テーマ:鹿児島県・隼人

誤読だらけの邪馬台国   張 明澄 著

万葉集を読むと、遣唐使船は佐世保市に上陸している。 万葉歌人は佐世保市と武雄市を険しい山道を越えて往来している。 六角川が淡海国すなわち国津神の都なら、 『誤読だらけの邪馬台国』 (張 明澄 著 久保書店 1992年) の指摘と似る。 台湾人の張 明澄氏は 邪馬台国 阿久根市(出水平野) 説である。 張 明…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

記紀万葉は徳之島の郷土史だった

神話のふるさと は島根県出雲ではなく、南島の徳之島だった。日本発祥の地。 「花」がつく地名を「ケ」と読むのは呉音である。 奄美群島から対馬暖流に乗れば韓国へ一直線である。 高千穂宮も徳之島の麦穂岳か奄美大島の笠利が笠沙だろう。 伊仙町 「仙」は仙境で、ほかに「仙」の字の地名は開聞岳ふもとに仙田がある。 伊仙町の景…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

淡海の都は徳之島

万葉集2435~2448 を見ると、淡海の海は薩摩半島最南端の開聞岳から沖縄である。 2441の隠沼 → 開聞岳ふもとの鏡池 2442の大土 → 成川の陶土 2443の隠処の沢泉 → 開聞岳ふもとの玉ノ井・唐船峡  2444の石辺山 → 開聞岳 2445の白玉 → ゴホウラ・イモガイなどの貝輪 2449の香山 → 標…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

淡海国を発見

淡海国は薩摩半島南端の開聞岳ふもとの池田湖付近である。 開聞岳の天智天皇伝承がある。 万葉集2447の白玉は南海産のゴホウラ・イモガイ製の貝輪である。 この歌の時代、まだゴホウラ貝の貝輪が使用されていた! 歌の前後関係からして、隠沼(こもりぬ)は鏡池・池田湖・鰻池である。 大土は成川の陶土か硫黄だ。 香山…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

漢委奴国王 3

鹿児島県には天智天皇の伝承が多い。 天智天皇は娘を追いかけて、後半生は開聞岳の場所で過ごした。 「指宿」と「志布志」の地名由来は天智天皇にちなむ。 天智天皇は大隅半島の泰野を通り、御在所岳に登った など。 後漢書倭伝の倭奴国が九州の極南界なら、 漢委奴国は カ ワ ナ (べ) かもしれない → 鹿児島県川辺町。 川…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

天智天皇の「淡海の大津宮」は鹿児島か

鹿児島の開聞岳には晩年の天智天皇が隠棲したという伝承がある。 天智天皇が松山町泰野を通ったという。 天智天皇は志布志町の御在所岳に登ったという。 指宿、志布志の地名由来は天智天皇に関係する。 日本書紀の天武紀には「灰降れり」とある。 天智天皇と天武天皇は鹿児島に都をおいたのだろうか? 天武紀の「灰降れり」とは何だろう…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

御金高

山口県下関市の福江の小字に「王仁」。 王仁(岩波文庫 書紀2巻 P206)は百済の人である。 壱岐勝本町の立石南の小字に「金高」がある。どんな場所か知らないが、 万葉集3293に み吉野の み金高に 間なくぞ 雨は降るといふ 時じくそ 雪は降るといふ と歌われる場所か。 原文は「御金高」、現代語訳は「御金ヶ岳」であ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

邪馬台国はなかった ②

倭の場所は2か所 鹿児島県加世田市の万世地区(隋書倭国伝の邪靡堆) 壱岐―「大倭」の地である。雄略紀などの倭は壱岐。 加世田市の宮原の小字「万一畑」→万葉集の聖地(発祥地)        唐仁原の小字「古一畑」→倭国の都(難波か奈良) 「一」の字がついている。邪馬一国である。 書紀3巻 P240 の難波祝津(はふりつ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

海神

海人―近海で操業する漁師 海神―貿易商社の武装豪族 阿曇連 少彦名命(侏儒国の人)で、海若ともいい、南方系海神である。 万葉集354の日置少老の日置は鹿児島県日置郡をいい、「少」は少彦名命の末裔を示す。 本拠地は万之瀬川下流の金峰町の高橋・宮崎・尾下である。 万葉集354の縄(なは)の浦は沖縄の那覇である。 徳之島に神…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

竺紫

私は筑紫は阿久根市だとみている。 書紀の神功皇后が三韓征伐した場所は五島列島の韓人入植地である。 古事記では「竺紫」という地名が登場する。「竺紫」の場所は対馬である。対馬南西部に椎根という地名がある。書紀の神武東征の椎根津彦(書紀 1巻 P202)だ。 「此地は韓国に向ひ笠沙の御前にま来通りて」の笠沙は対馬峰町の賀佐だ。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

多理志佐

「続日本紀」天平12年(740)10月9日条 藤原広嗣の乱で政府軍の勧誘に応じて広嗣軍から政府軍に転じ、広嗣軍の軍略を明かした「贈唹君多理志佐」 「多理志佐」は隋書倭国伝の「多利思比孤」と名が似る。 参照  平凡社の地名辞典 鹿児島県巻 P670下
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

衣評

衣評は頴娃町付近といわれるが、山川町の大山・岡児ヶ水もかつては頴娃郷だった。 『鹿児島県の歴史』(山川出版社)の巻末年表より、 699年 薩末比売、衣評督衣君県、肝衝難波の「衣評督衣君県」について 山川町の福元村に熊野神社がある。熊野=出雲であるから山川町は出雲である。大山の「平原」は出雲のヒラ坂=イフヤ坂(角川文庫 古事記 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

隼人 ②

岩波文庫 書紀 1巻より P375上 大和朝廷に対する最大の抵抗勢力は隼人だった。 P373上 薩摩君鷹白→神功皇后が誅した羽白熊鷲は「御笠」の地で、阿久根市脇本の「三笠」。薩摩君鷹白も高尾野の笠山の人。 加志公島麻呂→阿久根市脇本「槝之浦」(かしのうら)の人。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

隼人 ①

邪馬台国(九州倭国)は隼人である。『鹿児島県の歴史』(山川出版社)の巻末年表の文武天皇以降から、 699年  薩末比売→「薩末」は薩摩半島ではなく万葉集248から黒之瀬戸周辺をいう。 衣君県→山川町と指宿市は出雲家の地。 肝衝難波→「難波」は記紀万葉の地名コトバなのに隼人の名前になっている。記紀万葉は隼人の書である。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

十個の太陽

『山海経・列仙伝』(集英社) P434~435の湯谷・扶桑から引用して、 「昔は十個の太陽がいっしょに出たので、草木は焼けて枯れた」 これは鹿児島のカルデラが爆発したことをいっている。 鹿児島県の歴史説明は 姶良カルデラの爆発 ( B.C.2万2000年頃 ) 鬼界カルデラの爆発 ( B.C.4400年頃 ) …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

灰が降る

日本書紀に、 「灰、零(ふ)れり」(5巻 P162)、 「灰、信濃国に零(ふ)れり」(5巻 P208) とある。 この信濃国は古代に桜島にあった信爾(しなに)村である。 参考 平凡社の地名辞典(鹿児島県)のP48下。 日本書紀は元は鹿児島の鹿屋市大姶良町にあった九州倭国の歴史書である。それを大和朝廷が完全剽窃…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

鹿児島県がヤマト

後漢書東夷伝に「倭奴国は倭国の極南界(最南端)にある」といっている。魏志倭人伝の記述は南方土民である。卑弥呼は奄美・沖縄のノロに似て、万葉集は南方のウタとつながる感がある。 大和朝廷に反抗した最大の勢力は隼人だった。中国から金印を授与されるような巨大勢力を無視した史書が成立するはずがない。それは土蜘蛛のようなチャチな存在ではない。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more