倭人は帯方の東南、大海の中に在り。

魏志倭人伝 倭人は帯方の東南大海の中に在り。
狗邪韓国 其の北
(一海を度り 1000余里)
国 官 絶島 方400里 1000余戸 南北に市糴す
 一海を渡り 1000余里 瀚海)
一大国 3000許りの やや田地あり 南北に市糴す
(一海を渡り 1000余里)

至 末盧国 4000余戸
伊都国 東南陸行500里 1000余戸
至 奴国 東南100里 20,000余戸
至 不弥国 東行100里 1000余

南至 投馬国 水行20日 50,000余戸
南至 邪馬壱国 水行10日 陸行1月 70,000余戸

「筑紫」の場所 候補地

2011年02月05日 の当ブログ 過去記事から
福岡県 二丈町 現 糸島市の西側
・・・
対馬から来る船は二丈町の浮嶽(筑紫富士・吉井岳 805メートル)を目印にしてやってくる。
筑紫は中国・朝鮮航路の船が発着する港である。
糸島の西側が筑紫だろう。

二丈町で浮嶽がある吉井に「竹戸」「日守」の小字がある。
隋書倭国伝の竹斯はこの「竹戸」か。
江戸時代の記録に、吉井の主な物産として竹がある。
・・・

糸島の西側 史跡、遺跡、神社、地名
新町、引津
長野 宇美八幡宮
銚子塚古墳
曲り田
松末羅漢川
鎮懐石八幡宮


竹斯
隋書俀国伝
都斯麻国 → 大海 → (東) → 一支国 → 竹斯国 → (東) → 秦王国

日本書紀
欽明天皇 15年12月9日 文庫書紀③314‐4
東方領 竹斯物部莫奇委奇、竹斯
狛、海北の弥移居 有至臣 「有至」は末盧国か

都久斯岐城 雄略天皇8年2月 文庫書紀③52‐7 筑足流城
文庫書紀③50‐末から3行目 「中国」を 「みかど」と訓む。

古事記
竺紫
竺紫の君石井、竺紫の日向の高千穂、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原

筑紫

風土記 逸文
九州乙類
九州甲類
甲乙不明

豎亥

山海経
集英社本 〔 〕内は郭璞の注であり、本文ではない。
平凡社本 本文のみ。

集英社本は〔 〕内の郭璞の注が邪魔になる。
図書館で部分をコピーした人は〔 〕内も山海経の本文だと思っている。

海外東経
長差丘は福岡市東区の立花山である。
唐堯を葬った場所は香椎の唐原(とうのはる)である。

豎亥は左手で青丘の北を指す
豎亥 (じゅがい) は下関市有冨の竹生寺を指す。

竹生寺は蒲生野山田にあるが住所は有冨である。
有冨 字「中村畔」(畔の読みはグロ)の真北に竹生寺がある。

畔を「グロ」と読むのは他に田倉 原 「向畔」(むかいぐろ)
山口県地名明細書 P173

青丘国は有冨 字「中村畔」 豎亥は竹生寺横の妙見宮 (北極星) を指す

青丘国は形山・田倉の青山ではなく有冨の山である。
歴史的に有力な村、名前が儀万という家、風水の龍脈・方位、竹生寺による。

国土地理院のネット地図を使って、遺跡、古墳、その他史跡などの方位を調べると、有冨の竹生寺の隣にある妙見宮が方位の原点(基点、起点)になっているのが不思議であった。
豎亥は右手に算を把り、左手もて青丘の北を指す。
青丘(有冨 字「中村畔」)の北は竹生寺である。

イノシシがいる所は薬師池の北岸で、イノシシが池の水を飲みにくる。
薬師池周辺の森林はシイ、ドングリの大木が多くイノシシの餌が多い。
有冨の山は猟友会ハンターたちの、古事記 葉広熊白檮、大猪子が原。

豎亥の「亥」はイノシシ、方位の亥(い、北北西)。正北から西に傾く。有冨 字「中村畔」から見て、竹生寺の奥の院である西側の経筒が埋まる堂がある方向、蒲生野山田の集落の方向になる。

淮南子 地形訓には太章という名前がでてくる。

『中国神話・伝説大事典』 大修館書店 1999
 【豎亥】 じゅがい
 【太章】 たいしょう

角川 大字源、平凡社 字通などの大型漢和辞典で、
【豎】【章】を調べる。

禹は豎亥に命じて歩幅で正確厳密に方位と距離を測量させた。
出雲国風土記と同じだ。

『季刊 邪馬台国』第137号 創刊40周年記念号 2019年12月1日
P208下‐15行目 レイラインハンティング

私は思うに、方位は絶対の教養です。倭人は正確な方位が命だった。
中国神話・伝説の豎亥、太章は下関市有冨 大年池の人。

山海経 海外東経、淮南子 地形訓 から、
有冨のハンドウ山に建木があり、船越の海岸側の大久保山に扶桑があった。
古宿の七曲の崖海岸が「日の本」である。

地図は語る
『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮 紀子 日本経済新聞出版社 2007
P238 【図 123】京大写本の日本 日本列島の最北端は「良門」(長門)
P69 【図 35】 「声教広被図」の朝鮮・日本 
 私見 「赤関」は下関市古宿の赤石、「讃」は有冨 字「中村畔」


地図に関する幅広い雑学を詳しく解説|地図のウンチク(意味 ...
www.chizu-seisaku.com › chizu-unchiku

『邪馬台国論争の新視点ー遺跡が示す九州説ー』 片岡宏二 雄山閣 2011
P99
混一疆理歴代国都之図 この図の考え方は西晋時代の裴秀が描いた『晋輿地図』までさかのぼり、・・・ 混一疆理歴代国都之図では、朝鮮半島以南が抜けていたため、日本の「行基図」で補ったものとする ・・・


倭人は帯方の東南大海の中にあり、(魏志倭人伝)
帯方の東南 山口県長門市あたり
大海の中にあり 外海、荒海に面した地
  ↓
魏志倭人伝によれば、邪馬台国は福岡市近辺や筑後川の筑紫平野にはない。
自分なりに探してみて、邪馬台国の場所は
長門国豊浦郡、関門海峡、北九州市小倉 の響灘沿岸 海岸が近い

万葉集2
天の香具山に登れば海原にカモメが飛んでるのが見えるので、内陸の豊田町華山ではない。有冨の竹生寺縁起、下有冨石棺の朱塗、ホームワイド裏の台地から出土した丹朱精製の石杵、中国風水の地勢から有冨 字「中村畔」を重視して、海が見える天の香具山は有冨のハンドウ山である。

風水の龍脈があって天子南面は綾羅木川の北岸である。円錐形単独峰の火の見山があって川の南岸の伊倉は愛媛県の土器が出ていることから臣下北面で海を制した素戔嗚尊の地か。

東亜大学の北側に字「四方山」 しほうやま がある。
詩経 鄘風 定之方中 の語釈に「四方」。字「四方山」の北は竹生寺だ。

豎亥と太章が居て方位を示した場所は有冨 大年池付近である。

東亜大学ー新下関 ダイハツ店(秋根遺跡)-秋根公園古墳-有冨中村ー竹生寺
が直線上に並ぶ。

河曲の広瀬の大忌神
 下関市 秋根八幡宮 綾羅木川 旧流路の崖上にあった 秋根公園古墳群
 北九州市小倉南区 長尾 祇園神社古墳群

5年前、秋根公園に下関市役所を移転させようとした県議が急死した。東京から安倍夫人が夜パトカー先導でお通夜に来た。河曲の大忌神のたたりか。

新説
下関市綾羅木川流域の有冨は方位測量の神である豎亥、太章が居た所である。
豎亥、太章が居た所は大年池の山側であろう。

竹生寺の西隣に妙見宮の鳥居が建つ。
採石場の峰は竹生寺ではを妙見山、山口県風土誌では竹生山。
椋野にも低い妙見山がある。

綾羅木海岸の梶栗浜遺跡と形山の青山山頂を線で結べば有冨中村が線上にくる。南北の妙見と妙見を線で結び、東西の梶栗浜と青山を線で結ぶ天心十道のクロス点が有冨中村である。火の山、火の見山の「火」は南、青山の「青」は東。梶栗浜遺跡は「金」で西を意味する。

試論
新下関 ホームワイド裏の台地(石原156番地) 塚の原遺跡
朱の精製跡 L字状石杵が出土 弥生後期
  ↓
北九州市小倉の城野石棺 (弥生終末期) の朱は下関市 塚の原遺跡から出土したL字状石杵で作られた。

参考
Untitled - 兵庫県立考古博物館
www.hyogo-koukohaku.jp › publication › remains
2019/02/22 - L字状石杵は、弥生時代中期後半(紀元前後). から古墳時代初め(4世紀)に東海地方から九州. 地方にかけて40点ほどが発見され …

新説 黒歯  虫歯

墨子

『懐風藻』 講談社学術文庫
P373‐末行 魏の西園、織女の河
P76 竜門山に遊ぶ 下関市吉見の竜王山 ・・・ 船越川の上流源
  ↓
詩経国風 魏風 十畝之間 場所は下関市船越


『諸子百家の事典 江連 隆 大修館書店 2000 P221下
出身 「墨」という姓は、中国では極めて珍しい。
墨子の出身、出自は不詳である。中国では「墨」という名前の人はいない。

墨子は山海経 海外東経 の黒歯国の人である。
(根拠) 「墨」の字は「黒」である。

「黒」とは何か 人が黒い、歯が黒い
明治書院 新釈漢文大系 淮南子 下 P1123下‐2行目
舜は黴 あかで色が黒くなり、

新訂 字統 白川静 平凡社の大型漢和辞典 2004
P387中 【歯】 「歯+」むしば 
P41中【齲】 ウ、ク、むしば

黒歯とは虫歯のことである。

山海経 海外東経 の黒歯国は下関市船越。
筑摩書房 世界古典文学全集 『詩経国風 書経』 詩経 魏風
P155上 魏は太古の虞・夏の都した地

黒歯国=詩経の魏国
縄文時代から船越の人は野良仕事が激務で垢黒、虫歯であった。

墨翟 「翟」は雉。墨翟とは扶桑のカラスか。

日下 日に焼けて色が真っ黒

住吉荒御魂 墨吉

持衰
小学館 新編日本古典文学全集 『風土記』
P532 逸文 筑紫の国 吐濃 (との) の峰 韜馬 (うしか) の峰


新説
墨子は舜、禹と同郷である。山海経 海外東経 黒歯国で、その場所は下関市吉見の船越川(吉見船越、福江大塚、大久保山)である。
詩経国風 魏風は墨子の思想が色濃く反映している。

(具体例)
『詩経国風 書経』世界古典文学全集 筑摩書房 1969 1981第2刷
詩経国風 魏風
 葛履伐檀
  ↓
『韓非子 墨子』中国古典文学大系 平凡社 1968 1998第15刷
墨子
上の者が馬鹿
P363上ー末行
P467下ー16行目

高禄をむさぼる
P468下-8行目

車作り 天志
P406下ー9行目 矩(さしがね)、コンパス
P409下-13行目
P447

女は縫い仕事・機織り
P352上ー13行目 特別に珍奇なものをつくらなかった
P420上-18行目
P428下ー19行目

耳学問の巻

YouTube の古代史動画
第15話 奈良時代② 国家鎮護としての仏教 【ビジネスパーソンのための歴史の3分クッキング】

これだけは知っておきたい古事記講座 土佐野 治茂さん

神武東征と江田船山古墳の主

飛鳥の大宇宙 キトラ古墳に眠るのは? 2/2

令和元年度 海の道むなかた館 西谷正館長講座 第8回/ガラスの来た道


ブログ
周公廟と観星台 - 桃源路の散歩道
blog.goo.ne.jp


騎馬民族征服説 Instagram posts (photos and videos) - Instazu.com

(私見)
有名な梁職貢図は信頼のおける資料ではない。


藤ノ木古墳 | 世界の歴史まっぷ
sekainorekisi.com › glossary › 藤ノ木古墳
  ↓
金銅製冠 Source:斑鳩町

(私見)
双峰山と扶桑樹 下関市有冨の山、福江大塚・船越の海側の山(大久保山 JRトンネルあり)

実用品と装飾品は別である。戦闘集団を率いる墨子は物の装飾を嫌った。華麗なる装飾品がある所は平和な場所である。

懐風藻の竹渓山寺は下関市有冨の竹生寺である。東大寺の金実中の開山と伝える。

朱儒国 後漢書倭伝 

魏志倭人伝 儒国
後漢書倭伝 儒国(朱は赤で南、朱鳥)

鹿児島県、宮崎県では「朱」「赤」の地名で場所を特定できない。

沖縄県
「朱儒」より推理
沖縄の首里 孔子廟 14世紀以降
南風 鳥小堀村、首里鳥堀町 弁ヶ嶽

考古 中国と交流
城岳貝塚 ぐすくだけ かいづか 那覇市 中国戦国時代 燕の貨幣 明刀銭
嘉門貝塚 かじょう かいづか 浦添市 朝鮮楽浪系土器

私見
燕の明刀銭が出土した那覇市 城岳貝塚が朱儒国である。

上和白の小字「左山」

当ブログ 過去記事より
2016年05月19日

長差丘  上和白の小字「左山」

山海経 福岡市周辺


山海経 海外東経
長差丘 (嗟丘)
長差丘(サキュウ) は二神山とも呼ばれる立花山である。
立花山が峰2つの山に見える位置は新宮町の大森である。

山の上に「立花山樟原原始林」 がある。

小字を調べると上和白の字「左山」(サヤマ) が長差丘(サキュウ)、嗟丘である。
字「左山」 の場所は国道3号線 平山信号機の西側である。

上和白の小字「左山」 の場所を知るとき、参照したサイト
和白村の歴史
gfujino1.exblog.jp/9024084/

立花山 ・・・ 航海の目印となる山
福岡市東区 唐ノ原、上和白  「原」 はハルと読む。
新宮町

元寇時、元軍は壱岐から志賀島に上陸した。


福岡市東区 上和白の小字 左山 読み 「サヤマ」
この場所が山海経 海外東経 の最初、長差丘(サキュウ) または嗟丘である。

漢和辞典で「差」 を調べる。
差=ふぞろい。 立花山の形だ。

「差」 という字の中に「左」 がある。
長差=長+差、嗟=口+差

他に
莚内 字「左谷」(サヤ)
立花 字「左屋」「左屋ノ下」
下和白 字「唐ノ尾」

上和白の小字「左山」(サヤマ) は山海経 海外東経 の最初、長差丘または嗟丘の "地名" で決まり。


次の大人国は福津市・宗像市の海人族。

詩経、書経は下関市と北九州市小倉の郷土史である。

先日、新幹線で太宰府の九州国立博物館にて開催中の三国志展に行った。
遠足の高校が3校来ており私語で騒がしかった。
縄文展とあわせて展示を観るのに4時間かかった。

『リアル三国志 公式図録』 美術出版社 2315円+税
P213 飾板
私見は不老長寿の木 渦巻文 陰陽二気 神が降臨する=雷が落ちる
香山、石上山の鉾杉 建木 武烈紀の銀郷

今、筑摩書房『詩経国風 書経』(1969、1981第2刷)の書経を読んでいるが、
書経は福岡の立花山城主、早良城主、朝倉城主、甘木の秋月城主の戦いといった感じで、三国志のような中国大陸の景色ではない。
詩経、書経は下関市と北九州市小倉の郷土史である。

国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉 山田康弘 専門は縄文時代
下関市立考古博物館 講演 11月2日
談「魏志倭人伝に牛馬はいなかったと書いてあるので、弥生時代の日本には牛馬はいなかった」
  ↓
『北九州市史 総論 先史 原史』 1985 によれば、
P269 小倉南区 長尾小学校の正門 縄文晩期の馬の歯
P495 小倉南区 下徳力遺跡 弥生後期後半~終末の牛骨 2頭分以上
が出土している。
P273‐12行目 沢下孝信 専門は縄文時代

私見
記紀万葉の場所=倭国・邪馬台国 は下関市綾羅木川の北側にあり、
北九州市を含んで詩経・書経の場所である …

邪馬台国は下関市 有冨の山、吉見の船越川・古宿海岸
(根拠) 山海経 海外東経 の国々を比定
長差丘は福岡市東区 立花山、大人国は福津市 … 朝陽の谷は小倉 ...
青丘国は下関市有冨の山麓、黒歯国は福江の大塚 王子八幡宮 …

倭 有冨 字「中村畔」
大倭 有冨墓地・大迫池 (工事中)
河内国・難波 吉見の船越川流域、古宿の海岸

倭の五王 讃 履中天皇説

倭の五王 讃 履中天皇説
「履」は殷の王のこと。
書経 商書 太甲によれば湯王は坐って夜明けを待って政治をやっていた。
隋書俀国伝の俀王の政治は殷の湯王の流儀だったので隋使はびっくり。
湯王は天乙ともいう。方位は乙 (きのと)
大迫池 (工事中) の東側 の小名「山田」

多利思比孤が居た場所
津石村 大迫池上の尾根 岩群がある所 石上神宮 殷の都 (はく)
隋書俀国伝 俀=巫女 日出ずる処の天子 大国維新の化を聞く

仁賢紀 春日山田皇女、懐風藻 山田三方、石上乙麻呂
継体天皇の后 手白香皇女も有冨 大迫池 堤防下の山側の人
雄略天皇と童女君(常陸国風土記 那賀郡 茨城里 神の子 一夕に懐妊めり)
  ↓
前方後円墳 くびれ部の造出 祭祀 箸墓 竹取物語
大迫池 堤防下のパイプ橋 (高橋) を渡った所から山上へ登る。

天理市
山辺の道は下関市有冨 大歳池ー大迫池 の用水路脇の山道を模したもの。
天理市の龍王山は有冨竜王社 (ハンドウ山) に対応する。

佐紀宮、山桜が咲き、三枝 さきくさ 有冨墓地・大迫池 (工事中) 

魏志倭人伝等の地名 漢字の表記など

邪馬臺国(太鼓=雷神、廟、高楼、高木、高城、高台)
邪馬壱国 (「壹」は壺いっぱいの酒、道家の「一」、壺は瓢箪 前方後円墳 )

大海国 大海=勃海=渤海 「淮南子 上」新釈漢文大系による
対馬 対馬東方の対岸は下関市宇賀の馬牧

一大国
一支国(沖ノ島の 一ノ岳) ノ=之 (音はシ) 一之岳

末盧国
盧国(梁書では「未」) 下関市 室津・御崎か

倭国 「倭」の意味は、白川静 「新訂 字統」平凡社の大型漢和辞典
俀国(倭、女王国、巫) 音 タイ 俀、大、太、泰、多

狗奴国 「狗」は犬、熊虎の子、斉の晏子が楚を蔑んで「狗国」と言う
奴国(後漢書倭伝) 拘束奴隷の国

侏儒国
儒国(後漢書倭伝)

倭面国 倭面国 小倉南区 徳力 嵐山 大元稲荷神社 土は中央 大貴命
上は天上界 「日向」は太陽が沈む方向で西か

龍、蛟(みずち) 八幡東区 オオサンショウウオ
徳力嵐山の深淵にもオオサンショウウオが棲息か?
万葉集3833
黄暁芬 著 『中国古代葬制の伝統と変革』 P249 龍と虎
『北九州市史 総論 先史 原史』 1985 P110


小倉南区 蒲生八幡神社 南方 字「中島山」
境内社
 白山社 事解男、速玉男、菊理媛
 幸彦社 柿本人丸 慶応3年創立 筑紫君薩野馬か


渤海
『山海経・列仙伝』 全釈漢文大系 集英社
P71 語釈 地の盛り上がっている所

『淮南子 上』 新釈漢文大系 明治書院
P135‐11行目 大海が溢れる
P135‐末行 語釈 勃は大
『淮南子 下』巻末索引
【勃 (渤) 海】

懐風藻 魏の西園 司馬曹達

曹植
倭の五王 讃の臣 司馬
参照 『日本古代氏族人名辞典』 吉川弘文館 平成2年

曹魏
懐風藻は下関市有冨上 (東の高楼) と吉見の船越 (西の御園) の漢詩集である。
懐風藻の竹渓山寺は下関市有冨の竹生寺である。

『懐風藻』 講談社学術文庫
P373‐末行 魏の西園
P76 竜門山に遊ぶ 下関市吉見の竜王山 ・・・ 船越川の上流源
  ↓
詩経国風 魏風 十畝之間 場所は下関市船越

P24 懐風藻 序
神后を征し、品帝に乗ずる
有冨墓地を基点にして
坎 真北の方位 油谷町伊上、向津具 伊上沖の海中から祭祀の大甕引き上げ
乾 北西の方位 福江の大塚 字「王仁」(応神とも書く)

下関市有冨の薬師池の北側と北九州市小倉南区 長尾 八坂神社 (祇園神社) を直線で結べば仁馬山古墳が線上にくる。薬師池の西岸か北岸から50m上がった所に聖地があるようだ。目立つ古墳は方位の正確な目印になっている。
神農は炎帝であり、炎は南の方位なので、小倉南区長尾 八坂神社あたりが神農の地である。


応神天皇は河内王朝なので、福江大塚は記紀の河内国。
吉見港、永田本町の海岸を覆う赤石は蓬莱の仙境。 

詩経国風の魏は下関市船越である。
司馬曹達は下関市の船越川 (吉見の船越、福江の大塚、古宿海岸) の人だ。
福江の大塚は王塚、古宿の大久保は王久保とも書く。

司馬曹達は伊都国の人だろうか。伊都国の「伊」は聖人を表す。
小倉南区 守恒付近に伊都国があったか。

邪馬台国は東海の三神山(瀛州、蓬莱、方丈)の地にある。
鎌倉時代の蒙古襲来も邪馬台国を見つけたい思いで行われた。

大阪府、奈良県など、巨大前方後円墳の築造は流民によって行われた。
古墳は石垣や城ではないので関西は平和だった。
関門海峡、長州は国防最前線の地。

懐風藻では「無為」が讃えられている。
薄葬令 (646年) 以後だけでなく元から下関の倭国は「無為」だった。


仙境
有富墓地・大迫溜池 天中洞啓・洞天福地
船越川

有冨の「福地」が砕石場になっちゃった。



理想の大地―福地の思想 - 東洋大学
www.toyo.ac.jp › uploaded › attachment
山田利明
福地とは、かつての中国で神仙(仙人)になるための修行に最も相応しい土地、あるいは神仙が住 …

詩経 周南 下関市秋根公園 説

高橋氏文
景行紀 磐鹿六雁 文庫書紀③112‐2
纏向日代宮 有冨古墳 遠山運送の東側 駐車場
東国は秋根・前勝谷

高橋虫虫虫麻呂は下関市秋根公園の人かも。
川曲り 綾羅木川は秋根公園横に湾入していた。
綾羅木川の旧流路は秋根古墳の傍にあった。
 スーパー丸和の裏 字「伊勢防」
 秋根の公団  字「高伏」 バス停 公団前 に橋があった ・・・ 高橋か
前勝谷町に入る所の砂子多川の橋付近 字「貝出」
田倉 上方 字「大伴」(おおばん)

書経 堯典 嬀汭 (ぎぜい) の候補地 河曲り
 小倉南区 南方・長尾の八坂神社 (祇園神社)
 下関市秋根古墳の場所 

発見!
文庫書紀②110‐末 覚賀鳥 補注7‐41
詩経国風の冒頭 周南 関 目鳥(かんしょ みさご)

舜の娘 大沢は新下関駅付近の字「燈台」か。堯の二女とも。
 宵明
 燭光

楚辞 九歌 湘君、湘夫人  洞庭は秋根 字「穴ヶ迫」か

常陸国風土記 香島の郡 童子の松原


新下関団地 ( 秋根の公団) は秋根新町が誕生する1977年まで有冨内だった。

中国古典の神仙境は東夷の地にある。
山海経 海外東経 私の比定地
長差丘 新宮町 夜臼 立花山の樟原原始林
大人国 宗像海人
君子国、虫虫 虹、天呉、水伯 小倉南区 徳力の嵐山、長尾 仙境
青丘国 下関市有冨 仙境
黒歯国 下関市 船越川 字「王仁」(応神とも書く)、吉見古宿浜 仙境


ネット検索【 福岡県 立花山 楠 】
  ↓
( 参考サイト )
立花山クスノキ原始林 文化遺産オンライン
bunka.nii.ac.jp › heritages › detail
立花山クスノキ原始林 たちばなやまくすのきげんしりん ...

立花山・三日月山の植物
h-yanase.sakura.ne.jp › tm-syokubutu
また、三日月山には三日月温泉登山道、三日月霊園登山道などあり、四季を ...