テーマ:宇久島・小値賀島

大伯海 おほくのうみ

文庫書紀④366-4  斉明紀 12月24日、天皇難波宮に幸す。 天皇、方に福信が乞す意に随ひて、筑紫に幸して、救軍を遣らむと思ひて、初づ斯に幸して、諸の軍器を備ふ。 ・ ・ ・ ・ ・ 7年の春正月6日に、御船西に征きて、始めて海路に就く。 8日に、御船、大伯海(おほくのうみ) に到る。 時に、大田姫皇女、女を産…
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角鹿 から 穴門豊浦宮 へ

岡垣町 高倉神社の境内社に志々岐神社があり、これは長崎県平戸市西端の志々伎神社である。 神功皇后は、 三韓征伐の前 ・・・・ 肥前松浦に出向いた。 三韓征伐の後 ・・・・ 産まれた応神天皇の禊をするために、越(高志) の角鹿の笥飯(気比)大神に出向いた。 一説に、応神天皇は住吉神との不倫の子という。 ならば禊が必要だろう。…
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朝鮮語の特徴  日本語の源

ブログ様 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20111014/1318548616 「朝鮮人は、ものすごく言葉に不自由」 と言います。 例えば悲しいとき日本人は「悲しい」 と表現するだけでなく、 「わーん、わーん」 とか 「えーん、えーん」、 「めそめそ」 「しくしく」 「わあわあ」…
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年表 倭の朝鮮侵攻

300年  国内人口約350万人 313  この頃から高塚が築かれはじめる。 中国から鏡が輸入され、また各地の埴輪が作られる。 350  この頃、国家が成立したとみなされている。 墳丘は平地に造られるようになり、しだいに広壮化していく。 367  百済王の使者、日本に朝貢する。 369  倭軍新羅国を破り七国四邑…
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小値賀町郷土誌 より

五領塚 柳の西、五領にあり、位椿(いのつばき)、椿山とも呼ばれる。 雄塚と雌塚と二つある。 むかし、ここで戦さがあり、前方の薩摩(木場に薩摩屋敷があり、薩摩守なる者が住していたという) から援兵に来て戦死した者を葬った塚だと伝えられている。 また、むかしの石器の破片を集めたところとも言う。 (P574下) (P77下) …
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宇久島の方言

長崎県立図書館の蔵書検索 で、宇久島、小値賀島の古代に関する本はないか調べたところ、『 宇久方言で「魏志倭人伝」を読む 』 があった。月川雄次郎 という方が書かれた郷土史本で、平成9年9月の発行である。 さっそく入手して何が書いてあるか読んでみると、 宇久島から対馬に渡るには、夕方島の西の海に船を出し、エンジンを止めてお…
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大家島

風土記の平戸  角川の地名辞典 長崎県巻 P1113右 より 「 肥前風土記 」 によれば、景行天皇が巡幸したとき、大家島というところの村に大身という土蜘蛛がおり、常に天皇に逆らったので、これを討ち滅ばした。 その後、この島には白水郎(あま)たちが宅(いえ)を建てて住みつき、そのため、この島は大家島といわれるようになったとい…
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神楽浪

神楽浪 154 1253 206 1398 -神楽聲浪 神楽浪の場所は小値賀島の笛吹郷、または新田神社の丘陵である。 「笛吹」を手元の古い広辞苑で調べると、 ② 雅楽寮に属し、朝儀の時に吹奏に従事した人 ネットで検索していたら、小値賀島には小さな蚊が多いが宇久島には蚊が少ないとあった。 記紀万葉の「…
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真珠

真珠貝が自生していた場所は鹿児島県の甑島 上甑村瀬上の貝池。 ほかに五島の玉之浦、対馬の玉調が真珠の産地だったという。 万葉集3318 を読むと、木国のアワビ珠を求めて、妹山・勢の山を越えて命懸けでアワビを採っている。 小値賀島ではワカメを餌にして、養殖アワビから真珠が生産されている。 かつて小値賀町はアワビの漁…
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小値賀島 が伊都国

当ブログは地名を第一に考えて、思いつき(あてずっぽう・ご都合主義)で邪馬台国の位置を推理する編集方針である。比定地をころころ変えることで、比定場所がそこでよいのかシステムを動かしてみる。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」方法論を採るので、命中率よりも何発撃てるかが力量である。1000発撃って1発でも当たれば、既存の正統的な学問世界は崩壊…
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再び 近江 (継体紀より)

邪馬台国は長崎県である。 記紀・万葉の奈良・難波・近江なども長崎県である。 松浦市~平戸市~五島~佐世保市 という渡海の地が邪馬台国(九州倭国)。 元寇では元軍は福岡市の志賀島から壱岐に引き返した。 豊臣秀吉の朝鮮出兵は遠賀川の河口から渡海した。 豊臣秀吉の朝鮮出兵で、唐津市浜玉町の漁師が朝鮮への航路を案内した。 …
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伊都国

伊都国 は佐世保市の中心街で 高天町 のあたり。 高天原、出雲、淡海、倭(やまと)などは、みな伊都国の中にあった。 場所は佐世保川の下流~中流で、佐世保市中心街から歩いて20分くらいの範囲内である。 伊都国は千余戸。  代々王あるも、皆女王国に統属す。 女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸…
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高天原の候補地

高天原の場所探しは天石窟と天真名井があることが条件。 天石窟の候補地 ① 佐世保市 下本山 付近の洞窟 佐世保には洞窟が多い。 ② 平戸市 大佐志町 礫岩 の石窟 早福の高松神社の祭神は高市姫命である。 ③ 小値賀町 野崎島 二半岳中腹の祭祀場といわれる石窟 野崎島には地元の人しか知らない洞窟があるらしい。…
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伊都国より先は不明

当ブログの編集方針は記紀万葉の記述を基に魏志倭人伝の邪馬台国の位置を発見しようとするものである。 伊都国は水銀鉱がある佐世保市 相浦で決まり。 それから先の 奴国 不弥国 投馬国 邪馬台国 狗奴国 は位置不明だ。 私見では邪馬台国または女王国は小値賀町の野崎島なので、魏志倭人伝に書かれた伊都国より先はわかりませ…
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再び 野崎島 二半岳

私見では日本書紀の天皇・皇族の多くが野崎島に住んでいた。 倭迹迹日百襲姫命も野埼島に住んでいた。 ネット検索で得た情報によれば王位石付近はゼロ磁場だという。 二半岳の「二半」の意味は どっちつかず ⇒ ゼロ磁場 のことか !!!!!!!!!! 「二半」とは ゼロ磁場 のことだろう。 ゼロ磁場岳。 Googl…
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淡海の字

淡海は、 淡海 近江 相海 青海 滄海 碧海 大海 内海 近つ淡海 遠つ淡海 などが考えられる。 万葉集は異説異伝がある歌があり、それは改謬されている事実があることを示す。 「淡海」の字が本当に淡海なのか定かでない。 「淡海」の場所は複数ある。 私は 難波を平戸市 田平港 大伴御津を平戸市 …
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魏志倭人伝の伊都国 ?

魏志倭人伝の伊都国は水銀鉱がある佐世保市相浦~下本山の遺跡になろう。 しかし高天原、出雲、日向高千穂の場所を考察すれば、私見では宇久島・小値賀島周辺になるので、魏志倭人伝の伊都国とは何かよくわからない。 サイト「 遺跡ウォーカー 」で小値賀町の遺跡を見ると、野崎島の王位石は遺跡とみられていない。 王位石は国・県どこ…
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小値賀町 野崎島

野崎は広辞苑にある「荷前」 「荷向」(のさき)である。 漢委奴国 野崎島説 邪馬台国 野崎島説 出雲は野崎島北側の王位石付近。 高天原は野崎島の野崎から二半岳の尾根伝い付近。 卑弥呼の城柵と冢は野崎島東部の化粧殿鼻。 天石窟は二半岳中腹の石窟である。 魏志倭人伝の邪馬台国は中国・朝鮮に最も渡海しやす…
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吉野  天智紀 の最後で

天智紀 10年12月3日   岩波文庫 日本書紀(五) P64 天皇、近江宮に崩りましぬ。 11日に、新宮に殯(もがり)す。 時に、童謡(わざうた)して曰はく、 み吉野の 吉野の鮎、鮎こそは 島傍(しまへ)も良き え苦しゑ 水葱の下 芹の下  吾は 苦しゑ   其一。 臣の子の 八重の紐解く  一重だに …
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野崎島  若宮神社

若宮神社  無格社 北松浦郡小値賀町野崎郷224番地 祭神 稚武彦命 稚武彦命とは誰か? 孝霊天皇の子の稚武彦命 雄略天皇 ― 大泊瀬幼武天皇 稚日女尊 などの「稚」の神名 日本武尊の子の稚武王・稚武彦王 ※ 稚武彦は ① 孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇)が絚某弟(はへいろど)を妃として第二…
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飼飯

万葉集 256 3609 3200 飼飯(けひ)の「飼」の字は養殖を表している。 小値賀島ではアワビの養殖が行われている。 また養殖アワビを使って真珠が作られている。 Google で 「 小値賀島 あわび 養殖 」 で検索してください。
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邪馬台国 発見の大宣言!!!!!!!!!!!

Google で 「 野崎島 王位石 生石 」 「 王位石 」 で検索すれば、現地の人のブログで王位石(おえいし)を 生石 と言っていることがわかった。 これはもう、万葉集355 の生石村主真人の「生石」に間違いないと断定できる。 魏志倭人伝の邪馬台国の位置は長崎県の宇久島・小値賀島で、 野崎島は超超超超超重要であ…
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二半岳  野崎島

Google で 「 二半岳 」 を検索すれば、登山者による写真が見れる。 写真では山頂は雲(霧)で覆われている。 雲で覆われる景色は「出雲」の意味、天の狭霧神、巻向の霞、向南山の雲(万葉集161 )、吉野の御金高(万葉集3293 )を想起させる。 二半岳の雲(霧・ガス)は Google地図 航空写真 に写った雲 を参照せ…
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伊勢神宮 を発見 !!!!!!!

小値賀町の野崎島はたいへん重要な場所である。 巨大な磐座の王位石がある。 手元の古い広辞苑で 「野崎」 を調べると、 「荷前」 「荷向」を「のさき」とよみ、伊勢神宮に関係する。 Google で 「 荷前 」 「 荷向 」を検索してください。 野崎島 = 荷前島・荷向島 である。 「向」の字は、 神功紀…
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宇迦

天照大神の田 天狭田・長田 天垣田 天安田 天平田 天邑幷田 素戔嗚尊の田 天樴田 天川依田 天口鋭田 素戔嗚尊の田も「天」にあり、素戔嗚尊が居た場所と天照大神が居た場所は近い。 宇久島の本飯良郷からは原始古代の稲作跡は発見されてないが、宇迦の場所は本飯良郷だと思う。 …
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宮ノ首遺跡 とは何か ( 佐世保市 宇久町 本飯良 )

伊勢 大量に出土した大型アワビ貝殻と製塩土器から伊勢の嗚呼見の浦 (= 讃岐の網の浦)である。 日向 出土した馬の歯・骨は日向の駒である。 岩波文庫 日本書紀(四) P122 歌 推古紀 20年正月 近江の牧でもある。 天智紀 7年7月 竺紫日向の橘の小戸の檍原 「檍」は八幡神社のモクレイシである。 讃…
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筑紫は宇久島の神浦

838年、藤原常嗣が乗る遣唐使船は宇久島から東シナ海を渡った。五島の福江島には行ってない。 神浦(こうのうら)に厳島神社があり、宗像三神を祀る。 万葉集446題詞より、筑紫は鞆の浦に近い。 万葉集の鞆の浦は小浜郷 下山の海岸のアコウの巨樹がある所だ。 浦島太郎伝説に似た話が伝わる。 宇久島北部の三浦が万葉集3869 左注 …
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照島 と 邪馬台発見

古事記の天の斑馬、日本書紀の天斑駒 [ 岩波文庫(一) P74 ] は小値賀町の斑島の馬だとみて、「天」の場所は宇久島・小値賀島である。 宇久島の寺島は手羅島、照島とも書かれた。 寺島=照島 「照」の字より天照大神の地であろう。 寺島(照島)の東にある岩礁の鼠島の対岸が小字「弥五郎」である。 ※ 鹿児島県には「弥五郎どん…
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マトメ  ノーベル賞候補だ!!!

邪馬台国の位置をはっきりさせた人はノーベル賞に値する。 漢委奴国(=出雲国、万葉集 楽浪の淡海国)は宇久島 山本 平郷 邪馬台国(=高天原)は小値賀島と周囲の小島 ※ 平戸市 早福町~大佐志町 も高天原の候補地です。 倭国は平戸諸島~松浦市~佐世保市~五島列島 隋書倭国伝の竹斯国は平戸市 野子町 福良 …
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六島 

六島  むしま 小値賀島の北東方、野崎島の北にある。 北西に宇久島がある。 小値賀島の前方後目の六方(ろくかた)から移住した民によって開かれたというが、伝説の沈んだ島 高麗島 の生存者の後裔とも、平家落人の後裔ともいう。 『長崎県の地名』 平凡社の地名辞典  P579下 高麗島⇒万葉集3681 の肥前国松浦郡狛島亭…
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