東夷 - 暘谷 音楽 皮服


神武天皇は実在した
文庫書紀③202-4  継体紀
文庫書紀⑤102-12  天武紀

壬申の乱で「神日本磐余彦天皇の陵」 が出てくる。


膏腴
隋書俀国伝 土地は膏腴にして

文庫書紀③202-12 土地膏腴えて
文庫書紀③216-6 膏腴えたる雌雉田

常陸国風土記 総記 風土記357-4 物産の膏腴くになり


東夷
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku8/izenwa1.html

暘谷 ・・・ 隋書俀国伝 「日出ずる処の天子」
燕 ・・・ 土井ヶ浜弥生人か

暘谷を「東の果てにあって朝日が昇る地」 と見て、茨城県の鹿島神宮に比定する人もいる。
暘谷について書かれた本としては、
『「日本」 国はいつできたか 改訂版』 大和岩雄 著 大和書房  P87

蓋国
①考 土井ヶ浜の小字「釡蓋」(往古は「亀蓋」)
②考 蓋井島

東夷の音楽 弥生の土笛(陶塤)


[PDF] 資料
xufu.sakura.ne.jp/2015-7ronbun-maeda.pdf  の P8
志賀島出土の金印に根津日子命

陸国風土記 総記 風土記357-5 古の人、世の国と云へるは

万葉集で「常」 の字
 
3236 

1682 之倍尓 夏冬往哉  扇不放 山住人
  ↓
『尚書』 の 島夷、皮服す。

下関市豊田町の矢田遺跡(弥生前期 B.C.150年頃) から鞣(なめし)革用石器が出土している。
下関市 豊田町矢田は弥生前期では革の大産地だった。


本を購入
『倭人伝を徹底して読む』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房
『邪馬一国への道票』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房


長崎県か
古之  平戸島の南部
根獅子は慶長国絵図では禰子古村

古田(こた) 現 辻町、神船町、大佐志町、無代寺町
  ↓
万葉集の「古之」 こしの国

山海経 海外東経 の最初、長差丘は平戸島 南西部の佐志・志々伎か。
野子町の西側、高島の海岸で瑪瑙が拾える。
長差丘は佐世保だろうか。


越中国  佐世保市 相浦川
万葉集3881 大野路
この場所は佐世保市 大野町である。
松原町の淀姫神社(祭神 豊玉姫命) のヤモード神事は山人、山の神

万葉集3884 皮服 
        ↓
『尚書』 島夷、皮服す。

佐世保市 下本山町の四反田遺跡、門前遺跡は拠点集落だった。
万葉集の越中国は佐世保市相浦川流域である。

佐世保市の箱式石棺は下関市、宗像市と同じ。
長崎市、大村市の箱式石棺は短い。

台与が献上した大量の真珠は佐世保市 宮津町、大村湾、値賀島、五島の産であろう。


日向 高千穂
万葉集38813884 の「越中国歌四首」 は竺紫日向高千穂を想起させる。
佐世保市の箱式石棺墓は下関市、宗像市と形が同じ。

竺紫日向高千穂宮は佐世保市の相浦と考えられる。
大潟の高岳 ・・・ 竹嶋
高島町の宮ノ本遺跡 ・・・ 山幸彦が訪れた海神(豊玉彦) の宮
  ↓
北海道 有珠モシリ遺跡の貝輪

佐世保市 大潟 では水銀山があり、小字「水ノ浦」 は水江浦島子か。
平戸島の南端、小田町の船越に海亀信仰がある。

佐世保市には洞窟遺跡が25か所もある。

魏志倭人伝の伊都国は佐世保市 相浦川下流か。


(参照したサイト)
原始時代の佐世保人
http://www.lifesasebo.com/99view/supesyaru/special/142/special142.html
佐世保 高島 宮の本遺跡: 仮称リアス式
http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-f1a0.html

長崎県の遺跡大辞典
四反田遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/30

門前遺跡(もんぜんいせき) 佐世保市愛宕町・中里町
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/35

宮の本遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/29


相浦水銀
佐世保市 大潟町 相ノ浦水銀山についての記録は江戸時代 弘化3年(1846) からであり、それ以前の記録、言い伝えは佐世保にはない。

松浦市の不老山に徐福伝説があり相浦水銀の言い伝えがある。

松浦市 不老山の解説看板 より
紀元前3世紀 中国の秦の始皇帝の命を受け、徐福が不老不死の薬を求めて、この山に登ったという伝説があります。 しばらくここにとどまり不老不死の薬を探したことから、この山を不老山と言うようになりました。
日本ではただ1カ所 佐世保相浦白玉山で産出した自然水銀をもとに、この地で仙丹(不老不死の薬) を作ることに成功したので、それを中国に送り王侯・貴族の人々に珍重されたと言うことです。
はじめ、欽明天皇24年(563) 山頂に不老権現を祀りその後、大宝2年(702) 徐福の教えを修得した「役小角」(えんのおつの) が徐福をあとを慕って不老山に来ました。 山頂でシメを張り 紫燈護摩の法を修し、熊野権現を祀りました。 その時の座前石( 1 m ) と思われる石が伝わっています。
現在、里免にある寿昌寺は、はじめここに創建されたようです。

松浦市・松浦市教育委員会・松浦市観光協会


松浦市
今福町「中ノ瀬」 に渡来系の住居跡か

星鹿町 星の神 香香背男 文庫書紀①120-9、136-6
龍尾川という川の名は興味深い。 草薙剣は八岐大蛇の尾から出た。

松浦市の民話・伝説
http://44051510.at.webry.info/201102/article_38.html

鷹島  日本山 (75.4 m)