奈良岡 聰智 (著)  対華二十一ヵ条要求とは何だったのか


山川出版社 高校生用の日本史参考書
『 詳説 日本史研究 』 1998年 2000年 第5刷
P399 下端
日露戦争の勝利により、日本がロシアから引き継いだ権益のうち旅順・大連の租借権や南満州鉄道の権益は1920~30年代には期限が切れることになっていたので、日本の満州経営は不安定であった。

P400 上
二十一ヵ条の要求
日露戦争後のロシア及び清国との条約により、旅順・大連の租借期限は1923(大正12) 年に満了することになっていた。



『 対華二十一ヵ条要求とは何だったのか 』
第一次世界大戦と日中対立の原点
奈良岡 聰智 (著) 名古屋大学出版会 2015年 5940円
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0805-1.html

誤植を発見
P169-後ろから6行目
同意見書では、ロシアについては満州および外蒙古
南満州(×) → 北満州(○)


本書によれば、加藤高明外相には、
日本は第一次世界大戦に参戦して、ドイツから山東半島・膠州湾を獲得し、
これを中国に還附することで、満州権益の期限延長の交渉時に「取引材料」 とする考えがあった。

P315-8行目
二十一ヵ条要求という名称は、このような報道合戦の中で生まれ、次第に定着したものである。



異論
日本の近代 4
『 「国際化」 の中の帝国日本 』 1905~1924
有馬 学 (著) 中央公論新社 1999年

P110-後ろから5行目
新任の日置益公使は対独宣戦直後に、膠州湾還付等を交換条件に満蒙権益を拡張することを加藤外相に上申している。
  ↓
山東半島・膠州湾の還付を満州権益の租借期限延長の取引材料にすることを考えた発案者は、有馬学の本によれば加藤外相ではなく日置益駐華公使である。


『孫文』 舛添 要一 (著) 角川oneテーマ21 2011年
P182-1行目
この要求は、袁世凱の帝政支持とひきかえにして取り引きされたものだと言われるが、それにしても列強の中でも突出した振る舞いであった。
  ↓
対華21ヵ条要求の「取引材料」 は袁世凱が皇帝に就くことを認めることだった。


中曽根 「対アジア侵略だった。
『対華21か条要求』 以降、侵略的要素が強くなった」
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5918.html

ところが、この問題は中国側から起こったというのが事実である。
すなわち、袁世凱は、このような過大な特権を日本に承認する(与える) 代償として、自分が皇帝になることを日本に支援させようとしたのである。


袁世凱は、自分が皇帝になることを日本に支援させる代償として、日本に過大な特権を与えることにした。
その際に、袁世凱は、日本に対して「日本からの『要求』 ということにしてくれ」 と依頼し、更に「必要ならば日本軍を出兵して武力を誇示してくれ」 とも求めて高圧的な要求を演出し、一方で支那においては 【日本からの威嚇行為】 と主張した。
つまり、「対支21か条要求」は、袁世凱による 【自作自演のヤラセ】 だった。



支那事変にみる大国意識、小国意識
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2852.html

コメント欄
「WAYS THAT ARE DARK」 は1932年に当時のアメリカ人上海副領事「ラルフ・タウンゼント」 氏が書いた本です。 その中に面白いことが書かれています。
「二十一カ条要求の背景」 (P258)
これは交渉に当たった日本の外交官からじかに聞いた話であるが、内容が公になるずっと前に、中国代表は内容に満足し、調印に同意していたそうである。
ところが中国側はこう持ち出してきた。 内容はこれで結構だが「要求」 ということにしてくれまいか。 そうしたほうが見栄えがする。 やむなく調印したのだという風にしたいのだが」 と。




世界史用語解説 
山東省/山東問題
http://www.y-history.net/appendix/wh1503-019_1.html

山東省ドイツ権益返還条約 (1922年)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1921-30/1922_santosho_kanpu.html

対華21カ条要求
https://wikimatome.org/wiki/%E5%AF%BE%E8%8F%AF21%E3%82%AB%E6%9D%A1%E8%A6%81%E6%B1%82