東国 常世の虫 大生部多
東国 常世の虫 秦 河勝
皇極紀 文庫書紀④222-7
秋7月に、東国の不尽河の辺の人 大生部多、虫祭ることを村里の人に勧めて曰はく、「此は常世の神なり。 此の神を祭る者は富と寿とを致す」 という。
大生部については
小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀③93 頭注 に
壬生部と同性格の「生部」 の一種か
と載る。
駿河は青山から流れる砂子多川に比定される。
不尽河は蒲生野山田~有冨 薬師池あたりであろう。 「不尽」(ふじ) は藤か。
竹生観音から流れる渓流、有冨 薬師池から流れる梅川用水路など。
太秦、太朝臣安万侶
大生部多・秦河勝・太安万侶 ・・・ みな家は下関市 蒲生野山田にあった。
蒲生野山田には前方後円墳の王子権現山古墳がある。
前方後円墳は「人に見せる古墳」 であるため、
石原→有冨古墳→蒲生野山田→安岡の中村県営団地→安岡八幡宮→安岡漁港・横野
の古代街道があった、と推論できる。 安岡の前方後円墳である観音﨑古墳近くには脇浦があり、ここは明治以降の動力船になる前の帆船までは倉が建つ湊だった。
壬生・乳部
文庫書紀②238-8 仁徳 大兄去来穂別皇子
文庫書紀④200-8 皇極 上宮の乳部
文庫書紀④108-末行 推古
文庫書紀⑤228-4 朱鳥
絹製品と養蚕業は別である
古墳から絹が出土しても、その付近で養蚕が行われていたとはいえない。
絹は運んで移動できる物である。
養蚕は桑を植え、蚕を飼い、機を織るものである。
養蚕は女たちの仕事である。
下関の蚕種渡来伝説
素盞嗚尊 朝鮮
http://44051510.at.webry.info/201411/article_3.html
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下関には日本の養蚕が始まった地である伝説がある。
長府図書館の横に「蚕種渡来の碑」 が建つ。
功満王は前勝谷にあった熊野神社(祭神 伊邪那美命) だろうか。
女部落=黄泉醜女
前勝谷の消防倉庫の裏に熊野神社があった。 そこには黄泉比良坂の千引き岩を思わせる大石が置かれ、毎年住吉神社の神官が来て大石に注連縄を巻いてお祓いしている。
前勝谷の消防機庫の横 お忌岩
http://44051510.at.webry.info/201411/article_15.html
下関市内の熊野・権現は他に
熊野町
蒲生野山田の王子権現山
内日・赤田代では竜王山を権現山という
内日の高地・阿内の境に熊山がある
室津下 市川の上流 字「山田」 に熊野神社があった
川中神社 『豊浦町史三 民俗編』 P442
熊野神社 川棚中 小野岩谷 『豊浦町史三 民俗編』 P443
豊田町 今出 熊野神社
豊田町 江良 豊田神社の境内神社「熊野神社」
豊田町 西八幡宮の境内神社「今熊神社」
豊田町 東八幡宮の境内神社「熊野神社」
などがある。
豊田町は華山が前方後円墳の形に似ているので、神仙の吉野か。
華山は古くは大神山といい、山頂には弥生時代の銅矛4振、夜光る石があった。 中宮に景行天皇の宮があった言い伝えもある。
豊田町には西市がある。 万葉集1264 西市で絹を買ったが見誤った歌
功満王が伝えた蚕種は養蚕だから女の仕事であり、集落に女が多くなければできない。
下関市 有冨の竹生観音
竹生観音は蒲生野山田にあるが、住所は有冨である。
竹生観音の山号は「高山」 である。
山口県風土誌では、竹生観音がある山の名は「東ヶ嶽」 である。
竹生観音では馬を祭る祭事が行われてきた。
女、女、女。 若い女がいっぱいいる。
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養蚕、絹の機織りは女の仕事
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我姫(あづま) 常陸国
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万葉集 蚕を詠んだ歌
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/animal/kaiko.html
万葉集2495
足常 ・・・ 常山、常陸、常世
女、女、女。 若い女がいっぱいいる。
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お乳がよく出る 壬生部
幼少の皇子たちを養育する所だから、都の中心にある。
東国の大生部多は多氏であり、この東国は下関市有冨の東ヶ嶽の麓である。
※ 吉見 龍王神社の乳母屋社も候補地である。
厩戸皇子 上宮の乳部
女、女、女。 若い女がいっぱいいる。
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隋書俀国伝 邪靡堆 後宮
王の妻は鷄弥と号す。後宮には女6、700人有り。
土地は腴膏にして → 常陸国風土記 総記 物産の腴膏くになり
『風土記研究の最前線』 橋本雅之 著 新人物往来社 2013年
P81~ 「腴膏」 について考察
女、女、女。 若い女がいっぱいいる。
小学館 新編全集本 風土記 P359 頭注22
握飯筑波の国
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万葉集804 山上憶良
世の中や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き
万葉集805
常盤なす (常住でいたい → 常世、遊仙窟)
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筑波岳の女体山
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常陸国風土記の筑波岳の記述は下関市の竹生観音である!
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魏志倭人伝の女王国にも通じる。