東海 美しい国へ


長門国の国府は関門海峡の瀬戸内沿岸に位置する下関市長府にあったが、長府は要衝地であるとはいえ長門国の端である。 長門国の範囲の地理的な中央部は大津郡(長門市) である。
大津郡の西側、油谷湾沿岸が "中央" である。

奈良県・大阪府にあったとされるヤマト王権、ヤマト政権といわれるものは存在してなかった。
大阪府・奈良県は「東国の強兵」 の地であって、倭国の首都は山口県西部の山陰側にあった。


隋書俀国伝
竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す。

竹斯国は宗像郡である。 本州は東北まで俀国の附庸である。
甕棺の地域である古賀市以西、九州の熊本県などは俀国と附庸の関係になく、東北地方とされた「蝦夷」 は長崎市・熊本市の東シナ海沿岸の地域だった。


古代中国人のいう「東海」 を中国の都 西安 の真東方向とみれば、豊北町矢玉・土井ヶ浜 の付近である。
  ↓
土井ヶ浜~油谷 は「東海」 に位置することから倭国の主要な場所であり、
記紀・万葉の本当の主要舞台は土井ヶ浜~油谷である。


美しい国へ 油谷
山口県風土誌 11巻 P308-末行
向津具の中央部分「迫田」 に
「十日神」 ・・・扶桑の場所
「道元」 ・・・ 「道」 は道教、道臣、越道臣 の場所
がある。

山海経 海外東経
下に湯谷あり。 湯谷の上に扶桑有り。 十日の浴する所なり。
隋書俀国伝
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々

俀国は百済・新羅の東南にあり。 ・・・ 百済・新羅の首都から東南の方向
水陸3千里、大海の中において、 ・・・ 「大海」 は 沖ノ島-向津具 の海
山島に依っている。 ・・・ 「山島」 は向津具
  ↓
俀国の場所
向津具半島 - 油谷・日置 - 土井ヶ浜

「島国」 は日本列島や九州島ではなく向津具半島である。
「大海」 は 沖ノ島-向津具 の海をいう。 「大海」 という単語は徐福東渡、蓬莱山、楊貴妃伝説 の各文献に出てくるキーワードである。 「大海」 は一般名詞ではなく 沖ノ島-向津具 の海を表す地名である。
大海人皇子は向津具の楊貴妃伝説が伝わる久津浦の人であり、日本書紀では方士だった徐福の再来(生まれ変わり) という位置づけがされている。

文庫書紀④368-末行 大海
この「大海」 は東シナ海である。

徐福は済州島を経て油谷に来た。
斉明天皇が筑紫の朝倉橘広庭宮に来た時、耽羅(済州島) の使者が朝貢に来た。 文庫書紀④368-10
耽羅の使者の名は阿波伎という。 古事記の橘の小門の阿波岐原と似る。


道元山
向津具に道元山 (211.9 m) がある。
越道君  文庫書紀③344-7
越道君伊羅都売 ― 向津具上の小字「伊羅加畑」 文庫書紀⑤44-5

『油谷町史』 の小字地図では「伊羅加田」。
「伊羅」 という稀有な地名表記は「伊羅都女」 の地である証明力を有する。


地方豪族が渡来者に対して王・天皇を称した2例
垂仁紀2年 是歳 文庫書紀②20-1
穴門の伊都都比古が王を称した。

欽明紀31年5月 文庫書紀③344-8
越の道君が天皇を称して高麗の貢物を騙し取ったことがばれた。
  ↓
『新説 日中古代交流を探る』 いき一郎 著  葦書房 1989年
P132
道君の「道」 は道家、道教の理想を旨として自称したとする方が自然である。 大王(天皇) を自称しておかしくないのである


角鹿
伊奢沙和気大神、御食津大神、気比大神、笥飯大神
穀物の神なら徐福が考えられる。
御食の魚(な) なので漁撈の貢納品である。

「角」 の字から角島か。
敦賀市の気比神宮を訪れた金 達寿の著 『日本の中の朝鮮文化 5』 P73
では伊奢沙和気大神は天日槍だという。

応神記
建内宿禰は禊の場所を探して角鹿に至った。 禊の場所は竺紫日向の橘の小門なので、角鹿=竺紫日向の橘の小門 とも考えられる。 私見では禊の場所は土井ヶ浜の江尻下、宮ノ下遺跡。


高志には沼河がある。
土井ヶ浜遺跡を流れる川は沼川である。
土井ヶ浜人類学ミュージアム裏門の岡林側が高志だ。


豊北町内遺跡一覧
http://www.geocities.jp/ochappy_l/riho/remains/remains_index.html