魏奴 (漢の魏奴国の王)

衛国
書経 酒誥 妹国(まいこく) 氵未 (河南省 淇県) 牧野と同一地
史記 世家 康叔世家

日本書紀 神武東征 河内国
孔舎の戦

万葉集
4262 門督 大伴古慈悲 矢玉の根崎川 バス停 一の宮の前 字「古殿」か

4263 高麗朝臣福信 矢玉の斎八幡宮 字「高麗」
高麗=駒=宇賀の馬牧=牧野

4264 飲酒 豊御酒
4265 酒楽宴
4266 八峯 豊浦町 南宇賀 字「八ツ峯駅」


犬鳴川 衛河
湯玉 商の湯王

有冨 周の文王
儀万という珍しい名前の家がある。

義=儀 儀万=義和、羲和

平凡社 中国古典文学大系『書経・易経(抄)』
P259下 注42、P277下 注12
詩経 大雅 文王篇 文王に刑れば、邦が孚となろう

P311上 8行目
戦国時代の魏国の始祖となる畢は、...

下関市豊浦町 宇賀 湯玉 犬鳴川の中流に小字地名「扶桑」がある。
扶桑がアメリカ、メキシコにあれば強弓の羿はアメリカインデアンである。

扶桑が日本列島にあれば中国神話伝説の者たちの多くは日本人である。
書経 呂刑 蚩尤(しゆう)は素戔嗚尊だ。

四書五経、諸子百家、史記の記述の半分は場所が日本である。
書経を読むと下関市湯玉は伊都国で「世々王あり」は商の湯王などだ。

YouTube 動画
令和元年度 海の道むなかた館 西谷正館長講座 第5回/ふくおか学入門-海人族と奴国王・金印の謎

委奴国 下関市湯玉 字「猪尾」(井ノ尾)、あるいは有冨 字「中村畔」
「委」 魏はツクリ「鬼」、倭はヘン「人」 読み新説 漢の奴国の王
「年」漢和辞典 みのる 禾+人

筑摩書房 世界古典文学全集『詩経国風 書経』
P155上
魏風は周の平王、桓王の時代のもの。は虞舜・夏禹が都した地
周王朝では同姓の者を此地に封じたので姫性
その地は南は河曲にのぞみ、北は汾水をわたる。

河曲
綾羅木川の河曲に位置する下関市有冨
北九州市小倉南区の蒲生寺中古墳は紫川の河曲が下関市有冨と同じ形

萩市大井 明の図書編に「倭委」とある。大→倭(小さい、チビ)に変換
有冨の大年池(大歳神社)、大迫池
豊浦町湯玉 大河内 大歳神社、バス停「大迫」
有冨の山奥と湯玉の山奥に同一の神社、地名がある。


伏羲 文化英雄 Wikipedia  
『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)をつくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、また魚釣りを教えたとされる[2]。書契や八卦を定めたことは、黄帝の史官蒼頡によって漢字の母体が開発されたとされる伝説以前の文字に関する重要な発明とされる。

委奴国金印の蛇紐 伏羲氏と女媧氏 蛇身人首の姿


書経 Wikipedia 
「昭和や平成さらには明和を始め35個の日本の元号は、この書が由来になっている。なお、平成の決定の際には、専門家から出典箇所が偽書の偽古文尚書であり、相応しくないとする意見もあった。」

書経 漢字の字体が古風で独特
王としてあるべきは華美奢侈をやめ質素倹約を説く。
中国王朝、関西ヤマト王権には多欲を慎む質素倹約の精神文化はない。
質素倹約の励行では王侯貴族や大名の絢爛豪華な生活はできない。


古事記
湯玉の今倉 字「神屋」 神屋楯比売
福徳稲荷神社 景行天皇伝説 安須波の原 大年神の系譜に阿須波の神


下有冨石棺
昭和はじめ地元民によって開けられ、曲玉など多くの出土品があったという。
石材に塗朱あり。 『川中風土記 増補版』 昭和45年 P23 
考古博物館の資料 昭和39年 吉村次郎 石棺の石に塗朱あとを確認

塚の原遺跡 ホームワイド裏の台地(石原156番地)
朱の精製地 L字状石杵が出土  すり減りから、かなり使い込まれていた。

竹生寺の西隣 妙見宮 方位磁石 西偏7° の真南方向
竹生寺の妙見宮-ハンドウ山の登り口-石原156番地-ダイハツ 新下関店
が一直線に並ぶ。
石原156番地 朱の精製に使うL字状石杵の出土地 五行配当で赤=南
ダイハツ 新下関店 秋根遺跡 墓地 巫女の人骨、内行花文鏡

方位を調べ、天子南面の景観から
邪馬台国(倭国)の龍穴・明堂は有冨中村 ハンドウ山 登り口付近と推定できる。

天御中主神社 有冨の山田(大迫池の山側に「山田」地名あり)
現在は社があった場所は不明 明治42年、綾羅木の川北神社に合祀された。

有富中村の儀万さん家 江戸時代の有冨村の庄屋の家 「やすおか史誌」
儀=義=魏 音が同じ  儀万=義和=魏奴