テーマ:佐世保

徐福の薬草

姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり 邪馬台国や徐福に関心を示された 2014.4.14 http://blogs.yahoo.co.jp/koiiyk/31302118.html   ↓ 中国の古地図 日本国と倭が別に描かれている! 下関 遺跡 http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi120…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

東夷 - 暘谷 音楽 皮服

神武天皇は実在した 説 文庫書紀③202-4  継体紀 文庫書紀⑤102-12  天武紀 壬申の乱で「神日本磐余彦天皇の陵」 が出てくる。 膏腴 隋書俀国伝 土地は膏腴にして 文庫書紀③202-12 土地膏腴えて 文庫書紀③216-6 膏腴えたる雌雉田 常陸国風土記 総記 風土記35…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

万葉集 耳無の池

万葉集3788 耳無の 池し恨めし 我妹子が 来つつ潜かば 水は涸れなむ 耳無の池は恨めしい。あの娘が来て身を投げたら、水は涸れてほしかったなあ。 この耳無の池は河童伝説がある石原の池である。 河童は川や池に近づいた人や馬を水の中に引きずりこんで食べてしまう。 原始古代の中国には食人の習慣があった。 ※…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

高天原穴門説  佐世保

穴門は佐世保市であり、神功皇后こと台与(壱与) は穴門豊浦宮または松浦(末羅) で魏に貢上する大量の真珠を調達した。 越(高志) の角鹿は平戸島西端の志々伎または宇久島である。 気長足姫尊(息長帯日売命) 自身が九州西海の真珠の産地出身であった。 熊鰐・五十迹手は穴門に出向いた時に天磐戸の儀式で天皇皇后を迎えているので、高…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

女王国 の東

魏志倭人伝 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。 女王国は福岡県岡垣町の波津 (「初」 とも書かれた) である。 波津から下関の蓋井島方面を見ている。 伊都国の場所もほぼ同じ。 南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行10日陸行1月。 7万余戸ばかり。 ①考  この邪馬台国は穴門豊浦宮で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

角鹿 から 穴門豊浦宮 へ

岡垣町 高倉神社の境内社に志々岐神社があり、これは長崎県平戸市西端の志々伎神社である。 神功皇后は、 三韓征伐の前 ・・・・ 肥前松浦に出向いた。 三韓征伐の後 ・・・・ 産まれた応神天皇の禊をするために、越(高志) の角鹿の笥飯(気比)大神に出向いた。 一説に、応神天皇は住吉神との不倫の子という。 ならば禊が必要だろう。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

邪馬台国はどこですか

邪馬台国の位置は、万葉集1668~1673 より佐世保市です。 万葉集1669 三名部(みなへ)之浦 ― 佐世保市船越町の小字「鍋之浦」 鍋之浦の場所は市立船越小学校の南側から海岸にかけて 渡来人という言葉は在日マスコミと考古学で使われるものである。 渡来人様の在日マスコミ。 日本書紀では渡来人は王仁ぐらい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

宇久島の方言

長崎県立図書館の蔵書検索 で、宇久島、小値賀島の古代に関する本はないか調べたところ、『 宇久方言で「魏志倭人伝」を読む 』 があった。月川雄次郎 という方が書かれた郷土史本で、平成9年9月の発行である。 さっそく入手して何が書いてあるか読んでみると、 宇久島から対馬に渡るには、夕方島の西の海に船を出し、エンジンを止めてお…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

小値賀島 が伊都国

当ブログは地名を第一に考えて、思いつき(あてずっぽう・ご都合主義)で邪馬台国の位置を推理する編集方針である。比定地をころころ変えることで、比定場所がそこでよいのかシステムを動かしてみる。「下手な鉄砲も数撃てば当たる」方法論を採るので、命中率よりも何発撃てるかが力量である。1000発撃って1発でも当たれば、既存の正統的な学問世界は崩壊…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石川郎女 の家は光海中学のあたり

(1) 久米禅師に求婚され、歌を贈答した。天智朝の人 (2) 大津皇子と歌を贈答した。持統朝の人。 (3) 大伴宿祢安麻呂の妻 大伴坂上郎女の母 石川(内)命婦 内命婦石川朝臣 大家石川命婦 佐保大伴大家 ともいう。 諱を邑婆、 安倍朝臣虫麻呂の母 ― 日野川下流の左岸に「虫太郎」の小字がある。 安曇外命婦…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

白縫 筑紫  箸墓を発見 !!!!!

しらぬひ 領(し)らぬ霊(ひ)が「付く」の意で同音によるか →筑紫の地名 336 794 4331 (岩波書店 新日本古典文学大系 萬葉集別巻 枕詞索引 より) 佐世保には 「 佐世保城と白縫姫 伝説 」 がある。 蛇は出雲の大国主神または大物主神。 将冠岳は八天神の祠があり、女人禁制の霊場だった ⇒ 三輪山 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

再び 出雲 淡海

佐世保で大穴といえば須佐神社の大洞窟 ― 大穴牟遅 佐世保は霧が多い ― 出雲 万葉集1287  石走 淡海県 ― 山県町 1310 雲隠 子嶋神之 恐者 目間 心間哉 1454 波上従 所見兒嶋之 雲隠 穴気衝之 相別去者 小島町 ? 佐世保港の丸瀬 ? やっぱり天智天皇の淡海国の大津宮は…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

万葉のふるさと 佐世保

万葉集 1168 白埼 ① 大潟町「水銀山」の隣の小字「白馬」 白崎を陸上自衛隊相浦駐屯地内の「白馬」に比定する。 太上天皇は相浦川を下って来たので、高天原は相浦川を上った所にあり、天石窟は湧水(天真名井か)がある泉福寺洞窟になる。 相浦川流域は遺跡が多い。 ② 白南風町 1215 玉津嶋 ― ①宇久島…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

佐世保の坂

平戸往還 ― Wikipedia より 佐世保本陣から早岐本陣へ 代官屋敷裏より宮地嶽神社へと登り、名切谷を通過して櫨山に至る。 小佐世保谷を横切ると、もっとも長い急勾配といわれる峰の坂の登り口に達する。 この坂は自動車の登攀できない急勾配で、舗装も二厘対応となっている。 峰の坂を上りきると大山祇神社に達する。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

近江  万葉集3236~3241

淡海は候補地が10か所くらいあるあるけど、今のところ、第一候補は水銀鉱がある佐世保市 大潟町 に比定しよう。 根拠は万葉集3239 の八十島 を九十九島とみなす。 相坂は松浦市の地名である。大潟町は相浦川が流れるので、川の流域を相坂のいえないこともない。 「楽浪の志賀の韓﨑」、大潟町の志田、松浦市の志佐。 ほかにもいろいろ考…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

基地の町 佐世保

弩 ― Wikipedia より 日本で知られるもっとも古い弩としては、弥生時代に作られた小型の弩の木製の銃身に相当する臂(ひ)の部分が島根県の姫原西遺跡から出土している。 律令軍制においては、弩を扱う弩手(どしゅ)は軍団の中から強壮の者二名が選抜され、あてがわれていた。 貞観8年(866年)には肥前国の一部郡司らが日本の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

佐世保市 天神 馬頭神社の「馬頭」

馬頭 - Wikipedia より 牛頭馬頭(ごずめず)は、地獄で亡者達を責めさいなむ獄卒である。 概要 [編集]牛頭人身のものを牛頭、馬頭人身のものを馬頭という。 牛頭馬頭という呼び方からわかるように、セットで語られることが多い。 牛頭鬼馬頭鬼(ごずきめずき)、中国では牛頭馬面ともいわれる。 大智度論16、大仏頂…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

佐世保市 福石 ( ふくし )

昔の福石村 福石町 稲荷町 大宮町 東山町 大黒町 干尽(ひづくし)町 若葉町 潮見町 白南風(しらはえ)町 須田尾町 藤原町 山祇(やまづみ)町 木風(きかぜ)町 大和町 福石川の河口は江戸後期の干拓による。 塩浜の地名がある。 山祇に道祖神が祀られていた ⇒ 猿田彦 茶屋坂は難所 清岩寺に龍神洞窟遺跡がある。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

佐世保市の馬氏川

記紀では松浦は九州西端で、奈良県の都から最も遠い最果ての地である。 しかし万葉集の松浦は奈良の都の近くの場所として詠まれている。 万葉集1143 ・ 3173 では松浦船が穿江(ほりえ)をこいでいる。この穿江は難波の堀江かもしれない。 佐世保は万葉集の佐保。 馬氏川は日本書紀 神武東征の可美真手命(うましまでのみこと)の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

佐世保市 松浦町

万葉集853~875 の松浦は奈良の都の近くにある。 松浦は佐世保市中心街の松浦町である。 万葉集865 伎弥乎麻都 麻都良乃于良能 越等売良波 等己与能久尓能 阿麻越等売可忘 歌で「都」の字が使われている。 岩波書店 新日本古典文学大系 萬葉集(一) P486 脚注に、 原文「阿麻越等売(あまをとめ)」は…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

対馬出身の大国主神

日本書紀 天武紀下 3年3月  岩波文庫 日本書紀(五) P118 対馬国司守 忍海造大国言さく、「銀始めて当国に出でたり。即ち貢上る」 日本書紀 神代上 では大国主神の出自や系譜がいまひとつ不明である。 島大国魂御子神社  上県町佐須奈乙 ― 古事記の刺国若比売 島大国魂神社  上対馬町豊 国つ神とは土着の神…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊都国

伊都国 は佐世保市の中心街で 高天町 のあたり。 高天原、出雲、淡海、倭(やまと)などは、みな伊都国の中にあった。 場所は佐世保川の下流~中流で、佐世保市中心街から歩いて20分くらいの範囲内である。 伊都国は千余戸。  代々王あるも、皆女王国に統属す。 女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

天石窟 発見 !!!!!!

今度こそ本当に天照大神の天石窟を発見しました !!!!!! 場所は佐世保市の中心街から少し離れた高梨町の  須佐神社の大洞窟 です !!! !!!!!!!!!!  !!!!!! !!!!!!!!!!!!!! 須佐神社  素盞嗚尊外4柱 無格社  佐世保市髙梨町1番9号 根拠 万葉集の大伴坂上郎女は峰坂町に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大伴坂上郎女

佐世保市 大伴坂上郎女は坂上に住んでいた。 坂上 ⇒ 峰坂町 万葉集の大伴坂上郎女の家は峰坂にあった。 万葉集の 春日 ⇒ バス停 春田橋(小字「春田」)のあたり 跡見は勝富町。 大伴坂上郎女の家の場所は万葉集725 より、白南風小学校・老人ホームやまずみ荘がある池のあたり。 または、 2002年…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

泉  阿都扉

佐世保市 万葉集696 石川朝臣広成  高円朝臣 但馬介 ⇒ 但馬岳の近くに居た 泉の里 ネット検索で現地情報を得れば、 戸尾(とのお)町のトンネル横町が岩山 ⇒ 石川・石水 高円は戸尾から泉町あたり か。 万葉集710  安都扉娘子 万葉集663 阿都宿祢年足 ― (株) おうふう 萬葉集 下注 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

葦北の野坂

万葉集246 長田王は日本書紀 神代上 にある天照大神の御田である長田 岩波文庫 日本書紀(一) P74 相浦川流域が「天」(あま、あめ)なので、天石窟の候補地は 岩下洞穴遺跡 泉福寺洞穴遺跡 下本山岩陰遺跡 「長田」は相浦川流域の松瀬岡免の小字「長田」、大野田原免の小字「長田」である。 葦北の野坂は野中町で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大陸進出の鎮守府 佐世保

大陸寸出の軍港佐世保観より、金比良町付近を中心に置いて、地名比定場所を再編したい。 合理的に考えて、軍船集結に最適な場所は米軍の佐世保港だから、淡海の大津は佐世保港になる。 石走る淡海国の場所 は 小島町-神島町-御船町-金比羅町-立神町-平瀬町-万津町-三浦町 で、佐世保重工がある所から佐世保中心街である。 古事記の黄…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

隠居岳 (かくいだけ)

佐世保の隠居(かくい)岳  670メートル かく ⇒ 古事記の 天の迦久神 万葉集3157   相海の安河 相海より相浦で、天漢(あまのがわ)は相浦川。 天の安河は相浦川。 高天原は相浦川流域だ。
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

葛城二上山

佐世保市 重尾町 金田川の上流に二ッ岳がある。 この二ッ岳が万葉集165題詞 の葛城二上山だ。 葛城襲津彦の 「襲」=「重」 とみて、葛城襲津彦は重尾町の人だ。 万葉集2210 より、明日香川の上流に葛城山があるので、金田川が明日香川である。 万葉集2185 より、二ッ岳を越える山道が大坂である。 難波は金…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

九州王朝の早岐瀬戸

天安河 ― 花高皆瀬の小川 天漢(あまのがは) ― 小森川または金田川 橘の小戸 ― 住吉神社の近くにある JAみかん選果場付近 一大率 ― 陸上自衛隊相浦駐屯地「水銀山」付近 白村江の倭国海軍基地 ― アメリカ海軍基地・海上自衛隊総監部付近 大伴御津 ― 万津ターミナル(シーサイドパーク) 宇久島平⇒万津タ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more