テーマ:対馬

対馬の金田城が 任那日本府だ

魏志倭人伝で、邪馬台国に行く途中の国々には「官」「副」 がいる。 対馬だけが「大官」 であり、特別に官に「大」 の字がつく。 これは何を意味するのか。 対馬の「大官」 は特殊である。 対馬は都努我阿羅斯等の任那国で、都努我阿羅斯等は朝鮮南端の狗邪韓国にも領地を持っていた? 対馬の金田城が任那の日本府だろう。 理由…
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対馬 緯度

対馬の金田城跡  北緯34度17分45.4秒 土井ヶ浜遺跡  北緯34度17分36.4秒    岡林丘陵26.6メートル三角点  北緯34度17分47.9秒 対馬の金田城は土井ヶ浜遺跡と緯度が同じ 驚異的にドンピシャ 一致する! 対馬観光物産協会 WEBサイト http://www.tsushima-net.or…
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いろいろな 奈良

日本書紀の奈良 ― 参照 吉川弘文館 六国史索引 『日本書紀索引』 乃楽、奈羅、那羅 古事記の奈良 ― 参照 角川ソフィア文庫 『古事記』 巻末索引 那良 万葉集の奈良 ― 参照 笠間書院 『万葉集表記別類句索引』  奈良、平城、寧楽、楢、名良 ※ 万葉集の高松(高円)、山辺御井 の場所は対馬 峰町の…
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対馬の小字 (一部)

上県町 佐護西里  石井(竺紫君 石井 ?) 佐護北里  サルエ 佐護南里  大江 カモメノウキ 蝶ノ床 能登坊 中山  犬ヶ浦  竹ノ浦 菊ヶ浦 女連  江川ノ町 ハトノ町 嶋戸 ヒカリ采 佐須奈甲  大地 舟志(しゅうし)ノ内 シラエ陽 大田原 佐須奈乙  古賀ノ内 大戸原陽 茂﨑 日吉 志多留  大石 葛木庭 …
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筑紫 と 淡海

万葉集 304  大王之 遠乃朝廷跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念 1287 青角髪 依網原 人相鴨 石走 淡海縣 物語為 記紀の神代は対馬の上県郡。 佐賀宗形宮(峰町 1267年 八幡宮文書) 長崎県の地名 平凡社  P951下  嶋王(斯麻王) 武烈紀 4年  岩波文庫 日本書紀(三) …
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万葉集は韓国語で読める ?

『日本史の誕生』 岡田英弘著 弓立社 2001年 第5刷 より ※ 図書館にあったものと自分が持っている第5刷では図など内容が一部異なっていたので、下は「第5刷」のページ数である。 「 『万葉集』の中でも、年代が古い歌ほど、漢字の訓を使って日本語を表記する傾向が強く、漢字の音を使うのは年代の新しい歌である。今の『古事記』のよ…
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対馬の北部

対馬の北部(上県郡)は任那説もある ― 主に韓国人や在日の人が唱える 上対馬町大浦の小字「田舎」は垂仁紀の都怒我阿羅斯等の田舎か。 岩波文庫 日本書紀(二) P20 「一に云はく」 しかし大浦は追(おふ)浦とも書かれ、これは出雲の意宇(おう)である。 峰町の伊豆山は伊勢か。「いづ」は斎く、稜威、厳で、神々の居着く…
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対馬の峰町

対馬の峰町は淡海(近江)であり、出雲であり、また奈良の都でもある。記紀万葉は場所を関西の奈良県に変えて再構成・編集されているので複雑だ。 峰町は朝鮮半島・楽浪郡系の出土物が多く、「楽浪の志賀の韓﨑」である。 高松壇遺跡  高松=高円 で、奈良の都 小牧(おひら)宿祢神社 「小」の字は少彦名命を示す。 「牧」(ひ…
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青海 海神神社

対馬の峰町に地名の青海がある。 また木坂の海神神社は対馬の一の宮だったという。 日本書紀の青海 青海皇女 履中即位前紀 7月4日  岩波文庫 日本書紀(二) P292 =飯豊青皇女 清寧3年7月、顕宗即位前紀 青海夫人匂子 欽明元年 9月5日  岩波文庫 日本書紀(三) P240 「是に、大伴大連金村、住吉の宅に…
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根の国 の候補地

根の国 の候補地 ① 佐世保市 南風﨑町 根 ― 小島川が流れる。佐世保市の中で、意外と遺跡や古墳が多い場所である。 ② 大村湾 東彼杵町 三根郷 ― 坂本郷がある。俵坂を越えて嬉野町に入り、塩田川の水源に川上丹生神社がある。 ③ 鹿児島県 薩摩半島南端の池田湖北岸 ― 池田湖周辺は巨大な湧水地帯であり、日本書紀の…
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対馬出身の大国主神

日本書紀 天武紀下 3年3月  岩波文庫 日本書紀(五) P118 対馬国司守 忍海造大国言さく、「銀始めて当国に出でたり。即ち貢上る」 日本書紀 神代上 では大国主神の出自や系譜がいまひとつ不明である。 島大国魂御子神社  上県町佐須奈乙 ― 古事記の刺国若比売 島大国魂神社  上対馬町豊 国つ神とは土着の神…
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遠の朝廷

万葉集 4011  越 4113  美由支布流 古之 ⇒ 対馬北端の古里 304  島門 神代之所念⇒出雲の国譲りと瓊瓊杵尊の天孫降臨 豊玉姫 3668  筑前国 志麻郡 韓亭 794   斯良農比 筑紫国 4331  之良奴日 筑紫国 973  食国 遠乃御朝廷 遠の朝廷は越(対馬北端の古里)と…
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対馬 上県の 犬ヶ浦・仁田

淡海(近江)、越国、吉野、難波などは対馬にあった!!! 犬ヶ浦  『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典)  P901下 より 天明期(1781-89)の神社大帳は佐佐伊神を鷦鷯神社とする。 佐佐伊は佐佐木の転訛で、左大臣と俗称するという。 左大臣の院という伝説から院ノ内という地名を想定し、犬(いん)ヶ浦に転じたとする(…
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越国を発見

魏志倭人伝では対馬に居るのは官ではなく大官である。 万葉集3563 の 比多我多 を比田勝に比定する説がある。 越国は対馬上県の北端に位置する古里・泉である。 万葉集で越は古之と書かれたものがある。 3959    4113  4220  南護志(なごし)  『長崎県の地名』 平凡社の地名辞典  P907上…
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名兒山

万葉集963の名兒山は題詞より「筑前国宗形郡」にある。原文の歌の漢字に「鷄」があるので、対馬の鷄知の住吉神社(宗像神を祀る)付近である。 参照  平凡社の地名辞典 長崎県巻 P968中 新羅は鷄林→対馬の鷄知は新羅系 少彦名神の「名」の字は、 奄美大島の名瀬市 沖縄の名護市 沖永良部島の知名 「すくなびこな」の…
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竺紫の君 石井

古事記の竺紫は欽明紀の竹斯嶋(書紀3巻 P314)で、東方領物部莫奇武連の東方は対馬である。東(あつま)が対馬なのは書紀2巻 P96の陸奥国が対馬の竹敷だから。 1402年の有名な朝鮮の地図「混一彊理歴代国都之図」でも壱岐・対馬は九州の北東の方向で描かれ、東に傾いている。 竺紫または竹斯嶋は対馬である。壱岐も考えられる。 …
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継体天皇

男大迹天皇は「男」より上対馬町富浦の小字「男ノ浦」の人。
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海神

海人―近海で操業する漁師 海神―貿易商社の武装豪族 阿曇連 少彦名命(侏儒国の人)で、海若ともいい、南方系海神である。 万葉集354の日置少老の日置は鹿児島県日置郡をいい、「少」は少彦名命の末裔を示す。 本拠地は万之瀬川下流の金峰町の高橋・宮崎・尾下である。 万葉集354の縄(なは)の浦は沖縄の那覇である。 徳之島に神…
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山口県宇部市

古事記の竺紫日向高千穂は対馬北端の向日郷で、橘の小戸の檍原の檍(あはき)の木は鰐浦の国指定天然記念物のヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)である。 山幸彦が鰐浦・豊で釣りをしていたなら塩椎神は椎根島の人である。 そこから間なし勝間の小船に乗って対馬海流で流されて着く先は山口県山陰の海辺である。 玄海灘の沖ノ島は人が住める場所ではない。…
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飯塚の立岩遺跡  吉野ヶ里遺跡  向津具 下関市

考古学では古墳が多くあって、石棺(棺桶)から鏡や剣などの宝物が地域で一番出る場所を「王都」「王邑」と定義する。しかし甕棺墓のような弥生墓や古墳は墓場であり、忌み嫌う黄泉の地であって、考古学は八王子霊園を王都といっているようなものだ。有力者は弥生墓や古墳がある場所には住まない。 弥生墓や古墳の場所は霊園だから「社(もり)」だ。 …
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対馬の最北端

平凡社の地名辞典 長崎県巻 P911中 に「豊さきの宇生の浦」とある。 ここが豊国の宇佐である。 豊国の宇佐は鰐浦沖の海栗(ウニ)島か。 鰐浦の「妙見の瀬戸」は海が浅くて船の底を石でこすったという。案内者は神楽を奉納しろといい、神事を行って通行した。 参照  平凡社の地名辞典 長崎県巻 P914下 仲哀紀(書紀2巻 P12…
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檍(あはき)=ヒトツバタゴ

平凡社の地名辞典 長崎県巻 P906中 に 「鰐浦に自生する名木ヒトツバタゴは国指定天然記念物」 とある。 そこでヒトツバタゴをネットで検索してどんな樹か見てみると、柑橘類ではないので檍(あはき)である。 竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原(角川文庫 新訂古事記 P30) 筑紫の日向の橘の小戸の檍原(書紀1巻 P46) …
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也良の﨑

万葉集3866     3867 也良﨑は正統的な万葉集解釈では福岡市能古島北端の岬である。 ①考 対馬の厳原港に野良(やら)﨑がある。 万葉集3866、3867は「奥つ鳥」で歌の場所を示している。 也良﨑は倭国の「奥」地になる対馬である。 「筑前国」は古事記の竺紫で「竺前国」が正しい。 筑紫=阿久根市 竺紫=…
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長門

万葉集1024~1026     3243     3621~3624 長門は対馬北端の豊の「長崎」長畑」であり、竺紫君石井もこの辺。 まさに国の「奥」である。 「奥」であるが「海表」でもある。 長門は豊嶋があり、命がけの渡海の地である。 感動の邪馬台国九州説。
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豊玉姫 (古事記)の場所

私見では古事記の竺紫は対馬である。 古事記の「鴨著く島」は、 ①考 美津島町の沖島、鴨居瀬 ②考 対馬最北端の鰐浦、豊。 沖椎根島は聖地になっている。 「奥つ鳥」なら沖椎根島。干潮時には陸繋島になる。 万葉集の長忌寸奥麻呂は豊の「長崎」「長畑」の人だろう。 この「奥」は地の果ての国境を表す。 万葉集の豊国の鏡…
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竺紫 ②

福岡市の住吉神社は「当地は檍原の古跡」の縁起がある。 古田武彦氏は西区生の松原の小戸を橘の小戸とし、糸島を竺紫とみていた。 書紀3巻 P314より、 欽明紀に竹斯嶋がでてくる。  この竹斯は島であり、対馬である。 古事記の竺紫=欽明紀の竹斯嶋 東方領物部莫奇武連の「東」(アツマ)は対馬である。 雄略紀に 都久斯岐城…
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竺紫

私は筑紫は阿久根市だとみている。 書紀の神功皇后が三韓征伐した場所は五島列島の韓人入植地である。 古事記では「竺紫」という地名が登場する。「竺紫」の場所は対馬である。対馬南西部に椎根という地名がある。書紀の神武東征の椎根津彦(書紀 1巻 P202)だ。 「此地は韓国に向ひ笠沙の御前にま来通りて」の笠沙は対馬峰町の賀佐だ。 …
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対馬の金田城

平凡社の地名辞典 長崎県巻 で対馬美津島町の金田城(P976上)を調べると、平成10年(1998)に炭素同位体法で調べて、 540~630年 590~650年 の建築と結果がでた。白村江の戦いが663年だから、それよりも前の築城である。  金田城は武烈天皇の泊瀬列城宮であろう。 土塁の列石はないが「城」であるから泊瀬列「城…
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豊玉媛と山幸彦

豊玉媛は五島の人かと思っていたが、対馬かもしれない。 「沖つ鳥鴨著く島に」(書紀1巻 P186)は、平凡社の地名辞典 長崎県巻 P983中 によれば「奥つ島鴨著く島に」となっている。「沖つ鳥」なら五島だろうが「奥つ島」だと対馬だ。 ※「奥つ島」と誤植になっている→島(×)、鳥(○)。 古事記の海坂は万関越(平凡社の地名辞典…
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筑波嶺

筑波嶺(万葉集1757~1760)は対馬上県町の、 ①考 御岳の雄岳、雌岳。 御岳は雄岳、雌岳、平岳の三峰であり、三諸山(万葉集1761)である。 参照  平凡社の地名辞典 長崎県巻 P888中 対馬の三諸山は御岳の他に、峰町の三峯山も考えられる。 参照  平凡社の地名辞典 長崎県巻 P927上 ②考 佐護西里の…
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