夷洲は宗像市、亶洲は下関市の山陰側


作成日時 : 2015/02/28 02:43

邪馬台国への道 私見
http://44051510.at.webry.info/201502/article_33.html

末盧国  候補地多数 (志賀島 ~ 鐘﨑)。 津屋崎の渡か。
伊都国  宗像市 田熊 ― 出雲国の場所、夷洲
奴国  宗像市 野坂 (光岡・久原を含む)
不弥国  鞍手町古門

投馬国  門司
邪馬台国 下関市の山陰側 ・・・ 宗像市の響灘対岸に位置する

邪馬台国が澶洲・亶洲である。
下関市 武久浜から秦の時代の貨幣である半両銭が出土している。
蓋弓帽の稗田地蔵堂遺跡の近くに「秦屋敷」 という地名場所があるという。


「澶」 の意味は
『新説 日中古代交流を探る』 いき一郎 著  葦書房 1989年
P27-8 澶には遠いの意味があり
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厚母の田か。 隣の阿蔵には卑弥呼の冢かと思える蒙古千人塚がある。
阿蔵・遠田は室津のお遍路道にあり、路傍に地蔵や大師堂が多い。
古代~中世、室津・吉母は仏教の信仰が篤い地域で、漢字を読める人が多かった。

http://www.eonet.ne.jp/~temb/4/2_4.htm
楽浪人のことを阿残と呼んでいる。 東方の人は自らのことをと言い、楽浪郡の人はそこに留まった同族だと言うのである
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国土地理院 5万分の1 地図では阿蔵は「アドウ」 と読む。
阿蔵は草場山の北東に位置する。
阿蔵の 東30度南 に鬼ヶ城山がある。

お遍路道にあり、千人塚と称される小丘がある阿蔵・遠田は軽視できない場所である。

平成合併後の広域下関市は和名抄の豊浦郡である。 下関市域で伽藍が多く仏教が盛んだった地域は本州最西端の「豊西半島」 だ。
室津上、吉母上、阿蔵・遠田のお遍路道、永田郷の妙寺には伽藍があった。
御崎にも弘法大師伝説があり大師堂がある。

遣唐使は東シナ海の宇久島・小値賀島・五島列島から渡海したといわれる。 江戸時代後期の事であるが、下関市吉母の漁師は朝鮮まで漁に出かけ、安岡・矢玉の漁師は対馬で漁をしていた。


提瓶
向津具、和久の古墳から航海時に使用したとみられる須恵器の提瓶が出土している。 有冨2号墳からも提瓶が出土している。
肥中・特牛は肥中街道の湊で、大内氏の朝鮮貿易港であった。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時、毛利軍は肥中から渡海した。

龍城国を掘る!
http://44051510.at.webry.info/201305/article_26.html