テーマ:豊前

野馬台

続日本後紀(下)  講談社学術文庫  P326 嘉祥2年3月26日 野馬台 下関市吉母御崎 淵ヶ谷 の丸山に野生馬がいた。「野馬」 は野生馬を表す。 P327  不老不死の仙境である常世島は蓋井島である。 浦島太郎は行橋市行事の人 日本書紀 雄略天皇 22年秋7月 岩波文庫 日本書紀(三) …
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勝部公真上

集英社  日本後紀  P403   平城天皇 大同2年5月 出雲国の采女外従五位下 勝部公真上  すぐりべのきみまかみ 勝姓は豊前に多い名前といわれる。出雲国は豊前にあったのか ? P1188 の補注で、天平時代の出雲国に勝部がいたと解説されている。 ほかに、出雲国が豊前にあったと思われる人名に、 集英社  日本後…
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海上国造 他田日奉直徳刀自

続日本紀 桓武天皇 延暦4年正月27日 ⑤321 海上国造 他田日奉直徳刀自 ・・・・ 日奉の巫女である 注釈では下総国海上郡とされる。 苅田町雨窪に小字「海ノ上」 がある。 海上郡 (上総国)  ④181 海上国造  ⑤321 海上女王  ②129 ②145  ⇒ 万葉集530、531 海上真人  …
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近江の松原倉

続日本紀  称徳天皇 天平神護2年6月12日 ④125 近江国近郡の稲穀5万斛を募り運びて、松原倉に貯ひ納むることを命しき。 松原は福岡県苅田町の地名である。 苅田町と朽網の境に狸山があり、タタラの「タヌク」 がタヌキに転じた ? Google で検索せよ  【  タヌク 鉄  】 近江の鉄山は狸山・雨窪のあ…
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八幡神宮は京の近く

講談社学術文庫 続日本紀(中)  P125 孝謙天皇 天平勝宝6年11月24日 薬師寺の僧行信と、八幡神宮の主神・大神朝臣多麻呂らは、共同して人を呪い殺そうとする呪法を行なった。 奈良市の薬師寺と大分県宇佐市の宇佐神宮は遠過ぎて、連絡取りあっての「共同して」 は不可能である。 八幡神宮は京の近くにあったのだろう。 …
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苅田町 古墳

番塚古墳 前方後円墳 古式の横穴式石室 特筆されるものに棺金具と大刀に象眼された蓮華文や魚文がある。 前者の棺金具は古代中国の葬送思想に関係し、後者の蓮華文の象眼は最古の部類に属する。 石塚山古墳 3世紀末~4世紀初頭の前方後円墳  竪穴式石槨 三角縁神獣鏡 浄土院遺跡  縄文後期中頃~晩期 の集落 合せ口…
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天石窟 の 神事   再考

天石窟   岩波文庫 日本書紀(一) P76 天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。 故、六合の内常闇にして、昼夜の相代も知らず。 時に、八十万神、天安河辺に会ひて、其の禱るべき方を計ふ。 故、思兼神、深く謀りて遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を聚めて、互に長鳴せしむ。 亦手力雄神を以て、磐戸の側に立てて、…
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朽網の 御祖神社 豊若権現

苅田町 殿川ダムの北 相円寺 の洞窟は巨大過ぎる。 他に石窟を探すと、朽網の御祖神社近くに豊若権現がある。 大岩と清水がある。 須恵器の窯跡があり、焼物の粘土が採れるので、八十平瓮を造った香具山か。 Google で検索してください。   【  朽網 豊若権現  】 豊若権現の大岩 ①考  天石屋(天石窟…
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熊襲  苅田町 小倉北区の熊本

来田見邑 を小倉南区朽網とみる。 景行天皇12年10月 岩波文庫 日本書紀(二)  P72 柏峡の大野 野の石 長さ6尺、広さ3尺、厚さ1尺5寸 蹈石 禱りまする神 ・・・・ 卜占の場所である 志我神 直入物部 直入中臣神 ①考 東朽網の 「大空」 「樫山」 ②考 荘八幡神社の鈴石…
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荘八幡神社  小倉南区 貫

貫の荘八幡神社の鈴石は二つに割れている。 神功紀の 迹驚岡 大磐 裂田溝 だろう。 景行紀  禰疑野 禰疑野  土蜘蛛 安閑紀  大抜屯倉 万葉集  抜気 (ヌキ) 万葉集1767 ~ 1769  抜気大首 1768 に石上振 帝踏石   タイトウセキ テイトウイワ  大石公園にある。 禰疑は禰宜で卜…
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小倉南区 蜷田  淡海国

バス停 目倉  メグラ  東大野八幡神社の西 そのまた昔、雄略天皇病いのとき、豊国の物部兄奇という祈禱師を京都に呼び、祈禱させたところ病気平癒、天皇は兄奇に巫部(かんなぎべ) を賜姓、また兄奇を連れて上京した物部真掠(まくら) に大連(おおむらじ) の姓を賜わり、大野郷を無税の下賜田とした。 真掠がこ…
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陸奥の小田 金山

万葉集、続日本紀の日本国は関西の奈良県・大阪府でなく、関門海峡を挟んで 下関市・長門市 と 北九州市・行橋市。 奈良時代の都は下関や小倉にあった。 東北は遠過ぎる。 和名抄で豊後の球珠郡に小田郷がある。 比定地不詳ながら通説では玖珠町の小田とみられている。 山国町には金鉱があるので、小田郷は山国町だろう。 …
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天湯河板挙

垂仁天皇 23年10月8日  天湯河板挙 湯川の地名は ① 岡垣町 ② 小倉南区 にある。 万葉集 高市連黒人 ①考 川崎町 安真木の黒木村 ②考 小倉北区の高坊と黒住町・黒原 水町は門司の大里と小倉方面に道が交わり、十文字原と呼ばれた。 ⇒ 天の八衢 重留遺跡  高天原の遺跡か 弥生時代中・後…
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豊前 帝都考

筑波山  小倉南区の竹馬(ちくま)川  二上は足立山と妙見山 平凡社の地名辞典 福岡県巻 ― 日本歴史地名大系 41 P1236下 着場(つくば) P1247上 着場の橋 P1252下 着場の湊 葛原  小字「藤原」 が2か所ある。「藤原川」 「八ヶ坂」 湯川  小字「アマツチ」 がある 黒原  「橘ヶ迫」 沼 …
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行橋市 住ノ江

桓武天皇 延暦10年4月5日  791年 講談社学術文庫 続日本紀 (下)  P454 岩波 ⑤497 近衛将監従五位下兼常陸大掾池原公綱主ら言さく、「池原・上毛野の二氏の先は豊城入彦命より出でたり。 その入彦命の子孫、東国の六腹の朝臣は、各居地に因りて姓を賜ひ氏を命せり。 斯れ乃ち古今同じき所にして、百王不易なり。 伏し…
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近江宮での三山歌

万葉集13 題詞 中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌 この題詞を素直に読むと、近江に 高山 ・ 耳梨山 ・ 雲根火山 がある。 私は、行橋市 御所ヶ谷神籠石の馬ヶ岳を筑紫日向の二上のくじふる峰に比定してみたが、内陸の馬ヶ岳では地理的 ・ 航路的に 「ここは韓国に向かい」 にならない。 万葉集の中心の歌場は行橋市のよう…
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出雲は採銅所の下 勝山町

香春町の採銅所が 天つ神の高天原。 山向こうの勝山町が 国つ神の出雲。 出雲は勝山町の山側である箕田(みだ)、宮原、浦河内、岩熊、長川(ながわ)、池田、矢山、上矢山。 岩熊の小字 「土京」 は土蜘蛛の都か。 行橋市 入覚に 「大郷」 がある。これが大国主神の 「大」 か。 箕田の 「丹五郎谷」 は真朱の鉱山か。 …
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採銅所の下  小字  (一部)

入覚 (にゅうがく)  天迦久神 乙尾 琵琶 ウルシソノ 火ノ成 カミ 枇杷ノ木 ナカ 大郷 田鋤田 イズミ 行力(きょうりき) 和田 為月 杭田 綿打川 日蔭 高山(こうやま) 小屋ノ下 火ノ柱 女ノ袂 鹿ヶ峰 カマト 池田  万葉集3841の 水渟 池田乃阿曽 小松 タカヲ 安峯 八石 ワタ打 明見 苣(ちしや)ノ本 …
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行橋市  小字  (一部)

流末 (りゅうまつ) 生女(なまめ) カラス 枕 岩田 和田 三十六 見鳥 アフキ 島宮 石川  彦徳 (けんとく) 開出 石垣 石橋 天生田 (あもうだ) 梶原 見鳥 岩田 幸辺(こうべ) 西足尾 下足尾 岩部 石辺 天手 春日 木ノ下 出向(いでむく) 竹并 鬼熊 ククツ 白久米 八景田 一ツ岡 千原(…
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寿 (いのち)

寿 (いのち) 万葉集 1740 2935 461 2883 2764 1043 4211 672 922 みやこ町 豊津 の小字 (一部) 珍塚 台原 吹谷霞ヶ﨑 寿 石走り 尾花 錦町 正山 豊津に 「寿」 という小字地名がある。 Wikipedia  豊津町  より 町内…
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行橋万葉集

万葉集の歌で溢れる行橋市 万葉集 3806 小泊瀬山 ⇒ 小波瀬川 石城 ⇒ 御所ヶ谷神籠石 3808 墨吉之 小集楽  ① 考  三角州の大橋。 行事と大橋に「住ノ江」の小字がある。 ② 考  「墨忍足」銘の唐墨が出土した徳永遺跡群の川ノ上遺跡 3809 商変 ⇒ 行橋市行事の小字 「出店」 …
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行橋市の矢留 (やどみ)

万葉集 3822 橘之 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可 3823 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪挙都良武香 3824  長忌寸意吉麻呂 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武 福岡県の地名  平凡社  P1366下 矢留(やどみ)村 「 矢留山の山麓にある観音…
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京都郡

藤原広嗣の乱の場所は、遠賀川流域、北九州市、田川郡、行橋市だった。 京都(みやこ)郡がある。  藤原広嗣の乱の場所 = 九州倭国 (邪馬台国九州説) の場所 洞窟 行橋市沓尾の姥ヶ懐 勝山町黒田 観音山の岩窟 勝山町 松田 菩提廃寺 (8世紀後半の創建と推定 県指定史跡) 往時、村内に菩提山49院と称さ…
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古代寺院 の場所   田川 ・ 行橋

寺があった場所 は、 ① 行橋市の 椿市廃寺。 この場所は平尾台に近い。 年代は7世紀末ないし8世紀前半に建立、9世紀頃まで存続した。 ② 田川市の 天台寺跡 (上伊田廃寺) 7世紀末に建立 ③ 犀川町 花熊の 木山廃寺 7世紀末の建立。 御所ヶ谷神籠石の近く ④ 豊津町の 上坂(かみさか)廃寺 7世…
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鐘礼の雨 

正岡子規 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 「鐘」 の字はカルスト台地の鍾乳洞か寺の鐘だろう。 「磯輪上」とはカルスト台地のことである。 「石走り」 は田川、行橋、東門司に多い小字です。 天智天皇は水時計を発明した。 その水時計を使って、寺の鐘を正確に打つことを考えたのだと思う。 万葉集3213  鐘…
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苅田町 新津 (あらつ)

高天原は旧田川郡に比定できることから、海辺の筑紫は行橋市の可能性もある。 香春町 上採銅所 は小字地名から高天原の中枢に比定できる。 古事記の 「美濃国の藍見河の河上に在る喪山」 とは、香春町のミノ遺跡。 小字 「ミノヲ」 「アイブチ」 「紺屋園」。 上採銅所には、「彌五郎」 「天矢」 「大神原」 「高原」 「台」 と…
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苅田町の遺跡

浄土院遺跡  福岡県 苅田(かんだ)町 上片島 浄土院 高城(たかじょう)山からの延びた標高約6メートルの低丘陵に立地する。 昭和31年(1956) 家屋の新築工事中に発見された。 発掘調査は同47年に遺跡の一部で実施され、縄文時代後期中頃 - 晩期の集落とその関連遺跡と推測された。 わずかな面積の発掘調査にもかかわ…
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高野  行橋市  

長皇子 与 志貴皇子 於 佐紀宮 倶宴歌 万葉集84 秋去者 今毛見如 妻恋尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍 行橋市に﨑野、長江があり、この歌の場所は香春町の高野ではなく、﨑野神社がある行橋高校のあたり。 安川電機 行橋事業所長江寮もある。 行橋市は大橋、行事の小字に 「住ノ江」 があり、住吉津である。 万葉集10…
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飛鳥

飛鳥の場所は、 景行紀で景行天皇が豊前長峡県の行宮を京と曰ふ 行橋市の下稗田遺跡から弥生中期初頭の鶏頭型土製品が出土している ことから長峡川流域の下稗田遺跡のあたりだろう。 古事記 履中記より、  近つ飛鳥は「大坂の山口」にあるので、今川流域の犀川町山鹿も考えられる。 明日香川→今川→犀川 と転じたのかも。 …
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天の高市 と 倭の高市

最近私は高天原は田川の糸田町・旧方城町・田川市弓削田だろうと考えている。 万葉集1768より、 この歌の前後の流れから石上振宮は豊前の香春町のあたりにあった。 古事記の履中記 墨江中つ王 で、遠つ飛鳥に石上神宮がある。 ここで墨江は行橋市である。 この場面の難波は行橋市または京都郡にあった。近つ飛鳥も行橋市・京都郡にあ…
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