんや)です。 神代の所 なので、古事記 上つ巻、岩波文庫 …
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雄略天皇の吉野宮は若松区  竜光の滝

筑紫日向の高千穂宮は北九州市若松区の安屋 (あんや) である。 ※ その後の考察で、芦屋町の狩尾 (かりお) が有力な場所とみた。 万葉集304 の島門は安屋。 遠の朝廷も安屋だろう。 海幸彦 ・ 山幸彦の物語の場所も若松である。 豊玉姫 ・ 玉依姫は若松の対岸に位置する下関市山陰側の湯玉 ・ 矢玉の人で、土井ヶ…
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