テーマ:佐世保

万葉集の熟田津は早岐温泉 (広田温泉)

万葉集7 明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇 ⇒ 重尾町 額田王 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念 壬申の乱で近江軍の合言葉は「金」だったが、万葉集7 の「金野」も広田を流れる金田川を示す。 万葉集の 金風(あきかぜ) 1699 射目人(阿曇目のことだろう)  伏見は小字「臥原」…
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記紀・万葉は早岐瀬戸の郷土史

邪馬台国は大陸進出の 軍港佐世保 にあった。 日本書紀 神代上  伊奘冉尊の泉津 ― 塩浸に小字「泉」 万葉集353  吉野の高城の山 ― 三川内に小字「高城」 「金剛ノ辻板谷」 国生み神話で最初に生まれた神である埿土煮(うひじに)尊は金田川河口南の「土嶋」(どろじま)の人である。 日宇川の…
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邪馬台国 の位置

邪馬台国(記紀・万葉の場所)は佐世保市 早岐瀬戸の広田である。 理由 ① 広田は神功紀神託の広田国 ― 岩波文庫 日本書紀(二) P160 ② 古事記 速須佐之男命の「速」は速来の早岐瀬戸 ③ 建(たけ)須佐之男命の「建」は宮村付近にあったという「健村」(たけむら)である。     『長崎県の地名』(平凡社の…
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佐世保市 皆瀬

①  皆瀬(かいぜ)町 ②  権常寺(ごんじょうじ)町 花高皆瀬(かいぜ) Google 地図 で見ると、細い小川が流れる。 手元の古い広辞苑を引けば、 みなせ(水無瀬) 摂津国(大阪府)三島郡本町広瀬の地。 水無瀬川の南、後鳥羽上皇の離宮があった。 水無瀬川 大阪府三島郡にある川。 島本町広瀬で淀川に…
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佐世保市 広田の洞穴

Google  「 広田城 洞穴 」 で検索してください。 佐世保市の広田に洞窟がありました。 天照大神の天石窟の最有力候補です !!!!!!! 佐世保市 広田 は神功紀神託の広田です。 サイト 「 遺跡ウォーカー 」で調べても広田には王朝の都を証明する遺跡はありません。 しかし、 高天原 出雲…
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佐世保市 三川内

万葉集1717 三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手潮(湖) 干兒波無尓 七郎神社  七郎氏廣命 無格社 佐世保市針尾東町2444番地イ 笠山神社  武内宿祢命 無格社 佐世保市針尾北町3457番地4 地神神社  大土主命 無格社 佐世保市浦川内町901番地 ※ 大土は万葉集2442、3344 …
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難波 ( 佐世保説 )

①案 龍田 ― 瀬戸越 桜木町 ? 大伴御津 ― 万津町 難波 ― 天満町   亀山八幡宮の創建も白鳳期と古い。 赤﨑岳付近の小字は「石岳」なので、記紀万葉の地名「赤石」か。 ②案 相浦町の相浦港、浄土ヶ浦のあたり ③案 早岐瀬戸の広田 「花立」のあたり。 ※ 山越えで金鉱がある有田も重要にな…
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橘の小戸 ( 佐世保説 )

古事記で、速須佐之男命 ⇒ 速来宮(はやくぐう)の早岐(はいき)神社 橘の小戸の場所は、広田にある住吉神社(古くは西海総社住吉宮と称す)に近い JA ながさき 西海みかん選果所 付近に比定する。 広田の三島山経塚は往古は島だった。 ここが万葉集の 橘の島宮 である。 橘の小戸は広田のJAみかん選果場あたり。 広…
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「 あをによし 平山 」 は水銀山

邪馬台国 = 伊都国 で、陳寿は邪馬台国の戸数わずか千余戸とは書けなかった。 山海経の扶桑の地は縄文時代にカルデラが大爆発した鹿児島なので、陳寿はお咎めがないように邪馬台国を鹿児島に置いた。 ※ 扶桑の木は種子島に多いアコウである。 投馬国五万余戸、邪馬台国七万余戸といった大人口は考古学に基づく太国探しにかなう。 しかし…
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新たな大伴御津の候補地 と 軍港佐世保

美津 3593 3722 68 3627 3721 潔(みそぎ) 2403 626  明日香の河 626  三津の浜辺 948  佐保川 420  天川原 松浦鉄道 相浦駅 の小字が「美捨子」である。 明日香川は蛭子川か。 万葉集894 の「多太泊」(ただはて)より、大伴御津は上五島の…
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高天原の候補地

高天原の場所探しは天石窟と天真名井があることが条件。 天石窟の候補地 ① 佐世保市 下本山 付近の洞窟 佐世保には洞窟が多い。 ② 平戸市 大佐志町 礫岩 の石窟 早福の高松神社の祭神は高市姫命である。 ③ 小値賀町 野崎島 二半岳中腹の祭祀場といわれる石窟 野崎島には地元の人しか知らない洞窟があるらしい。…
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邪馬台国は伊都国だった

伊都国の位置は佐世保市 相浦。 水銀鉱がある。 相浦の「相」(あひ)が「倭」に転訛 真実( ほんとう )は 相浦古事記 日本相浦書紀 相浦万葉集 なのです。 あをによし 相浦 まほらまの都 相浦 伊都国は 千余戸 倭国の首都に住んでいる人は少なかった。 しかも女ばかりで男が少ないため、土木工事…
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生駒山を発見

真(ほんとう)の生駒山は小佐々町の 足毛馬 (174メートル) だ。 小佐々町には地名の 葛籠(つづら)免 がある。 これが葛城。 船が難波を出港すると生駒山が見える― 万葉集4380 難波 ― 浄土ヶ浦 生駒山 ― 足毛馬(174メートル) 難波宮が佐世保市 相浦の浄土ヶ浦なら、隋書倭国伝の秦王国( そこ…
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新たな難波の候補地

真(ほんとう)の難波 は平戸市 田平港だと思っていたが、新たな難波候補地が出てきた。 場所は水銀鉱がある佐世保市 相浦 である。 万葉集577 大納言大伴卿の、新袍をもちて摂津大夫高安王に贈りし歌一首 我が衣 人にな着せそ 網引する 難波をとこの 手には触るとも 高安山を私は佐世保市の愛宕山に比定しているので、難波…
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伊都国より先は不明

当ブログの編集方針は記紀万葉の記述を基に魏志倭人伝の邪馬台国の位置を発見しようとするものである。 伊都国は水銀鉱がある佐世保市 相浦で決まり。 それから先の 奴国 不弥国 投馬国 邪馬台国 狗奴国 は位置不明だ。 私見では邪馬台国または女王国は小値賀町の野崎島なので、魏志倭人伝に書かれた伊都国より先はわかりませ…
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天智天皇の淡海国  佐世保市

佐世保市 相浦川下流 の水銀鉱がある場所は間違いなく魏志倭人伝の伊都国であるが、高天原でも出雲でもないとみていた私見はおかしい。 大局的に考えて、中国皇帝が最も欲しい物は朱と金である。 漢委奴国は朱または金を産するから金印を授受された。 最も重要な場所は水銀鉱と金山である。 佐世保の水銀鉱を中心に据えて記紀万葉の場所比定…
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平群文屋朝臣益人 3098 左注  佐世保市

平群氏は佐世保の水銀鉱で真朱を採掘していた。 薦畳(3843) ⇒ 佐世保野球場の東(沖田免)の小字「畳石」にちなむ。 平群文屋(ふみや)朝臣益人 「文屋」は佐世保 陸上競技場 がある場所(桝形免)の小字「文後原」(ぶんごばる)である。 文忌寸馬養 1579 1580 文室真人智努(智努王) 4275 …
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魏志倭人伝の伊都国 ?

魏志倭人伝の伊都国は水銀鉱がある佐世保市相浦~下本山の遺跡になろう。 しかし高天原、出雲、日向高千穂の場所を考察すれば、私見では宇久島・小値賀島周辺になるので、魏志倭人伝の伊都国とは何かよくわからない。 サイト「 遺跡ウォーカー 」で小値賀町の遺跡を見ると、野崎島の王位石は遺跡とみられていない。 王位石は国・県どこ…
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邪馬台国 発見の大宣言!!!!!!!!!!!

Google で 「 野崎島 王位石 生石 」 「 王位石 」 で検索すれば、現地の人のブログで王位石(おえいし)を 生石 と言っていることがわかった。 これはもう、万葉集355 の生石村主真人の「生石」に間違いないと断定できる。 魏志倭人伝の邪馬台国の位置は長崎県の宇久島・小値賀島で、 野崎島は超超超超超重要であ…
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宇迦

天照大神の田 天狭田・長田 天垣田 天安田 天平田 天邑幷田 素戔嗚尊の田 天樴田 天川依田 天口鋭田 素戔嗚尊の田も「天」にあり、素戔嗚尊が居た場所と天照大神が居た場所は近い。 宇久島の本飯良郷からは原始古代の稲作跡は発見されてないが、宇迦の場所は本飯良郷だと思う。 …
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宮ノ首遺跡 とは何か ( 佐世保市 宇久町 本飯良 )

伊勢 大量に出土した大型アワビ貝殻と製塩土器から伊勢の嗚呼見の浦 (= 讃岐の網の浦)である。 日向 出土した馬の歯・骨は日向の駒である。 岩波文庫 日本書紀(四) P122 歌 推古紀 20年正月 近江の牧でもある。 天智紀 7年7月 竺紫日向の橘の小戸の檍原 「檍」は八幡神社のモクレイシである。 讃…
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筑紫は宇久島の神浦

838年、藤原常嗣が乗る遣唐使船は宇久島から東シナ海を渡った。五島の福江島には行ってない。 神浦(こうのうら)に厳島神社があり、宗像三神を祀る。 万葉集446題詞より、筑紫は鞆の浦に近い。 万葉集の鞆の浦は小浜郷 下山の海岸のアコウの巨樹がある所だ。 浦島太郎伝説に似た話が伝わる。 宇久島北部の三浦が万葉集3869 左注 …
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照島 と 邪馬台発見

古事記の天の斑馬、日本書紀の天斑駒 [ 岩波文庫(一) P74 ] は小値賀町の斑島の馬だとみて、「天」の場所は宇久島・小値賀島である。 宇久島の寺島は手羅島、照島とも書かれた。 寺島=照島 「照」の字より天照大神の地であろう。 寺島(照島)の東にある岩礁の鼠島の対岸が小字「弥五郎」である。 ※ 鹿児島県には「弥五郎どん…
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高天原

「天」(あま・あめ)の位置 は古事記の天の斑馬、日本書紀の天斑駒 [ 岩波文庫 日本書紀(一) P74 ] からわかる。 天の斑馬 は「斑」を地名とみて、小値賀町の斑島に比定できる。 または宇久町 野方郷に小字「斑」がある。 小値賀島と斑島の海峡を斑瀬戸といい、海峡の小値賀島側の小字が「馬渡」である。 「 宮ノ…
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漢委奴国  筑前朝倉橘広庭

漢委奴国の位置 ①案 倭国の場所は平戸市。 倭国の極南界は平戸島の志々伎または野子。 ②案 倭国を平戸諸島とみれば、南端は宇久島・小値賀島で、最南端(極南界)は小値賀島の笛吹-黒島郷になる。 検討した結果、漢委奴国の位置は宇久島の平(たいら)郷の海岸である。 木を切ったらいけない場所は志々伎神社の社叢意外にない。 …
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真土山 と 石上振宮 の場所

まつち山 1019  又打山 古衣 石上振尊 手向為 恐乃坂  1680  信土山 ?     543  真土山 畝火 妹背乃山   -松浦市 境 から有田の陶土の山(皿山)へ向かう   3154  亦打山 -「速」より早福で、屏風岳の峠道   298  亦打山 -「盧前」(いほさき)は鮎川町の小字「山庵」 屏風岳の峠道…
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調首淡海

万葉集55  屏風岳と佐志岳の間の峠道が亦打山である 万葉集3339-3343   調使首   ①案  平戸市 猪渡谷町の神島神社 ②案  屏風岳が神島 亦打山とは屏風岳と佐志岳の間の峠道である。 淡海国は早福(はいふく)町になろう。 砂浜を歩いても食料は得られない。 美味しい物は潮干の危険な岩礁地帯…
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松浦市の不老山 が邪馬台国だ

松浦市 不老山には徐福伝説がある。 小字を調べると、不老山の小字は「平山」であり、万葉集29 の平山 に該当する。 不老山=万葉集29 の平山  これは天下の大発見である。 万葉集84  寧楽宮  高野原 ⇒ 高野免である!!! 石盛山の山頂に大岩があり、鬼の岩屋という岩窟がある。 ⇒天石窟か 川頭池が天真名井…
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佐世保万葉集

万葉集 2702  飛鳥川 在勝申自  ⇒ 下本山の小字「真申」   2703  真菰苅 大野川原 ⇒ 大野町 2704  悪氷木乃 ⇒ 柚木付近 万葉集3839 の 特鼻 は佐々町のバス停 特牛形? 地名「特牛形」とは何?
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佐世保の水銀鉱 と 天の香具山 

佐世保市 大潟町の陸上自衛隊相浦駐屯地内に水銀鉱がある。 小字で「水銀山」。江戸時代に採掘していたようだが、原始古代に水銀を取っていたという物証や記録はない。 付近には江楯野鳥の森公園があり、高岳(85メートル)がある。 万葉集3843 で、真朱を掘る平群の枕詞は「薦畳」(こもたたみ)である。 大潟には薦(こも)が繁って…
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