金の岬 など

金岬
万葉集1230
千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須売神

金之三埼は宗像市の鐘ノ岬ではなく、下関市吉見下 古宿 七曲り海岸 豊関建設資材置き場の磯「帆柱瀬」。「船釘」と呼ばれる光る石がある所である。
壮鹿之須売神はその付近「大久保」に大正3年まであった大綿津見社 浜宮に祭られていた住吉神である。

鹿 仁徳紀 猪名県の佐伯部 文庫書紀②258‐5
おうふう 萬葉集 歌1230 下注 壮 (紀)-
岩波文庫 原文万葉集 歌1230 には「牡」の注なし

参照
『よしみ史誌』 福本上 他  1985
P700、P706

『古宿今昔記』 大下七十五翁 1982
P24

『先代旧事本紀 訓註』 大野七三 批評社 2001
P41‐3段目 【斯香神】

『古代氏文集』 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉 山川出版社 2012
住吉大社神代記 P62‐623行 大久保

白雉の穴戸、穴門 候補地
古宿の大久保 どさんこラーメン店
古宿の うばがふところ 「帆柱瀬」の南にあった小さい洞窟
福江大塚 北村さん家 窪地の地勢
綾羅木郷遺跡 考古博物館 弥生貯蔵穴群 麻布が付着した土器

武庫水門 大久保の洞窟に神功皇后が武器を隠した

河内国 記紀・万葉など
大阪府の河内ではなく下関市 船越・古宿。この場所は播磨国風土記でもある。
針間 播磨国讃容郡 中川 (仲川) 船越の中川さん家
吉備は吉母、黍の綾羅木浜
大浦 安岡漁港

吉備上道采女大海 雄略紀 文庫書紀③58‐1
【上道】 Wikipedia
岡山市東区を南北に流れる砂川(赤磐市太田池源流)中流域の沖積平野
赤岩より吉見漁港、永田本町 大海は永田本町の海

船越 ゼンリン地図 杉山池の南側一帯 字「河内前」
吉見の地下上申絵図 河内社 龍王神社の境内に移される

河内の石津原 仁徳天皇陵 江戸時代まで綾羅木川は石津川であった。

山東、山西
『角川日本地名大辞典 別巻Ⅰ 日本地名資料集成』 1990
P19 (6)ヤマトを「東」と記す例
元興寺露盤銘 山東漢大費直 山西首都鬼
山東 ヤマト
山西 カワチ
中国の山東省、山西省に対応している。
詩経・書経の山東、山西は下関市有冨の山、船越の大久保山である。

生駒山 JR 大久保山トンネル
竜馬
雄略紀9年7月1日 文庫書紀③64‐2 
応神陵の蓬蔂丘 福江 字「王仁」 皇子社

白雉元年2月15日 文庫書紀④312‐末から2行目

高麗釼 こまつるぎ
万葉集2983
高麗釼 景迹故 外耳 見乍哉君乎 恋渡奈牟

高麗釼 八俣大蛇の尾 草薙剣 向津具の遼寧式銅剣
己 福江大塚 1999番地 字「已」か
景迹 日下の直越え 恐坂

以上、
『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮 紀子 日本経済新聞出版社 2007
P69 図35 「声教拡被図」の朝鮮・日本
赤関 下関市永田 海上自衛隊基地、水産大学校 ~ 古宿 七曲り 崖海岸
について記述した。

 有冨 字「中村畔」「金鋳ヶ谷」、大迫池 (工事中) 天御中主神社

「岫」の字 洞海湾、江川、日ノ峯山

小学館 新編日本古典文学全集『 風土記』
P520 塢舸の水門 阿斛嶋 資波嶋
門 注に、現在の江川

万葉集894
智可能欲利 大伴御津浜美尓
  ↓
値嘉は肥前なので、若松区島郷は肥前
大伴御津は智可能の対岸にあると見て、下関市吉母 御崎、室津か

小学館 新編日本古典文学全集
万葉集813 序 鎮懐石 肥前国彼杵郡平敷の石
 「敷」地名 若松区岩屋の千畳敷、若松区 小敷
万葉集814 序 元号令和の大宰府 梅宴
 穴のあいている山

懐風藻 講談社学術文庫
P97「20 春日 詔に応ず」 巨勢多益須 
室、瀛洲

景行天皇の九州遠征
文庫書紀②82‐2
其の山の峯重畳りて 峯=日ノ峯山か

仁徳紀 吉備中国 文庫書紀②276‐12
虬 岫 永田郷か。船越川 大塚か。

高麗釼 こまつるぎ
向津具の遼寧式銅剣 八俣大蛇の尾 草薙剣

万葉集2983
高麗釼 己之景迹故 外耳 見乍哉君乎 恋渡奈牟

田辺史福麻呂 福江大塚の人か

生駒山 古宿の大久保山



山島に依りて国邑をなす

魏志倭人伝 岩波文庫
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす

書経 商書 盤康下 筑摩書房『詩経国風・書経』 1969
山に依って都を定め(民衆を、城を築く労役から解放して)、われわれに降りかかった悪い運命を除き去られた。

本、学者によって語句の解釈が異なる。
 平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』
 集英社 全釈漢文大系 『尚書』
 明治書院 新釈漢文大系 『書経 上』
の該当箇所を読み比べる。

筑摩書房の書経「民衆を、城を築く労役から解放して」
という解釈は道家の政治「無為」である。

他に
「山上の城を都とする」

「人民の居住に適するよう、山に囲まれた土地を都とする」
風水 景行紀の歌謡「 青垣 山籠れる 倭麗し」

「水害を避けて山の高地に都を移す」 川のへりだと洪水がくる

といった語句の解釈・訳がみられる。


【上表文】 Wikipedia
倭王武の上表文
「 倭王武は、祖先の功業の成果として、東国の毛人の国々のみならず、対馬海峡を渡って南朝鮮の国々まで、大和朝廷の威力が行き渡っているかのように誇らしげにうたいあげている。この第1段とも謂うべきところが特に有名である。この上表文には、『春秋左氏伝』『毛詩』『荘子』『周礼』『尚書』等から引かれているものが見受けられるという。例えば、「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す」などは『春秋左氏伝』にも見られる字句である。この上表文を書いた倭王朝官人の漢文の教養の深さが窺われる。 「倭の五王」のうちの倭王武は、雄略天皇に比定され流こともあるが確証はない。(→古墳時代) 」

私見
『春秋左氏伝』『毛詩』『荘子』『周礼』『尚書』等は倭史である。
(根拠)
山海経 海外東経 の場所は福岡市東区 立花山(長差丘)~下関市黒井(労民国)
であり、この地域に堯を葬った所、青丘国、扶桑がある。
  ↓
中国古典の三皇五帝、四書五経、諸子百家、史記の半分 は倭人である。

倭王 武

倭国は高の東南大海の中にあり、

岩波文庫 日本書紀では「高麗」とは何か、論点とされている。
応神紀 文庫書紀②216‐10
仁徳紀 文庫書紀②272‐5
巻末補注 文庫書紀②402下 古満国、熊津
  ↓
上表文の冒頭「高驪」は古満国で、場所は百済の熊津である。


推古紀 歌謡 文庫書紀④122
馬ならば日向の駒 遠賀川下流の水巻町 地名由来 一説 水による
太刀ならばの真刀 巻末の漢字原文 くれ「礼」「句」 もあり 句礼

角川日本地名大辞典 40 福岡県 総説・地名編 2009 オンデマンド版
【水巻】 に「御牧」


讃の時の司馬達とは何者か
 司馬が姓、曹達が名?
 司馬は官職名、曹が姓、達が名?

『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 1990
【司馬曹達】

『中国正史の古代日本記録』 いき一郎 編訳 葦書房 1984、1992 第2刷
P74‐末行
司馬は武官か。中国の官名にならったと考えられる。魏晋南北朝では将軍、都督の属官。


『蓬莱山と扶桑樹』 岡本健一 思文閣出版 2008
P278


一般的な通説
倭王武の上表文1(No.155)/藤井寺市
www.city.fujiidera.lg.jp › kodaikaranomesseji › wanogoonozidai

私見
驪  奴国、奴国

後漢書倭伝
会稽の海外 東鯷人 呉 (くれ)=句驪 で、
鉄剣銘
 熊本県 江田船山古墳 ・・・ 副葬品に刀剣類が多い
 埼玉県 稲荷山古墳

讃の司馬曹達 江田船山古墳付近の人か ・・・ 渡来系
句驪の場所 九州南部、北関東。あるいは関西のヤマト政権が句驪。

倭国は「高驪」の「東南」「大海の中」にあり=下関市
倭 有冨の山、船越の古宿山

高驪の場所は韓国ソウル南の熊津 (公州市)。そこから東南の方向に倭国がある。
大海の中 外海・荒海である日本海の沿岸。倭国の首都は海がそばにある。
大宰府市は内陸・山奥にあるので「大海の中」ではない。
有明海・瀬戸内海の沿岸は内海だから「大海の中」ではない。
筑後川流域、奈良県・大阪府、四国 阿波 は「大海の中」ではない。

大海 下関市吉母 眼ノ崎~御崎 から眺める海 響灘の下関域
文庫書紀➀62‐2
素戔嗚尊、天に昇ります時に、溟渤以て鼓き盪ひ、山岳為に鳴りえき。
溟 道家の字。[学研 新漢和大字典]くらい海、淮南子 本経、大鯨がいる
渤 山海経の渤海 その場所が謎とされている。
呴 饒速日命の哮峯 吉見の竜王山 千石岩伝説

古神道 神理教 北九州市小倉南区 モノレール 徳力嵐山口駅 下車
饒速日命の里と伝える。長尾の八坂神社 (祇園神社) は素戔嗚尊の里と伝える。八旗八幡宮古墳も興味深い。長尾小学校遺跡から縄文末期の馬の歯、下徳力から弥生後期の牛の骨2頭分以上が出土。徳力 (徳利) は仲哀紀の紀伊国 徳勒津宮で、小倉南区の徳力・長尾は熊襲の地。

熊本県 江田船山古墳と埼玉県 稲荷山古墳
後漢書倭伝では呉域である熊本県宇土市、関東の句驪、あるいは関西のヤマト政権を従わすため、またはその功労記念の銘刀


六連島 むつれじま
生野神社 下関市 幡生宮の下町
祭神
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
宗像三女神 ・・・ 素戔嗚尊の海域を示す
彌都波能売神

六連島
島民は生野神社の氏子 ・・・ 六連島は下関市幡生・武久に所属

山の神の森 六連島にも「山の神の森」がある。
 南の台 宗像大明神
 西の台 雲海大明神―青海大明神
私見 雲海=溟渤、青海=滄海
溟渤、滄海は六連島 西の台の海をいう。

朝鮮系無文土器

六連島の西南端に遺跡 製塩土器など
八幡西区の日峰山ー下関市有冨 大迫池を結ぶ直線「夏至の日の出、日向の方向」
この直線上に六連島の遺跡がある。


火の国 景行紀 文庫書紀②78
葦北 下関市吉母 日羅は吉母の出身か。
火葦北 吉母浜では夜、人骨の青白い火の玉がでる。芦屋町か。

水島 蓋井島

火国 北九州市八幡西区 浅川 日峰山の火焚き伝説
八代県の豊村 水巻町古賀1丁目 豊前坊山

兵法
倭王武の上表文は甲冑の活劇だが、倭国は道家の兵法である。
老子 水や女の弱々しさは強い 28章、78章など


玉名市 熊本県
先年、下関市 綾羅木郷 了元寺横の遺跡を発掘調査していた考古嘱託の人が玉名市の考古職員になって転じた。

繁根木に眠る5世紀の王は大量・多彩な武器と金の耳飾り ... - 玉名市
www.city.tamana.lg.jp › aview

玉名市岱明町 - 大和國古墳墓取調室 - FC2
obito1.web.fc2.com › taimei
・・・ 玉名市岱明町野口大原538の畑の下から発見された組合せ式箱式石棺群で、弥生~古墳時代の石棺13基が発見されています。・・・

筑紫 日向 あわぎ原 橘の小戸

直線 朝日を拝む方向
北九州市八幡西区 浅川 ⇒ 下関市有冨墓地
日峰山-垢田の鼻ヅラ付近-上の山古墳-有冨の大迫池 山斜面 小名「山田」
が直線 東北東 34度 夏至 朝日

天御中主神社 下関市
有冨の山田 場所が不明 大迫池の山斜面が山地番の小名「山田」
垢田の鼻ヅラ 黒崎妙見 明見川河口 垢田八幡宮に合祀
室津の若宮神社内 素鵝神社の相殿 山口県風土誌


候補地 筑紫 日向 あわぎ原 橘の小戸
角川日本地名大辞典 35 山口県
【綾羅木】 下関市史 橘の小門の阿波岐原に基づくとする説

垢田の鼻ヅラ付近 明見川 天御中主神社
綾羅木 考古博物館の前 字「丸ノ内」「明見田」

安岡の住吉神社 安岡八幡宮の境内社 安岡小学校近くに元あった

潮待貝塚 冨任幼稚園 真東方向に有富の大迫池 川の流れなし

梶栗浜遺跡 真東方向に有富 字「中村畔」
梶栗は綾羅木(川中地区)ではなく冨任(安岡地区)に属す。

アワナギ神

オオトマベ神 交合 老子の玄牝、谷神
  ↓
下関市有冨 天子南面 南に川、四神相応
大迫池 (工事中)
地形が女の陰部 (ほと)、湿地、ピンクの山桜多い
堤の土手から竹生山を見れば前方後円墳 三段築
北九州市若松区の海がよく見える。

大歳池
池横 農協勤務の中村勝さん家裏の森に大歳社 牛 ( 丑は中央 ) を祀る
続日本紀 大歳池上女王 
場所の地形 女の豆丘

有冨の専徳寺
場所の地形 女の恥丘

字「谷町」 竹生寺へ上がる登り口より有冨側 林さん家

北 水 薬師池
東 木 建木 青山
南 火 火炎 尖り山 火の見山
西 金 西方は墓場 梶栗浜遺跡 細形銅剣、多紐細文鏡

新説 明組=ヒジキ 説

山海経 海内北経
明組
海藻
ワカメ 角島のワカメ、住吉神社などの和布刈神事(めかりしんじ)
ヒジキ 万葉集3893

ひじきについて | ヤマコン - 株式会社ヤマコン
yamakon1953.co.jp › kaisourui › hijiki
ひじきについて. ひじきの棲息場所. 図. もっと海藻を食べよう. 表. 昆布について詳しく; わかめについて詳しく.
  ↓
ヒジキは明るい岩上、水上で収穫


磯 甲羅の千畳敷
古宿の七曲り 崖海岸~吉母~御崎~室津上~蓋井島
曲 わだ 和多 綿津見

大蟹
吉母の若宮神社 掃蟹の伝説

大魚便
万葉集1216 方便

大魚便は荘子 逍遥遊の北冥の魚、鯤。禹の父親の鯀 (こん) に通じるか。


姑射
荘子
藐姑射の山 逍遥遊篇 北海の海中にある
無何有の郷 逍遥遊篇、応帝王篇

懐風藻 講談社学術文庫
巨勢多益須  P97 岫室、瀛洲
紀男人 P245
高向諸人 P327

万葉集3851

河伯 かはく 明治書院 新釈漢文大系 楚辞 巻末語句索引
九歌 河伯 P94 
天問 河伯 P131

水伯 天王信仰 (牛頭天王、素戔嗚尊)

山海経 海外東経 朝陽の谷
天呉は水伯 =河伯 北九州市小倉の紫川 八坂神社


中国古典の姑射山を発見!
懐風藻 講談社学術文庫
P97「20 春日 詔に応ず」 巨勢多益須 
岫室、瀛洲
  ↓
『増補改訂 遠賀郡誌 下巻』
日峰山 P564
日峰神社 P648
に通じる。
中国古典の姑射山は八幡西区の日峰山か。

『北九州市史 総論 先史・原史』 1985
日峰山遺跡 八幡西区大字浅川
P864‐3行目
女郎岩 (琵琶石) 神が峰の上で琵琶を弾じ、四方を鎮めた ...
神穴 全長15メートルの洞穴 北方向に延びる

八幡西区の日峰山=筑紫日向の高千穂峯=中国古典の姑射山

「河」を考察

河州
山海経 集英社本 海内北経
P479
列姑射は海の河州中に在り
河原( こうら)永田 海上自衛隊の箙山・砕石場~御崎~室津の甲山 の磯

河の中州 永田本町 永田神社
河内神社 船越と吉見下 字「中村」 一説に吉見竜王町 龍王神社に合祀

河 黄河
河伯
河図

吉備中道の川嶋
仁徳紀の末 文庫書紀②276‐6 虬 みつち
占いをしているので永田本町である。
万葉集5 軍王 卜 永田本町 (根拠) 網浦 網代ノ鼻 製塩土器

永田郷 丸山の北側 「ワニヵ渕」という小地名・・・「黄河の河伯」か
ワニヵ渕 山口県風土誌 永田郷村 境界 に出てくる地名


福江の大塚 1999番地付近 字「已」または「巳」
八俣大蛇
二匹の蛇がトグロを巻く姿 伏羲

 巴形銅器
長門国 住吉神社の神紋は全国唯一の水巴
参照 『天平の島と社と神の水』 福本上 著 P47

亀族・竜族
『書経・易経 (抄)』 赤塚忠 中国古典文学大系 平凡社
堯典 P16上

山海経 海外東経 雨師妾 一匹の亀を手に持つ

海若
楚辞 遠遊
荘子 秋水篇 では、北海若と河伯
万葉集1740 水江浦嶋子

縄文遺跡
川棚沖 厚島の男島
六連島 朝鮮無文土器

『山口県神社誌』 平成10年
杜屋神社 P878下
当社創建の伝説として、次のようなことが伝えられている。
一、 筑紫平定を終えられた日本武尊が、海路穴門国(長門国) に入られたところ、大海化(しけ) にあって命が危うくなった。
その時、亀甲に乗った貴女 三穂津命が現れ、尊の船を無事に毛呂の長浜に導いた。
(延宝3年=1675、『大宮司堀立亀松丸記』)

毛呂の長浜  室津

吉母の蔵本氏の談
吉見の乳母屋社と黒井の杜屋神社は元は吉母にあった。両社は吉母から移した。

角川日本地名大辞典 山口県
【吉永】
若海とはのちの涌田浦であろうか。

吉母
若宮神社 成久にある四宮八幡宮の祭神は若宮大明神 (応神天皇)
参照 『吉母 胞塚 伝説 福本上(のぼる) 著 P31

北方
本州最西端 下関市御崎 毘沙ノ鼻 龍谷大学の混‐地図では壱岐の対岸
毘沙門天は北方を守る。 北方は下関市御崎-壱岐の海域
海神の北海若は御崎の不燃ゴミ捨て場か。畳石=海坂


「河州」は永田川か船越川かのどちらかだ。
日本書紀の河内国は船越川なので山海経の「河州」は船越川の大久保山か。
いや、山海経 海内北経 は本州最西端の御崎-蓋井島あたりだろう。

中国古典の解釈では河=黄河、江=揚子江 とされてきた。
しかし、
私は山海経 海外東経 の長差丘は福岡県新宮町 平山の字「左山」付近と見る。

黒歯国・湯谷・扶桑は船越川 (下関市福江の大塚・吉見の船越) 、古宿 七曲り崖海岸の大久保山 JRトンネルで、大塚-船越の境 字「王仁」(読み おうじん)付近が詩経国風の魏風であり、記紀では河内国である。
書経 商書 湯誓 夏の桀を太陽に譬 (たと) えているので、夏は扶桑の地。

河曲=黄河の河曲 とされてきた。
河曲はいたる所にある。北九州市小倉の紫川の河曲、下関市では綾羅木川、船越川、吉母の草場川など。
中国古典(四書五経、諸子百家、史記など)の半分は関門海峡(大壑、帰墟)の両岸である。
「河」も「江」も一つに特定する必要はない。

始点・起点・基点・原点・出発地点
考古学の「知見」では菜畑遺跡、曲り田遺跡、久里双水古墳
私が「発見」した地名では山海経の長差丘=立花山のクスノキ原始林

地名による大発見 堯を葬った所だから唐原という。


山海経 海外東経
長差丘 福岡県新宮町 立花山 クスノキ原始林 新宮町の平山に字「左山」
 陶氏のを葬った場所は福岡市東区
大人国 宗像市、福津市 海人族
・・・
東海の君子国 北九州市 板櫃川
朝陽の谷、天呉 北九州市小倉北区
青丘国 下関市有冨 大迫池 (工事中) 大倭 讃 
黒歯国 船越川 字「王仁」 吉見の船越と福江の大塚の境 記紀の河内国
湯谷 大久保谷 (船越ー古宿浜の峠道)
扶桑 古宿 七曲の崖海岸 赤関 日の本の太陽、難波宮の忍照
・・・
・・・

「河」は黄河ではない。
「江」は揚子江ではない。


下関市 御崎 本州の最西端 龍谷大学の混‐地図では壱岐の対岸、日本列島の北端
嶋曲、美佐祁
『日本書紀Ⅱ』 現代語訳 中公クラシックス  2003年
P198  継体紀
23年の春3月に、百済の王は下哆唎国の国守穂積押山臣に、
「日本への朝貢の使者は、嶋曲 〔海中の嶋の出入りの﨑岸(さき) をいう。 人々は美佐祁(みさき) という〕 を避けようとしていつも風波に苦しみ、貢納の物を湿らせたり、こわしてしまったりしております。 なにとぞ加羅の多沙津(蟾津江河口の地) を賜わり、私どもの朝貢の路にしたいと存じます」
と言った。 そこで押山臣は、この要請を天皇に奏上した (以上7年条参照)。

この月に、物部伊勢連父根・吉士老らを遣わし、津(多沙津) を百済の王に賜わろうとした。 すると加羅(大加羅=高霊加羅) の王は勅使に、
「この津(多沙津) は官家(みやけ) が置かれて以来、私どもが朝貢するための津渉(つわたり) としております。 そうたやすく隣国に賜うということができましょうか。 統治せよと定められた、最初の領域を違えることになります」
と言った。  勅使の父根らは、その場で津を百済に賜うのはむずかしいとみて、大嶋(南海島か) にもどり、別に録史(ふびと 文書・記録をつかさどる下級の官人) を遣わして扶余(百済) に賜わった (以上9年条参照)。



『下関市年表』 平成23年
P7右 最下段
5世紀末  吉母海岸の砂丘では、朝鮮半島の原三国期から三国期にかけて作られた土器を使っていた。

ウツギヶ垰=空桑 説

下関市福江の大塚は「王塚」、大久保は「王窪」「皇久保」とも書く。
船越川沿いの字「王仁」は「応神」、新免川は「神明川」とも書く。
参照 山口県風土誌 福江村

船越-大塚の古宿峠道の山にウツギヶ垰がある。 垰 たお

地下上申絵図 福江村地下図 ウツギヶ垰は「空桑」だと思う。

『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999
【空桑】 くうそう この桑は扶桑のこと

一説に、伊尹は空桑に生まれた。

古宿 こずく コヅク
山口県神社誌 平成10年 P801上 龍王神社 由緒沿革 小津久
ゼンリン地図 小津見第一踏切  古宿は小津見の地名 


扶桑=太陽、日の本、太陽を中心軸にして世界は回っている
湯津石村
日本は浦安、磯輪
柿本人麻呂の石見国 わだの浦 は七曲り海岸
難波宮
など、JR大久保山トンネル、豊関建設資材置き場前の磯にあった。
ここに住む人は「真人」と呼ばれた。

巨曾部朝臣対馬 対馬=津島 で字「津のぢ浜」 豊関建設資材置き場付近
曾部の「巨」は鉅で墨家
万葉集3844

JR福江駅付近から蓋井島が見える。
長門 長髄彦が古宿の大久保山で神武軍を待ち構える。

地名場所の根拠は山海経 海外東経 の国々比定による。

山の神神事の考察 蓋井島 

2019.12.15 下関市立考古博物館 文化財講座 講演
「蓋井島 山ノ神神事の伝承と祭事」 豊北歴史民俗資料館 吉留 徹
を聴いて、私見を述べよう。

下関市蓋井島 山の神神事 御馳走を会食「大まかない」
楚辞 招魂
明治書院 新釈漢文大系 『楚辞』
P311下
魂よ帰り来れ。君此の幽都に下ること無かれ。

神事の終わりで魂の追い出しがある。蓋井島を幽都 (黄泉) と見ている。
太陽が沈む吉母浜。沖の蓋井島は地下を通って死霊 (鬼、神仙) が徘徊。

汨羅 (べきら) の候補地
 吉母浜埋葬遺跡
 本州西端 戸屋ノ鼻
 蓋井島

『山海経・列仙伝』 集英社 P479~P480
海内北経
姑射 (こや) 国 戸屋 (とや) ノ鼻か
大蟹 吉母海岸の甲羅岩 千畳敷の海底岩礁 

陵魚 アシカ  海驢の皮 文庫書紀➀180‐7
一年前に見た蓋井島の地下上申絵図 にアシカ が描かれていた覚えあり。
土井ヶ浜 岡林の昔話 娘が人魚の睾丸を食べた。その後、船長になって長生き。
アシカの睾丸は漢方薬で現在でも販売される。

大魚便

大河原付近の磯で鯨が打ち上がる 江戸時代
吉母浜遺跡 鯨の骨で作ったアワビオコシ
蓋井島 字「鱶井」 ふかい
蓋井島の遺跡からマグロの骨
 
明組

蓬莱山 吉母の黒嶋。蓋井島の山かも。

大人の市 壱岐の一大国
龍谷大学の混‐地図では壱岐の対岸は本州最西端 下関市御崎である。

P479
列姑射は海の河州中に在り
吉母の海磯を「河原」(こうら) という。姑射国は蓋井島だろう。

楚辞
九章 渉 江は揚子江ではなく吉母の江尻・江良
遊 遠は姑射山 はこやさん

明治書院 新釈漢文大系 『楚辞』 遠遊
P268‐5 海の神、海若 ・・・ 海が近い場所

P270 語釈 寒門 北極の門
毘沙の鼻より本州最西端は北極。 毘沙門天は北方を守る。
いや、蓋井島の北端 泉水ノ鼻。ヒゼンマユミ自生地で不老長生
徳島文理大学の研究によれば、ヒゼンマユミの実は癌細胞の拡大を抑制する
  ↓
蓋井島の山中に住む神人は楚辞の屈原である。


参考
『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999 ・・・ この本は必需品
 【藐姑射山】 はこやさん 
 【幽都】[2]

藐姑射の山は荘子 逍遥遊篇。 列子 黄帝篇では列姑射の山。
海中にあって神人が住む。

荘子 秋水 北海若



明治書院 新釈漢文大系 楚辞
集英社 漢詩選 楚辞
学習研究社 中国の古典 20 楚辞 ・・・ お薦め



山の人、まれびと
『長崎県の地名』 日本歴史地名大系 平凡社
P602中
佐世保市松原町 淀姫神社のヤモード神事
YouTube 動画あり

万葉集 山人、山住人
1682 皮服 買えば50万円はする狐裘 (こきゅう) か。
3884
4293
4294

 東西軸 東方に神域、西方に墓
吉野裕子全集 人文書院
第1巻 P386
第5巻 P117

日本の精霊崇拝
通説
特別展『国宝 大神社展』 - 九州国立博物館
www.kyuhaku.jp › exhibition › exhibition_s34
祀りのはじまり. 日本には仏教伝来以前から、日本独特の自然や精霊を崇拝 ...

私見
日本書紀では自然界の精霊を鬼と見る。
文庫書紀➀110 復 草木、咸に能く言語有り。... 邪しき鬼 ...


『日本書紀に描かれた国譲りの真実』 精霊崇拝から首長霊信仰へ 
武光誠 宝島新書 2019年12月

暘谷・扶桑 即ち日の本の太陽 船越→古宿 の峠 大久保谷

古代を知れば未来が見える
考察の仕方 地名によって場所を比定

山海経 海外東経 の長差丘を福岡市東区の立花山とすれば、
大人国 宗像海人
君子国 北九州市八幡東区 板櫃川
虫虫、虹 小倉南区 蒲生、徳力
朝陽の谷、天呉 小倉北区 金田1丁目
青丘国、建木 下関市有冨 字「中村畔」-有冨墓地 倭 (飛鳥)ー大倭 (高天原)
黒歯国 黒歯とは ひどい虫歯の人たち 福江の大塚-吉見下の船越  船越川
暘谷・扶桑 即ち日の本の太陽 船越→古宿 の峠 大久保谷
 難波宮、住吉荒御魂は大久保谷にあって、おしてるや (忍照、押光、臨照)
永田郷 御堂遺跡 縄文末の木棺墓  字「宗教」 墨子、墨吉の墓


『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮 紀子 日本経済新聞出版社 2007
P69 図35 声教広被図
迎江
向津具

徐福相 下関市豊北町
掲載の地図から、土井ヶ浜ー和久ー伊上 あたり
小字の地名から、和久の字「支度」「支州」
角川 新字源 2015 によれば、支那とは、「中国をいう。古代インド人が、仏典の中で中国をよんだ名称で、語原は秦からきているといい、また、知恵がある意ともいう。」 支那の語に悪い意味はない。

高志国 土井ヶ浜海賊 人骨に傷が多い 

団長または周長
豊浦団または周芳の岩国山 宇賀本郷

修前、修後
狗留孫山 修禅寺

赤関
古宿 大久保谷 住吉の岸の赤土、尓保都比売 船越・大塚 字「やびつ」
忍照や 難波宮、住吉荒御魂


白川静『新訂 字統』 平凡社 2004 【讃】君主に朝見することを讃拝
有冨 ハンドウ山 倭、大倭 履中記


雄略紀に倭国を「中国」と称した箇所がある。
文庫書紀③46‐末から3行目
文庫書紀③50‐末から3行目

続日本紀 狄
山海経 大荒西経 北狄の国 目下考察中

尓保都比売の命=清江娘子

小学館 新編日本古典文学全集 『風土記』
逸文 (播磨の国)
P490
尓保比売の命

国堅めまししい大神 伊奘諾尊
文庫書紀➀244‐1 神武紀の末
日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国

日本の場所は扶桑が立つ場所だから、
下関市吉見下 古宿 国道191号 七曲り の崖海岸

『よしみ史誌』 古宿 大綿津見神社の浜宮
どさんこラーメン→鉄道橋下を右折→資材置場→旧道の山道を上がる
→石組みの田畑跡 穴門の大田・山田 践立=践祚
→胸まで草茂る竹林の向こうに用水路と土石流を防ぐ大穴堤
赤猪、伊尹

湯谷=湯津石村
JR大久保山トンネル下の海岸

石坂比売 豊関建設資材置場の崖 柿本人麻呂の石見国

船越 字「赤松ヶ尾」、大塚の王子社から大久保山を越えて「小浜」に行く山道が地下上申絵図 福江村地下図 に描かれる。

峠  山口県風土誌 9巻 P385‐2行目
麦ヶ尾、藤平 (トウヘイ) ヶ垰、ウツ木ヶ垰

紀伊国 木の国 扶桑
筒川 筒川の嶼子 「筒」は筒男で住吉神
藤代之峰 平ヶ垰

注九 以下、いずれも新羅国の称え詞
出雲国風土記 八束水臣津野命の国引き詞に通じる。

万葉集69 清江娘子
崖の埴布 =岸の黄土 「黄」は黄葉と同様に赤か
魔除けの黄土、赤土があるかどうか、実見できない場所ゆえ不詳不明

万葉集
3300
3888

播磨国風土記、出雲国風土記は下関市吉見下、古宿、船越、福江大塚の記述

有毛 字「木角」

木角臣
北九州市若松区 有毛 字「木角ノ下」「木角」 木の角 (つの) 臣 孝元記

角臣、角麻呂
角国、角臣 雄略紀 文庫書紀③62‐11 通説は周防国 都濃郡

角麻呂 万葉集292-295

候補地
下関市稗田 字「角 (すみ) ヶ様」
下関市船越 字「角( つの) 地」 古宿 七曲の崖海岸  ここだ!

清江 (すみのえ) は龍王神社の浜宮 (大綿津見神社 神功皇后 征韓の時に創建)


参照
『増補改訂 遠賀郡誌 下巻』 ℙ685
『よしみ史誌』 P706


字「角地」は「津の地」とも書き、大久保山は「津の嶋山」ともいう。

万葉集291 小田事 福江の小田 (こだ) 木葉は扶桑樹、土器の木の葉文
万葉集1345 秋津野

文庫書紀②220-7 応神紀の最後
既にして其の三の婦女を率て、津国に至り、武庫に及りて、天皇崩りましぬ。
武庫は大久保の洞窟に神功皇后が武器を隠した伝説

神功皇后が武器を隠したと伝える洞窟は
  蓋井島の洞窟
  吉見古宿の洞窟
の2か所である。
武器を隠した洞窟 武庫

山口県風土誌  蓋井島  P425
古伝の説に云、神功皇后異国を退治たまひ、筑紫より豊浦宮にうつらせ給ひし時、此島にかりそめに上らせ給ふ。 故砂頭の岩に御幕の紋、馬の蹄の痕など猶鮮かに見ゆると方俗に云へり。
又神后兵具を納め給ひたる処とて、奇妙の巌窟ありとかやと見えたり


出雲国風土記の八束水臣津野命 穴門の引島か。
吉母の黒嶋は「久留島」とも呼ばれた。福江の来留見瀬もある。
クル → 牽る、繰る で「引く」の類語

吉母は鯨が打ち上った伝承をもつ畳石の岩礁がある。⇒難波の潮干の海石
吉母には江戸時代に鯨組(鯨捕り漁師)がいた。
吉母浜遺跡(弥生)から鯨骨製アワビおこしが出土。

吉見下には河内神社が2か所 龍王神社に合祀
 船越 水波能女神・保食神
 吉見中村 水波能女神、大己貴命

河内馬飼首押勝、河内の母樹
穴門館は古宿の大久保 (どさんこラーメン~ふくふくうどん の七曲り 崖海岸、JRトンネルの山)にあった。大塚の字「王仁」(皇子社跡あり。場所は船越川の船越と大塚の境) は「応神」とも書かれる。応神天皇は河内王朝である。
あるいは、
大塚の北村さん家は窪地にあって西側の道に庚申塔が立ち風水の吉祥地だから、ここに穴門館があったか。

船越・大塚・古宿七曲は海岸の山に扶桑樹があって神仙の地

三韓遠征に向けて神功皇后が渡海に出航した湊 伝説地 
 吉母の黒嶋
 向津具の川尻岬
三韓遠征後に神功皇后が船を着けて上陸した所という伝説地
 御崎の毘沙ノ鼻の崖下 龍谷大学の混‐地図では壱岐の対岸は下関市御崎
 大久保の崖海岸 扶桑樹があって「日本」の地

大内氏の中国・朝鮮貿易港 特牛近く肥中、市街の新地町
豊臣秀吉の朝鮮出兵時、毛利氏の船団が出航した湊 肥中

古代船は船底が平たく砂浜に乗り上げていた。
吉母古宿 豊関建設資材置場近くの崖に「小浜」があり、船越の農家が細い山道を越えて海藻を採りに来ていた。 そこが倭国の「難波の小江」か。必然性 山海経 海外東経の国 最初の長差丘を福岡市東区の立花山とすれば、扶桑は下関市吉見 古宿 JR大久保山トンネルにある。そこが「日の本」だから、究極の験 (ゲン)をかついで、なにがなんでも、そこから上陸。神功皇后伝説の帆柱瀬付近。

考古資料 須恵器の提瓶が出土する古墳 土井ヶ浜近くの和久、向津具 油谷島
沖ノ島は吉見では蓋井島が邪魔になって見えない。
宇賀本郷では春分・秋分の日に沖ノ島が真西に見える。

大久保海岸の崖に住む人「真人」、日下

住吉大社神代記に出てくる地名「大久保」
住吉大社神代記の住吉は吉見の龍王神社である。


『下関市史 原始-中世』 平成20年
P385
万葉集3893 いさな取り ひぢきの灘 の場所を推理すれば、
万葉集931の「清」は万葉集295の清江。海人の釣船は水江浦嶼子の地
場所は古宿 大久保の浜宮があった付近である。

狩猟は軍事訓練の一環だった。


欽明紀 文庫書紀③338
韓国の 城の上に立ちて 大葉子は領布振らすも 日本へ向きて
韓国の 城の上に立たし 大葉子は 領布振らす見ゆ 難波へ向きて
  ↓
大葉子は古宿の字「大葉山」 大葉溜池
日本の難波宮は古宿 七曲の崖海岸にあった。 日本=扶桑樹が立つ所
日下の直越え 船越⇔古宿海岸 の峠道

倭国の中央
 大倭  有冨墓地、大迫池 (工事中)
 倭・奈良・飛鳥  有冨中村・遠山運送
 河内・日本・難波  船越・大塚・古宿 JR 大久保山トンネル

船越・大塚・古宿は播磨国風土記に叙述されている。


記紀・万葉、風土記などの場所は下関市と北九州市
日本書紀では関西政権は呉国、倭種、蝦夷、東国の強兵、東漢氏

木角臣 北九州市若松区 有毛の人
角国 下関市吉見 古宿の七曲り崖海岸。難波、住吉もここ。

中国神話の扶桑は下関市吉見下 古宿にあった。
根拠は山海経 海外東経 の場所比定による。
 長差丘 福岡市東区 立花山 クスノキ原始林
 ・・・
 労民国 (教民) 下関市豊浦町 黒井