テーマ:扶桑日本

北朝鮮による日本人拉致問題  178年

北朝鮮が新潟市の横田めぐみさんを拉致した。 歴史を古く遡れば越の八俣大蛇による童女拉致事件がある。 『 中国正史の古代日本記録 』  いき一郎編訳 葦書房  1984年 第2版 1992年  P49 から 後漢書 巻80 「烏丸鮮卑列伝」 に、鮮卑の檀石槐が光和元年(178年) に、魚をつかまえるのが巧みな倭人のいる倭人…
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大比留女 其娘為七歳

当ブログ << 作成日時 : 2011/10/04 12:09 >> から転載 作成日時 : 2010/07/25 13:05 より転載 乳母屋社伝記 下関市吉見にある古い神社の乳母屋社伝記 『 防長寺社由来 』 第七巻  P657 より 長門国第三鎮守乳…
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青樫 高木山

岩波文庫 日本書紀(一) P20、P22  一書に曰はく 〔第六〕 天地初めて判るるときに、物有り。 葦牙の若くして、空の中に生れり。 「空の中に生れり」 とはどういう意味なのか。 山上の意味か。 青橿城根尊 角川の地名辞典 山口県巻  巻末小字一覧 P1371右 豊北町 滝部 小字に「青樫第一」「青樫第二」 がある。…
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出雲の都 矢玉

大国主命の都は豊北町の土井ヶ浜または矢玉にあった。 矢玉の斎八幡宮がある場所の小字は「高麗」 という。 矢玉集落に志具尾川が流れているので志賀だ。 万葉集で、「楽浪の志賀の韓﨑」 は矢玉だ。 出雲の大国主命は矢玉を都にしていた。 古事記の櫛矢玉神より、場所が矢玉だ。 矢玉は中国の都、西安と同じ緯度にある。 …
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八木 と 八城

高野山 金剛峯寺  北緯34度12分50.69秒 = 湯玉の小字「金綱」  J A 豊関 の場所  鯖釣山南麓 = 狗留孫山 山頂  北緯34度12分52.7秒 空海の高野山  和歌山県伊都郡高野町 高野山は狗留孫山、湯玉の鯖釣山、宇賀 の緯度にある。 私見では湯玉の鯖釣山が畝火山(畝傍山) である。 …
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対馬 緯度

対馬の金田城跡  北緯34度17分45.4秒 土井ヶ浜遺跡  北緯34度17分36.4秒    岡林丘陵26.6メートル三角点  北緯34度17分47.9秒 対馬の金田城は土井ヶ浜遺跡と緯度が同じ 驚異的にドンピシャ 一致する! 対馬観光物産協会 WEBサイト http://www.tsushima-net.or…
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「日本」 である土井ヶ浜遺跡

Wikipedia 土井ヶ浜遺跡 から 『 土井ヶ浜人は、頭が丸く、顔は面長で扁平であり、四肢骨は長く、男性の平均身長は縄文人より 3 - 5 センチメートルほど高く、163センチメートル前後と推定された。 このことから金関丈夫(かなせきたけお) は、これらの集団が朝鮮半島からの渡来者と、土着の縄文人との混血であろうと考え…
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和久1号古墳 と 肥中街道  「日本」 は西安・沖ノ島の真西

下関市立考古博物館  企画展 『 掘ったほ! 下関 2012 』  7.14(土) ~ 9.2(日) 配布資料から 和久1号古墳  豊北町大字神田上字支州 「和久1号古墳」 は昭和56年に豊北町の史跡(現下関市指定) に指定された横穴式石室を持つ古墳です。 平成22年に豊北地区集客施設「道の駅 豊北」 の建設と合わ…
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作業用メモ 3

天武天皇下 14年10月10日 岩波文庫 日本書紀(五)  P212 終わりから2行目  益田直金鐘を美濃に ⇒ 島根県益田市の美濃地町 瀛州は向津具だ。 「東海」 の場所は沖ノ島の真東である。 川尻岬の玄武岩には地磁気逆転現象がある。 推古10年4月1日 の嶋郡は北九州市若松区 岩波文庫(四)  P1…
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扶桑という木

扶桑の木は亜熱帯性のアコウである。 種子島に多く生えるが、佐賀県 唐津市 肥前町 田野 高串 にも自生している。 扶桑=アコウ で「日本」の地は 唐津市 肥前町 田野 高串。 ※ 場所はYahoo地図で 「 唐津市 肥前町 田野 高串 」 を検索する。 万葉集517 神樹尓毛 手者触云乎 打細丹 人妻跡…
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翰苑

『邪馬臺国の常識』(1974年)の P176 で古田武彦先生は翰苑を引用し、 倭国は馬臺に鎮し→横尾岳が馬に見える 邪(ななめ)に伊都に届き、傍ら斯馬に連る→「伊都」は出雲か五十田狭の小汀、「斯馬」は桜島。 『失われた九州王朝』(1973年)の P266 の「貴倭女王」は硫黄島(鬼界島)か誤記。 『徐福集…
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十個の太陽

『山海経・列仙伝』(集英社) P434~435の湯谷・扶桑から引用して、 「昔は十個の太陽がいっしょに出たので、草木は焼けて枯れた」 これは鹿児島のカルデラが爆発したことをいっている。 鹿児島県の歴史説明は 姶良カルデラの爆発 ( B.C.2万2000年頃 ) 鬼界カルデラの爆発 ( B.C.4400年頃 ) …
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長差丘

山海経海外東経(『山海経・列仙伝』 集英社 P428)の長差丘は阿久根市の黒之瀬戸と脇本の笠山である。甘果は阿久根の特産のボンタン(直径20センチの大型柑橘類)である。青馬と書かれてあるので、山海経の頃には馬がいた。早馬大明神は島津の殿様が建てたものだが、ここが日向の馬の地で、その歴史は太古までさかのぼる。 大人国→宮之城町の…
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蓬莱山

蓬莱山は海の色が赤い硫黄島である。始皇帝は蓬莱山にある不老不死の薬を求めて徐福の船を出した。硫黄は薬として使われた。大国主神は少年時代は嚢担ぎの労働をしていたが、硫黄島の硫黄を運んでいたのではないか。 硫黄島の地名   穴之浜→大穴牟遅命   稲村ヶ岳→伊奈美嬬   辛戸浜→辛荷乃嶋(万葉集942) 神仙思想の蓬莱山(…
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「扶桑」の位置②

古田史学を登場させる。 『古代は輝いていた Ⅰ』(1984年)で古田武彦先生は「室見川の銘板」に言及している。「室見川の銘板」は終戦直後にある人が福岡市室見川の道を歩いていて見つけたという。ホンモノらしい。書かれていた銘文の大意は「高い日の輝く暘谷の東(この倭国の地)で、倭王は自己の宮殿と見事な宝物を作った。それは、後漢朝の延光4…
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「扶桑」の位置①

どこの図書館にも明治書院、集英社、平凡社の『山海経』『論衡』『淮南子』はおいてある。それをちょっと読もう。 富士山が扶桑の地とされているが、中国人、それも始皇帝や煬帝を感動させる「暘谷の扶桑」(=「日出ずる処」)の場所は鹿児島の桜島しかない。邪馬台国は中国の古代皇帝を納得させる神仙思想の地である。 扶桑は日の出るあたりの…
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扶桑

鹿児島県の考古学情報を得るために、上野原縄文の森→かごしま考古学ガイダンス→第15回 残された鹿児島の大貝塚 のサイトにアクセスして地名に興味を持った。大貝塚の地名は柊原(くぬぎばる)。 「柊」はヒイラギでなくクヌギとよむ。クヌギは日本書紀では高木の意味で「歴木」(2巻 P80)と書かれている。古事記では忍熊王の反逆(P135)で…
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