下関市立考古博物館が建つ所 字「岡」 詩経

『万葉集枕詞辞典』 高橋公麿 著 昭和62年
P257 原始古代の日本に孔子に削詩されてない詩経の原典があった
詩経が原始古代の日本に存在した根拠 陳風の宛丘 翳。 本来は淫歌ではなく、日本の伊勢別宮 伊雑の宮の御田植祭に通じる大地豊穣の祭り 

P242 坎
「鼓を打つ音」と解されているが、白川静 『新訂 字統』など大型の漢和辞典で【坎】を調べれば墓穴、地面に掘った穴

私見 下関の農民歌謡である詩経
書経、詩経には当時の日本になかった馬、牛、羊、馬車、戦車、武器、宝物、道具が登場する。
しかし、
書経、詩経の人間性、ものの考え方・感じ方、記述内容、作風は古事記、万葉集と相似している。詩経は中国人の漢詩ではない。書経、詩経は下関市有冨、吉見、豊北町太翔館の農民民俗であろう。

詩経の衛風は下関市豊浦町の犬鳴川沿いである。
いぬな淇川
泉水 源水
阿丘 古事記の阿須波の神、福徳稲荷神社の景行天皇伝説 安須波の原

「安須波」は2か所 蓑ヶ岳と黒井浜
黒井の谷津(ヤツ)ヶ浜に安須波宮がある。「豊浦藩村浦明細書」 P163下
日本武尊による農耕指導伝説

今倉の字「神屋」 古事記の神屋楯比売は事代主神の母
湯玉 字「金綱」 天武紀の金綱井 許梅は衛の許国か

犬鳴川中流 字「扶桑」=日本国
万葉集の三野は蓑ヶ岳 万葉集3242、3327

これは詩経国風を読んだ人の感想・感覚になる。
詩経は中国人の生活感、人生観か、という問題である。

詩経は古事記、万葉集の卑猥さと似ている。

定評のある本は集英社 漢詩大系 詩経
復刻版として集英社 漢詩選 1、2巻


下関市立考古博物館が建つ所 小字地名「岡」
詩経国風 陳風 宛丘 の場所は下関市の綾羅木郷遺跡である。
字「寺屋敷」 寺=役所、小役人
土器製作時の焼き場、酒を造る甑土器が出た了元寺の横は大きな発見である。
伏羲が居た場所だ。酒より書経の「胤征」の羲和、「酒誥」の妹国もここか。

考古博物館 常設展示 紵(麻の布)が付着した土器

株林 了元寺の裏「林」か

東門の池 万葉集3499
新築の家が建つ前は池の木に鷺の群れが巣を作っていた。

綾羅木郷遺跡から出土した人面土製品は魏志倭人伝の黥面文身であり、
夏后の邑は綾羅木郷~冨任にあった。

綾羅木の「あや」は文(あや)か。

考古博物館 駐車場の東隣
石松さん家の坂下 字「中屋敷」「宝前」 中世の祭祀遺跡
方位 夏至の日の出は有冨のハンドウ山から太陽が昇る

古事記
春日の袁杼比売と三重の采女
金鉏の岡


陳 (春秋) Wikipedia
陳(ちん、紀元前11世紀 - 紀元前478年)は、周代の諸侯国のひとつ。国姓は媯。
周の武王が舜の子孫を捜索して媯満を見出し、これを陳(現代の河南省周口市淮陽区)に封じたのが国の始まりとされる。陳は小国の地位を脱することができず、南方でが台頭すると、これに従属するようになった。春秋時代には晋・楚の二大国の争いに翻弄され、さらには呉の台頭によって圧迫を受けた。紀元前478年に陳はの恵王によって滅ぼされた。

私見
楚の場所は遠賀川流域で城ノ越式土器、立岩遺跡、蓋弓帽の熊

綾羅木郷台地の弥生土器
 前期 綾羅木式土器
 中期 城ノ越式土器

弥生中期 綾羅木式土器が消滅して遠賀川 城ノ越式土器の支配になる。
綾羅木川の南側 稗田地蔵堂遺跡  連弧文清白鏡、熊が彫られた蓋弓帽