燕 蓋

書経(儒家の地誌)と山海経は一体のものである。山海経の謎は書経で解ける。 秦の始皇帝が焚書坑儒をやる前は書経、山海経など「中国の古典」 は下関倭国の始原郷土史だった。「中国」「大国」「天子」は下関倭国の自称だった。

漢王朝は儒教を国教にして冊封をしき、周辺国を卑しんだ。実情は秦・漢は上から下まで空前の東方神仙ブームで、倭人系の道教が中国をひっかき回していた。

下関倭国は道家の本元なので、老子のユートピア 小国寡民 の在り方
邪馬台国の人口 7万余戸 実際は7戸、いや7人か。
人まばらで高台に住むことで伝染病(赤痢、コレラ、結核、皮膚病)を防ぐ。
土器は燃えないゴミとなり土地がゴミだらけになるので竹、木、石ですます。
古語拾遺より極端な倹約質素が読める。

集英社 全釈漢文大系 『山海経・列仙伝』
P478 蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す

倭の位置は2か所
下関市有冨 字「中村畔」 畔の読みはグロ 中村グロ 奈良の倭京
福江の大塚 字「王仁」(応神) 河内国の倭

蓋国の蓋は天蓋、車蓋。馬車の傘 三笠山(有冨のハンドウ山)
ハンドウ山の頂・南北方向の尾根が蓋国

高平を原という。高天原は高平の尾根。高平の尾根がハンドウ山の頂から竹生山まで続く。天への階・橋である。

燕国 竹生山ー有冨墓地ー砕石場の上 東西方向の尾根 上帝(天神)が居る
山口県風土誌によれば竹生寺の山は東が嶽とあり、東嶽=泰山だ。
記紀万葉によれば燕国とは伊勢神宮である。 

ゼンリン地図、ネットの国土地理院地図で山の等高線、山の形を見る。
鯨の尻尾に似る。


平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』
P42上 15行目 燕 玄鳥
商は有冨中村、ハンドウ山の王朝

P108下 末から6行目
『詩経』商頌・玄鳥篇 天が玄鳥に命じて商族をうませた

P208下 15行目 商(奄の誤字説あり)
P101上 7行目 殷紂王の首都 大邑商、天邑商
場所は有冨 大迫池上の尾根

P182上 注27 鹿台・鉅橋
鹿台は鹿島 ハンドウ山の尾根 南北方向 大迫池の上
鉅橋は有冨墓地の尾根 東西方向


淮南子 兵略訓
汜(し)水 梶栗川
共頭山 梶栗から見る竹生山 双峰

平凡社 中国古典文学大系『淮南子・説苑(抄)』
P204上 武王が殷の紂を伐ったとき、...

明治書院 新釈漢文大系 『淮南子 下』
P840 10行目


出典
平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経(抄)』
原は高平の地 P92下 注11

湯王  大乙 P108 → 履中天皇 → 倭の五王 讃
夏の桀王 履 P97下 注2 → 有冨中村の集落から癸の方位で有冨墓地
石上乙麻呂 万葉集、懐風藻 → 乙の場所は大迫池上の尾根

泰山有道 P180下 注16

湯、履、大、乙 の位置が判明 湯原、履中、大倭、乙麻呂 など

下関市有冨上
燕国 有富墓地の尾根~竹生寺西側の奥ノ院 
蓋国・大倭 ハンドウ山~大迫池の尾根 
倭 字「中村畔」の家々 中村、儀万、岩谷さん付近
河内の倭 福江大塚 字「王仁」