筑紫は宗像 邪馬台国は下関


記紀の「筑紫」 は宗像市域に限定された場所だった。 肥前は勝浦だ。
神社、地名由来、史跡は 『宗像郡誌 上編』 を読む。

宗像市の地名を「角川日本地名大辞典 福岡県」 で調べると
名残は古くは「常世村」 と称した
光岡は「嶺村」 と称していた
赤間に神武天皇の伝説がある
が興味深い。


海の道 むなかた館
http://searoad.city.munakata.lg.jp/


むなかた館 関係者の歴史認識をひっくり返す私の独自見解

松浦(末盧国) は勝浦の「松原」「桂区」 
伊都国は筑紫日向の高千穂宮で、宗像市の野坂・朝町・名残・冨士原
斉明紀の長津は日の里の長浦池。 朝倉橘広庭宮は朝町の竹重神社

筑紫君薩野馬 ― 野坂の幸神社 祭神 大己貴智神 鈿目神
            または 朝町「妙見」 の山神社
日向の襲 ― 野坂の曾部神社

吾田 ― 神湊の津加計志社の相殿に吾田片隅命
田島の高宮台地の古代祭祀場、占部氏もここの人だ。
「筑前国嶋郡戸籍川辺里」 の嶋郡は田島

文庫書紀①148-1
神吾田鹿葦津姫 占定田 狭名田 渟浪田
の場所は牟田尻・深田・宗像大社辺津宮・葦木神社 あたり
あるいは
勝浦の小字「尾田」  神功紀の神託 尾田の吾田節の淡郡 幡荻穂

文庫書紀③64-最後の行  雄略紀10年9月4日
筑紫の嶺県 は光岡



下関から勧請された宗像の神社
牟田尻の生神社 長門国の宇生神社を勧請  吉見の乳母屋社か
  ↓
筑紫の宇佐、筑紫の宇瀰 の地である。

野坂の住吉神社 長門国一ノ宮 を勧請
野坂の八幡神社 長府二ノ宮 を勧請
  ↓
万葉集304
遠の朝廷 は野坂か
島門 は田島


野坂
「太鞁田」 に田舞が伝わる
「館原」 とういう地名

朝町の小字「ヶ作」 ― 都か


津屋崎
『宗像郡誌 上編』 P440
〔筑前国続風土記拾遺〕 津屋崎村
此村を津屋崎といふは、むかし産神の鎮座の時、村の西 河原が﨑といふ所に、堂を建て、村民等多く集ひて、通夜せしより、其所を通夜﨑といふ。 遂に村名となるといへり。
  ↓
津屋崎という地名は葬式の通夜をした通夜崎が転じたものだという。
天智天皇の近江大津宮か。

事勝国勝長狭 間なし勝間の小船 ― 津屋崎 須多田の簾長者か

万葉集3161 在千方
津屋崎~在自 の有千潟

海神の場所は
①考 手光の小字「海祖」

②考 綿津見神社  古賀市 庄 
庄区の産神
神社がある高台を龍ヶ崎といい、昔この地は岬で難陀竜王宮があった。
祭神  綿津見神 彦火火出見神 豊玉姫神

文庫書紀①156
沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も 与はぬかもよ 浜つ千鳥
⇒ 千鳥ヶ池を詠んだ歌

八重席 ⇒ 古賀市 筵(むしろ)内


万葉集3155 悪木山 靡
宮若市 上有木 靡山

万葉集3157 海 安河
島の近くだ。
宮地嶽神社、手光今川、西郷川の福間
古事記の美濃の喪山は美嚢郷である。



考古学
『宗像市史 通史編 第一巻 自然・考古』
P612 第61図 徳重高田遺跡 1号石棺墓 天井石除去後
は下関市安岡八幡宮 御霊社 の石棺墓に似ている。

遠賀川流域、鞍手郡は新羅系
宗像市は百済系