扶桑が日本列島にあったなら ...

扶桑の地にある邪馬台国
中国古代地理の扶桑が日本列島にあったなら「中国の古典」「中国の神話伝説」に出てくる強弓の羿(げい)は日本列島人であり、孟子 東夷の人 舜、東海の士 太公望呂尚、東方の君子国は山東半島付近ではなく日本列島人である。

四書五経、諸子百家、史記、山海経など、その半分は実話日本史である。
日本の国文学、日本史学科の先生は四書五経、諸子百家、史記、山海経など「中国の古典」を毎晩6時間以上10年がかりで読んでいる。私らは原文の漢文は読めない。私の見立てでは 懐風藻、淮南子、楚辞 、この3書の現代語訳、語釈を読めば邪馬台国・古代史研究のメドがたつ。下関倭国は道家の無為・素樸なので物の規模で階級づけする考古学では見えない。

中国史、東洋史の先生ですら淮南子、楚辞は読んでいない。
淮南子、楚辞を読まずして前漢・後漢、三国志 曹魏の研究はできないはずだが ...

『三国志の英雄 曹操』 林田愼之助 著 清水書院 2019年4月
この本で語られる曹操の人物像は劉安に似ている。

連弧文清白鏡 三雲、須玖岡本、立岩遺跡 「清白 」は楚辞の語
宮若市 竹原古墳壁画 楚辞

九州大学考古学、福岡県考古学は清白鏡、竹原古墳壁画の文化背景を解明するために楚辞を読まねばならない。その宿題をしていない。


卑弥呼の鬼道とは何か
『魏志倭人伝の謎を解く』 渡邊義浩 著 中公新書 2012年
P162

『古墳と古代宗教』 重松明久 著 学生社 1978年 ・・・ 必読書
P136
P99 ‐4行目 衛宏自身は東海の人で ... 「前方後円の木主」は下関市有冨中村の人である。 前方後円墳の造出し部、淮南子の小山は有冨のハンドウ山である。

淮南子は劉安の著作ではなく彼のブレーンたちが書いたものである、
と見ればブレーンの小山は衛宏と郷土が同じかも。


宋書 倭国 講談社学術文庫 倭国伝
倭の五王は下関市有冨、吉見の人たちであり、記紀は三国志のような馬上の活劇ではない。
「渡りて海北」は朝鮮半島でなく豊北町海岸の土井ヶ浜遺跡・和久古墳、向津具本郷 条里制である。 倭国と高麗、渤海国はとても仲がよい。 「句驪」(くれ、呉国)は関西のヤマト王権-九州だろう。

大国惟新の化 隋書俀国伝

岩波文庫 魏志倭人伝等
訳注『隋書』倭国伝
大国新の化 P72 末から2行目 

新ではなく新である。

学研 新漢和大字典 2013年2月 第4刷
P648下 【惟】其命新〔孟子・滕上〕
これは誤り。孟子は明治維新の新である。

平凡社 中国古典文学大系 書経・易経(抄)
偽古文尚書 胤征 P106上 注11 旧染汙俗、咸与

明治書院 新釈漢文大系 書経 下 胤征 P390 


大国惟新の化
大国 大国主神
惟新 書経 胤征にでてくる語
化 大化の改新

酒びたりの羲和(ぎか)
酒で八岐大蛇を退治 福江大塚 の字「巳き」 みき 御酒、神酒

大塚は墓場で黄泉だから出雲
小字「巳き」 大貴命 安岡八幡宮の祭神

大己貴(みき) の命  福江大塚1999番地  字「巳き」 または「已き」
多利思孤 「北」は福江大塚の北村さん家


船越・福江大塚
地勢景観は天子南面
江戸時代の地下上申絵図 道が集落の西側(山際)を通っている。
 ↓
風水の白虎 風水に基づいた道路

集落が中国風水・易経・方位に基づいて設計されていることが見てとれる。
住民に学・教養があるので考古学知見に基づかない首都が判明する。

参考
『 易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観(コスモロジー) 』
講談社選書メチエ 水野杏紀 著 2016/2/11
P156末 北宋の風水書『地理新書』の四神の記載
墓塚は福江大塚の字「生墓」

「百舌鳥・古市古墳群と倭の五王の時代」 の場所
下関市福江 大塚の字「生墓」(活目天皇)「王仁」(応神天皇)

纏向珠城宮、宝来山古墳 → 宝来山は下関市福江大塚近辺にある。

桃源郷、壺中天、洞天福地
福江大塚が赤関なら讃は有冨中村か。
海岸が赤石(=明石)の吉見漁港。

讃は「讃頌」(さんしょう)
言葉を尽くし、また歌などに作ってほめたたえること。
万葉集1、2 有冨中村、ハンドウ山、有冨墓地の尾根、竹生山

赤関 福江大塚 字「王仁」(おうじん)

 
地名 福江
角川日本地名大字典 山口県 【福江】
福江という地名は 福江与三左衛門による。

山口県風土誌
地元の伝説では、三韓征伐の後、神功皇后は古宿海岸 豊関建設資材置場前の磯場に船を着け、崖山をよじ登って上陸している。 この崖山は 1977年 ゼンリン地図 JR大久保トンネル 大久保は「住吉大社神代記」明石郡魚次浜一処
『古代氏文集』山川出版社 2012年 P62 623
大塚は王塚、大久保は王久保とも書く。

福江大塚 字「王仁」は「応神」とも書く。
福江大塚の王子八幡宮と古宿浜の浜宮は参詣する前に斎戒沐浴で、この参詣時の儀式厳格さは沖ノ島参詣と同じレベルである。
福江大塚の新免川は神明川とも書く。神明とは天照大神のこと。

隋書俀国伝
阿蘇山は竜王山の鳴き岩「千石岩」
如意宝珠
豊関建設前の磯場にある光る石「船釘」
どっかの神社の御神体 隕石


隋書俀国伝の文言「大国惟新の化」を書経 胤征の語「惟新」と照らして考察し、多利思孤の「北」は下関市福江大塚の北村さん家にちなむと結論した。
羲和(ぎか)が居た場所 福江大塚1999番地

阿輩鷄彌 牝鷄之晨

岩波文庫 魏志倭人伝等 巻末原文
隋書倭国伝  正しくは「俀」国
 邪堆(やひたい) 船越川河口 ふくふくうどん 字「矢びつ」
 俀奴国  倭奴国でなく俀奴国
 多利思孤  ホコ 北九州市 城野遺跡 重留銅矛?
 阿輩彌  牝鷄之晨 学研 新漢和大字典【牝】熟語
  ↓
史記 周本紀 殷王の紂 妲己(だっき)
 明治書院 新釈漢文大系 史記 一 (本紀) P159 末行
 平凡社 中国古典文学大系 史記 上 P38下 6行目

書経 牧誓
 平凡社 中国古典文学大系 書経・易経(抄) P172下

隋書俀国伝の阿輩彌の「鷄」の字が「牝之晨」で殷王紂の妲己(だっき)を示しているという私の思いつきに中国史・東洋史の先生である宮脇淳子、川本芳昭、渡邉義浩もびっくりだろう。

P136
参考原文 魏略逸文
 伊都国 副曰洩
 狗奴国 其官曰拘智卑狗

P142 梁書
 盧国 1行目

季刊邪馬台国 120号 2014年1月
P128上
徐福伝説を巡って
江戸幕府「貴重なものでお見せ出来ない」

動画
R1.05.19 長浜浩明講演会 『邪馬台国はここにある』

異民族の記録としては異例の『魏志倭人伝』 『三国志』から見た卑弥呼(1 ...

隅田八幡宮人物画像鏡に見える九州王朝Ⅰ(永井正範) ・・古代史/九州王朝

秋根遺跡 調査報告書 1977 内行花文鏡
文庫書紀①80‐3 紀伊国に所坐す日前神なり
和歌山市 秋月
下関市秋根遺跡に地名対応 JR 新下関駅 西側 ダイハツ 
秋根遺跡から出土した内行花文鏡、鉄蓋(鉄鏡か)、巫女の人骨

柳本大塚古墳  Wikipedia
天理市柳本町大塚
雷雲文帯 鏡を単独で副葬していたことから鏡を格別に重視していた

天理市の地名・遺跡は下関市有冨中村、ハンドウ山に対応

弥生文化と邪馬台国語る|発掘(ほる)ばい 九州古代ヘリテージ
horubai.jp/content/news/146
2019/03/29 - 古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く~遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第7回講演会が2月24日、飯塚市飯塚のコスモスコモンであった

(私の感想)
朝日カルチャーの先生方は馬鹿ばっかし。
『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮紀子著 日本経済新聞出版社 2007
口絵7、P69 図35 の徐福祠、赤関、讃 を見たら古代史の場所は長門下関である。 「蒙古襲来と下関」 蒙古は玄海灘か響灘に東海の三神山があって徐福の子孫が暮らしていると見ていた。P50

弾正原
下関市 JR宇賀本郷駅の山 331.2 m  国語辞典「 弾正台 」
弾正原とは一大率の意味地名なので、邪馬台国、徐福祠は下関である。

邪馬台国は考古学の物質ではわからない三皇五帝 聖人の地である。

九州大学 考古学教授
岡崎 敬 漢学に強み
1970年頃 沖ノ島学術調査 団長
[PDF] 沖ノ島祭祀遺跡の再検討 - 神宿る島
www.okinoshima-heritage.jp/files/ReportDetail_16_file.pdf

1971年頃 下関市 稗田地蔵堂遺跡 出土した金物は漢の蓋弓帽と同定
1977年 飯塚市立岩遺跡 大型本の刊行

鑑真 有富の竹生寺

鑑真和上が行きたかった東の国は倭国であって関西のヤマト王権ではなかった。
鑑真の渡海時に下関倭国が存続していれば、鑑真は下関市有冨 竹生寺を開く坊さんになっていた。

竹生寺の山 山口県風土誌では東ヵ嶽 東岳は泰山
神仙伝
 泰山老父
 劉安
 墨子

楚辞 天問 明治書院 新釈漢文大系 楚辞 P145
呉の太伯は古公の所から逃れて、南岳衡山のふもとに止まり住んでいたが、...

南嶽は中国の湖南ではなくて下関市有冨の竹生山
(根拠)
邪馬台国は会稽の東冶の東
倭人は呉の太伯の後裔

下関市 稗田地蔵堂遺跡 蓋弓帽より漢人有力者の墓
神仙境はこの近く 天子南面より川の北側 山の下

呉の太伯が来て隠れ住んだ場所 有冨墓地あたり
山の尾根が曲がる所 風水パワー 

一大率の地名 北宇賀の弾正原

一大率 Wikipedia 
常に伊都国で治められている。あたかも魏の刺史(しし)のようである

刺史 Wikipedia
中国に前漢から五代十国時代まで存在した官職名。 当初は監察官であったが、後に州の長官となった。
 ↓
弾正台
豊北町北宇賀 弾正原(331.2 m) に一大率があった。

角川日本地名大字典 山口県 巻末小字一覧
豊北町 北宇賀 P1373左
「 二方一儀(にほちぎり) 二方一儀奥 上原 東ヶ浴 大垣 峠下 」

万葉集
真弓
佐太浦、貞浦
佐田岡辺
佐提崎


海の道むなかた館 西谷正館長
動画
第3回/弥生時代の西と東-伊都国の遺跡と大塚・歳勝土遺跡-
36:00 伊都国の一大率

考古学には道家思想の考慮がない。規模で格差づけ。
関西のヤマト王権 道家思想はない。
下関の倭国 道家、三皇五帝の政治

道教 読むべき本
『新説・日中古代交流を探る』いき一郎著 葦書房 1989

土井ヶ浜 字「戎沖」

角川日本地名大辞典 山口県 巻末小字一覧
豊北町 神玉
字「 ... 寺ヶ浴 広田 戎(えびすおく) 松成 ... 」

書経 商書 盤庚 下 の沖人
「沖」は土井ヶ浜の小字地名である。 寺ヶ浴遺跡近く

文庫書紀➁20‐1
穴門の伊都都比古 臣に謂りて曰はく、「吾は是の国の王なり。...
平凡社 中国古典文学大系 書経 盤庚 上 P138上 ‐末 王若曰
「 礼制に則って「王若曰」というのである。 西周金文の例によれば、王の命令は王が口ずから伝達せずに、専門の侍臣があって、予め用意された命書を王から受け取って読み上げたのである。 」

穴門の伊都都比古=天智天皇の近江宮=書経 盤庚の「殷」遷都にならう
場所 土井ヶ浜 江尻 字「戎沖」

磐城村主 文庫書紀⑤32‐末から2行目


明治書院 新釈漢文大系 書経 上
P128 肆予沖人 沖は幼の意

集英社 全釈漢文大系 尚書
P213 沖人は小子の意で謙詞 幼人(おさなびと)

角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス 書経
P147 沖人- 幼い人、童子

平凡社 中国古典文学大系 書経
P144下 注八 予沖人 沖人は神霊に対するときの君主の自称

私見
沖人は土井ヶ浜 江尻 字「戎沖」であり、盤庚が遷都した場所である。
天智天皇は有冨中村(紂王の地)に居たが、何を血迷ったか土井ヶ浜 江尻 の淡海に都を移した。

有富中村 儀万という名前の家がある。
儀万とは楚辞 遠遊 の「太儀」だろう。
飛鳥御原宮=天帝の

高田 古代氏族

福岡県史 資料 明治十五年字小名調
企救郡

城野 字「高田」 
津田 字「未」(ひつじ)

おもしろ地名 北九州事典 増補総集版 瀬川負太郎 編著
P143 津田 景行紀の土蜘蛛 血田が訛って津田

高田 文庫書紀①182‐10
潮満瓊・潮涸瓊 高田・洿(くぼ)田

高田醜雄(しこお) 大化5年 文庫書紀④304‐末から3行目

日本古代氏族人名辞典 吉川弘文館 平成2年
高田首根麻呂  八掬(やつかはぎ) 土井ヶ浜遺跡 英雄人骨

狗奴国の官 狗古智卑狗は企救国か


城野 (しろの)
講談社 学術文庫 日本後紀 上巻 P332-5
集英社 日本後紀 277-14


藤原 = 小倉南区の葛原
藤原部の姓を改めて久須波良部とし
続日本紀③177-8


小月
垂仁記
角川ソフィア文庫 新訂古事記(41版) P101-6 小の山の君
角川ソフィア文庫 新版古事記 P121-末行 小の山君

岩波書店 日本古典文学大系 古事記 祝詞 13刷 P189-10 小の山君
岩波文庫 古事記 P106-9 小の山君

小学館 新編日本古典文学全集 古事記 P197-11 小の山君
新潮社日本古典集成 新装版 古事記 P142-11 小の山の君

角川ソフィア文庫は「小」、その他の出版物は「小
小月は下関市の地名。JR山陽本線 小月駅
岩波の注釈 近江国栗太郡小槻に比定する。


続日本紀④369-13
光仁天皇 宝亀3年2月22日
掃守王の男 小月王に姓を勝間田と賜ひて

対馬 → 沖ノ島

沖ノ島の山 一ノ岳 「一」は道家の「一」
隋書俀国伝 都斯麻国からして一支国 だから、一支国は沖ノ島であって壱岐ではない。

『扶桑国は関西にあった』いき一郎 著 1995年
P68末 竜城国(正明国、花厦国) 正明市
秦王国は長門市 中心街交差点か

宗像 海の北の道の中 主貴 
この「道」は道路、航路海路かもしれないが道家の「道」(タオ)とも考えられる。玄牝

北海 文庫書紀➁20‐3
穴門の伊都都比古 臣に謂りて曰はく、「吾は是の国の王なり。...
平凡社 中国古典文学大系 書経 盤庚 上 P138上 ‐末 王若曰 礼制儀式

荘子 秋水篇 北海若、井の中の蛙 東海にすむ大亀
土井ヶ浜の海神は北海若(海若 かいじゃく)である。

宋書倭国伝 倭の五王
 東は毛人を征すること55戸
 西は衆夷を服すること66戸
 渡りて海北を平ぐること95戸
原文は国だが戸の誤り。
 東 毛人 形山・勝谷・長府
 西の夷 永田郷妙寺・吉母
 海北 豊北町の海岸部 


空蝉
空蝉の世(うつせみのよ)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/空蝉の世-2011383

空蝉の(うつせみの)の意味 - goo国語辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書 › 品詞 › 枕詞

空蝉は仏教思想(空門)ではなく荘子 知北遊 の委蛻(いぜい)である。
空蝉は土井ヶ浜の人骨を連想させる。


岩波文庫 列子(上) 天瑞篇
P47‐7行目 旅人 大伴旅人  十 晏子曰く...
P48 十一 虚を貴ぶ  万葉集1 虚見津 山跡乃国

書経 旅獒(りょごう)
国 大伴旅人
大きな 犬鳴川 旅国の場所は湯玉
今倉 字「兵法」


鳰の海(におのうみ)の意味や使い方 Weblio辞書
www.weblio.jp/content/鳰の海
「鳰の海」の意味は琵琶湖の別名のこと。

「鳩」角島大橋下の鳩島だ。


漢神信仰の祭祀
鎌倉時代 土井ヶ浜南遺跡 牛の 骨を使った卜占跡が出土

「牛」には何かある! | 神旅 仏旅 むすび旅
ameblo.jp/taishi6764/entry-11860261830.html


神功紀 歌謡
神酒の神 常世に坐す いはたたす 少御神の
いはたたす 土井ヶ浜遺跡の標石

瀛洲には積み石多し 土井ヶ浜遺跡の石囲み墓か


天智天皇  Wikipedia
漢風諡号である天智天皇は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船が「最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けたと言われる[5]。
森鴎外「帝諡考」による説。

殷周革命 壬申の乱は革命である。
 天智天皇 殷の紂王
 天武天皇 周の武王 大海人皇子は吉母の人

福岡市東区香椎の御島 に地名対応
筑前国 嶋郡川辺里 戸籍 肥君猪手 占部が多い
筑前国=肥前国=越前国=淡海国
琵琶湖の竹生島=天孫降臨の竹島
摂津三島=香椎の松原=穴門の引島
松浦の仙姫
これらはみな土井(土肥)ヶ浜である。

記紀・万葉、古代史の謎は土井ヶ浜遺跡の謎である。
土井ヶ浜は東海、東夷で中国神話の場所だ。

北海 豊北町土井ヶ浜、和久古墳
南国 有冨 字「中村畔」、ハンドウ山、竹生山

宗像市からは沖ノ島は見えない。 大島に遥拝所が設けられている。
下関市吉見古宿(こずく)からは蓋井島が邪魔をして沖ノ島は見えない。
豊北町、向津具からは沖ノ島が見える。


『山口県風土誌』  阿武郡 大井村  P325
萩市 大井
海外にもはやく聞えたる地名にて図書編に倭委と見えたり。

大→倭 大国→俀国、泰山 蒲生野山田の大池、有冨の大迫池、大歳池
井→委 

葛洪 「淮南王 劉安が仙人になった」

西京雑記 Wkipedia
『西京雑記』(せいけいざっき)は、前漢の出来事に関する逸話を集めた書物。
著者は晋の葛洪ともされるが、明らかでない。

『西京雑記』は歴史書として見ると不正確な点が多すぎ、『漢書』匡衡伝の顔師古注では、『西京雑記』を大いにけなしている。
淮南王 劉安が仙人になったなど、正史と矛盾する話が多い(もっとも劉安の登仙の話は王充『論衡』道虚篇で批判されているぐらい古くからある伝説である)。

その一方、『西京雑記』に書かれている事柄が出土文物によって裏づけられることもある。
漢の皇帝のなきがらが「珠襦玉匣」を金縷でつづったもので覆われるという記述は、1968年に劉勝墓から金縷玉衣が発見されたことによって実証された。


中国神話伝説ミニ事典 図書編 神仙伝 - 草野巧のフランボワイヤン・ワールド
flamboyant.jp/prcmini/prcbook/prcbook063/prcb063.html
葛洪は『抱朴子』の中で、仙人になるには煉丹術によって不老不死の丹薬を作り、それを服用するのが一番だと主張している。『神仙伝』はその証明のために書 ... 巻四:劉安(りゅうあん)、陰長生(いんちょうせい)、張道陵。 ・巻五:泰山老父(たいざんろうふ)、巫 ...

点と線 推理小説

真南に位置する 経度が同じ ネットの国土地理院地図で計測
向津具(むかつく) 本郷山崎遺跡 板付式土器が出土
  ↓
狗留孫山 山頂のやや西側
  ↓
種子島 広田遺跡 130.967202


華山 山頂のやや東側 銅矛4振
  ↓
行橋市 稲童石並 帆立貝式 前方後円墳
  ↓
鹿児島県志布志市 野井倉 銅矛

曽於市 住吉山(267m)も目に留まる


土井ヶ浜遺跡 130.886049
  ↓
北九州市小倉 城野遺跡 130.886071
重留遺跡公園 銅矛出土 130.886430 城野保育園横の児童公園


北九州市小倉 真南に位置する
日明一本松塚古墳
 ↓
蒲生寺中古墳
 ↓
香春


測量術
淮南子 天文訓 「乗ずる」「除する」より掛け算、割り算ができた。

万葉集には九九の歌がある。
出雲風土記 楯縫
「此の天御量持ちて、天下造らしし大神の宮を造り奉れ」


点と線 松本清張 交通公社『旅』1957年2月号から1958年1月号に連載
西鉄宮地岳線 香椎駅 御幸町 大伴旅人
土井ヶ浜遺跡 英雄 大国主命
城野遺跡 墳丘墓 11歳前後の子供2人 事代主命、建御名方命
建御名方命は重い石を運んで玉作りしていた。
長崎県型弥生人骨 少彦名命

『モンゴル帝国が生んだ世界図』宮 紀子著 日本経済新聞出版社 2007年
P50
クビライが日本に派遣した有名な国使趙良弼の知り合いでもあり、いわゆる蒙古襲来の顛末を大元ウルスの側から「況海小録」という一文の中で比較的詳細に書き綴った王惲でさえ、対馬、壱岐と志賀島、大宰府の間に三神山があってそこに徐福の子孫が住んでいると、まことしやかに述べている。

元寇時、元の使者が下関市室津に来た。
元軍が土井ヶ浜→田耕(たすき)に侵攻。 田耕神社 甲殿遺跡 トンボ玉
→八道→豊田盆地へ向かっていたのか。

前方後円墳の形をした山 下関市
豊田町の華山(げさん)
 海上から見えて航海の目印になっていた
 西市から見ると段築あり
 山頂付近に弥生銅矛4振 4つは東西南北、天柱 四維か
 景行天皇、天智天皇が登って戦勝祈願 万葉集15
 修験道の道場 開山は役小角
 稲光に黄幡神社があった

空海が最初ここに高野山を建てようと思った場所は言い伝えで2か所ある。
萩市須佐町の高山(こうやま 黄帝社がある)と下関市豊田町の華山。

狗留孫山 山頂と和歌山県 高野山 金剛峯寺は緯度が同じ。
 
吉母の黒嶋
 黒嶋観音は聖武天皇の命により行基の開山。 風土記逸文 伊勢国 吉津島

有冨・蒲生野の竹生山
 梶栗から見ると双峰
 竹生寺の山号 高山、大和国東大寺 金実中の開山

積石塚古墳 下関市
三浦山遺跡 特牛(こっとい)
元山遺跡 角島
(参照)豊北町史 昭和47年 P114

積石塚古墳は阿曇族説あり。
行橋市 稲古墳 童は少命で阿曇連
前方後円墳を築き、甲冑の副葬品を添えるのは阿曇族ではないか。

阿曇族 長崎県型の人骨 東シナ海を航海 貝輪
山海経 海外東経 朝陽の谷 天 水伯
遠賀川の河童、若松区 蜑住(あまずみ)
縄文期の城野水道

参考資料
九州前方後円墳研究会 幹事 宇野愼敏
北九州の歴史 城野遺跡が語る邪馬台国の時代
九州島周縁部における島嶼所在群集積石塚とその背景 2010年
行橋市歴史資料館 常設展示

70年代 音

枯葉 イヴ モンタン

Wynton Kelly Trio - Autumn Leaves

Wikipedia 枯葉 (歌曲)


Everybody's Talkin' - Nilsson (With lyrics on screen)

Ray Conniff: Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree


赤い砂漠 (歌うヘッドライトのテーマ曲)

Franck Pourcel - Una Bella Historia ( 1973 )

Danielle Licari - 13 Jours En France


Love Unlimited Orchestra ~ Love's Theme 1973 Disco Purrfection Version

Bebu Silvetti - Spring Rain

Bebu Silvetti: Tema de Noche a Noche

David Shire - Manhattan Skyline


Down Beat 1976 Poll Winners Award Show

Manhattan Transfer - Chanson D`Amour


Pat Metheny Group - San Lorenzo (1977)

We Go On/Pat Metheny Unity Group Crossover Society Keio


1987年
Al Jarreau - Moonlighting (Theme Song) [HQ/1080p]

北九州市 城野遺跡の考察

考古学
北部九州のクニ論は福岡市中心であり、山口県下関市を見ていない。

文庫書紀②124‐8 仲哀紀
天皇、南国を巡狩す。...紀伊国に至りまして、勒津宮に居します。
紀伊国 企救国 小倉北区 木町か
徳勒津宮 徳力か

北九州市小倉の城野遺跡の真北に下関市室津、土井ヶ浜遺跡がある。
ネットの国土地理院地図で計測

真南の方向に位置する 経度が同じ
鳩島 海士ヶ瀬戸 角島大橋
 ↓
和久の北端岬 碑がある 美祢良久崎か
 ↓
土井ヶ浜遺跡
 ↓
矢玉の斎八幡宮
 ↓
室津
 ↓
永田本町 水産大学校 海岸の岩が明石
 ↓
北九州市小倉北区 赤坂
 ↓
城野遺跡

銅矛は豊田町の華山に伝わり、山頂に近いその場所は権現と称されるので、熊野である。

北九州市小倉 重留の「重」は襲。熊本+重住=熊襲
豊田町も熊襲である。

あるいは、
広矛は大国主命が地域を治めるものとして使ったので、出雲である。
文庫書紀①120‐5

狗奴国
角川 大字源 狗 「狗国」 春秋時代の斉の晏子が 楚をさげすんで言ったことば


「漢委和国王」金印 季刊邪馬台国 120号 表紙

委和は荘子 知北遊 にでてくる語 
中公クラシックス 荘子Ⅱ
P125
P124‐末行 蝉のぬけがら 万葉集 うつせみ


綾羅木川の北側、南側で出土物が異なる。
綾羅木川の東側・南側
 形山 須玖系土器、山陰出雲系
 稗田 蓋弓帽、清白鏡 飯塚市立岩遺跡と関係するか
 武久 半両銭
 幡生・後田 関西系の庄内式、布留式土器
 
綾羅木郷、土井ヶ浜 北九州市の高槻式土器

倭国の極南界は下関市有冨中村  昔は石原、延行は有冨村の内だった
倭国の領域 『モンゴル帝国が生んだ世界図』宮紀子著 2007年
 口絵7 徐福祠 長門 赤関
 P69 図35 迎江 徐福相 長門 赤関 讃

『 川中風土記 』  昭和45年
P23
下有富石棺  秋本さん墓地
有富村字市ヶ原にあり、すでに破壊され、石材に朱塗のあとが鮮明に残存しているが、墳墓の全容を知る由もない。 土地の人達について事情を調査してみると、約30年くらい前に発掘され、そのとき曲玉など多くの出土品があったと伝えられている。

石原コスパ  ホームセンター裏の台地 朱を製造する石杵が出土


知北遊 土井ヶ浜
北九州市 城野遺跡は下関市域の弥生遺跡と同じ文化である。