土井ヶ浜遺跡 但馬国


『 豊北町史 2 』 平成6年 P99
(私見)
土井ヶ浜遺跡の上層から出土した銅鏡2面は応神記の 奥津鏡・辺津鏡である。
根拠
海岸部から出土する鏡は割られて破片で出土する。
土井ヶ浜遺跡の鏡は完全な形で出土している点が珍しい。
しかも2面である。

『 豊北町史 』 昭和47年 P110
土井ヶ浜遺跡から出土した青銅鏡
2面の青銅鏡が出土した。 これらは、きわめて手なれており、鈕(つまみ) や背文の摩耗が著しい。 その一つは、径7.2センチメートルで手縁の内側に斜行櫛歯文、さらに内側に2本線でひいた七弧の内行花文をもち、中央部で折れ曲っている。 他の一面は、平縁の内側に綾杉文を入れている

丹後半島の籠神社に伝わる海部氏系図の海部氏は土井ヶ浜海人か。

近江国  油谷・日置の掛淵川流域
近江国の鏡村の須恵人は日置 峠山 の須恵器生産地

若狭国  油谷伊上
長府博物館に油谷町伊上沖から魚網で引き上げられた甕がある。
これを神功皇后が渟田門で魚に与えた酒甕とみて若狭国は伊上である。

但馬国  土井ヶ浜
田道間守は常世に行って橘を得て帰った。
この常世は沖縄。 つまり土井ヶ浜弥生人の「貝の道」 である。


特牛 (こっとい)
手元にある古い広辞苑で特牛(ことい)(ことひ) を引けば、
枕詞
(特牛が租米を負うて屯倉に運んだことから) みやけ(三宅) にかかる。
万葉集1780、3838
  ↓
三宅連の始祖 田道間守



尾張国
有柄銅剣が出土した向津具の安佐は名古屋市の熱田神宮に対応する。

文庫書記③228-12
宣化天皇 元年5月1日
蘇我大臣稲目宿禰は、尾張連を遣して、尾張国の屯倉の穀を運ばしむべし

久富 油谷町
http://44051510.at.webry.info/201402/article_9.html
稲石 は、古くは稲目石と言っていたということであるが、もしそれが事実なら『和名抄』 の稲女はこの辺かもしれないと『風土注進案』 に記されているが、どこであるかはっきりしていない。


土製の豚(荒人遺跡)  油谷町
http://44051510.at.webry.info/201008/article_99.html

油谷町の荒人遺跡から豚の土製品が出土 ・・・ 女真族は豚を飼っていた説
石川夫人、蘇我氏の太

油谷町 JR人丸駅
大津父  欽明紀 文庫書紀③234-3

「大津」 は他に、
雄略紀 文庫書記③28-11 大津馬飼
神功紀 文庫書紀②160-9 大津の渟中倉の長峡 


済州島
徐福は耽羅(済州島) を経て亶洲に着いたという。
斉明天皇が朝倉橘広庭宮に居た時、耽羅が朝貢してきた。
文庫書紀④368-10
丁巳に、耽羅、始めて王子 阿波伎等を遣して貢献る。


斉明紀の筑紫  文庫書紀④368
竺紫(筑紫)、油谷説
大伯海 ― 土井ヶ浜の海。 「大伯」 は呉の太伯で東シナ海と関係する。
大田姫皇女の「大田」 は北宇賀の太田川沿い
伊予熟田津の石湯行宮 ― 和久温泉
長津 ― 油谷長久  ※「長久」 は永久・長寿の意
字「荒人」 の近くに字「太宰ヶ浴」 がある。 ※ 荒人=都怒我阿羅斯等
朝倉橘広庭宮は境内が広大な日置八幡宮か。


竺紫(筑紫)、土井ヶ浜「宮ノ下」 説
土井ヶ浜の宮ノ下遺跡にも官衙跡がある。
ここが朝倉橘広庭宮か。
人が死ぬ黄泉の地は土井ヶ浜である。

神功皇后神社がある。
万葉集 松浦は媛なので、神功皇后神社がある丘陵か。
万葉集865  松浦仙媛 火前国の松浦県 文庫書紀②140-11
万葉集1016 蓬莱仙媛

小字「戎沖」   古澤さんの家(1571-1 番地)あたり。

土井ヶ浜遺跡の岡林丘陵から対馬の金田城はピンポイントで真西に位置する。


神田岬の 御崎神社
主神 豊受比売命 ・・・ 伊勢か
由緒 天武天皇白鳳2年創建と伝える。 神田上江尻の鎮守と祀らる。

白鳳 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%B3
私年号 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

扶桑日本の緯度
http://44051510.at.webry.info/201306/article_2.html



『 豊北町史 』 昭和47年
P111
築港遺跡 和久
長頸壺型土器片 (弥生時代前期

長頸壺型土器は、北九州の弥生時代中期の遺跡から発見される代表的なものであるが、本町以南の山陰沿岸での発見例は少なく、類似はわずかに
  吉母
  形山
  住吉神社の所蔵品
に見られるだけである。


長頸壺型土器は豊北町和久では弥生前期、北九州では弥生中期で、
和久から出土したものは北九州の物より古い。

和久古墳から須恵器の提瓶が出土している。
有冨2号墳からも出土している。
和久と秋根周辺の2つの場所は往来があって関係する。


P145-末
4世紀の朝鮮への進出は、南朝鮮の鉄資源を確保するためだといわれる。
土井ヶ浜の旧地表面からは古墳時代で最も古い形式の土師器とともに、鉄製の 鎌 ・ 斧 ・ 鑿 ・ 鍬先 ・ 鏃 が出土している。
このことは朝鮮との直接交渉も考えられるし、また早くから鉄器という最も鋭利な道具を使用しえた当地方の先進性をみることができる
また青銅鏡の2面の同笵鏡の出土は、その製造地との交易または政治的分与が問題となるが、今はわからない。