詩賦の興、大津より始れり


『油谷町の歴史いろはがるた』  P39
柿本人麻呂
向津の おくの入江の ささ波に 海苔かくあまの 袖はぬれつつ

宗祇
むかふ津の のりかく海士の袖にまた 思わすぬらす わが旅衣


詩賦の興、大津より始れり。  文庫書紀⑤236-5 持統天皇 称制前紀
の大津は長門市油谷 蔵小田の「鵜の石」 柿本人麻呂の歌碑の場所である。
この場所に柿本人麻呂がいて歌を作ったという証拠はないが、宗祇も歌を詠んでいるので室町時代末期には蔵小田に柿本人麻呂伝説があった。

『油谷町史』 P892
河原の小字「連歌」
連歌 は、柿本人麻呂が連歌を興行したのでこの地を連歌と呼ぶようになったと伝えられていると 『地下上申』 に記されている。 しかし、柿本人麻呂の頃には連歌は発生してなかったので、後世の付会である。


蔵小田の渡場には船橋があった。 天浮橋か。
両岸に縄を張って縄につかまりながら川を渡っていた時もあったという。
万葉集の縄浦(357) か。
河原の小字「釜蓋」 は製塩に関係する地名なら、釜蓋が縄浦か。

万葉集355
生石は雲龍石か。 『油谷町の文化財』 P24 を参照せよ。

蔵小田 市営住宅の上にある安倍家墓所、郷土史会の前田さんの家の近く、
藤ヶ森の大日様があった場所が倭国の近つ淡海の志賀の高穴穂の宮か。
ヶ森という地名から、藤原鎌足の私邸 「淡海之第」、「藤原之第」 があった所か。

大津郡の大津は長門市役所あたりでなく油谷町河原とされるが、賑わっていた場所は蔵小田の渡場だから、渡場公会堂あたりが大津だろう。

淡海の田上は油谷町 河原の田上、
続日本紀にある近江の鉄穴は油谷町 河原の鉄山。

神功紀の歌謡 文庫書紀②166-末
淡海の海 瀬田の済に 潜く鳥 田上過ぎて 菟道に捕へつ
瀬田という地名はない。 潜く鳥は鵜だから渡場か。
文庫書紀⑤96 壬申の乱  瀬田での攻防は今の新橋か。
(現地取材) 油谷町 蔵小田に入る新橋から邪馬台国が見える!

菟道といえば王仁から漢字を学んだ菟道稚郎子だ。 菟道稚郎子がいた場所も蔵小田の渡場か。 安倍後援会連絡所のすぐ下の川沿いである。

田の「小」 はヲ、神功紀神託の田の吾田節の淡郡の「尾」 もヲ。
ヲの発音は倭(ワ、ヰ) に通じる。

「ヰ」 の音は油谷島の中央部が小字「井ノ上」 なので、倭(ヰ) は油谷島か。
油谷島の小字「友国」 には平家落人の墓といわれる物がある。
大伴友国にちなむ地か。 文庫書紀⑤74-9、⑤282-4

中畑の大中さんは大中臣の裔か。
雨乞集落の平原堤は徐福が渡来した平原広沢にちなむか。 雨乞と蔵小田には縄文遺跡があり、中国の殷・周の時代から人が住んでいた。

倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。
魏志倭人伝出だしの「山島」 は向津具半島である。
万葉集の倭島(255)、日本島根(366) も向津具である。

以上とは矛盾するが、雄略紀の最後、吉備臣尾代の
蝦夷 丹波の浦水門 は蔵小田の掛渕か。


美しい国
河原には国家反逆罪とされた2・26事件の首謀者 磯部浅一の碑がある。
大津皇子の大津は河原の小字「連歌」、渡場の「鵜の石」 歌碑あたり。


古事記
淡海の佐々紀山君が祖、韓帒 ・・・ 三佐崎、岡ノ鼻遺跡
多綿の蚊屋野 ・・・


宣化天皇 元年5月  文庫書記228-11行
阿蘇仍君 ・・・ 阿蘇沼 因幡守 上野国安蘇郡出身とされている。
         河原の山奥、阿惣川ではないと思う。
阿曽沼氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%BD%E6%B2%BC%E6%B0%8F
『油谷のささやき』 4号 P1、20号 P24下

家連 ・・・ 別名か。 久富に小字「新家」 がある。
蘇我稲目 ・・・ 稲目石 油谷町史 P887-10行
物部麁鹿火 古事記では物部甲 ・・・ 荒人



向津
「向津」 は神功紀神託 文庫書紀②138-5 の
神風の伊勢国の百伝ふ度逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命

向津具 上野にある日吉神社の前身は大済神社。
川尻岬の断崖絶壁を「大石」 という。 古墳がある。
度逢県は楊貴妃が流れ着いたという唐渡口である。 近くに御崎神社があった。

御崎神社の祭神に高照光姫がいる。
http://44051510.at.webry.info/201008/article_105.html


向徳、大養徳
『天皇がわかれば日本がわかる』 斎川眞 著
ちくま新書  1999年 2002年2刷
P117
皇帝の「徳」 は、儒教における「仁義礼智信」 などとは直接には関係ない。
この徳は、あくまで天下・国家を統治できる能力・資質があるかどうかという問題である。


この「徳」 は皇帝が国を統治するときの絶対的な支配力をいう


黒歯国
山海経 海外東経 の黒歯国は向津具である。

山口県風土誌 11巻 P308-末行
向津具下村 山﨑 に地名「十日神」(とびがみ) があり、扶桑・高木神である。 共同墓地になっているので龍雲寺に聞けば場所がわかる。 付近に大内氏の守護神を祀っているという妙見社の祠がある。

妙見社は小字「迫田」 にもあり、天御中主尊を祀り銅鏡が出土したという。
向津具の小字「道元」(だうぐわん)は道教を表し、道臣・日臣である。


下関市豊浦町宇賀の犬鳴川中流に小字「扶桑」 がある。 付近に「神屋」「弘法」「兵法」 などがある。
山海経 海外東経、淮南子 に記述された扶桑は向津具の地名「十日神」(とびがみ) である。

雨師妾  川尻岬
「十日神(とびがみ)」=金鵄、八咫烏
が扶桑なので、雨師妾は向津具の川尻岬である。
川尻岬が本当の伊勢国である。


山海経 海外東経 十日 に関しては、
『山海経 列山伝』 全釈 漢文大系  集英社 昭和50年
P433-後ろから2行目

を参照せよ。



長門市
油谷町
蔵小田の地名「鵜の石」 ・・・ 万葉集359
向津具の地名「十日神」 ・・・ 山海経 海外東経、淮南子の湯谷・扶桑
川尻岬 御崎神社 ・・・ 雨師妾、天照大神の伊勢国 度逢県

と大発見しました!!



長門市油谷が淡海国なので、下関市豊浦町 室津は常陸国鹿島か。
室津の光蓮寺 先祖は鎌足
http://44051510.at.webry.info/201310/article_51.html