長門鋳銭所 小字「八島」
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『富本銭と謎の銀銭』 今村啓爾著 小学館 2001年
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巻末 P228~ 「略年表と史料抜粋」 を見て、その全部が
顕宗紀 文庫書紀③106-2、4
縮見屯倉首は、忍海部造細目なり。
播磨国司 山部連の先祖 伊予来目部小楯
と関係するか?! というアイデアを得た。
持統5年 伊予国産銀を献上 田中朝臣法麻呂
持統8年 鋳銭司任命 台忌寸八島
の「八島」 は下関市長府の小字地名にあるし、
「田中」 は長門鋳銭所跡近くの小字地名である。
法麻呂の「法」 法輪山 覚苑禅寺 覚苑寺の山号
小字「田中」 の位置
長府宮の内町5-45 付近
万葉集30
楽浪之思賀乃辛碕
「辛」 十干の「かのと」(金の弟)、長府の金屋町、辛島氏
下関市長府(豊浦村) に小字「八島」 がある。 出雲、近江は長府だ。
続日本紀①141-15 長府 近江大津
※4年前に書いたものなので、記述の半分は今と考えが異なる。
http://44051510.at.webry.info/201306/article_47.html
長府の歴史
ttp://jchofu.my.coocan.jp/rekisi.htm
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図17 崇福寺跡、大津宮、南志賀廃寺の位置
『富本銭と謎の銅銭』 小学館 P88
『日本古代貨幣の創出』 講談社学術文庫 P86
に掲載
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下関市長府と滋賀県大津宮は地勢が似ている。
下関市長府、滋賀県大津宮 ともに「逢坂」 がある。
長門鋳銭所跡の裏山=比叡山
長府 安養寺=崇福寺
に対応している。
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崇福寺跡(滋賀県大津市滋賀里町) から無文銀銭が12枚出土していることから、対応地である下関市長府安養寺も無文銀銭の関連地と推理できよう。
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関西の難波、奈良、飛鳥などに対応する場所も長府近くにある可能性大である。
栗本慎一郎は多くの歴史書を書いていて「騎馬民族の双子の双分制」 を説いている。
関西地域に対応する場所が下関市内のあちこちにある。
仁馬山古墳は覚苑寺の裏山(176.5メートル) を向いている。
無文銀銭と和同開珎 ―日本最古のコイン―
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/58mumon.html
逸文 伊予国 文庫風土記下360
風土記を案ずるに、天上に山有りと謂ふ。 分かれて地に墜つ。
一片は伊予国の天山と為り、一片は大和国の香具山と為る。
(『日本書紀纂疏』 四)
古事記 足名椎
足名鈌 名前の字に鉄製品
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長府の金物の歴史は足名鈌に始まる。
壬申の乱 近江軍の合言葉「金」
文庫書紀①94-9
清の湯山主三名狭漏彦八嶋篠
清の繋名坂軽彦八嶋手命
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長府の小字「八島」。 長府の忌宮神社は祭神が出雲系である。
湯山=山部。 播磨国司 山部連の先祖 伊予来目部小楯
古事記 軽箭は銅
持統8年3月 文庫書紀⑤298-3
鋳銭司 台忌寸八嶋
下関市菊川町 吉賀 字「台」 ではなく長府の台である。 亀の甲台地か。
天智10年4月 文庫書紀⑤56-12
漏剋を新しき台に置く。 清の湯山主三名狭漏彦八嶋篠
始めて候時を打つ。
鐘鼓を動かす。 長府 字「皷石」、または「鐘撞」
古事記 「漏」 の人名 訶具漏比売、迦具漏比売
淡海の柴野入杵 長府 字「柴尾」
功山寺
功山寺 Wikipedia 山号は金山(きんざん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%B1%B1%E5%AF%BA
下関市長府川端1丁目2-3
功山寺の「川端」 という地名は来目邑の「川辺」 を連想させる。
文庫書紀①240-末行
亦大来目をして畝傍山の西の川辺の地に居らしめたまふ。今、来目邑と号くるは、此れ、其の縁なり。
「近江国の益須郡の醴水」 は功山寺の名水である。
功山寺名水
ttps://www.youtube.com/watch?v=RpAEPu9qZnk
下関・長府城下町散策②功山寺
ttp://4travel.jp/travelogue/10753719
銀
『富本銭と謎の銀銭』 今村啓爾著 小学館 で考察されてないものに
武烈紀 銀郷 文庫書紀③154-4
古事記 銀(しろがね) の王
がある。
銀山
山口市 一の坂 天花
北九州市門司区 小森江の鉱山
明治期の門司新聞に銀を含むという記事がある。
小森江貯水池の北側50メートル登った所に緑青が見える廃鉱がある。
小森江西小学校を建てる前は畑に大量の銅滓が散らばっていたという。
銅山
竹生寺から小野に行く山岳路に銅を採掘した穴があるという。
小野の老僧岩の裏は銅山という。
弥生土器
2001年、長門鋳銭所跡を発掘した時に弥生土器が出土している。
大己貴命
「己」(つちのと)
「貴」 は「貝」 の字を含み、角川 大字源 によれば貨幣の集まる意。
貴=貨幣 (中国銭、富夲銭、謎の銀銭)
大己貴命は子供の頃、鉱夫だった説がある。
古代史維新!
持統8年(694) の鋳銭司
勤大弐 台忌寸八嶋は下関市長府 字「八島」 の人である。
持統天皇の宮は有冨上 大歳池ほとりにあった。
続日本紀③41-7
池上君大歳(朝妻金作大歳) ・・・ 大歳池、金鋳ヶ谷
続日本紀③369-8
薬師寺の僧華達は、俗名山村臣伎波都なり。
有冨の薬師堂跡は山村さんの家の近く、山村さんの田畑の北隣にある。
薬王寺とも記される。
大倭国宇太郡波坂郷
脚注21
大和志に「已廃。 存 平井村」 今奈良県宇陀郡 榛原町平井 のあたりか。
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昭和40年代まで小字「善波」 に小さな湧水池があった。
有冨の迫本さん宅から平井さん宅に上がる場所の坂が「波坂」 である。
あるいは宇陀郡 榛原町平井 は大迫池から登る尾根、平井さんの持ち山だ。
記紀・万葉、続日本紀、風土記他 ... みな捏造である。 下関倭国を下地にしている。 有冨の竹生山は東嶽(道教で仙人が住む泰山)。
泰山 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E5%B1%B1
日本の古代貨幣史 日本書紀
場所 長門鋳銭所跡 ~ 長府の字「田中」
長府(豊浦村) の小字「八島」「田中」 が重要である。
文庫書紀③128-9
顕宗2年10月
冬10月の戊午の朔癸亥に群臣に宴したまふ。 是の時に、天下、安く平にして、民、徭役はるること無し。 歳比に登稔て、百姓殷に富めり。 稲斛に銀銭1文をかふ。 馬、野に被れり。
播磨の縮見の石室 文庫書紀③104-12
正倉院文書 播磨国郡稲帳 上長門国 鋳銭司主典従七位大宅首佐波
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古事記 丹波の阿治佐波比売
顕宗紀 丹波小子(たにはのわらは) 文庫書紀③106-1
万葉集307
博通法師の、紀伊国に往き、三穂の石室を見て作りし歌3首
紀伊国 有冨上からみて五行の木の方角で東。 木国は前勝谷・長府
文庫書紀⑤118-9
天武3年 3月7日
3月の庚戌の朔丙辰に、対馬国司守忍海造大国言さく、「銀始めて当国に出でたり。 即ち貢上る」 とまうす。 是に由りて、大国に小錦下位を授けたまふ。 凡そ銀の倭国に有ることは、初めて此の時に見えたり。 故、悉くに諸の神祇に奉る。 亦周く小錦より以上の大夫等に賜ふ。
忍海造 忍海角刺宮 文庫書紀③114-2
縮見屯倉首は、忍海部造細目なり。 文庫書紀③106-2
屯倉 三宅、大宅
和銅元年2月11日 催鋳銭司 従五位上 多治比真人三宅麻呂
大国 出雲の大国主命
この対馬は長府内か長府近辺にある。
文庫書紀⑤274-8
持統5年 7月3日
秋7月の庚午の朔壬申に、天皇、吉野宮に幸す。 是の日に、伊予国司田中朝臣法麻呂等、宇和郡の御馬山の白銀3斤8両・アラカネ1籠献る。 丙子に公卿に宴したまふ。 仍りて朝服賜ふ。 辛巳に、天皇、吉野より至します。 甲申に、使者を遣して広瀬大忌神と竜田風神とを祭らしむ。
伊予 播磨国司 伊予来目部小楯 文庫書紀③106-4
田中 長府 字「田中」
広瀬大忌神
前勝谷の消防庫横の熊野神社跡に住吉神社が注連縄を張る大石がある。
この大石は道敷の大神(塞へます黄泉戸の大神)。
秋根八幡宮も候補。
竜田風神
有冨 字「中村畔」 から巽(八卦で風、南東) の方角 一の宮 龍王山
持統天皇の吉野宮は国道2号線横の楠乃の変電所、テニスコートあたりか。
文庫書紀⑤298-2
持統8年 3月2日
乙酉に、直広肆大宅朝臣麻呂・勤大弐 台忌寸八嶋・黄書連本実等を以て、鋳銭司に拝す。
八嶋 長府 字「八島」
北九州市 門司区
裏門司 周防灘側の今津・猿喰・伊川が興味深い。
今津
津村島は大小2つからなる。 (淡路島二並び)
津村島は古事記の津島か。
企救郡誌 昭和6年
八阪神社 松ヶ江村今津字丸山
今津沖の津村島にあった津村神社が合祀されている。
津村神社
津経羅比古神 津経羅比売神 大倉主神
文庫書紀②128-5 仲哀紀 熊鰐
山鹿岬から岡浦へ入る時の水門
大倉主 菟夫羅媛
猿田彦 ・・・ 猿喰
阿耶訶で比良夫貝に手を引っぱられて海塩に沈んだ時に「つぶ立つ御魂」 は菟夫羅媛の「菟夫」 の音に通じる。 大倉主=大国主 という説がある。
「菟」 は稲羽の素兎に関係するか。
伊川
門司区 伊川 普都の大神
http://44051510.at.webry.info/201508/article_10.html