日羅  宗像市 久原


沖ノ島の祭祀遺跡は百済の竹幕洞遺跡に似る。

生家釘ヶ浦遺跡  福津市
移動式竃や百済系の韓式系土器が出土

今川遺跡  福津市宮司
韓国無文土器時代の松菊里型住居
大陸系の遼寧式銅剣を再加工した銅鑿


敏達紀  文庫書紀④32-11
百済に在る、火葦北国造 阿利斯登が子 達率日羅、賢しくして勇有り。 

万葉集246
葦北乃 野坂乃浦従 船出為而 水嶋尓将去 浪立莫勤

葦北 ― 宗像市深田 葦木神社
野坂 ― 宗像市野坂
水嶋 ― 沖ノ島


むなかた電子博物館 歴史年表
http://d-munahaku.com/history/list/list.html
久原遺跡 (ユリックス)  弥生 ~ 古墳時代
  ↓
「久原」 (くばら) は百済の転訛だろう。


久原滝ヶ下遺跡  古墳時代の集落
昭和57年の調査
古墳時代前期の住居跡から出土した畿内系二重口縁壺、板状鉄斧
  ↓
畿内と関係しているので、畿内のヤマト王権も百済系か。


日羅は熊本県葦北郡でなく福岡県宗像市 久原 の人である。



玄海町の阿蘇
宣化紀 文庫書紀③228-11 阿蘇仍君
「筑紫国 去来の関門」 は玄海町(宗像市) で、魏志倭人伝の伊都国か。
世々王あるも、皆女王国に統属す。 郡使の往来常に駐まる所なり。
  ↓
 「阿蘇」 は玄海町(宗像市) の池田にあった千疋原だろう。
 景行紀の阿蘇はここだ。


指来神社  さしたりじんじゃ  多礼「柚木」
祭神
神功皇后 阿蘇津彦命 大国主命 高龗 少彦名命 水波能売命 豊日別命
境内社
須賀神社(素戔嗚命)

多礼部落の産土神である。
祭神に阿蘇がある。
  ↓
宗像市と合併した玄海町の神社に「阿蘇」 が登場する。


魏志倭人伝の伊都国
隋書俀国伝の秦王国
は福津市・宗像市である。

末盧国は志賀島 ~ 新宮町か。 上陸の目印となる立花山がある。
元寇時の元軍は壱岐から志賀島に上陸した。
志賀島の弘では潜水漁をやっていた。

あるいは
末盧国は松浦で、私見では宮地嶽・津屋崎・勝浦
伊都国は宗像市久原
である。

末盧国から伊都国へ進む方角は東南なので、末盧国は勝浦だ。
万葉集では松浦に穿江がある。 原始古代は津屋崎は勝浦まで深い入り江で、「海の中道」 と呼ばれていた。

奴山の小字に「玉ノ上」がある。 ここが松浦県の玉嶋里だ。
小字「松原浜」 が近い。
小字「梅津浜」 は 文庫書紀②142-3 梅豆邏国


古事記  岩波文庫 神功皇后の新羅征討
P134-10
故ここをもちて新羅国は御馬甘と定め、百済国はの屯倉と定めたまひき。 ― 宗像の海人族  津屋崎~勝浦~神湊
P135
またその礒の名を門比売と謂ふ。 ― 勝浦

一大国
山海経 海外東経 の人国は宮地嶽・津屋崎・勝浦
  ↓
壱岐は魏志倭人伝で一
津屋崎と壱岐は「大人」 で同族である。

福津市・宗像市が百済系なら壱岐の原の辻遺跡も百済系だ。
壱岐 原の辻遺跡の真東に宮地嶽がある。
壱岐には古墳が多く、石室が巨大である点は宮地嶽古墳と似る。

「百済国は渡の屯倉と定めたまひき」 は壱岐の原の辻遺跡である。



福津市 手光 の小字  ・・・ 墨江か
「墨ヶ浦」 400~443 番地
「立花木」 2221~2289 番地
「海祖」 1224~1227、1229~1249、3093-6、7 番地
「大神」 1500~1556-5 番地
「大人」 1814~1882-4 番地

在自 (あらじ)  小字 「犬王」 「唐坊」
渡   小字 「唐舟」・恋の浦


万葉集2797
住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方
住吉の 浜に寄るといふ うつせ貝 実なき言もち 我れ恋ひめやも

うつせ貝は福間・津屋崎の海岸名物



宮地嶽神社  禊ぎ池がある
筑紫の高千穂宮 ・・・ ここは韓国に向かい 笠沙は海岸の松林
筑紫君磐井
などの候補地である。


津屋崎
http://44051510.at.webry.info/201201/article_30.html

勝浦の小字「博多浜」
  伊吉
  筑紫国 上陽咩郡 大伴部

和名抄に宗像郡怡土郷がある
  万葉集813 怡土郡深江村子負原の鎮懐石