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須佐町  高山黄帝社など

須佐町史 と思われる。 奥付けのコピーを忘れたので、本の名がわからない。 高山黄帝社  P41 高山八合目に鎮座する。 支那国5千年の昔黄河流域に黄帝という明主があり、池に浮かぶ柳の葉より示嗟を得て始めて船を造り、これに乗って諸国を巡ったということである。 その後崇神天皇のとき黄帝の神霊がわが国に飛来し、この山に留って須…
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須佐焼

須佐町史 P40 須佐(唐津) 窯 町の中央犬鳴山(531m) の北麓、須佐川の源に唐津という部落がある。 ここには古くから焼物窯があり、今は跡のみをとどめているがすぐれた作品を残し、愛好家たちに珍重されている。 殊に伝来の青磁製品は絶品で専門家の注目をひき、須佐町文化審議会において昭和38年よりこれが発掘調査を開始。 …
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須佐町の高山 再考

萩市須佐町は日本発祥の地 2 < 作成日時 : 2010/09/05 22:09 > から転載 柿本人麻呂の石見は須佐町のホルンフェルスである。 「社」や「神楽」は高山と黄帝社を示しいる。 助詞の「社」や「「余社郡」など、高山を示す。 神楽浪は高山の海。 字「水海」 の近くに字「…
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高山は蓬莱山  萩市 須佐町

本の奥付けをコピーしてなかったので出典は不明。 おそらく須佐町史。 見開きで B4サイズの本である。 P2 沿革 阿武郡の北部に位置する町で、昭和30年4月1日、旧須佐町、旧弥富町が合併し、須佐町として発足した。 旧須佐町は阿武郡六郷の一つである大原郷であって、須佐湾の名称は須佐之男命が出雲の国から志良岐へ往復された時の…
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高天原は須佐町の高山の山頂だった

大倭は下関市の豊田町 倭国の東北一千里にある多婆那国は田万川町、または須佐町玉江。 脱解王の話は蛭子に似ているので、伊邪那岐神・伊邪那美神は須佐町の高山に住んでいたということになる。 江戸時代だったか、高山の山頂に近い岩の割れ目のような洞窟に周囲が制止するのも聞かずに老人が籠り、衰弱死したという。 須佐町の松崎八幡宮…
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淡海国は須佐町・田万川町だ

須佐町には磁石石で有名な高山がある。 同上  高山  こうやま 「注進案」 は「高山と申は此山至て霊山にして神代のむかし素盞嗚尊降臨ましまける山にて御座候、先年は神山と書転し申候事」 とし、かつては神山(こうやま) と書いた。 須佐町誌 平成5年  P84 より 高山の黄帝社 高山の八合目に宝泉寺と共にある…
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邪馬台国  阿東町 と 長門峡

個人の方のブログからリンクを張らせてもらいました。 阿東町  見どころ観光 http://www.ato-kankou.org/View/ http://atokan.sblo.jp/category/1582295-1.html 長門峡 (ちょうもんきょう) 長門耶馬渓ともいわれる。 萩市に注ぐ阿武川の上流に…
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投馬国 玉  紀の道

邪馬台国は山口県。 都は阿東町徳佐の宮ヶ久保遺跡。 宮ヶ久保遺跡は著名な弥生遺跡だから、「山口県の歴史」 書を図書館で調べたら載ってます。 邪馬台国の都は考古学でいう「王墓」「国邑」 の定義では発見できない。 投馬国は「タマ」 で、  防府市の玉祖神社 近くに「日の本」 の地名がある。  萩市 阿武川の河口 J…
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山台 小字

邪馬台国は山台国で、山台は阿東町徳佐だった!! 角川の地名辞典 山口県巻  巻末小字一覧 から 阿東町 徳佐 の小字  一部 徳佐上 領家 西領家 弘法 高町 石 御所河内 嵯峨  徳佐中 ・・・・ 山奥地の環濠集落 宮ヶ久保遺跡の場所 台 山門 黒田 片山 冬付 合六 上真土 下真土 己村 宮ヶ久保 …
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阿東町嘉年から 萩市大井に行く

山口県で最も標高の高い集落は阿東町の嘉年(かね) だ。 嘉年には記紀風の民俗が濃く残り、柳田国男民俗学の研究対象地である。 邪馬台国は山台国。 「台」 は高い所を表す字である。 山台国は山口県で最も標高が高い阿東町 嘉年説が思いつく。 嘉年 字「堂面」 にある三明原神社 ・・・・ 891年 授長門国従5位上 三明…
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万葉集の 隠沼

万葉集の「隠沼」(こもりぬ)の歌 2441 2719  2718は高山の歌である。 3023 201 1809 3935 3547 3021 山口県の須佐町(現在は萩市須佐)には「水海」という小字地名がある。 万葉集3547の場所は山口県山陰側の萩市の須佐だろう。 隠沼の場所は、 山口県萩市須佐 福…
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邪馬台国の位置は山口県の阿武郡 説

神功皇后は北九州市若松区の洞海湾から江川を通って遠賀川の河口に出た。 このことから倭国の都は山口県方面にあったといえる。      山口県の阿武郡には皇室領があり、一説には阿武郡全体が皇室領だったともいわれている。      邪馬台国の位置は山口県の阿武郡とみるのは有力説である。 阿武郡は、 萩市 旭村 川上村 福栄村…
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萩市が邪馬台国 説

須佐高山の山頂に登り、大感動の歌  (万葉集 1) 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ!! 考古学の資料から、古代の阿武郡の中心は萩市大井であった。 萩市大井は難波宮  (万葉集 894・896) 白村江の戦い後、唐…
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難波宮

萩市大井の小字「両家」は阿武御領として皇室領だったことより、難波の場所は大井になるか。 和名抄の 阿武郡 住吉郷 は大井だろう。 中国の図書編に大井は 倭委 と載る。 小字「高津こふ」⇒高津宮    「奈柄」⇒長柄宮
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鯨  伊勢

山口県の小字・小名の「鯨」地名 防府市富海  鯨ヶ江 田万川町江崎  鯨網代 瀬戸内海には鯨はいないと思うが、防府市富海に「鯨ヶ江」という場所がある。 田万川町の江崎は記紀万葉の 出雲=淡海=伊勢  の場所で、 出雲、淡海(近江)、伊勢は同じ場所である。 鯨が泳ぐ淡海の海。 天照大神が最晩年を過ごした伊勢国は黄…
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弥富の和泉式部伝説

須佐町弥富の地名由来  山口県風土誌 より 此里に富貴なる老人あり、子なきを歎き後世を願ふより外の事なしとて、都に登り神社仏閣を巡拝し、東山の黒谷にて女児の捨てありけるを拾ひて帰国す。 後7年を経て和泉式部本村に来り、後に云ふ見坂にて女子の遊ふを見る。 其夜かの老夫婦の家に宿れるが、見坂にて見し女子の家にて式部か歌をよめるに、…
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田万川町 江崎の寺社

参照 『復刻 山口県寺院沿革史』(昭和52年) 『山口県神社誌』(平成10年) 『山口県風土誌』(第十二巻) 阿武郡田万川町江崎 西堂寺 応永年間に創建。須佐村大薀寺末。 元は済度寺。済度寺が転訛して西堂寺になった。 ⇒伊勢の度逢県。 開基は妙清尼、開山は傑山文英大和尚 応永の頃、須佐路村に鍋山長…
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田万川町

※田万川町は萩市に合併されました。 『山口県風土誌』(第十二巻) より 上田万川村 大古は玉村といい、珍しい玉を掘り出していた。 上田万の丸山に字「日ノ本」。 「古銀山」 茅原山。 下田万村 「金山」  大古は銀を掘り出していた。 市味  往昔、白山権現の社があった。 湊  鰐防。登城、城見原(鰐防の…
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皇室領であった阿武郡

『山口県の地名』(平凡社の地名辞典 山口県巻)  P608下 阿武御領   阿武郡内にあった皇室領で、その領域は不詳。  ・ ・ ・ ・ ・ ・ 阿武御領の領域はつまびらかでないが、・ ・ ・ ・ 阿東町徳佐上の領家 むつみ村高佐上の領家 萩市大井の両家 など ・ ・ ・ ・ また、一説には阿武郡全体が阿武御領で…
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竺紫 伊勢 を再考

防府市の桑山は峰が二つあるけど、霊じふる峰ではない。 霊じふる峰は須佐町の高山しかない。 竺紫日向の霊じふる峰は高山と行者様。 高千穂宮は須佐町の高山。 出雲=淡海 は田万川町の「須佐地」「戎」(えびす) 竺紫=越中 は須佐町(字に「津玖志」「水海」がある)⇒遠の朝廷 笠狭とは須佐湾の雄島(天神島)で、これが須佐…
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淡海は田万川町か

今まで淡海は須佐町と思っていたが、万葉集29の「青丹吉 平山」は田万川町の平山台とすれば天智天皇の淡海(近江国)は田万川町の江崎・下田万になる。 小川のあたりには蹈鞴跡があり、銀山もあったらしい。 田万川町にも下田万に「須佐地」という地名がある。 田万川町と防府市に「戎」(えびす)という地名がある。 ※山口市にも上小鯖と…
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卑弥呼の墓

卑弥呼(天照大神)の冢がある伊勢は須佐町の高山か、阿武町奈古である。 奈古に「仮嶋」がある。 田万川町の海岸も伊勢の候補地だ。 記紀の尾張は田万川町江崎の尾浦だろう。 土居ヶ浜遺跡の近くに字「広田」「戎沖」があり、土居ヶ浜遺跡から出土した鵜を抱いた壮年女性が卑弥呼かもしれない。 つまり発掘した時、3世紀半ばの卑弥呼の追…
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須佐の宇佐

須佐の地名由来の一説として、大化元年(645) 豊前国宇佐八幡宮を松ヶ﨑に勧請して祀ったので宇佐といったが、転じて須佐というようになった がある。 別の資料では「松崎八幡宮は白雉元年(650) 宇佐八幡宮から勧請」とある。 松崎八幡宮の祭神は、 応神天皇 神功皇后 姫大神 で、姫大神とは宗像三女神をさす。 ※宇佐と…
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瀛州

『 宗像市史 通史編 第二巻 』 平成11年  P8 より 「瀛」と道教 書紀による宗像神出生神話 (A) 『記』・『書紀』 本文 (B) 『書紀』 第一・第三の一書 (C) 『書紀』 第二の一書  ・ ・ ・ ・ ・ 遠瀛(おきつみや)と中瀛(なかつみや)の表記をもつ(C) (B)は女神の降臨を述べ…
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須佐町の地誌

「須佐町の文化財」 須佐町教育委員会 発行 昭和50年  より 須佐町の東側は火山噴出物の堆積による流紋岩が多く分布し、変質として耐火材の原料となる ろう石 や、焼物の原料になるカオルン(陶土)が産出する。 →埴土の場所。 須佐町の西側は太古の一時期は田万川町付近から福賀あたりにかけて湖底だったといわれ、押谷付近では湖…
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邪馬台国への道  須佐から嘉年へ

「奈古や須佐の古代史は本当はすごいのじゃないか」と感じていた地元の郷土史家と「嘉年の古代史は本当はすごいのじゃないか」と感じていた地元の郷土史家は、奈古・須佐の古代史論と嘉年(かね)の古代史論を結びつける眼を持っていなかった。地元の郷土史家の視野は地元町だけに限られている。 国道が開通してからは阿東町は山口市との結びつきが強くなり、嘉…
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黄帝社があった沖原

『須佐町の碑石と碑文』 須佐町教育委員会 発行 昭和55年  P28 より 黄帝社    ・ ・ ・ ・ ・ また一説では、北浦沿岸はその地理的関係、季節風、潮流等の関係から、古来大陸からの渡航者、漂着民が多く、こうした人々が故国をしのんで祀ったものか、とも言われる。そういう意味では、大津郡向津具半島の楊貴妃の墓と一脈通ず…
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萩市須佐は新羅発祥の地

脱解の多婆那国は和名抄 阿武郡 多万郷 だから、萩市に合併された須佐町・田万川町は新羅発祥の地である。 萩市須佐は日韓揺籃の地である。 一説によれば、脱解は他人の家に砥石と炭を埋め、自分の家はもと鍛冶屋だったと言い、その場所を掘らせ、ウソをついて他人の家を奪った。 脱解はアタマのよい詐欺師だった。 ※詐欺師とは、うまく人…
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難波は萩市か

阿武川が重要のようである。 阿武川の中流は長門峡(ちょうもんきょう)があり、急流になって、「宇治」「日下」「竜田」の場所のようだ。 「阿武」の読みはアブ、アムの外に地元ではアンノ、アンがあり、「安」(あん)や「奴」(ナ音)に通じるものを感じる。 萩城のあたりには堀江がある。 大井ではなく萩城付近が難波宮で、阿武川の上…
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万葉集の萩市須佐

万葉集2751 味乃住 渚沙乃入江之 荒磯松 我乎待兒等波 但一耳 あぢのすむ すさのいりえの ありそまつ あをまつこらは ただひとりのみ 万葉集3547 阿遅乃須牟 須沙能伊利江乃 許母理沼乃 安奈伊伎豆加思 美受比佐尓指天 あぢのすむ すさのいりえの こもりぬの あないきづかし みずひさにして 万葉集の隠沼 2…
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