福江 山中

下関市福江 山中 文庫書紀④70‐5 山の中に隠る
福江の山中は茅渟県の有真香邑か。

福江の大塚 皇子八幡宮 字「王仁」(「応神」とも書く)
この神社は「八幡神」(やはた)の本社であり、応神だから河内国である。
難波宮は豊関建設 資材置場前の海岸磯場、生駒山はそこの崖山になる。

大塚の北村さん家 地勢景観が窪地であり、風水の龍穴 穴=孔
神武東征 の戦い 母木(おものき)=扶桑

大塚は戦闘の場所である。
崇峻紀 捕鳥部 万 の戦闘
文庫書紀④70‐3 
物部守屋大連 福江与三左衛門か
捕鳥部 万(よろず)古事記 本牟智和気の御子 稲城、鳥取部
士(いくさびと) 大塚の字「矢瀬」

書経の牧野 「衛」
平凡社 中国古典文学大系 『書経・易経』 牧誓
P172上 注四 野 木に似る

書経 科斗文字(蝌蚪 おたまじゃくし)


文庫書紀④72‐9 爰(ここ)に万が養へる白犬有り。
山海経 海内北経 犬封国 
集英社 全釈漢文大系 『山海経・列仙伝』P468 〔 〕内 白犬二頭を生む 
吉量 吉は吉見 量は阿治志貴高日子根神の大刀の名 大量
文馬 船越の字「田ノ尻」 田辺史か蓬蔂丘 赤駿に騎れる者
誉田陵に竜馬。空飛ぶ仙人 神仙の地 雄略紀 文庫書紀③64-2

狗奴国
卑弥呼 福江大塚 字「矢瀬」

素 素戔嗚尊、素王である大己貴神

赤関
福江の大塚 字「せき」

山口県立図書館 文書館 江戸時代 福江村・吉見船越の絵図閲覧
地下上申絵図に赤坂 履中紀 河内国の埴生坂 文庫書紀②282‐11
履は殷の湯王の名 山口は有冨ハンドウ山登り口 当麻は石原の砕石場 崖
讃 万葉集1、2 有富中村 ハンドウ山讃歌

さらに考証して
万葉集1 雄略天皇歌は福江大塚の崖海岸 大久保山だろう。
永田本町 水産大学校~吉見漁港~釣りパーク 海岸が神々しい赤石
応神の皇子八幡宮がある大久保山 蓬莱山

さらに考証して
万葉集1 見津 山跡
虚は二十八宿で北北東。有冨中村の集落から見て有冨墓地の方角である。
北北東は丑(ちゅう)。丑は紐、殷紂にも通じる。
虚見津 山跡 の場所は有冨の有冨墓地~大迫池上の尾根

東海の三神山
龍谷大学蔵 混一彊理歴代国郡之図 日本列島
最北端で壱岐の真向かい 下関市 吉母・御崎・室津 北の守護神 毘沙門天

吉母の黒島 オノゴロ島 瀛洲
福江大塚 王仁(応神) 蓬莱山
有富 竹生寺 方丈

山海経の朝鮮
海内北経 朝鮮は列陽の東海・北山の南に在り。列陽は燕に属す。
海内経 東海の内、北海の隅に、国有り、名けて朝鮮と曰ふ。

箕子は有冨の遠山運送・レンタカー屋の字「箕越」の人
山海経の朝鮮は吉母の大河原、御崎、室津上。 箕子朝鮮=狗邪韓国
周の武王 吉母小学校

中国の都 咸、洛の地形
洛陽では北の山に墓地。有冨墓地も北(北北東)の山にある。

の陽は天子南面の地形(北が高く山、南が低く川。日当り良し)
有富、船越、永田、吉母。 北が山、南が川・海で、南側に傾斜
列陽は有冨~吉見~吉母、そこが東海。 北海は豊浦町・豊北町
燕は竹生山と東への尾根
北山は毘沙ノ鼻 

考古資料 六連(むつれ)島の朝鮮無文土器

神仙伝 葛洪
老子、劉安、墨子、白石先生(福江大塚の白石か)など収録

思想
魏志倭人伝の思想=道家+墨子

魏志倭人伝には墨子の影響が見られる。鬼道、大率
重松明久 『邪馬台国の研究』 1969年
福永光司

大阪府の古市古墳群 応神天皇陵 無為自然の道家思想ではない。
巨大古墳は道家、墨家の墓制ではない。

兵法
豊浦町 湯玉の犬鳴川沿い 今倉集落 字「扶桑」「兵法」「弘法」「神屋」
孫子 曹操の愛読書 欺く
淮南子 兵略訓 無形 ステルス(見えない)

山海経 大荒東経 司幽の国
思士 常世の国の思金の神、常世の長鳴鳥
四鳥 土井ヶ浜遺跡 鵜を抱く女 鳥骨


加茂島
続日本紀④25-8
神部鴨田連嶋人