楊貴妃伝説 蓬莱 鯨大魚


東海
中国の原始地理書に見られる「東海」 であるが、
中国の都 西安の真東は山口県の豊北町の海岸である。
宇賀本郷 ~ 島戸 ~ 向津具 が西安の真東に位置する「東海」 である。

最寄りの気象台や海上保安本部の「海の相談室」 で風向きや海流を教えてくれる。 対馬中域から土井ヶ浜に向かう真東の海流がある。

対馬海流の本流は南東から北東へ流れている。 でも風の主な向きは北西である。 朝鮮南端、対馬から船を出す。 船は帆を上げて北西の風に乗れば猛スピードで山口県西部に着く。 現在でも下関市豊浦町の沿岸は韓国からの密航船が着く場所である。

万葉集
62 対馬の渡り
63 いざ日本へ 大伴の御津の浜松
「日本」 を真東の意味だとすれば、対馬 金田城の真東は土井ヶ浜である。
題詞の「本郷」 は向津具の本郷か。 向津具の本郷には条里制があった。

浜松がある海岸は綾羅木、吉母、黒井、土井ヶ浜である。
対馬の渡りから見て 「日の本」 方向にある大伴御津は土井ヶ浜の松林か。

肥中
大内氏時代、肥中は朝鮮との貿易港だったので大型船が停泊できる港である。 李氏朝鮮の『海東諸国記』 によれば、肥中は「賓住」 と表記されている。 迎賓館があったのか。
参照 『 豊北町史 2 』 P621

過去記事
http://44051510.at.webry.info/201203/article_61.html


仲哀紀
文庫書紀②126-後ろから2行目 向津野大済
文庫書紀②130-10 「津に向かへる国」 ・・・ 津は向津具をいう 

向津具には蓬莱の地であることや楊貴妃が本当に渡来したことを証明できる資料はない。 私は名古屋市 熱田神宮の蓬莱島・楊貴妃伝説は向津具の話であると推理する。 向津具から出土した有柄銅剣が本物の草薙剣である。

向津具から出土した有柄銅剣は佐賀県 吉野ヶ里遺跡から出土した物に似てるという。

尾張の瀛津世襲 → 尾張は瀛洲 → 向津具は瀛洲
大海人皇子は海部氏、尾張氏と関係深い。
宗像の瀛つ宮も向津具にあったので、大海人皇子は宗像氏の娘と結婚した。

日本書紀の主人公 天武天皇
天武天皇は方士・道家なので徐福の再来(生まれ変わり) という設定だ。
日本書紀が暗に示す建国の史実は徐福の渡来である。
徐福の渡来は天武天皇が方士・道家だったことで暗に示されている。
「大海人」 という名から向津具の大浦の人か。 久津、水岬か。土井ヶ浜の海人族だろうか。

倭の面土国は向津具の道元山か、角島の元山である。

向津具 元山の「道」 は道臣で、徐福集団の道教を表す。
向津具の楊貴妃伝説 と 陽侯(楊胡) 氏
http://44051510.at.webry.info/201203/article_54.html

角島の元山遺跡 積石塚 1基。  『 豊北町史 2 』 P582-2行目
積石塚は福岡県 福間沖の相島にある。

矢玉や土井ヶ浜の海は青いので「滄海」 である。


豊北町沿岸には多数の鯨が来游  『 豊北町史 2 』 P631
鯨が打ち上げられた記録がある所
角島
矢玉
土井ヶ浜の江尻川口
荒田湾


『 大津郡志 』 大正12年
亀山神社
P114-5行目
当村中央の清浄な赤土の霊地に鎮め奉らうと、その由縁を大内義弘公の奉行所に願出で、一祠を創建し、松崎神社と称し、御社より六七町西方小野の里といふところに、恩寵をうけて住居を定めた。 これが即ち松崎庄司鐘八郎なるものである。 そして当地の神職宮崎内蔵丞を頼んで社司とした。

境内の「一夜松の碑」 がある。
この神木の松は倭建命の「尾津の前の一つ松」 か。


向津具八幡宮
P104
鎮座地 向津具下 字南方
本郷盆地を中にして亀山神社に相対してゐる。
山城国 男山より霊を分けて祀ったと伝へられる。
風土注進案には 「当社は社家先祖宮崎小太夫といふ人、山州 男山八幡宮を勧請仕り、向津具南の方 矢渉原と伝ふる旧跡のあったところへ建立以来、(略) ・ ・ ・ ・


P109
祭神の由緒に関する口碑伝説
油谷湾の古称 「向津の奥の入江」 の北方を囲む向津具半島は、これ亦古称 「向津国」 といったことは総論で述べたが、さらに二重に油谷島と称し、島ではないが、わづかに地峡をもって半島を形成してゐる。 この油谷島南側の湾に面する台地に 「梶ヶ平」 といふ所がある、これが八幡宮の旧跡であると伝へられてゐる。 ここより今の矢渉原へ移御の時、お供をした油谷島村人の子供が、今なほ春秋祭礼に神輿の輿附并に神具 (金幣、四神矛、鳥毛、たくだ、神饌) の捧持者として特例を残してゐる。 大真榊捧持者に至っては家格が定ってゐて、容易に他人に持たせず、現に上下帯刀でこれに勤仕してゐる。 しかし八幡宮が油谷の梶ヶ原に坐したといふ記録といふものは別にない。 按ずるに仲哀紀の向津野大済にもあつべき位置に、対韓策上、住吉神社があった筈であるが、或は八幡宮の勧請によって、住吉神が煙滅したものではあるまいか。




万葉集
3887  亀山神社より六七町西方にある小野の里
3888  奥国は向津具


楊貴妃の里
http://blog.goo.ne.jp/yukerukana/e/f1277a3e0eafb426540a2d75b3cc8f63
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ムカつく(向津具) 和牛
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