令和の湯玉寺

伊都国の一大率は軍事施設と考えられるので、湯玉の鯖釣山にあった山城(未調査)しかない。
湯玉の庄屋は善念寺と聞いた覚えがある。湯玉の善念寺が令和梅歌会の大宰府だ。

ゼンリン地図を見ると、善念寺の南に新宅さん(新家屯倉か)、有冨さんの家がある。


『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮紀子 著 日本経済新聞出版社 2007年
P69 図35
団長 豊浦団 宇賀本郷
修後、修前 狗留孫山 修禅寺

赤関
永田本町(海岸が赤石) 海上自衛隊基地の山 箙(えびら)山
福江大塚 赤坂(王子八幡宮付近 地下上申絵図)

山口県風土誌 帆柱瀬 によれば、
神功皇后は古宿の豊関建設資材置場の磯崖を上って上陸した。


讃 有冨 中村畔 「儀万」 という家 江戸時代の庄屋

有富中村は 北に竹生山、南に川 で 天子南面、四神相応


赤関
 垢田ノ辻 江戸時代に関所があった
 伊倉 字「要須」 旧 川中中学の西側
 
 関後地、赤間町
 讃は長府か。なぜ長府が「讃」という漢字表現なのか。

図35 南端の海岸線は壇ノ浦のではない。
赤関は吉母~吉見古宿あたり。船越川河口 字「やびつ(矢櫃)」
讃は秋根、一の宮、前勝谷あたり

なぜ「讃」という漢字表現なのか。